#03.早く元気になりなさい
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
熱自体はすぐに引っ込んでしまった。手厚い看護といつも見舞いに訪れてくれた女騎士の優しさに触れて、名前はようやく本調子を取り戻したのだった。
侍女達から貰った衣服を持って、名前は部屋を出た。荷物と言えば下着を含む衣類だけなので軽いものだ。しかし心が軽いわけではない。城を出ると決めたものの、自らの指針が決まったわけではないのだから。一人になるには荷物が少なすぎた。
そんな名前にとりあえずは、と声がかかったのが自警団のアジトである。事前に話が行っていたのか、名前の迎えまであった。先のとんがりが曲がった大きな帽子をかぶる小柄な少年だ。広いつばから覗くその顔色は明るくてあどけない。
「初めまして。僕はリヒト。フィレインさんから話は聞いているよ、これからよろしく」
「…はい。こちらこそよろしく」
少年特有の高い声色だ。名前にいつものように頭を下げて挨拶を交わした。少年は満足そうに頷く。
「自警団では僕は貴方の先輩だよ。だからなんでも聞いてね」
「は、はい」
にっこり笑って、着いてきてと歩き出した小さな背を名前は追いかけた。歩幅は小さいがスピードが早いので多少小走りに。
城に来た日と同じルートを辿りながら、世話になった侍女を見かけて改めて挨拶をして、ようやくあの日と変わらないアジトの屋敷までやってきた。
リヒトがただいま、と声をあげたが返事がない。今は出払っているはずだからと名前は気付いていたが、テーブルの方で険しい顔色の少女と出会った。
ハッと目を瞬かせ、少女はリヒトに向かって低い声で出迎えた。
「お…お帰りなさいませ」
「苗字さん、マリアベルだよ。今はみんな出掛けているから二人だけなんだ」
子供だけで、と言葉にしてしまいそうになるのを耐える。いくらなんでも失礼だと考えたからだ。
頷いて了解し、マリアベルに頭を下げる。彼女は居づらそうに目をキョロキョロさせた。
「マリアベル、準備は出来た?」
「えぇ…まぁ…」
「じゃあ苗字さん!こっちに座って!」
「えっ」
「いいからいいから!」
リヒトに肩を掴まれ、押し込まれる形で椅子に座り込んだ。名前の座席の前にマリアベル、リヒトが座る。テーブルには囁かなお菓子と空のティーカップが置かれていた。装飾豊かでいかにも値打ちものに見える。
そうこうしている内にリヒトがマリアベルの横に立って両手を広げて声を上げる。
「はい!じゃあ苗字さんの歓迎会を始めます!」
「歓迎会?」
「そう!あと全快祝いかな。どっちでもいいや、とにかくおめでとう!」
「……!…あ…ありがとう、お二人共」
リヒトはニコニコ笑い続けていたが、マリアベルの方は浮かない顔だ。あまり乗り気ではないのがわかって、名前もそれ以上は声を上げず、しかし嬉しさから浮かぶ笑みだけは耐えられなかった。
「じゃあ早速始めよう!お菓子とかお茶はね、全部マリアベルが用意してくれたんだよ」
「り、リヒトさん、そんなことひけらかすなんて!」
「…ありがとうございます…」
「い、いえ!これくらい、わたくしにかかればお茶の子さいさいですわっ」
「………」
名前は改めてテーブルの上の豪勢なお菓子を見た。見目麗しい焼き菓子が並び、光る砂糖菓子まで置かれている。どれも高そうで美味しそうだ。少なくとも名前の人生で一番高価な三時のおやつになるだろう。
しかし、と、名前は腹をさする。
その様子を逃さなかったマリアベルは不穏そうな顔になった。
「…こちらに並んでいるものが気に食わないんですの?」
「え?…あ、いえ!美味しそうだなぁって…私には…勿体ない」
「今日は苗字さんの歓迎会だよ?そんなこと気にしなくていいよ」
「…そうじゃなくて…その…私、まだあまり多くのものが食べられなくて」
「でも熱は引いたって聞いたよ?」
「はい。身体の方は平気です。…でもまた吐いたら勿体ないから…お二人のお気持ちだけいただいておきます」
名前の心配の一つに食事がある。空腹感はあれど、イーリス文化の料理にいまいち慣れ親しめていなかった。美味しい、と味覚はあるのだがどうしても身体が受け付けないでいた。名前がこの数日口に入れたのは水と、とても薄い生温いスープだけだ。
しかしそんな名前の目の前に、空だったティーカップにお湯が注がれる。
マリアベルだ。
「あの…」
「存じていますわ。貴方が食事を満足に出来ないことくらい」
「えっ」
「でも紅茶は飲めるでしょう?ちょっとお待ちになってください」
「マリアベルの紅茶は美味しいよ!美味しい飲み物と一緒なら食べれるかもしれないし」
「あ…」
マリアベルはてきぱきと慣れた所作でティーセットを使いこなす。お湯を捨て、新しく注がれた紅色はとても鮮やかだ。鼻孔に届く香りも優しい。
なんだかまた泣きたくなって、名前は俯いた。
「…ありがとうございます…」
「こ、これくらい当然ですわ!お茶会の主役の方を知っていなければおもてなしできませんもの!」
「主役……」
「苗字さん、ちょっと泣きそう?」
「なっなんで泣きますの!?」
「……」
「マリアベルのせいじゃない?」
「な、何故わたくしのせいですの!なにかしてしまったの!?」
「あはは、かもね!」
「………」
「もう!リヒトさん!理由を知っているのなら教えなさい!貴方もいつまでもメソメソしない!」
「…はい」
名前はちょっと笑って紅茶を一口。風味が鼻から抜けて、喉に熱い湯が流れていく。
乾いた何かが満たされていくような気分になった。
それから三人のお茶会は穏やかに時が流れていった。リヒトの話は憧れのクロムに尽きっきりだったし、マリアベルはマリアベルでリズのことばかりである。それでも名前は二人からエメリナやフィレインの話を聞けて満足だった。お陰でイーリスの事情をよく知るのだった。
夕方近くになって、自警団の本拠地に訪問者がやってくる。
礼儀正しい彼らはマリアベルの家の付き人だった。
楽しいお茶会の後始末を三人で片づけた直後のことである。マリアベルは二人に対してこれまた気品たっぷりに別れを告げて出て行った。
「今日は領地に帰る日だったっけ」
「領地?」
「うん。マリアベルはテミス領領主の娘だから。大きい家なんだよ」
「………」
「自警団もリズが心配だから入団したんだけど。こっちに居ることの方が少ないんだよね」
「……みんなやっぱり…それなりの人達なんだな…」
「むっそれ、どういうこと?」
名前は曖昧に笑ってそれきり黙り込んだ。悪い意味じゃないのよ、と含んでこうしたのだが、リヒトは納得いかないように頬を膨らませるのだった。
仕方がない。やっぱり自分は場違いなのだと再認識したなんて、言っても理解されないだろうから。
マリアベルの乗った馬車を見送ってから、リヒトと二人、自警団アジトにて留守番をすることになったのだが。リヒトは勉強だ何だと書物を読みあさり始めて名前の相手をしてくれそうにない。
仕方なし、名前も行動を開始することにした。捜索である。
ルフレやリズが例の男捜索に乗り出してくれはしたが、あまり手をかけてもらうわけにはいかないと名前は考えていた。自分で探しだし、出来れば天誅を与えてやりたい。そしてそんな怒り狂った姿を人前でさらけ出したくはないのだ。ルフレには特に見られたくない。
優しい彼の笑顔を思い出して、名前は首を振る。頭のイメージはそうじゃない。
あの苦悶の表情をした情けなさそうな青年だ。まずはこれを見つけだすのだ。
(改めて思い出すと…ちょっとルフレさんに雰囲気が似ているような………いや、あんな悪人と似てるわけないよね)
一人うんうんと唸り、重い頭がかくかくと振り子の動きを取りながら考える。
背丈はどうだったろう。長身だったことは印象にある。もっと具体的なものが思い出せない。
服の感じは、弓道で使うような男物の胴着に似ていたような気がする。だから違和感をそこに持たなかった。
名前は溜息を吐いた。
あまりにもぼんやりとした姿しか見えない。顔だけははっきりしているのだが。
記憶力のない自分をあてに出来ない。少し熱しすぎた頭を冷やす為に、同じく本に熱中するリヒトを残して名前は散歩に繰り出すのだった。それは窓から覗くばかりの生活だった頃からの、名前の密かな欲求から駆り立てられた行為でもあった。
一歩一歩を踏みしめて名前は思う。名前の知る汚れた空気とはまた違う空気。清廉で美しい大気は決して心地がいいばかりではない。身体の隅々まで流れ込むそれらに侵されていくような、少しずつ身体を馴染ませていくような嫌悪感を認識させられる。周りを見渡せば木々が絶対に目に入り、刺激に変わることはないどこまでも質素な光景だ。耳を澄ませば騒音という言葉さえ知らないくらいに静か。何処かで人々が賑わう声だけがかろうじて届いた。ただ一つ、踏みしめる土の感触だけが変わらないように思う。
同じであって違うもの。そんな、下らない当てものクイズをしながら名前は暇を塗りつぶしていった。
すれ違う人と目線を合わせないようにして、気の向くままに歩き通す。そんな名前の目の前に白い翼達が規律正しく羽ばたいていった。
名前は小走りに木の陰に寄り添って、その軍団を改めて見た。
天馬騎士団の演習であった。
気高く美しい白い翼を持つ天馬達の背に、輝く白銀の鎧を着込んだ女騎士達。神話の世界を彷彿とさせる戦乙女を否応なく連想させた。
名前がほう、と溜息を吐いて見取れていると、下がった肩をとんと叩かれて驚かされた。
「元気そうね」
「…フィレイン様!」
「でも体調を崩したばかりなんだから、あまり無理はしないのよ」
エメリナの騎士、フィレインだった。彼女は確か天馬騎士の長をしていたのだっけと今になって思い出す。同時に今までの見舞いのことも浮かび上がったので、とにかく頭を下げておいた。彼女はそれを受けてから、何をしているの?と至極当然な質問を述べる。名前は当然散歩と答えた。その答えを予測していたのか、フィレインは含み笑いをする。
「私はてっきり敵状視察でもしているのかと」
「えっ…!」
「だとしたらお目が高いわ。イーリスの天馬騎士団と言えば、そこいらの騎馬隊にも劣らないのよ」
「わ、私……そんなつもりじゃ…」
「……でも、そうね」
「…?」
「私達天馬騎士も、貴方の大好きな弓が恐ろしいのよ」
「え…そうなんですか?」
「えぇ。天馬の翼を射られたら一溜まりもないわ。だから貴方のような小さな弓兵も目敏く見張っておかなければね」
名前はようやく彼女の冗談に笑い返した。悪意のあるような嫌味として取ってしまった萎縮を解し、軽口混じるフィレインの話に聞き入る。
暫くそうして名前に付き合っていたフィレインだったが、部下の一人のお呼びがかかる。
フィレインはいつものように声音低くそれを受けると名前に向き直った。瞬時に柔らかな口調に戻る。
「貴方、一人で帰れる?」
「えっ」
「自警団の屋敷から此処まで来たのでしょう。だとしたら入り組んだ道を通ってきたはずよ」
「………」
自信なさげに辺りを見回し始めた少女に、フィレインはやはりと苦笑いだ。そしてどうせなら、と考えを巡らせて、呼びに来た部下の者へと向き直る。
「ティアモ。この子をクロム様の自警団の屋敷まで連れていってくれないかしら」
「えっ」
「あたしがですか?」
「えぇ。その途中で武器庫に寄ってちょうだい。この子に荷物が届いているはずだから」
「わかりました」
「あ……あの…私、一人で…」
「苗字。貴方にエメリナ様から贈り物よ。それを受け取って、早く元気になりなさい」
「え、エメリナ様から…?」
「えぇ。武器庫には行ったことがないでしょう?ついでに送ってもらいなさい」
「す…すみません…あの…エメリナ様に…」
「えぇ、礼を言っていたと伝えます」
フィレインはそう言って颯爽と天馬の軍団に戻っていった。名前と話していたときとは打って変わって檄が飛び、空気が一変する。
「あたし達も行きましょうか?」
「あ、はい」
さらりと流れる深紅の髪が陽に光る。歩き出した先導者のそんな美しい後ろ姿を見て、名前はドキリとしてしまった。先程ちらと顔を見たが目鼻の形もよく整っていた。天馬騎士達は美人が多いと思う。だからこそ華がある部隊なのだなと改めて感心した。
「あの…すみません、付き合わせてしまって」
「いいのよ。エメリナ様のプレゼントって何か、興味あるしね」
「……」
その話だ。二人は当たり前のように話すが、あり得る話なのだろうかと疑ってしまう。一国の王が、庶民(しかも身元不明者)に贈り物などするだろうか。
俯き黙ってしまった名前に、赤毛の女騎士は首を捻った。
「浮かない顔ね?まさか嬉しくないとか?」
「あっ!そんな!すっごく嬉しいですっ」
「そうよね」
力の入った言葉使いに騎士は笑った。名前も普段と違った口調になったことに戸惑い赤くなる。
何かあるの、とでも言いたげに、ティアモと呼ばれた女騎士は顔を覗く。気付いた名前が視線を反らしながらも口を開いた。独り言を紡ぐようにして疑問を打ち明けると、彼女は同意しながらも答えてくれた。
「確かにそうね。でも、それがエメリナ様だから」
「………」
「聖王としてではなく、エメリナ様個人として、貴方と向き合っているのだと思うわ。だからありがたく頂いておくべきよ」
「……よく、理解されているんですね」
「それはそうよ。私達が守るべき人達だもの」
ティアモの言葉がなんとなくだが理解出来る。そしてそう考えれば、エメリナの優しさに触れられた気がして嬉しかった。
ぽつりぽつりと話しながらだったが、とある小屋の前に誘導されて名前も彼女と一緒に足を止めた。此処がフィレインの言っていた武器庫なのだろう。ティアモが先に扉を開けて中に入って行ったので、名前も追いかける形で小屋に入った。
武器庫には様々なものが置かれていた。真剣や大きな斧、身の丈ほどの大きな盾や槍が立てかけられ、窓から漏れる光で輝くまで磨かれている。同じものなのに、この間見た戦いの様とはまるで違った雰囲気をそれらは持っていた。恐ろしいどころか美しい。趣向を凝らした展示物の見物人になった名前は、管理係の兵から荷物を受け取ったティアモの手引きがあるまで挙動慌ただしかった。
外に出て多少顔を赤らめて興奮気味の名前に、ティアモは改めて荷物を手渡す。
それは弓だった。布の上から形を確かめてさらに心がさらに高揚する。すぐに包装を取っ払ってものを見た。細かな細工が刻まれているものの、至ってシンプルだが大きめの弓だった。強度を確かめ、堅い手触りだが丁度いいしなりを見つつ弦を弾く。
ティアモはそんな少女をただただ見守っていた。あれよあれよと馴れた手つきで道具を手に取る名前はとても楽しそうだった。目をキラキラと光らせて矢筒を撫でて、ようやく彼女は同行者の存在に気付いて恥ずかしそうに身を捩った。
「す、すみません!私、こんなところで広げちゃって…」
「ううん。好きなのね、弓が」
「…はい」
頬をあげてにこやかな声音をした返事だった。名前の本心だったし、彼女はもう一度でいいからやっぱりエメリナと話がしたいと強く願っていた。このお礼を直接伝えたい、と。
先導者の都合を考え、急いで矢筒を背に回し、弓を構えた名前の姿は正しくイーリスの弓兵だ。なんだか勇ましく変わった名前にティアモは隠れて笑いを堪える。なんだか彼女の上司になった気分だった。そんな相手の様子のおかしさに気付いて頭を数度捻る幼い兵士。なんでもない振りをして、紅髪の騎士は連れだって行進するのだった。
侍女達から貰った衣服を持って、名前は部屋を出た。荷物と言えば下着を含む衣類だけなので軽いものだ。しかし心が軽いわけではない。城を出ると決めたものの、自らの指針が決まったわけではないのだから。一人になるには荷物が少なすぎた。
そんな名前にとりあえずは、と声がかかったのが自警団のアジトである。事前に話が行っていたのか、名前の迎えまであった。先のとんがりが曲がった大きな帽子をかぶる小柄な少年だ。広いつばから覗くその顔色は明るくてあどけない。
「初めまして。僕はリヒト。フィレインさんから話は聞いているよ、これからよろしく」
「…はい。こちらこそよろしく」
少年特有の高い声色だ。名前にいつものように頭を下げて挨拶を交わした。少年は満足そうに頷く。
「自警団では僕は貴方の先輩だよ。だからなんでも聞いてね」
「は、はい」
にっこり笑って、着いてきてと歩き出した小さな背を名前は追いかけた。歩幅は小さいがスピードが早いので多少小走りに。
城に来た日と同じルートを辿りながら、世話になった侍女を見かけて改めて挨拶をして、ようやくあの日と変わらないアジトの屋敷までやってきた。
リヒトがただいま、と声をあげたが返事がない。今は出払っているはずだからと名前は気付いていたが、テーブルの方で険しい顔色の少女と出会った。
ハッと目を瞬かせ、少女はリヒトに向かって低い声で出迎えた。
「お…お帰りなさいませ」
「苗字さん、マリアベルだよ。今はみんな出掛けているから二人だけなんだ」
子供だけで、と言葉にしてしまいそうになるのを耐える。いくらなんでも失礼だと考えたからだ。
頷いて了解し、マリアベルに頭を下げる。彼女は居づらそうに目をキョロキョロさせた。
「マリアベル、準備は出来た?」
「えぇ…まぁ…」
「じゃあ苗字さん!こっちに座って!」
「えっ」
「いいからいいから!」
リヒトに肩を掴まれ、押し込まれる形で椅子に座り込んだ。名前の座席の前にマリアベル、リヒトが座る。テーブルには囁かなお菓子と空のティーカップが置かれていた。装飾豊かでいかにも値打ちものに見える。
そうこうしている内にリヒトがマリアベルの横に立って両手を広げて声を上げる。
「はい!じゃあ苗字さんの歓迎会を始めます!」
「歓迎会?」
「そう!あと全快祝いかな。どっちでもいいや、とにかくおめでとう!」
「……!…あ…ありがとう、お二人共」
リヒトはニコニコ笑い続けていたが、マリアベルの方は浮かない顔だ。あまり乗り気ではないのがわかって、名前もそれ以上は声を上げず、しかし嬉しさから浮かぶ笑みだけは耐えられなかった。
「じゃあ早速始めよう!お菓子とかお茶はね、全部マリアベルが用意してくれたんだよ」
「り、リヒトさん、そんなことひけらかすなんて!」
「…ありがとうございます…」
「い、いえ!これくらい、わたくしにかかればお茶の子さいさいですわっ」
「………」
名前は改めてテーブルの上の豪勢なお菓子を見た。見目麗しい焼き菓子が並び、光る砂糖菓子まで置かれている。どれも高そうで美味しそうだ。少なくとも名前の人生で一番高価な三時のおやつになるだろう。
しかし、と、名前は腹をさする。
その様子を逃さなかったマリアベルは不穏そうな顔になった。
「…こちらに並んでいるものが気に食わないんですの?」
「え?…あ、いえ!美味しそうだなぁって…私には…勿体ない」
「今日は苗字さんの歓迎会だよ?そんなこと気にしなくていいよ」
「…そうじゃなくて…その…私、まだあまり多くのものが食べられなくて」
「でも熱は引いたって聞いたよ?」
「はい。身体の方は平気です。…でもまた吐いたら勿体ないから…お二人のお気持ちだけいただいておきます」
名前の心配の一つに食事がある。空腹感はあれど、イーリス文化の料理にいまいち慣れ親しめていなかった。美味しい、と味覚はあるのだがどうしても身体が受け付けないでいた。名前がこの数日口に入れたのは水と、とても薄い生温いスープだけだ。
しかしそんな名前の目の前に、空だったティーカップにお湯が注がれる。
マリアベルだ。
「あの…」
「存じていますわ。貴方が食事を満足に出来ないことくらい」
「えっ」
「でも紅茶は飲めるでしょう?ちょっとお待ちになってください」
「マリアベルの紅茶は美味しいよ!美味しい飲み物と一緒なら食べれるかもしれないし」
「あ…」
マリアベルはてきぱきと慣れた所作でティーセットを使いこなす。お湯を捨て、新しく注がれた紅色はとても鮮やかだ。鼻孔に届く香りも優しい。
なんだかまた泣きたくなって、名前は俯いた。
「…ありがとうございます…」
「こ、これくらい当然ですわ!お茶会の主役の方を知っていなければおもてなしできませんもの!」
「主役……」
「苗字さん、ちょっと泣きそう?」
「なっなんで泣きますの!?」
「……」
「マリアベルのせいじゃない?」
「な、何故わたくしのせいですの!なにかしてしまったの!?」
「あはは、かもね!」
「………」
「もう!リヒトさん!理由を知っているのなら教えなさい!貴方もいつまでもメソメソしない!」
「…はい」
名前はちょっと笑って紅茶を一口。風味が鼻から抜けて、喉に熱い湯が流れていく。
乾いた何かが満たされていくような気分になった。
それから三人のお茶会は穏やかに時が流れていった。リヒトの話は憧れのクロムに尽きっきりだったし、マリアベルはマリアベルでリズのことばかりである。それでも名前は二人からエメリナやフィレインの話を聞けて満足だった。お陰でイーリスの事情をよく知るのだった。
夕方近くになって、自警団の本拠地に訪問者がやってくる。
礼儀正しい彼らはマリアベルの家の付き人だった。
楽しいお茶会の後始末を三人で片づけた直後のことである。マリアベルは二人に対してこれまた気品たっぷりに別れを告げて出て行った。
「今日は領地に帰る日だったっけ」
「領地?」
「うん。マリアベルはテミス領領主の娘だから。大きい家なんだよ」
「………」
「自警団もリズが心配だから入団したんだけど。こっちに居ることの方が少ないんだよね」
「……みんなやっぱり…それなりの人達なんだな…」
「むっそれ、どういうこと?」
名前は曖昧に笑ってそれきり黙り込んだ。悪い意味じゃないのよ、と含んでこうしたのだが、リヒトは納得いかないように頬を膨らませるのだった。
仕方がない。やっぱり自分は場違いなのだと再認識したなんて、言っても理解されないだろうから。
マリアベルの乗った馬車を見送ってから、リヒトと二人、自警団アジトにて留守番をすることになったのだが。リヒトは勉強だ何だと書物を読みあさり始めて名前の相手をしてくれそうにない。
仕方なし、名前も行動を開始することにした。捜索である。
ルフレやリズが例の男捜索に乗り出してくれはしたが、あまり手をかけてもらうわけにはいかないと名前は考えていた。自分で探しだし、出来れば天誅を与えてやりたい。そしてそんな怒り狂った姿を人前でさらけ出したくはないのだ。ルフレには特に見られたくない。
優しい彼の笑顔を思い出して、名前は首を振る。頭のイメージはそうじゃない。
あの苦悶の表情をした情けなさそうな青年だ。まずはこれを見つけだすのだ。
(改めて思い出すと…ちょっとルフレさんに雰囲気が似ているような………いや、あんな悪人と似てるわけないよね)
一人うんうんと唸り、重い頭がかくかくと振り子の動きを取りながら考える。
背丈はどうだったろう。長身だったことは印象にある。もっと具体的なものが思い出せない。
服の感じは、弓道で使うような男物の胴着に似ていたような気がする。だから違和感をそこに持たなかった。
名前は溜息を吐いた。
あまりにもぼんやりとした姿しか見えない。顔だけははっきりしているのだが。
記憶力のない自分をあてに出来ない。少し熱しすぎた頭を冷やす為に、同じく本に熱中するリヒトを残して名前は散歩に繰り出すのだった。それは窓から覗くばかりの生活だった頃からの、名前の密かな欲求から駆り立てられた行為でもあった。
一歩一歩を踏みしめて名前は思う。名前の知る汚れた空気とはまた違う空気。清廉で美しい大気は決して心地がいいばかりではない。身体の隅々まで流れ込むそれらに侵されていくような、少しずつ身体を馴染ませていくような嫌悪感を認識させられる。周りを見渡せば木々が絶対に目に入り、刺激に変わることはないどこまでも質素な光景だ。耳を澄ませば騒音という言葉さえ知らないくらいに静か。何処かで人々が賑わう声だけがかろうじて届いた。ただ一つ、踏みしめる土の感触だけが変わらないように思う。
同じであって違うもの。そんな、下らない当てものクイズをしながら名前は暇を塗りつぶしていった。
すれ違う人と目線を合わせないようにして、気の向くままに歩き通す。そんな名前の目の前に白い翼達が規律正しく羽ばたいていった。
名前は小走りに木の陰に寄り添って、その軍団を改めて見た。
天馬騎士団の演習であった。
気高く美しい白い翼を持つ天馬達の背に、輝く白銀の鎧を着込んだ女騎士達。神話の世界を彷彿とさせる戦乙女を否応なく連想させた。
名前がほう、と溜息を吐いて見取れていると、下がった肩をとんと叩かれて驚かされた。
「元気そうね」
「…フィレイン様!」
「でも体調を崩したばかりなんだから、あまり無理はしないのよ」
エメリナの騎士、フィレインだった。彼女は確か天馬騎士の長をしていたのだっけと今になって思い出す。同時に今までの見舞いのことも浮かび上がったので、とにかく頭を下げておいた。彼女はそれを受けてから、何をしているの?と至極当然な質問を述べる。名前は当然散歩と答えた。その答えを予測していたのか、フィレインは含み笑いをする。
「私はてっきり敵状視察でもしているのかと」
「えっ…!」
「だとしたらお目が高いわ。イーリスの天馬騎士団と言えば、そこいらの騎馬隊にも劣らないのよ」
「わ、私……そんなつもりじゃ…」
「……でも、そうね」
「…?」
「私達天馬騎士も、貴方の大好きな弓が恐ろしいのよ」
「え…そうなんですか?」
「えぇ。天馬の翼を射られたら一溜まりもないわ。だから貴方のような小さな弓兵も目敏く見張っておかなければね」
名前はようやく彼女の冗談に笑い返した。悪意のあるような嫌味として取ってしまった萎縮を解し、軽口混じるフィレインの話に聞き入る。
暫くそうして名前に付き合っていたフィレインだったが、部下の一人のお呼びがかかる。
フィレインはいつものように声音低くそれを受けると名前に向き直った。瞬時に柔らかな口調に戻る。
「貴方、一人で帰れる?」
「えっ」
「自警団の屋敷から此処まで来たのでしょう。だとしたら入り組んだ道を通ってきたはずよ」
「………」
自信なさげに辺りを見回し始めた少女に、フィレインはやはりと苦笑いだ。そしてどうせなら、と考えを巡らせて、呼びに来た部下の者へと向き直る。
「ティアモ。この子をクロム様の自警団の屋敷まで連れていってくれないかしら」
「えっ」
「あたしがですか?」
「えぇ。その途中で武器庫に寄ってちょうだい。この子に荷物が届いているはずだから」
「わかりました」
「あ……あの…私、一人で…」
「苗字。貴方にエメリナ様から贈り物よ。それを受け取って、早く元気になりなさい」
「え、エメリナ様から…?」
「えぇ。武器庫には行ったことがないでしょう?ついでに送ってもらいなさい」
「す…すみません…あの…エメリナ様に…」
「えぇ、礼を言っていたと伝えます」
フィレインはそう言って颯爽と天馬の軍団に戻っていった。名前と話していたときとは打って変わって檄が飛び、空気が一変する。
「あたし達も行きましょうか?」
「あ、はい」
さらりと流れる深紅の髪が陽に光る。歩き出した先導者のそんな美しい後ろ姿を見て、名前はドキリとしてしまった。先程ちらと顔を見たが目鼻の形もよく整っていた。天馬騎士達は美人が多いと思う。だからこそ華がある部隊なのだなと改めて感心した。
「あの…すみません、付き合わせてしまって」
「いいのよ。エメリナ様のプレゼントって何か、興味あるしね」
「……」
その話だ。二人は当たり前のように話すが、あり得る話なのだろうかと疑ってしまう。一国の王が、庶民(しかも身元不明者)に贈り物などするだろうか。
俯き黙ってしまった名前に、赤毛の女騎士は首を捻った。
「浮かない顔ね?まさか嬉しくないとか?」
「あっ!そんな!すっごく嬉しいですっ」
「そうよね」
力の入った言葉使いに騎士は笑った。名前も普段と違った口調になったことに戸惑い赤くなる。
何かあるの、とでも言いたげに、ティアモと呼ばれた女騎士は顔を覗く。気付いた名前が視線を反らしながらも口を開いた。独り言を紡ぐようにして疑問を打ち明けると、彼女は同意しながらも答えてくれた。
「確かにそうね。でも、それがエメリナ様だから」
「………」
「聖王としてではなく、エメリナ様個人として、貴方と向き合っているのだと思うわ。だからありがたく頂いておくべきよ」
「……よく、理解されているんですね」
「それはそうよ。私達が守るべき人達だもの」
ティアモの言葉がなんとなくだが理解出来る。そしてそう考えれば、エメリナの優しさに触れられた気がして嬉しかった。
ぽつりぽつりと話しながらだったが、とある小屋の前に誘導されて名前も彼女と一緒に足を止めた。此処がフィレインの言っていた武器庫なのだろう。ティアモが先に扉を開けて中に入って行ったので、名前も追いかける形で小屋に入った。
武器庫には様々なものが置かれていた。真剣や大きな斧、身の丈ほどの大きな盾や槍が立てかけられ、窓から漏れる光で輝くまで磨かれている。同じものなのに、この間見た戦いの様とはまるで違った雰囲気をそれらは持っていた。恐ろしいどころか美しい。趣向を凝らした展示物の見物人になった名前は、管理係の兵から荷物を受け取ったティアモの手引きがあるまで挙動慌ただしかった。
外に出て多少顔を赤らめて興奮気味の名前に、ティアモは改めて荷物を手渡す。
それは弓だった。布の上から形を確かめてさらに心がさらに高揚する。すぐに包装を取っ払ってものを見た。細かな細工が刻まれているものの、至ってシンプルだが大きめの弓だった。強度を確かめ、堅い手触りだが丁度いいしなりを見つつ弦を弾く。
ティアモはそんな少女をただただ見守っていた。あれよあれよと馴れた手つきで道具を手に取る名前はとても楽しそうだった。目をキラキラと光らせて矢筒を撫でて、ようやく彼女は同行者の存在に気付いて恥ずかしそうに身を捩った。
「す、すみません!私、こんなところで広げちゃって…」
「ううん。好きなのね、弓が」
「…はい」
頬をあげてにこやかな声音をした返事だった。名前の本心だったし、彼女はもう一度でいいからやっぱりエメリナと話がしたいと強く願っていた。このお礼を直接伝えたい、と。
先導者の都合を考え、急いで矢筒を背に回し、弓を構えた名前の姿は正しくイーリスの弓兵だ。なんだか勇ましく変わった名前にティアモは隠れて笑いを堪える。なんだか彼女の上司になった気分だった。そんな相手の様子のおかしさに気付いて頭を数度捻る幼い兵士。なんでもない振りをして、紅髪の騎士は連れだって行進するのだった。