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君たちに会いに

 三郎が生まれた街は、それなりに大きな街だった。
 大都市というには見劣りするが、交通の要所ではあって人の行き来は激しい。
 古い町だった。
 急速に開発が進み、都市化された部分と、木造瓦葺の家が立ち並ぶような区域が入り混じり、なかなかに混沌とした様相を呈していた。
 だが、三郎はこの町が嫌いではない。
 都市化された駅前に行けばおおよその欲しいものは手に入ったし、住宅街に入り込めば古びた神社が姿を現し、鬱蒼と茂った木々に囲まれた境内は一種異世界のようで居心地がよかった。
 その日も、三郎は駅前のCDショップで新譜を買い、その足で気に入りの神社へと向かった。
 古びた神社の由来は知らない。
 調べればわかるかもしれなかったが、三郎の興味はそこにはなく、ただ町の喧騒から切り取られたように静かなその空間が好ましかった。
 社務所らしき小屋はあったが駐在する人影はなく、三郎はこの場所で己以外の人にあったことがない。
 いつものように、小さな社殿の濡れ縁に腰掛け、買った新譜を開けた。
 乱雑に包みを鞄に突っ込み、歌詞カードを広げる。
 それは不思議な感覚であった。
 過去と現在が入り混じったような錯覚。
(まるで私のようじゃないか)
 三郎は、境内で一際大きな古木を見上げた。
 樹齢数百年を数えるだろう楠木だ。注連縄が巻かれたこの木は、この神社のご神体かもしれない。
 大きく腕を広げたその枝の間に、藍の影を幻視する。あるいは、翠や萌黄、紫の。
 三郎は表情をゆがませ、古木から視線をはずし俯いた。
 囚われている、と思った。
 この木が生まれているのかもわからない程の昔。
 その記憶に、三郎はまだ囚われている。

 昔々のことだ。
 戦乱と飢えが蔓延した世の中では、輪廻という思想がはやっていた。
「なぁ、生まれ変わりって、本当にあると思うか?」
 何の折りだったか八左ヱ門が問うた。
「輪廻転生か……どうだろうなぁ」
 ううん、と雷蔵が首を傾げる。
「それって、自分が産まれてくる前にどっかの誰かだった、って事だろ?」
「人とは限らないぜ。犬とか、蛇かも」
 勘右衛門の言葉に、にやりと笑って八左ヱ門が応える。
「伊賀崎辺りはその方が喜びそうだね」
 雷蔵が笑い、兵助は肩を竦めた。
「俺は自分の前世なんて覚えてないから、わからないな。どっかにもしかしたらそう言う人も居るのかもな」
「三郎はどう思う?」
 雷蔵に水を向けられて、三郎は初めて口を開いた。
「馬鹿らしい。死んだらそれで終わりだ。来世も何もないだろう」
 あまりに彼らしいその言葉に、友人達は苦笑にも似た笑みを浮かべる。
 何気ない戯れ事だった。
 恐らく誰も輪廻転生などというものを信じてはいなかった。
 縋りたい気持ちもわかる。だが、来世などより、今この時を如何に生きるかに文字通り命をかけていた。
 人間、死んだら終わりだ。
 この呼吸が途絶え、心の臓が拍動を止めれば自分という存在は終わるのだ。
 死後の世界すら、信じてはいなかった。
 己の意識が途絶える、その最後の瞬間まで。
 それなのに、今、三郎には過去の記憶がある。
 人が前世と呼ぶ、遠い昔の記憶が。
 闇夜と血の赤が強く残るその記憶達の中で、ほんの小さな戯れの記憶は優しく柔らかく、それ故に痛かった。

「鉢屋、今日カラオケ行かねぇ?」
 級友の誘いに、三郎は残念さをにじませた笑みを浮かべた。
「悪い、俺、今日塾なんだ。また誘ってくれよ」
「マジで? それじゃ仕方ないよなぁ」
 特に食い下がることもなく、級友は納得し、三郎は挨拶の言葉を述べて彼らと別れた。
 塾があるのは本当だったが、時間がないわけでもない。
 本当に行きたければ参加することは可能だった。
 ただ、三郎がそうしたくなかっただけだ。
 三郎は生まれてこの方、周囲と自分との間に薄い膜があるように感じていた。
 両親と兄弟がいて、それなりにつるむ友人も居る。
 それなのに、ぬぐいきれない違和感がある。
 三郎は薄々その理由に気づいていたが、見ない振りをしていた。
 気づいてしまえば、向き合わなければいけない。
 自分が、どれだけ『彼ら』を求めているのかということに。

 塾の開始までは半端に時間があって、三郎は駅前のCDショップに向かう。
 新譜は先日買ってしまって、特別買いたいものがあるわけではなかったが、視聴コーナーで時間をつぶせる。
 ショーウィンドウに映る髪は黒く真っ直ぐで、顔は長く見知ったかの級友のものではない。
 三郎は、『鉢屋三郎』であった。
 成長してからは親にすら晒す事のなかった素顔を、今は隠す術もなく、またその必要もない。
 記憶があると言っても、時代は変わり立場も変わり、そして周囲も変わっていた。
 三郎は、己のほかに記憶を持った人間に会ったことはない。
 幼いころは、期待もした。
 誰か(そう、当時の友や、先輩後輩たち)に会えるのではないかと。
 けれど、あの学園に入学した年になっても、確かに『そう』だと思える人物とは出会うことはなかった。
 思えば、父母も兄らも前の生と異なった風貌・性格だ。世界には64億人の人間が居る。生まれてすら居ないかもしれない人間と、出会い、更には彼らにもまた記憶があるなどという可能性は、いったいいかばかりであろうか。
 そう思ったその日から、三郎は期待することをやめた。
 彼らに出会う前は、三郎は一人だった。
 この世に生まれたときから、人は出会った者と縁を重ね、絆を結んでいくのだ。
 他の人がそうであるように、自分もまたそうするのが自然の流れなのだと思うようにした。
 けれど、我と彼とを遮る薄くぼんやりと曇った膜が出来たのは、その時からでもあった。
 結局のところ、三郎は会いたかったのだ。
 6年の時間を共に過ごした、彼らと。
 けれど、求め続けることは苦しくて、忘れ去ることも辛過ぎた。
 畢竟、三郎に出来ることはすべて諦めで目隠しをして、忘れた「振り」をすることだけだった。


 時計代わりの携帯電話を取り出すと、数分前に着信が来ていた。母親からだ。
 試聴中でバイブレーションでは気づかなかったらしい。
 まだ急ぐような時間でもないので、店から出て道の隅でリダイヤルする。
 電話に出た母は、退勤時間が塾の終了時刻と同じくらいだから、外で夕飯を食べないかと少し弾んだ声で言った。
「別にいいけど。兄貴たちは?」
『友達と一緒に食べるからいい、ですって。もう、可愛くないんだから!』
 高校生にもなって、母親に可愛いと言われたくもないだろうな、と自分の兄たちのことを思い浮かべながら、兄らが子供の頃にいかに「甘えんぼ」だったかを言い募る母の言葉を聞き流す。
 目の前を過ぎる人の流れを見るともなしに眺めながら、適当に相槌を打つ。
 そろそろ話を元に戻そうかと思ったときだった。
「待ってよ、竹谷!」
 特別大きいわけでもない、その声に視線が吸い寄せられた。
 三郎とは別の中学の制服を着た、学生。
「これ重いんだから、そんなさくさく歩けるわけないだろ!」
「がんばれがんばれー」
「誠意が感じられないし! 兵助ちょっとは手伝ってよ!」
「じゃんけんで負けたのは勘ちゃんだし」
 いくつもスーパーの袋を提げた少年が一人。それを笑って見ている少年が三人。
 直感した。
 顔も、声も、笑い方も。
 あれは、彼らだ。
 懐かしい、彼らだ。
『三郎? さーぶーろーう? どうしたの? 聞こえてる?』
「えっ、あ、うん、聞いてる」
 いぶかしげな電話越しの声に応えながら、視線は彼らを追い続けた。
 服装も、髪型も、おそらく体格も違う。けれど、その表情や仕草は記憶の中とそう変わることはなかった。
 半ば呆然と彼らを見送り、母との通話を切った。
 彼らは三郎に気づかなかった。
 三郎は通行人の邪魔にならないよう、奥まった場所に電話をしていたのだからそれも道理だった。
(何より、あいつらは私の顔を知らない)
 彼らにとって、自分は「見知らぬ誰か」なのだ。
 その事実に、三郎は身体の中心が冷えていくような感覚がした。
 口元を押さえ、息さえも殺して俯いた。
 予想外だった。何もかも。
(こんなにも、お前らと会えたことが苦しいなんて)
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