#02.もう…我慢しないで
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聖王エメリナは美しく柔和な笑顔だった。
クロム達を労った後、すぐに民達の様子を訪ねて無事を知ればほっと胸を撫で下ろす。その様子は優雅であるものの、威厳ある優しき王の姿そのものだった。彼女が見慣れぬ者達に気付いたのもそれからすぐのことだ。
ルフレやヴィオール、名前は素性が知れない。ましてや名前は自ら口を閉ざしている。フレデリクの私情の入らない報告を聞いてもエメリナはその表情を崩すことはなかった。
弟クロムの信じたものを疑うわけがない。エメリナはそう言って皆を迎え入れたのだった。
名前は自分にもきちんと目を合わせる聖王の、そんな笑顔に目を奪われるのだった。このときも、ドギマギとした心臓に邪魔されて言葉を発することもなく。
あっという間にそんな邂逅は終わった。クロムとフレデリクは突如現れた化け物の対処を考える会議へ出席を促され、残った者達はリズとソワレに連れられて自警団の拠点に向かうことになった。
王族が発起した自警団だと聞いて、拠点は華美な屋敷を予想させられるが見た目は至って平凡な居宅だった。周りには物が整然と並んでいるスペースもあればごっちゃりと散らかってもいる。住居も兼ねているのだろう、なんとも生活臭溢れる雰囲気だった。
途中ソワレは愛馬を連れて馬屋に行くと別れ、先頭になっていたリズが慣れた様子で中に入り、残りの者達もそれに続く。
広いスペースが取られた部屋は、更に散らかっていた。紙があちこちに放られ、物が転がっている。そこに数人が談笑していた。彼らは帰還を知るとこちらへ歩いてくる。
その中でリズに向かっていち早く同年代の少女が駆け寄った。リズ、と心配そうに声を上げて彼女を案じる質問を並べ立てる。リズが笑って無事を報告すれば、わかりやすく安堵の溜息を吐いた。
体躯の大きな青年はクロムの名を出し、これにもリズは無事を伝える。それを聞いてほっとしたのは控えめに立っていた女性だ。よかった、と呟いてにこにこと笑う。リズに寄り添うばかりの少女によれば、彼女・スミアは無事に帰れるか花占いばかりして、花びらまみれになっていたという。これも日常茶飯事なのか、リズはいつも心配してくれてありがとうと笑顔だ。
そうしてようやく見慣れぬ者達に彼女達は気付く。
簡単な自己紹介後の反応は至って極端なものに分かれた。リズの辿々しい説明に驚き、関心する二人がいれば、親友を取られたとばかりに嫌悪する少女も。彼女、マリアベルは丁寧な言葉を腹立ちのまま力強く放って部屋を出て行ってしまった。そんな少女の代わりにスミアが気にしないでくださいとフォローに回る。リズもその言葉に同調するのだった。
マリアベルと入れ代わりに、クロムがフレデリクを連れる形で帰ってきた。会議とやらは思った以上に早く終わったらしい。
スミアは急いで迎えようと駆けた。だがそんな彼女をあざ笑うように、床に散らかっていた紙によって足を取られ、スミアは顔から床にぶつかる形で転んでしまう。がつん、と痛そうな音に、ルフレはあっと声をあげ、名前は口を抑えて驚く。打ち付けて赤くなった顔を抑えながらスミアは恥ずかしそうに立ち上がった。いつもこうなんだから、と自虐的に呟きつつ、とぼとぼと寄ったことでようやく人の輪は狭まる。
鼻を抑えて痛みを紛らわせるスミアに声をかけてから、クロムは話を切り出した。
今のイーリスには化け物に対処しきれない。そこで隣国フェリアに助力を願うことになったという。
そのフェリアは変わった軍事国家らしい。フェリアという言葉すら記憶に覚えがなかったルフレにスミアが耳打ちで教えてくれた。名前も便乗する形でそれを知る。
使者にはクロム自身が姉王の名代に立つ。自らの自警団で名乗りを上げた者達と共に明日にもフェリアに旅立つ事になった。
そんな中一番に手をあげたのはリズである。その次に体躯の大きな青年、ヴェイクが。好敵手と見るクロムだけに格好付けさせてたまるかとばかりに名乗りをあげた。残ったスミアは浮かない顔だったが、クロムの勧めもあって同行を決める。
名前はルフレの裾を引く。彼は小首を傾げた。
「どうかした?」
「…ルフレさんも、着いていくの?」
「うん。そのつもりだよ。僕も自警団の一員になったからね」
「………」
「名前はどうする?」
「ど……どうしたら、いいか…私…自警団の人、じゃないし…此処にいてもいいのか…」
「君は保護された身だったね。うーん…」
名前は流されるままに此処まで来た。自警団のアジトまで着いてきてしまったが、これからの指針が見当たらず。
悩む二人にクロムは思い出したと声をかける。
「苗字は城に来てくれないか。姉さんがもう一度話がしたいそうだ」
「えっ…!?」
名前は真っ青になって狼狽えた。これに驚いたのはルフレも同じで、名前の代わりに何故と聞き返す。が、クロムも詳しい話は知らないらしくとにかく着いてきてくれとだけだ。
名前は不安そうにルフレも見る。しかしその胸中を察し、声をあげたのはクロムの方だった。
「大丈夫だ。取って食うわけじゃない」
「そうだよ!お姉ちゃんすっごく優しいから!怖くなんかないよっ」
「………」
「…クロム、日を改めることは出来ないのかな?いろいろあったんだし、彼女も疲れてるよ」
「そうしたいところだが、姉さんに直々に頼まれたことだ。急ぎじゃないが…俺は暫く外に出るし、こういうのは早い方がいい」
「……」
「………」
「そうか………うん。やっぱり行っておいで。待ってるから」
名前は暫く沈黙を保っていたが、ルフレの言葉に控えめに頷いて了承を示す。
よし、と一段落。歩き出したクロムに、名前は着いていった。当たり前のようにフレデリクもそれに倣う。
いってらっしゃいの言葉は、スミアのものだ。リズも手を振って見送った。
ルフレはしばらく閉じられた扉をじっと見て、ぽつりと呟く。
「なんて送り出したけど…大丈夫かな」
「平気だよ!だってお姉ちゃんだもんっ拷問されにいったんじゃないんだから!」
「それは勿論。安心しているよ」
「……あの方…あまり顔色がよくありませんでしたね…ご無理をなさってなければいいのですが」
「!…そうだね…」
心配そうに目を伏せ、祈るように胸に手を当てるのはスミアだ。
ルフレも彼女の言葉に同意する形で頷き、同じく険しい顔で扉を見つめるのだった。
同じ道を通るのかと思いきや、表門の方には回らず、裏口らしき小さな扉から城の中へ。
それからは早々にクロムが姉を連れてくると別れた。だから途中から先導者となったフレデリクによって、とある一室に名前は通される。
まるで何もない狭い部屋だった。絨毯や壁紙は綺麗だが隅の方で花瓶を置いた小さなテーブル以外家具が見当たらない。息が詰まり、きょろきょろと周りを確認していた名前にフレデリクが声をかける。
「こちらにお座りになってお待ちください」
「あ…はい…」
何処からか椅子を持ってきたらしい、一脚だけのそこに名前は腰を下ろす。その一連を見届けたフレデリクは早々に部屋を出て行ってしまった。
一人残された名前は伸ばした背筋を曲げて、大きな溜息を吐く。
一度腰を下ろすと身体が軋むような悲鳴をあげた。疲労によるものだと名前は考えるが、屈伸すら面倒に思えて動けない。
体の不調を今まで通り無視をして、これからどうなるのかと無理矢理不安を思い出す。身の置き場所すらわからない世界だ。名前の常識が一切通用しない上、まだあの化け物との関係を疑われているかもしれない。
思考は心を削るばかりだ。そんな負担が、とある欲求の一言を吐き出す。
もう、帰りたい。
呟いてから名前はこの一言を吐き出した後悔をした。知らず知らずに辛さが増して、息苦しさに胸を撫でる。
そんなとき、乾いたノックの音が名前の耳に届く。制服の袖で顔を拭き、立ち上がると同時にフレデリクが扉を開く。
エメリナの傍に付き添っていた女騎士を先頭に、エメリナ、クロムが入ってきた。フレデリクが最後入室と共に扉を閉める。たったこれだけの人数でいいのだろうか、と名前は不思議に思った。
お待たせしました、と一言。エメリナは変わらぬ笑顔を浮かべたまま名前の前に立った。その堂々たる出で立ちに、名前の方が気恥ずかしくなって俯いてしまう。
「固くならないで、お座りになってください」
「で…でも…」
「お座りなさい。エメリナ様もこちらを」
「ありがとう、フィレイン」
女騎士フィレインからまた一脚の椅子が現れた。
不思議に思えて、ぼうっと相手が座る姿を一見、一呼吸遅く名前も座る。
「呼び立てたりしてごめんなさい。お疲れでしょう?」
「い、いえ…大丈夫です…」
「もう少しだけ、お話がしたいと思って」
「……話…ですか…?…私…化け物のことは…何も…」
「大丈夫、そのことではありませんから。ただ、貴方はこれからをどうしたいのか…。それだけは聞いておきたくて。…私達に何か、」
「すぐ、で、出て行きます」
「!」
「ご、ご迷惑をおかけして、申し訳ありません…っだから、すぐ、出て行きます、ので…だから、あの…」
「…大丈夫ですよ。慌てないで」
「……!」
「すぐに結論を迫るわけではありません。ただ、私達に何か出来ることがあれば…。何の遠慮もいりません。話してほしいのです」
「で……でも…」
目が泳ぎ始めたことを自覚する。真っ直ぐに向けられる瞳はとても澄んでいて美しい。見つめられているだけで全てを吐露してしまいそうになった。
しかし不思議と、何処かでその瞳を見た気がした。
瞬きをした瞬間に、あの男の顔が映る。
そう。黒い髪に、澄んだ空のような瞳をしていた。
思い出して、名前は顔を強ばらせた。髪色が見慣れた漆黒だったことや、顔があまりにも辛そうに睨み利かしていた印象ばかりが目立っていたが、思い出してみれば何か不自然に感じた覚えがある。自国民にしては顔立ちが酷くアンバランスだったと今になって思えた。
はっきりと憎い男の顔を思い出したものの、霞むがかる視界に眩んで目頭を抑える。
その様子を見ていたエメリナは途端顔色を変えた。
「苗字?」
「!……はい…?」
「…貴方は…」
「え?」
「………」
エメリナは突如立ち上がるので、名前もワンテンポ遅く椅子を離れた。くら、と揺れる頭を正して向き合えば、エメリナは躊躇もなく名前の方へ歩み寄る。
エメリナ様、とフィレインが咎めるが対するエメリナは手を上げて己の女騎士を止めてしまう。彼女は踏み込もうとした足を寸前で止め、歯噛みして心配そうに少女と主人を見比べる。
名前はキョロキョロとこのわからない状況に戸惑うばかりだ。目があったクロムにもフィレインにも、ましてや一番冷静そうに見えたフレデリクさえ頼ったが打破してはくれなかった。
何かしてしまっただろうか、と考え事をして視線を反らした事実を思い出し、謝ろうと口を開けるが咄嗟に喉が閉じて声が出ない。
「……っ!」
「少し…我慢を」
「!」
エメリナの綺麗な手の平が迫り、名前は目をぎゅっと瞑った。スカートの裾を握り締めて身体を強ばらせたが、予見した衝撃の代わりに、暖かな感触を額に受ける。
一呼吸することさえ忘れていた名前が乱れた息遣いを再開したところで目を開ける。エメリナは思った以上に距離を縮め、目の前にその美しい顔があった。どきりどきり、と心臓が高鳴って名前はまた開いた口を閉じ、歯を噛みしめる。赤くなっていく頬を手の甲で撫でられれば、更に体温は上がった。
「これは…」
「……?」
「姉さん?どうしたんだ?」
「…フィレイン。すぐに司祭様をお呼びして」
「は、はい。只今!」
「フレデリクは部屋を用意してください」
「かしこまりました」
「…?……?」
二人の騎士は主の言葉に疑問を返す間もなく足早に出て行った。
その様子を見て、名前は首を捻るクロムと目が合った。彼の投げ掛けた質問はまだ答えられていない。名前自身も知りたかっただけに、恥ずかしかったがエメリナへと目線を戻した。彼女は悲しそうに眉を顰めている。
「お座りなさい。立っているのも辛いでしょうに」
「で、でも…こ、れくらい平気です…が」
「…苗字」
「……」
エメリナは緩慢に首を振り、にこ、と笑った。名前は優しい光を宿した瞳に見つめられて、微笑まれて。
気がつけばぽろりと一滴。名前の頬に伝っていた。
驚いたのは名前自身もだ。熱い頬に生温い涙が流れ気味が悪い。慌てて手首で荒々しく拭いながら、自分も訳が分からないままに笑ってみる。笑って返すしか、出来なくなっていた。
しかし今度はエメリナの顔色が変わる。あの綺麗な空の瞳は揺らぎ、悲しそうに美眉が寄る。
あぁ、返し方を間違えてしまった。
そう気付いても、歪んだ笑顔は長年築いた厄介なプライドによって貼り付いたままだ。咳を繰り返し、喉の収縮を無理に解く。それから精一杯の小さな声で訴えかけた。
「すみません、わたし、大丈夫です」
「……」
「平気です、なんでもありません、だから…だから…もう…」
「…言葉が悪かったですね」
「……!」
「もうお止めなさい。もう…我慢しないで」
「っ!」
「苦しかったでしょう。辛かったでしょう。…怖がらせてしまって、ごめんなさい」
「…っ……っ」
名前は首を振った。
そうじゃない。そんなことはない。
苦しくなんかない。
辛くなんかない。
怖くなんかない。
全部、平気だ。
なのに涙が出てくる。頭を振って、否定を繰り返せば繰り返すほどにポロポロと滴が溢れる。それを止めようとしてもう一度荒く目元を擦り、改めて濡れた手の甲を見た。
(もう泣くことなんか、ないと思ったのに。あんなに泣いたのに…!)
やはりそれは、自分の流したものだった。
「っ!」
「もう、大丈夫」
「……っ」
「もう…我慢しないで…いいのよ」
「…ぁ…っう…ぐ…!」
抱き寄せられ、全身が暖かな感触に包まれて。優しい包容に、優しい匂いに、言葉に。
心が激しく揺さぶられる。
辛い。
苦しい。
怖い。
もう嫌だ、と名前は声もなく呟いた。
こんなところに居たくなんかない。
家に帰りたい。
家に帰りたい。
言葉を吐き出せば吐き出すほどに身体は熱く、重くなっていく。ガタガタと震え、エメリナによって支えられてなければ倒れてしまうほどに重心が安定しない。頭が軋み、喉が詰まって呼吸が出来ない。
エメリナにしがみつきながらもがき始める名前は彼女によって椅子に座り直された。うずくまるように身体を畳んで頭を抱える。エメリナから背をさすられると、胃から何かがこみ上げてくる違和感を感じて咳を始めた。それは息をする間さえなく止まらない。
クロム達を労った後、すぐに民達の様子を訪ねて無事を知ればほっと胸を撫で下ろす。その様子は優雅であるものの、威厳ある優しき王の姿そのものだった。彼女が見慣れぬ者達に気付いたのもそれからすぐのことだ。
ルフレやヴィオール、名前は素性が知れない。ましてや名前は自ら口を閉ざしている。フレデリクの私情の入らない報告を聞いてもエメリナはその表情を崩すことはなかった。
弟クロムの信じたものを疑うわけがない。エメリナはそう言って皆を迎え入れたのだった。
名前は自分にもきちんと目を合わせる聖王の、そんな笑顔に目を奪われるのだった。このときも、ドギマギとした心臓に邪魔されて言葉を発することもなく。
あっという間にそんな邂逅は終わった。クロムとフレデリクは突如現れた化け物の対処を考える会議へ出席を促され、残った者達はリズとソワレに連れられて自警団の拠点に向かうことになった。
王族が発起した自警団だと聞いて、拠点は華美な屋敷を予想させられるが見た目は至って平凡な居宅だった。周りには物が整然と並んでいるスペースもあればごっちゃりと散らかってもいる。住居も兼ねているのだろう、なんとも生活臭溢れる雰囲気だった。
途中ソワレは愛馬を連れて馬屋に行くと別れ、先頭になっていたリズが慣れた様子で中に入り、残りの者達もそれに続く。
広いスペースが取られた部屋は、更に散らかっていた。紙があちこちに放られ、物が転がっている。そこに数人が談笑していた。彼らは帰還を知るとこちらへ歩いてくる。
その中でリズに向かっていち早く同年代の少女が駆け寄った。リズ、と心配そうに声を上げて彼女を案じる質問を並べ立てる。リズが笑って無事を報告すれば、わかりやすく安堵の溜息を吐いた。
体躯の大きな青年はクロムの名を出し、これにもリズは無事を伝える。それを聞いてほっとしたのは控えめに立っていた女性だ。よかった、と呟いてにこにこと笑う。リズに寄り添うばかりの少女によれば、彼女・スミアは無事に帰れるか花占いばかりして、花びらまみれになっていたという。これも日常茶飯事なのか、リズはいつも心配してくれてありがとうと笑顔だ。
そうしてようやく見慣れぬ者達に彼女達は気付く。
簡単な自己紹介後の反応は至って極端なものに分かれた。リズの辿々しい説明に驚き、関心する二人がいれば、親友を取られたとばかりに嫌悪する少女も。彼女、マリアベルは丁寧な言葉を腹立ちのまま力強く放って部屋を出て行ってしまった。そんな少女の代わりにスミアが気にしないでくださいとフォローに回る。リズもその言葉に同調するのだった。
マリアベルと入れ代わりに、クロムがフレデリクを連れる形で帰ってきた。会議とやらは思った以上に早く終わったらしい。
スミアは急いで迎えようと駆けた。だがそんな彼女をあざ笑うように、床に散らかっていた紙によって足を取られ、スミアは顔から床にぶつかる形で転んでしまう。がつん、と痛そうな音に、ルフレはあっと声をあげ、名前は口を抑えて驚く。打ち付けて赤くなった顔を抑えながらスミアは恥ずかしそうに立ち上がった。いつもこうなんだから、と自虐的に呟きつつ、とぼとぼと寄ったことでようやく人の輪は狭まる。
鼻を抑えて痛みを紛らわせるスミアに声をかけてから、クロムは話を切り出した。
今のイーリスには化け物に対処しきれない。そこで隣国フェリアに助力を願うことになったという。
そのフェリアは変わった軍事国家らしい。フェリアという言葉すら記憶に覚えがなかったルフレにスミアが耳打ちで教えてくれた。名前も便乗する形でそれを知る。
使者にはクロム自身が姉王の名代に立つ。自らの自警団で名乗りを上げた者達と共に明日にもフェリアに旅立つ事になった。
そんな中一番に手をあげたのはリズである。その次に体躯の大きな青年、ヴェイクが。好敵手と見るクロムだけに格好付けさせてたまるかとばかりに名乗りをあげた。残ったスミアは浮かない顔だったが、クロムの勧めもあって同行を決める。
名前はルフレの裾を引く。彼は小首を傾げた。
「どうかした?」
「…ルフレさんも、着いていくの?」
「うん。そのつもりだよ。僕も自警団の一員になったからね」
「………」
「名前はどうする?」
「ど……どうしたら、いいか…私…自警団の人、じゃないし…此処にいてもいいのか…」
「君は保護された身だったね。うーん…」
名前は流されるままに此処まで来た。自警団のアジトまで着いてきてしまったが、これからの指針が見当たらず。
悩む二人にクロムは思い出したと声をかける。
「苗字は城に来てくれないか。姉さんがもう一度話がしたいそうだ」
「えっ…!?」
名前は真っ青になって狼狽えた。これに驚いたのはルフレも同じで、名前の代わりに何故と聞き返す。が、クロムも詳しい話は知らないらしくとにかく着いてきてくれとだけだ。
名前は不安そうにルフレも見る。しかしその胸中を察し、声をあげたのはクロムの方だった。
「大丈夫だ。取って食うわけじゃない」
「そうだよ!お姉ちゃんすっごく優しいから!怖くなんかないよっ」
「………」
「…クロム、日を改めることは出来ないのかな?いろいろあったんだし、彼女も疲れてるよ」
「そうしたいところだが、姉さんに直々に頼まれたことだ。急ぎじゃないが…俺は暫く外に出るし、こういうのは早い方がいい」
「……」
「………」
「そうか………うん。やっぱり行っておいで。待ってるから」
名前は暫く沈黙を保っていたが、ルフレの言葉に控えめに頷いて了承を示す。
よし、と一段落。歩き出したクロムに、名前は着いていった。当たり前のようにフレデリクもそれに倣う。
いってらっしゃいの言葉は、スミアのものだ。リズも手を振って見送った。
ルフレはしばらく閉じられた扉をじっと見て、ぽつりと呟く。
「なんて送り出したけど…大丈夫かな」
「平気だよ!だってお姉ちゃんだもんっ拷問されにいったんじゃないんだから!」
「それは勿論。安心しているよ」
「……あの方…あまり顔色がよくありませんでしたね…ご無理をなさってなければいいのですが」
「!…そうだね…」
心配そうに目を伏せ、祈るように胸に手を当てるのはスミアだ。
ルフレも彼女の言葉に同意する形で頷き、同じく険しい顔で扉を見つめるのだった。
同じ道を通るのかと思いきや、表門の方には回らず、裏口らしき小さな扉から城の中へ。
それからは早々にクロムが姉を連れてくると別れた。だから途中から先導者となったフレデリクによって、とある一室に名前は通される。
まるで何もない狭い部屋だった。絨毯や壁紙は綺麗だが隅の方で花瓶を置いた小さなテーブル以外家具が見当たらない。息が詰まり、きょろきょろと周りを確認していた名前にフレデリクが声をかける。
「こちらにお座りになってお待ちください」
「あ…はい…」
何処からか椅子を持ってきたらしい、一脚だけのそこに名前は腰を下ろす。その一連を見届けたフレデリクは早々に部屋を出て行ってしまった。
一人残された名前は伸ばした背筋を曲げて、大きな溜息を吐く。
一度腰を下ろすと身体が軋むような悲鳴をあげた。疲労によるものだと名前は考えるが、屈伸すら面倒に思えて動けない。
体の不調を今まで通り無視をして、これからどうなるのかと無理矢理不安を思い出す。身の置き場所すらわからない世界だ。名前の常識が一切通用しない上、まだあの化け物との関係を疑われているかもしれない。
思考は心を削るばかりだ。そんな負担が、とある欲求の一言を吐き出す。
もう、帰りたい。
呟いてから名前はこの一言を吐き出した後悔をした。知らず知らずに辛さが増して、息苦しさに胸を撫でる。
そんなとき、乾いたノックの音が名前の耳に届く。制服の袖で顔を拭き、立ち上がると同時にフレデリクが扉を開く。
エメリナの傍に付き添っていた女騎士を先頭に、エメリナ、クロムが入ってきた。フレデリクが最後入室と共に扉を閉める。たったこれだけの人数でいいのだろうか、と名前は不思議に思った。
お待たせしました、と一言。エメリナは変わらぬ笑顔を浮かべたまま名前の前に立った。その堂々たる出で立ちに、名前の方が気恥ずかしくなって俯いてしまう。
「固くならないで、お座りになってください」
「で…でも…」
「お座りなさい。エメリナ様もこちらを」
「ありがとう、フィレイン」
女騎士フィレインからまた一脚の椅子が現れた。
不思議に思えて、ぼうっと相手が座る姿を一見、一呼吸遅く名前も座る。
「呼び立てたりしてごめんなさい。お疲れでしょう?」
「い、いえ…大丈夫です…」
「もう少しだけ、お話がしたいと思って」
「……話…ですか…?…私…化け物のことは…何も…」
「大丈夫、そのことではありませんから。ただ、貴方はこれからをどうしたいのか…。それだけは聞いておきたくて。…私達に何か、」
「すぐ、で、出て行きます」
「!」
「ご、ご迷惑をおかけして、申し訳ありません…っだから、すぐ、出て行きます、ので…だから、あの…」
「…大丈夫ですよ。慌てないで」
「……!」
「すぐに結論を迫るわけではありません。ただ、私達に何か出来ることがあれば…。何の遠慮もいりません。話してほしいのです」
「で……でも…」
目が泳ぎ始めたことを自覚する。真っ直ぐに向けられる瞳はとても澄んでいて美しい。見つめられているだけで全てを吐露してしまいそうになった。
しかし不思議と、何処かでその瞳を見た気がした。
瞬きをした瞬間に、あの男の顔が映る。
そう。黒い髪に、澄んだ空のような瞳をしていた。
思い出して、名前は顔を強ばらせた。髪色が見慣れた漆黒だったことや、顔があまりにも辛そうに睨み利かしていた印象ばかりが目立っていたが、思い出してみれば何か不自然に感じた覚えがある。自国民にしては顔立ちが酷くアンバランスだったと今になって思えた。
はっきりと憎い男の顔を思い出したものの、霞むがかる視界に眩んで目頭を抑える。
その様子を見ていたエメリナは途端顔色を変えた。
「苗字?」
「!……はい…?」
「…貴方は…」
「え?」
「………」
エメリナは突如立ち上がるので、名前もワンテンポ遅く椅子を離れた。くら、と揺れる頭を正して向き合えば、エメリナは躊躇もなく名前の方へ歩み寄る。
エメリナ様、とフィレインが咎めるが対するエメリナは手を上げて己の女騎士を止めてしまう。彼女は踏み込もうとした足を寸前で止め、歯噛みして心配そうに少女と主人を見比べる。
名前はキョロキョロとこのわからない状況に戸惑うばかりだ。目があったクロムにもフィレインにも、ましてや一番冷静そうに見えたフレデリクさえ頼ったが打破してはくれなかった。
何かしてしまっただろうか、と考え事をして視線を反らした事実を思い出し、謝ろうと口を開けるが咄嗟に喉が閉じて声が出ない。
「……っ!」
「少し…我慢を」
「!」
エメリナの綺麗な手の平が迫り、名前は目をぎゅっと瞑った。スカートの裾を握り締めて身体を強ばらせたが、予見した衝撃の代わりに、暖かな感触を額に受ける。
一呼吸することさえ忘れていた名前が乱れた息遣いを再開したところで目を開ける。エメリナは思った以上に距離を縮め、目の前にその美しい顔があった。どきりどきり、と心臓が高鳴って名前はまた開いた口を閉じ、歯を噛みしめる。赤くなっていく頬を手の甲で撫でられれば、更に体温は上がった。
「これは…」
「……?」
「姉さん?どうしたんだ?」
「…フィレイン。すぐに司祭様をお呼びして」
「は、はい。只今!」
「フレデリクは部屋を用意してください」
「かしこまりました」
「…?……?」
二人の騎士は主の言葉に疑問を返す間もなく足早に出て行った。
その様子を見て、名前は首を捻るクロムと目が合った。彼の投げ掛けた質問はまだ答えられていない。名前自身も知りたかっただけに、恥ずかしかったがエメリナへと目線を戻した。彼女は悲しそうに眉を顰めている。
「お座りなさい。立っているのも辛いでしょうに」
「で、でも…こ、れくらい平気です…が」
「…苗字」
「……」
エメリナは緩慢に首を振り、にこ、と笑った。名前は優しい光を宿した瞳に見つめられて、微笑まれて。
気がつけばぽろりと一滴。名前の頬に伝っていた。
驚いたのは名前自身もだ。熱い頬に生温い涙が流れ気味が悪い。慌てて手首で荒々しく拭いながら、自分も訳が分からないままに笑ってみる。笑って返すしか、出来なくなっていた。
しかし今度はエメリナの顔色が変わる。あの綺麗な空の瞳は揺らぎ、悲しそうに美眉が寄る。
あぁ、返し方を間違えてしまった。
そう気付いても、歪んだ笑顔は長年築いた厄介なプライドによって貼り付いたままだ。咳を繰り返し、喉の収縮を無理に解く。それから精一杯の小さな声で訴えかけた。
「すみません、わたし、大丈夫です」
「……」
「平気です、なんでもありません、だから…だから…もう…」
「…言葉が悪かったですね」
「……!」
「もうお止めなさい。もう…我慢しないで」
「っ!」
「苦しかったでしょう。辛かったでしょう。…怖がらせてしまって、ごめんなさい」
「…っ……っ」
名前は首を振った。
そうじゃない。そんなことはない。
苦しくなんかない。
辛くなんかない。
怖くなんかない。
全部、平気だ。
なのに涙が出てくる。頭を振って、否定を繰り返せば繰り返すほどにポロポロと滴が溢れる。それを止めようとしてもう一度荒く目元を擦り、改めて濡れた手の甲を見た。
(もう泣くことなんか、ないと思ったのに。あんなに泣いたのに…!)
やはりそれは、自分の流したものだった。
「っ!」
「もう、大丈夫」
「……っ」
「もう…我慢しないで…いいのよ」
「…ぁ…っう…ぐ…!」
抱き寄せられ、全身が暖かな感触に包まれて。優しい包容に、優しい匂いに、言葉に。
心が激しく揺さぶられる。
辛い。
苦しい。
怖い。
もう嫌だ、と名前は声もなく呟いた。
こんなところに居たくなんかない。
家に帰りたい。
家に帰りたい。
言葉を吐き出せば吐き出すほどに身体は熱く、重くなっていく。ガタガタと震え、エメリナによって支えられてなければ倒れてしまうほどに重心が安定しない。頭が軋み、喉が詰まって呼吸が出来ない。
エメリナにしがみつきながらもがき始める名前は彼女によって椅子に座り直された。うずくまるように身体を畳んで頭を抱える。エメリナから背をさすられると、胃から何かがこみ上げてくる違和感を感じて咳を始めた。それは息をする間さえなく止まらない。