掌篇集
ちら、と視線を向けたのは、乾物などの食品ストックが入った戸棚の扉。夫がほぼ開けることのない、その扉。
そこに、義母がくれたちょっとお高いクッキーの缶が隠してある。
夫が帰ってくる前に、と行儀悪く一枚失敬したらば、噛んだ瞬間のさくっとした歯ごたえとともに、口の中に入った瞬間ほろりと崩れてバターとカカオの風味が口いっぱいに広がり、後味にナッツの芳ばしさが余韻を残す。とても美味しいクッキーだった。
棚にしまったものの、美味しさが忘れられなくてもう一枚食べたい欲求が高まっていく。
……まだ夫は帰ってこない。帰ってくる前にもう一つだけ……。
こそこそと戸棚の前で缶をあけ、一枚口に運ぶ。
食べる幸福である。さすがお義母さん、食の好みが私と一緒。
「ん〜〜、これは確かに勝手に食べられたらめちゃくちゃ怒るかも……」
私は、昼の出来事を思い返す。
「たまたまデパートに行ったら催事をやっていてね、美味しそうだったから買ってみたのよ。帰って食べたらとっても美味しかったから、その日のうちに追加で買いに行ったわ」
かねてからの約束で、我が家にお茶をしに来た義母は、そう言って缶入りのクッキーを二種類おみやげに持ってきてくれた。家にはまだまだあるらしい。高いんじゃないのか。
「だって、この催事以外で日本で販売しないっていうんだもの。売り切れたら来年の催事までお預けなのよ。いっぱい買うわよ」
「そうなんですね。そんな貴重なものを頂いてしまってすみません」
「いいのよ。珠子さんに美味しいもの食べてほしかったんだもの」
そう言ってころころと笑う義母は、私をとても可愛がってくれている。私も大好きなので、今日もお茶菓子はとっておきのレオニダスのオランジェットである。義母の好物だ。
「いい、珠子さん、康介に見つからないようにしなさいね」
真面目な顔で、義母は言う。
「うちの人もそうだけど、あの子絶対にこのクッキーの価値もわからず一袋250円の大袋入クッキーと同じようにひょいひょい食べ尽くすに決まってるのよ! そんな勿体ないことある!?」
聞けば、義父に勝手に一箱の半分を食べられて雷を落としたらしい。
「残りは衣装箪笥の中に隠したわ」
「そこまで……」
「だって、無くなったら買いに行けって言えるものじゃないんだもの。盗み食いするのが悪いのよ。ちゃんとお茶菓子にだそうと思ってたのに」
「……一緒に食べたほうが、美味しいですもんね」
「…………まあね」
不貞腐れたような顔で、ほんのり顔を赤くした義母が可愛らしくて、私は頬が緩むのを止められなかった。
そして義母が帰り、私はクッキーを隠したものの、欲望に抗えず戸棚の前でこそこそと貪っているわけである。
「美味しい……でもだめ、一気に食べたらもったいない……。これは少しずつ食べるのよ……」
自分に言い聞かせるように呟きながら、戸棚の中にクッキー缶をしまう。
ああ、でも……。
「最後に1つだけ……」
自制心を溶かす罪な味である。
そこに、義母がくれたちょっとお高いクッキーの缶が隠してある。
夫が帰ってくる前に、と行儀悪く一枚失敬したらば、噛んだ瞬間のさくっとした歯ごたえとともに、口の中に入った瞬間ほろりと崩れてバターとカカオの風味が口いっぱいに広がり、後味にナッツの芳ばしさが余韻を残す。とても美味しいクッキーだった。
棚にしまったものの、美味しさが忘れられなくてもう一枚食べたい欲求が高まっていく。
……まだ夫は帰ってこない。帰ってくる前にもう一つだけ……。
こそこそと戸棚の前で缶をあけ、一枚口に運ぶ。
食べる幸福である。さすがお義母さん、食の好みが私と一緒。
「ん〜〜、これは確かに勝手に食べられたらめちゃくちゃ怒るかも……」
私は、昼の出来事を思い返す。
「たまたまデパートに行ったら催事をやっていてね、美味しそうだったから買ってみたのよ。帰って食べたらとっても美味しかったから、その日のうちに追加で買いに行ったわ」
かねてからの約束で、我が家にお茶をしに来た義母は、そう言って缶入りのクッキーを二種類おみやげに持ってきてくれた。家にはまだまだあるらしい。高いんじゃないのか。
「だって、この催事以外で日本で販売しないっていうんだもの。売り切れたら来年の催事までお預けなのよ。いっぱい買うわよ」
「そうなんですね。そんな貴重なものを頂いてしまってすみません」
「いいのよ。珠子さんに美味しいもの食べてほしかったんだもの」
そう言ってころころと笑う義母は、私をとても可愛がってくれている。私も大好きなので、今日もお茶菓子はとっておきのレオニダスのオランジェットである。義母の好物だ。
「いい、珠子さん、康介に見つからないようにしなさいね」
真面目な顔で、義母は言う。
「うちの人もそうだけど、あの子絶対にこのクッキーの価値もわからず一袋250円の大袋入クッキーと同じようにひょいひょい食べ尽くすに決まってるのよ! そんな勿体ないことある!?」
聞けば、義父に勝手に一箱の半分を食べられて雷を落としたらしい。
「残りは衣装箪笥の中に隠したわ」
「そこまで……」
「だって、無くなったら買いに行けって言えるものじゃないんだもの。盗み食いするのが悪いのよ。ちゃんとお茶菓子にだそうと思ってたのに」
「……一緒に食べたほうが、美味しいですもんね」
「…………まあね」
不貞腐れたような顔で、ほんのり顔を赤くした義母が可愛らしくて、私は頬が緩むのを止められなかった。
そして義母が帰り、私はクッキーを隠したものの、欲望に抗えず戸棚の前でこそこそと貪っているわけである。
「美味しい……でもだめ、一気に食べたらもったいない……。これは少しずつ食べるのよ……」
自分に言い聞かせるように呟きながら、戸棚の中にクッキー缶をしまう。
ああ、でも……。
「最後に1つだけ……」
自制心を溶かす罪な味である。