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掌篇集

「今日はエイプリルフールだね」
 土曜日だというのに、年度末の仕事が納まらずに死んだ目をしながらキーボードを叩いている男にそう言うと、彼はそれに初めて気がついたようだ。
「今日そんな浮かれた日だっけ……。あー、ソシャゲのイベント……」
 ぶつぶつと呟きながら、キーボードを叩く指は止まらない。可哀想に、完全な社畜の姿である。
「エイプリルフールだからね」
「うん」
「別れようか」
 キーを叩く音が止まった。
 彼がこちらを表情の抜けた顔で凝視している。呼吸まで止まっているんじゃなかろうか。
「嘘だよ」
「…………っぶはぁ! もおおおおおお!」
 両手で顔を覆い、デスクチェアに背を預けて身悶える彼の姿は正直面白い。
 私が声を出さずに笑っていると、彼は席を立ってソファに座る私に抱きついてくる。
「そういう! 心臓にくる嘘は! だめだと思います!」
「いやぁ、ごめんごめん。だってね」
 ぎゅうぎゅうと痛いくらいに込められた腕の力は、彼に与えた衝撃の大きさだろう。
「エイプリルフールについた嘘は絶対に真実にならないっていうからさ」
 彼は少し考えて、大きなため息を付いた。
「なんで突然そういう可愛いこと言うの」
「おや、私はいつも可愛いんだろう?」
 君が毎度毎度そう言っているじゃないか、と揶揄すると、「そうだけど、今はこれ以上なんも出来ないからつらい」と恨めしげにパソコンを見やる。
「頑張っておいで。驚かせたお詫びにお昼ごはんは君の好きなもの作ってやろう」
「じゃぁオムライス。ケチャップでハートも書いて。美味しくなるおまじないもよろしく」
「……けっこう根に持ってるな君。わかった、やってあげよう。だからちゃんと仕事終わらせなさいね」
 正午まであと2時間弱。
 のろのろとパソコンの前に戻った彼は、仕事を終えられるか否か。
 多分無理だろうな、と思いながら、私は冷蔵庫の中身を確認するため、キッチンに向かうのだった。
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