#14.どんなときも勝つばかりとはいかない
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邪神のはらわたの半ばに陣取ったのは、お互いが背水の気負いがあった。イーリス軍は決死の覚悟でヴァルハルトの軍に挑んだ。負けて退く術はもうない。そしてレンハの軍も同じだ。味方が着いてくることもなく、猛者だけが残ったレンハの軍もヴァルハルトによって負けは許されない。どちらも待ち受けるは片道が死なのだ。
イーリスは総大将であるクロムが前線に躍り出る。脇を固めるのは娘であるルキナだ。宝剣ファルシオンをどちらもその手に掲げ、仲間たちを鼓舞して進む。
そんな中、娘が悲鳴を上げた。
「……お父様!!」
「どうした!?」
ルキナの視線の先をクロムも追いかける。三叉の内の一つの道で、自分たちより一手以上先に女剣士達が一人のトリックスターを連れて先を行く。
「名前!!」
クロムの怒声がやはり聞こえたのだろう、名前は一度後方を顧みたが当の夫の姿を見つける間もなく、前方から襲い掛かった剣豪の相手に向かう。
名前の剣は冷静に剣豪の得物を払った。相手は女と思い力任せだっただけに空を切る形になり、それが名前の剣が通ることになる。軽防具の縫い間に剣を滑らせ、肉を切り固い骨に刃先を引っかけはしたものの名前はそれこそ地に足を踏ん張ってとうとう骨を穿つ。敵剣豪はふらふらと千鳥足となったがまだ倒れない。口元から血を噴きながらも剣を握り直し、覇気だけで再度襲い掛かる。
二戟目は先程避けた鍔迫り合いに持ち込む。名前へ向ける殺意だけで相対し、致命傷を受けて既に死を覚悟した剣豪は名前を道ずれにすることを目的に変えていた。地下熱が蒸気となり、じりじりと大気に熱を含み、互いの肌から汗が噴き出した。だからこそ見えていなかったのだ。もう一人の女剣豪の姿を。名前の影から風のように躍り出て女は敵の首をいとも簡単に刎ねた。剣豪は最期の時、その女剣豪の姿を目に焼き付けることになる。
「サイリさん、ありがとうございます」
「奥方、やはり私が前に……」
「いえ。貴方様は力を温存してください。……行けるところまで私が前を行きます」
首から下の男の体をそっと寝かせつつも血を纏った剣を一振りで払う。ふう、と一息付きつつも後方を顧みた。
「アンナさん、貴方もそれで大丈夫ですか?」
「はいはーい、勿論ですとも!お賃金分しっかり働くわよ!サポートはこのアンナさんにお任せあれ!」
「貴方は相手との接触を極力避けてください。……出来る限りヴァルム兵の相手は私が受けます」
「しかし、奥方……」
「行きましょう」
これ以上サイリに有無を言わせなかった。勿論サイリが言いたいのはクロム達のことだ。作戦では名前達はクロムやルフレ達の行く道を固め、相手の奇襲対策とその防衛のはずだった。
しかしそんなのは詭弁である。こんな場所で奇襲などあるはずもないと名前は決め、特攻を強行した。万が一の怪我の際、応急手当の時間も惜しむために杖を使えるアンナを金で雇い入れもした。協力者は他にもいたが、あまりぞろぞろと連れ歩くための暇はない。後ろからクロムたちが追い付いてしまってはこの行動は無意味と化す。
一番の問題は自分の力量不足だと名前は思う。だからこそいつもの修練用に身に着けた鈍らではなく、輸送隊から無断で借り受けた刀を今は腰に差している。鋼を幾度も熱して打たれたと思われる刀は、軽くも強度があった。良い武器だが使い切るくらいの思い切りで扱っている。先程の刃に肉を通し力加減を掴むことも出来た。そして何より名前の剣は女傑フラヴィア仕込みのもの。少なくとも彼女は性別で己を贔屓したりなどしなかった。その度胸と濃度のある経験は修羅場へ向かう足を鈍らせることはなかった。
名前の目には既に前しか向いていなかった。きっとクロムもルキナも後でさんざん怒るだろう。呆れられてしまうかもしれないがその後悔はその時にすればいい。今はサイリの為に彼女を兄の許へ送り届けることだけが優先されていた。
「後方の地面が崩落を始めたわ。ルートの選別は必要かしら?」
「大丈夫。……行けます」
「いいわ。とことん付いていくわよ。足元の脆い地面を行くときは気を付けて」
この状況にアンナだけが笑っていた。イーリスの妃が気前の好い報酬を支払ってくれたこともあって懐がとても暖かった。そして多少の無茶ぶりも熟すと楽しいものであると彼女は思った。対してサイリは浮かない顔をしていたが彼女の苦悩は別のところを向いている。
あの男の前に出て、何と言葉をかけるべきか。己はどうありたいのか。未だ答えは霞がかっていた。
有翼獣のけたたましい嘶きに名前は握る得物の柄を更に力を込める。見えてはいた。弓兵だった時の目は健在で、得物さえ揃えば自分ならば此処からでも幻獣へ慈悲ある一撃を与えただろう。今更彼らの視界を潜り抜ける方が困難だ。本来ならその場に留まって相手の出方を伺って後手の優位を取るところだが、名前は出来るだけ距離を詰めた。止まっている暇はない。だから敢えて一撃受けることにした。
幻獣グリフォンの乗り手は白銀の斧を輝かせ、空で軽く回転させて高位から振り落とす。合わせて幻獣グリフォンも狙う女に向かって急降下した。上から落下してくる斧を受け止めるのは簡単だが力比べは武器にかかる負担と力量で不利になる。精々軌道を反らして防具でこちらの痛手を減らす。それでも鞣した分厚い皮の防具を切り裂いて肉を削ぐほどの力がある。強烈な痛覚に食いしばり、ちかちかと視界が白く明滅する。そのまま二戟目を繰り広げる為再び斧を翻したが、それは後方に潜んでいたサイリの刀がはじき返す。痛みに怯んでいた名前も瞬く間で体制を崩した相手に鞘から素早く抜いた剣で胴元を斬り付けた。続いてサイリも刀を名前とグリフォンを囲む形で陣取り、空へ逃げる隙を与えることなく乗り手の首筋を的確に刃を添える。脈を斬られ、凄惨な血しぶきをまき散らしながら男は短く喘いで熱する地へ伏せた。主人を亡くしたグリフォンは雄々しき羽を広げて名前達を威嚇したが、後方から投擲されたナイフが脳天を貫き、か細く鳴いた後にその主人の男に重なるように倒れる。
「……進みましょう」
「奥方、怪我を!」
「アンナさん」
「はいはい、進みながらでしょ。大丈夫、ペースはそのままで」
痛みと地下から熱によって沸き起こる汗によってどろどろと肌を伝う気持ち悪さに名前は深い溜息が漏れる。幸い肩を抉られたのは利き手とは違う方だった。とはいえ痛みは止まらないうえに震えで剣を落とさないように歯を噛みつつ弱音を抑えた。アンナの処置はすぐに始まった。杖の奇跡による治療は瞬時に終わるが、その一瞬が長く感じる。視界を塞ぎ兼ねない額から流れた汗を拭いつつ、歩を進める。隣からはハラハラと心配顔の友人の顔が見えていた。何か言って安心させてやりたいが、名前は相変わらず、その場に相応しい言葉が咄嗟に思いつかない。だからなんとか頬を上げて名前は笑ってみせた。まだまだ道半ば。周囲から聞こえるのは誰かの悲鳴と決起した怒声で、何処もかしくも戦場だ。それでも笑えるのだからどうかそれ以上心を痛めて欲しくない、と伝わることを願った。サイリは伝えようとする言葉を飲み込んで黙って追いかけるだけである。苦悩は隠れていない。それでも止めるだけの言葉を彼女もやはり持ってはいなかったのだ。破れてはためく服の生地を破り捨ててとにもかくにも名前は進み続けた。
その気力が報われたのはそれから数刻後。
イーリスは総大将であるクロムが前線に躍り出る。脇を固めるのは娘であるルキナだ。宝剣ファルシオンをどちらもその手に掲げ、仲間たちを鼓舞して進む。
そんな中、娘が悲鳴を上げた。
「……お父様!!」
「どうした!?」
ルキナの視線の先をクロムも追いかける。三叉の内の一つの道で、自分たちより一手以上先に女剣士達が一人のトリックスターを連れて先を行く。
「名前!!」
クロムの怒声がやはり聞こえたのだろう、名前は一度後方を顧みたが当の夫の姿を見つける間もなく、前方から襲い掛かった剣豪の相手に向かう。
名前の剣は冷静に剣豪の得物を払った。相手は女と思い力任せだっただけに空を切る形になり、それが名前の剣が通ることになる。軽防具の縫い間に剣を滑らせ、肉を切り固い骨に刃先を引っかけはしたものの名前はそれこそ地に足を踏ん張ってとうとう骨を穿つ。敵剣豪はふらふらと千鳥足となったがまだ倒れない。口元から血を噴きながらも剣を握り直し、覇気だけで再度襲い掛かる。
二戟目は先程避けた鍔迫り合いに持ち込む。名前へ向ける殺意だけで相対し、致命傷を受けて既に死を覚悟した剣豪は名前を道ずれにすることを目的に変えていた。地下熱が蒸気となり、じりじりと大気に熱を含み、互いの肌から汗が噴き出した。だからこそ見えていなかったのだ。もう一人の女剣豪の姿を。名前の影から風のように躍り出て女は敵の首をいとも簡単に刎ねた。剣豪は最期の時、その女剣豪の姿を目に焼き付けることになる。
「サイリさん、ありがとうございます」
「奥方、やはり私が前に……」
「いえ。貴方様は力を温存してください。……行けるところまで私が前を行きます」
首から下の男の体をそっと寝かせつつも血を纏った剣を一振りで払う。ふう、と一息付きつつも後方を顧みた。
「アンナさん、貴方もそれで大丈夫ですか?」
「はいはーい、勿論ですとも!お賃金分しっかり働くわよ!サポートはこのアンナさんにお任せあれ!」
「貴方は相手との接触を極力避けてください。……出来る限りヴァルム兵の相手は私が受けます」
「しかし、奥方……」
「行きましょう」
これ以上サイリに有無を言わせなかった。勿論サイリが言いたいのはクロム達のことだ。作戦では名前達はクロムやルフレ達の行く道を固め、相手の奇襲対策とその防衛のはずだった。
しかしそんなのは詭弁である。こんな場所で奇襲などあるはずもないと名前は決め、特攻を強行した。万が一の怪我の際、応急手当の時間も惜しむために杖を使えるアンナを金で雇い入れもした。協力者は他にもいたが、あまりぞろぞろと連れ歩くための暇はない。後ろからクロムたちが追い付いてしまってはこの行動は無意味と化す。
一番の問題は自分の力量不足だと名前は思う。だからこそいつもの修練用に身に着けた鈍らではなく、輸送隊から無断で借り受けた刀を今は腰に差している。鋼を幾度も熱して打たれたと思われる刀は、軽くも強度があった。良い武器だが使い切るくらいの思い切りで扱っている。先程の刃に肉を通し力加減を掴むことも出来た。そして何より名前の剣は女傑フラヴィア仕込みのもの。少なくとも彼女は性別で己を贔屓したりなどしなかった。その度胸と濃度のある経験は修羅場へ向かう足を鈍らせることはなかった。
名前の目には既に前しか向いていなかった。きっとクロムもルキナも後でさんざん怒るだろう。呆れられてしまうかもしれないがその後悔はその時にすればいい。今はサイリの為に彼女を兄の許へ送り届けることだけが優先されていた。
「後方の地面が崩落を始めたわ。ルートの選別は必要かしら?」
「大丈夫。……行けます」
「いいわ。とことん付いていくわよ。足元の脆い地面を行くときは気を付けて」
この状況にアンナだけが笑っていた。イーリスの妃が気前の好い報酬を支払ってくれたこともあって懐がとても暖かった。そして多少の無茶ぶりも熟すと楽しいものであると彼女は思った。対してサイリは浮かない顔をしていたが彼女の苦悩は別のところを向いている。
あの男の前に出て、何と言葉をかけるべきか。己はどうありたいのか。未だ答えは霞がかっていた。
有翼獣のけたたましい嘶きに名前は握る得物の柄を更に力を込める。見えてはいた。弓兵だった時の目は健在で、得物さえ揃えば自分ならば此処からでも幻獣へ慈悲ある一撃を与えただろう。今更彼らの視界を潜り抜ける方が困難だ。本来ならその場に留まって相手の出方を伺って後手の優位を取るところだが、名前は出来るだけ距離を詰めた。止まっている暇はない。だから敢えて一撃受けることにした。
幻獣グリフォンの乗り手は白銀の斧を輝かせ、空で軽く回転させて高位から振り落とす。合わせて幻獣グリフォンも狙う女に向かって急降下した。上から落下してくる斧を受け止めるのは簡単だが力比べは武器にかかる負担と力量で不利になる。精々軌道を反らして防具でこちらの痛手を減らす。それでも鞣した分厚い皮の防具を切り裂いて肉を削ぐほどの力がある。強烈な痛覚に食いしばり、ちかちかと視界が白く明滅する。そのまま二戟目を繰り広げる為再び斧を翻したが、それは後方に潜んでいたサイリの刀がはじき返す。痛みに怯んでいた名前も瞬く間で体制を崩した相手に鞘から素早く抜いた剣で胴元を斬り付けた。続いてサイリも刀を名前とグリフォンを囲む形で陣取り、空へ逃げる隙を与えることなく乗り手の首筋を的確に刃を添える。脈を斬られ、凄惨な血しぶきをまき散らしながら男は短く喘いで熱する地へ伏せた。主人を亡くしたグリフォンは雄々しき羽を広げて名前達を威嚇したが、後方から投擲されたナイフが脳天を貫き、か細く鳴いた後にその主人の男に重なるように倒れる。
「……進みましょう」
「奥方、怪我を!」
「アンナさん」
「はいはい、進みながらでしょ。大丈夫、ペースはそのままで」
痛みと地下から熱によって沸き起こる汗によってどろどろと肌を伝う気持ち悪さに名前は深い溜息が漏れる。幸い肩を抉られたのは利き手とは違う方だった。とはいえ痛みは止まらないうえに震えで剣を落とさないように歯を噛みつつ弱音を抑えた。アンナの処置はすぐに始まった。杖の奇跡による治療は瞬時に終わるが、その一瞬が長く感じる。視界を塞ぎ兼ねない額から流れた汗を拭いつつ、歩を進める。隣からはハラハラと心配顔の友人の顔が見えていた。何か言って安心させてやりたいが、名前は相変わらず、その場に相応しい言葉が咄嗟に思いつかない。だからなんとか頬を上げて名前は笑ってみせた。まだまだ道半ば。周囲から聞こえるのは誰かの悲鳴と決起した怒声で、何処もかしくも戦場だ。それでも笑えるのだからどうかそれ以上心を痛めて欲しくない、と伝わることを願った。サイリは伝えようとする言葉を飲み込んで黙って追いかけるだけである。苦悩は隠れていない。それでも止めるだけの言葉を彼女もやはり持ってはいなかったのだ。破れてはためく服の生地を破り捨ててとにもかくにも名前は進み続けた。
その気力が報われたのはそれから数刻後。