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胸元の子守唄

 彼が、明らかに寝不足な顔で保健室に現れたのは、午後の授業が始まって暫くした頃だった。いつもの頭痛でベッドにいた取手は、その気配に目を開けた。
「あれ、鎌治。具合悪いのか」
「頭痛が酷くて……でも、だいぶ収まってきたよ」
「無理はするなよ」
 葉佩はそう言って、そっと取手の頭を撫でた。掠めるように、負担をかけないように優しく。
「九龍君は、どうしたの……?」
「んー……寝不足」
 取手が横になる、その隣のベッドに腰かけて、葉佩は、ぐっと眉間を揉み込むように押さえた。
 うるさくて、寝れない。
 呟く声は微かだったけれど、取手の聴覚ならば問題なく聞き取れた。
「うるさい、の?」
 そんなに騒がしかっただろうか。取手は首をかしげる。彼とは当然同じ男子寮に暮らしているわけで、彼が眠れなくなるほどの騒音ならば、取手にも聞こえていてもいい筈である。だが、そんな音を聞いた覚えはなかった。取手も眠りがそう深い方ではないから、そんな音がすればきっと起きていただろう。
 不思議に思っていると、葉佩は苦笑して首を振った。
「音じゃないよ。なんていうのかな……遺跡の、思念、ていうかな。――――見つけて、って声がするんだ。ひっきりなしに。お陰で、眠れやしない」
 それを聞いて、不思議と納得した。あの遺跡は、彼を呼んでいるのだ。きっと、望んでいる。暴かれることを。救われることを。――――取手が、そうであったように。
「それは、大変だね。………僕に、なにか出来ることがあればいいんだけど」
 彼の仕事は体が資本だ。今のような寝不足の状態で、満足に探索が出来るとは思えない。危険が増すばかりだろう。
 彼が傷つくのは嫌だ。
 眠れないというのなら、夜想曲でも弾いてあげようか。でも、遺跡の『声』がうるさいのならば、あまり意味がないかもしれない。
 つらつらと考えていると、葉佩はいつの間にか立ち上がり、取手の枕元に手をついていた。軽く軋んだベッドによって、それに気付かされる。
「んー、一つ考えはあるんだけど。鎌治、協力してくれる?」
 顔を覗き込まれて、その色の薄い青鈍の瞳孔を見つめる。彼の為に出来ることがあるならと、半ば反射で取手は頷いた。
 葉佩はにぃと口端を吊り上げる。
 彼は素早く上履きを脱いでベッドに上がると、そのまま取手の隣に潜り込む。目を丸くして硬直している取手をよそに、葉佩はもぞもぞと姿勢を変え、横臥している取手の胸に耳を当てるようにして落ち着いてしまう。
「く、九龍君?」
「誰かの心臓の音、聞いてると大丈夫なんだ。昔、親父と寝てる時はそうだった」
 いつも話す時よりも心なしか低い声は、半分ほど眠りに引き込まれかけているのか、茫漠としていた。
 取手は、動揺に少し早くなった自分の心音が、彼に聞かれていることに羞恥を覚える。しかし、それで葉佩が眠れるのならば些末事だった。
 取手は自分の長い腕をそっと彼の背に回す。彼を求める声が、少しでも遠くなればいいと願いながら。
「お休み、九龍君」
 すでに軽い寝息を立てている彼に囁いて、取手は自らも目を閉じた。
 頭痛は既にすっかりひいている。いつもならば次の授業からは出席するところだが、今日はサボらせてもらおう。彼の眠りを守るために。


 そして、保健室に戻ってきたカウンセラーが見たのは、仲良く寄り添って眠る二人の生徒の姿。
 呆れて叩き起こそうかとも思うが、珍しく穏やかな表情で目を閉じている取手の様子に思い留まる。
「……まったく、可愛らしい事だ」
 害意がないとはいえ、瑞麗の気配にも目が覚めないとは、ずいぶんと深い眠りについているのだろう。恐らく相応の訓練を受けているだろう葉佩にとっては、それも珍しい事だ。それ程に、取手の側が落ち着くか。
 信頼、友情、はたまた。
「――――まぁ、野暮な詮索はよそうか」
 瑞麗はくつりと笑うと、二人を起こさぬよう静かにデスクチェアへと腰を下ろし、仕事を始める。終えねばならない仕事はいくらでもあるのだ。
 二人が起きたら、茶でも淹れて、からかってやろう。
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