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掌篇集

 ここまでか、と男は眼前の巨大な熊型のモンスターを睨みつけながらも覚悟する。
 縦も横も男の倍はあるモンスターは、本来ならばチームを組んで討伐する類のもの。だがこの場には男の姿しかない。
 受けた依頼は顔なじみの商人の護衛だが、このモンスターは本来こんな場所に出没するようなものではない。手負いらしい様子からして、誰かが討伐に失敗して逃したか。
 商人を逃すため男はひとり残った。男一人の力ではモンスターを倒せる見込みは低かったが、二人逃げてもすぐに追いつかれる。商人が逃げる時間を稼ぐには、それしか無かった。
「ついてねぇな、全く。熊公とデートとはよ」
 軽口を叩いて自分を鼓舞してみても、手負いで気が立っているモンスターの殺気に、構えた剣の切っ先を下げないようにするのが精一杯だ。
 しかし、やるしかない。おそらく自分は死ぬだろうと男は理解していたが、それが遅くなればなるほど商人の生存率が上がることもわかっていた。だから、男は裂帛の気合とともにモンスターに斬りかかる。
 熊型で怖いのはその爪だ。モンスターが振り回す豪腕とその先の巨大な爪に僅かでもかかれば、人間の装備も皮膚もたやすく引きちぎられ肉片に変わる。
 間近を通り過ぎる死の旋風を辛うじて避けながら、男はそれでも少しずつモンスターに手傷を負わせる。
 苛ついたモンスターが大振りに腕を薙いだ瞬間を逃さず、男の剣がモンスターの喉を貫く。しかし、その程度ではモンスターは死なない。痛みに怒りめちゃくちゃに暴れるモンスターに吹き飛ばされ、男は近くの木の幹に叩きつけられた。
 衝撃に息が詰まり、モンスターの体から飛び散った血飛沫が目に入って視界が赤く染まる。
 身動きの取れない男に、怒り狂うモンスターが肉薄する。
 振り下ろされる爪をまるでスローモーションのように感じながら、男は嗤う。
 時間は稼いだ。あいつを生かして死ねるなら、この命にも意味があったに違いない。
 その瞬間を待つ男の目の前で、モンスターの頭が弾け飛んだ。
「はっ!?」
「このばかー!! ちゃんと生きてるんでしょうね!?」
「ちょっと隊列より前に出ないでください危ないから! 射線に入ったら当たりますからね!?」
 聞こえた騒がしい声は、商人のもの。見れば、対大型魔獣用魔導銃を構える狩人たちと、彼らに怒られている商人の姿。
 逃した商人が、助けを呼んだのだ。
 狩人たちはモンスターにもう数発弾を撃ち込んで完全に動かなくなったことを確認してから、男の救助に向かう。
「大丈夫ですか、怪我は?」
「ふっ飛ばされて多分肋骨と片足折れてんな。あとはほとんどかすり傷だ。すげえな、新型か?」
「はい、配備されたばかりで。いやー、初めて的に当たりました」
 不穏な一言は聞かなかったことにして、男は大きく息を吐いた。途端、胸に走る痛みに顔をしかめる。吸っても痛いし吐いても痛い。
「ばか! このバカ!」
「おう、無事か。ありがとな、助けを呼んでくれて」
 商人は、めいっぱい眦を吊り上げた怒りの表情のまま、ぼろぼろと涙をこぼす。
「ばか! あた、あたしを死ぬ理由にするなんて許さないんだからね」
 彼女の精一杯の力で、男の肩を叩く。正直、今の男であっても、大した衝撃ではない。けれど、それは男の胸に響いた。
「ばか、いてえよ」
「痛くしてんのよ。生きてる痛みでしょ」
 だんだんしゃくり上げるようにして大泣きし始めた商人は、動けない男の肩に顔を伏せる。
「ばか。あたしのために死ぬんじゃないわよ。あたしのために生きなさいよ」
 泣きながらそんなことを言う彼女に、男は苦笑する。
「そうだな、ごめんな」
「ぜったいゆるさないんだから」
 狩人たちの生温い視線が突き刺さっているのを感じながら、男は胸の痛みを耐えて彼女の頭を撫でる。その表情は、たった今死にかけて肋骨も足も折れているとは思えない程緩みに緩んでいた。


「やっぱあれ、置いてっちゃだめですかね?」
「気持ちはわかるがだめだろ。一応怪我人だし」
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