#14.どんなときも勝つばかりとはいかない
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ドーマの贓物。
ヴァルム大陸南方に邪神の名を冠し、原住民も忌避する程の悪辣な山がある。今も地の底から焦熱を轟かせ、命あるものを拒むがごとく動植物の影もない。岩肌しかない大地は時折脈動により崩落し、血潮と見紛うほどの溶岩が溢れ出す。
ルフレの逆転の一手はこの地を指した。
ヴァルハルト・レンハの二大軍に加え、反旗を翻した元解放軍に囲まれたイーリス軍はフェリアの二首の王が率いる小軍を切り離し、更に南下した。フェリアの勇士達はヴァルハルトの軍へ挑み、レンハ軍と合流を防ぐための時間稼ぎである。その間にレンハを撃破するという、氷上のような薄い勝ちの道をルフレは導き出した。
サイリは確信を持っていた。レンハは逃げない。背を向けることを己が許さない。例え危うい戦場での決戦となっても。不利な状況でさえも、己が力で乗り越えてきた自負が彼にはある。
日和見ばかりの元解放軍達が痛手を避けるためにイーリス軍の追尾を止め、例え数の利を無くすことになっても。
奴はやはり、逃げないのだと。
兵達にも限界が近づいている。シュヴァイン要塞から強行した退避の末、辿り着いた先でも劣悪な環境である。置かれた環境から士気は低い。クロムやルフレ達が諦めずに戦うことを示したこともあり、付いてくるのに精いっぱいなのだ。名前はリズ王女と共に励まして回っていたがルフレの使いとしてスミアに呼び出され、二人してクロムとルフレの元へと急いだ。
その場にはフレデリクにルキナ、そしてサイリの姿もあった。
「よく来てくれた、名前」
「……クロム様?……そろそろ出陣の時間で……」
「うん。名前、今回は君も出てもらうよ」
「えっ!」
ルフレの言葉に名前は驚いて思わず隣のリズを見た。リズはリズで名前の今までの努力が報われたと思い、その嬉しさに笑み、大きく頷いて讃えた。名前は次の戦いが難しい戦場であることも理解している。だから夫と娘に逢わせてくれたのだろうと思い、喝を以て見送るつもりでいたのだ。だからルフレの指示にも驚いたし、その事実に闘志は沸くものの疑問もあった。クロムの方を見ると彼は眉を寄せてやはり浮かない顔をしているし、ルキナもはらはらと若き母親の出陣に難色を示す。
「あの、ルフレさん。やはりお母様には後方でお待ちいただいた方が……」
「大丈夫だよ。名前の腕はこの間の一件で君たちも見ただろう。フラヴィア様からもお墨付きをもらっているしね」
「お父様……?」
「……俺も出来れば名前には下がっていてほしいが……」
「…………」
「お兄ちゃん」
「わかっている。俺もお前を信じる。それに」
「あぁ。ルキナ殿、安心なされよ。奥方は私が守り抜くとも」
「サイリさん……?」
「この度の戦場は私と共に行動して頂く」
「サイリさんと……?」
クロムの目配せからサイリが声を上げる。名前に向けて力強く頷いてみせるサイリに名前も安堵感を覚えた。よろしくお願いいたします、と頭を下げ合った。同じ剣士同士、また風土や文化が似通っているのもあり、サイリの存在は名前は心強く思う。早速連携を取るために、とサイリを誘ってこれからの戦いの準備へ、二人はその場の者たちに挨拶を交わして離れていった。
「本当によろしいのですか?」
ルキナが再度父に問う。クロムはルキナの心配を己も備えているとは思う。出来るならば己の傍にいてくれればと。ましてや次も続けての死地だ。ヴァルハルトの軍と相対するフェリア軍の為にもレンハ撃破に長く時間は取れない。相手もまた同じだろう。互いに速攻のぶつかり合いになる。そんな作戦に戦い慣れぬだろう妻を連れて行くのは気が引けた。
しかしルフレの意向もまた、クロムは推し量っている。
「サイリ殿に名前を任せたのはサイリ殿の為でもある」
「それは……」
「あ!そっか……次の戦いは、サイリさんにとってお兄さんを相手にすることになるから……」
「だから名前さんを傍に置いて、行動を抑制するというのですね。そうでなくとも名前さんとサイリ殿は交友を重ねていらっしゃいます。義理堅い彼女のことですから、名前さんの援助を優先されるでしょう」
「…………」
リズとフレデリクの言葉もあって、ルキナもこれ以上反対を述べることが出来なかった。何よりもクロム自身が名前の出撃を認めたのだ。母のやる気もまた上がったことだろうことも察している。
「…………」
「……」
しかし肝心のルフレが周りの推察に肯定もなく押し黙ったまま。ただ口角を上げて笑むだけ。クロムもまたそれ以上の問答もしてくれない。それがルキナの心を晴らすことはなかった。
勿論、その推察はサイリ自身も自覚していた。イーリスの若妃は久しぶりの出陣となる。元は弓兵だったという彼女が今は前線に出ることになる剣客を目指していた。実戦経験もままならず、また厳しい戦場を渡り歩くには熟練者の支援が必要不可欠になる。だから戦力として名前を自分に任せたのではない。
真剣に次の戦場を押し図り言葉少なくも意見を出そうとする生真面目な相手にサイリは肩の力を抜いてもらおうと口を開いた。
「そこまで緊張なさることはない。私たちは後方より前線の味方を追いかけることになろう」
「……私たちが後方支援を?しんがり、ということでしょうか?」
「いや。そうではない。……すまない、奥方。貴方には、私に付き合わせてしまうな……」
「サイリさんに……?」
「きっとクロム殿やルフレ殿は……私がみすみすレンハと相対することが無いように、と要人である貴方の護衛を任されたのだろう」
「……それは……」
「彼らの優しさだ。そうでなくとも奥方は私の友です。貴方に何かあれば、託してくれたクロム殿達に顔向けできぬ。必ずや守り抜こう」
「…………サイリさん……それは、サイリさんの本心でしょうか……?」
「……あぁ」
「本当に?」
「!」
サイリは名前が控えめな娘であるという認識で話していた。その娘が自分のテリトリーに一歩近く詰め寄ってきた。思わず身構える己に対しても怯むこともなくその黒い瞳がじっと自分を見定めている。名前は不可解そうに眉を寄せて険しい表情に変わる。
「確かに……クロム様もルフレさんも、サイリさんに戦ってほしくないのだと思います。……だから、きっと私もそうすべきなのかもと思いますが……でも……サイリさんが納得いっていないのなら、聞かねばなりません」
「…………」
「サイリさんは、本当にそうすべきだと思いますか?私と言う枷を付けられて……後悔しませんか……?」
「枷、などと。奥方、私は……」
「……私もサイリさんのことを大事な友達だと、思っています。だからこそ、サイリさんと一緒に戦えるこの機会を与えられて嬉しい。だから……本当は貴方の枷になどなりたくないのです。私は貴方様の……一番の味方です……」
「…………」
サイリは気づく。顔色を伺っていたのは己の方だったのだと。気遣われ、その優しさに報いて我を押し殺さねばと自然と考えないようにしていた。しかし名前は、そんな夫や心配性の娘の意向を置いて、次の戦場で背中を預け合う自分を優先してくれるという。
サイリは思う。
袂を別ち、今や刃を向け合う兄のことを理解している振りをしていたのではないか。
霞んでいた剣聖の後背が一瞬鮮明に瞼の奥に映る。
「…………会わねばならぬ……」
「……」
「私は、あの男に問わねば……!」
「…………」
名前はそれ以上言葉にしなかった。ただ勇ましく大きく頷いて、サイリの震える握り拳を両手で覆った。
ヴァルム大陸南方に邪神の名を冠し、原住民も忌避する程の悪辣な山がある。今も地の底から焦熱を轟かせ、命あるものを拒むがごとく動植物の影もない。岩肌しかない大地は時折脈動により崩落し、血潮と見紛うほどの溶岩が溢れ出す。
ルフレの逆転の一手はこの地を指した。
ヴァルハルト・レンハの二大軍に加え、反旗を翻した元解放軍に囲まれたイーリス軍はフェリアの二首の王が率いる小軍を切り離し、更に南下した。フェリアの勇士達はヴァルハルトの軍へ挑み、レンハ軍と合流を防ぐための時間稼ぎである。その間にレンハを撃破するという、氷上のような薄い勝ちの道をルフレは導き出した。
サイリは確信を持っていた。レンハは逃げない。背を向けることを己が許さない。例え危うい戦場での決戦となっても。不利な状況でさえも、己が力で乗り越えてきた自負が彼にはある。
日和見ばかりの元解放軍達が痛手を避けるためにイーリス軍の追尾を止め、例え数の利を無くすことになっても。
奴はやはり、逃げないのだと。
兵達にも限界が近づいている。シュヴァイン要塞から強行した退避の末、辿り着いた先でも劣悪な環境である。置かれた環境から士気は低い。クロムやルフレ達が諦めずに戦うことを示したこともあり、付いてくるのに精いっぱいなのだ。名前はリズ王女と共に励まして回っていたがルフレの使いとしてスミアに呼び出され、二人してクロムとルフレの元へと急いだ。
その場にはフレデリクにルキナ、そしてサイリの姿もあった。
「よく来てくれた、名前」
「……クロム様?……そろそろ出陣の時間で……」
「うん。名前、今回は君も出てもらうよ」
「えっ!」
ルフレの言葉に名前は驚いて思わず隣のリズを見た。リズはリズで名前の今までの努力が報われたと思い、その嬉しさに笑み、大きく頷いて讃えた。名前は次の戦いが難しい戦場であることも理解している。だから夫と娘に逢わせてくれたのだろうと思い、喝を以て見送るつもりでいたのだ。だからルフレの指示にも驚いたし、その事実に闘志は沸くものの疑問もあった。クロムの方を見ると彼は眉を寄せてやはり浮かない顔をしているし、ルキナもはらはらと若き母親の出陣に難色を示す。
「あの、ルフレさん。やはりお母様には後方でお待ちいただいた方が……」
「大丈夫だよ。名前の腕はこの間の一件で君たちも見ただろう。フラヴィア様からもお墨付きをもらっているしね」
「お父様……?」
「……俺も出来れば名前には下がっていてほしいが……」
「…………」
「お兄ちゃん」
「わかっている。俺もお前を信じる。それに」
「あぁ。ルキナ殿、安心なされよ。奥方は私が守り抜くとも」
「サイリさん……?」
「この度の戦場は私と共に行動して頂く」
「サイリさんと……?」
クロムの目配せからサイリが声を上げる。名前に向けて力強く頷いてみせるサイリに名前も安堵感を覚えた。よろしくお願いいたします、と頭を下げ合った。同じ剣士同士、また風土や文化が似通っているのもあり、サイリの存在は名前は心強く思う。早速連携を取るために、とサイリを誘ってこれからの戦いの準備へ、二人はその場の者たちに挨拶を交わして離れていった。
「本当によろしいのですか?」
ルキナが再度父に問う。クロムはルキナの心配を己も備えているとは思う。出来るならば己の傍にいてくれればと。ましてや次も続けての死地だ。ヴァルハルトの軍と相対するフェリア軍の為にもレンハ撃破に長く時間は取れない。相手もまた同じだろう。互いに速攻のぶつかり合いになる。そんな作戦に戦い慣れぬだろう妻を連れて行くのは気が引けた。
しかしルフレの意向もまた、クロムは推し量っている。
「サイリ殿に名前を任せたのはサイリ殿の為でもある」
「それは……」
「あ!そっか……次の戦いは、サイリさんにとってお兄さんを相手にすることになるから……」
「だから名前さんを傍に置いて、行動を抑制するというのですね。そうでなくとも名前さんとサイリ殿は交友を重ねていらっしゃいます。義理堅い彼女のことですから、名前さんの援助を優先されるでしょう」
「…………」
リズとフレデリクの言葉もあって、ルキナもこれ以上反対を述べることが出来なかった。何よりもクロム自身が名前の出撃を認めたのだ。母のやる気もまた上がったことだろうことも察している。
「…………」
「……」
しかし肝心のルフレが周りの推察に肯定もなく押し黙ったまま。ただ口角を上げて笑むだけ。クロムもまたそれ以上の問答もしてくれない。それがルキナの心を晴らすことはなかった。
勿論、その推察はサイリ自身も自覚していた。イーリスの若妃は久しぶりの出陣となる。元は弓兵だったという彼女が今は前線に出ることになる剣客を目指していた。実戦経験もままならず、また厳しい戦場を渡り歩くには熟練者の支援が必要不可欠になる。だから戦力として名前を自分に任せたのではない。
真剣に次の戦場を押し図り言葉少なくも意見を出そうとする生真面目な相手にサイリは肩の力を抜いてもらおうと口を開いた。
「そこまで緊張なさることはない。私たちは後方より前線の味方を追いかけることになろう」
「……私たちが後方支援を?しんがり、ということでしょうか?」
「いや。そうではない。……すまない、奥方。貴方には、私に付き合わせてしまうな……」
「サイリさんに……?」
「きっとクロム殿やルフレ殿は……私がみすみすレンハと相対することが無いように、と要人である貴方の護衛を任されたのだろう」
「……それは……」
「彼らの優しさだ。そうでなくとも奥方は私の友です。貴方に何かあれば、託してくれたクロム殿達に顔向けできぬ。必ずや守り抜こう」
「…………サイリさん……それは、サイリさんの本心でしょうか……?」
「……あぁ」
「本当に?」
「!」
サイリは名前が控えめな娘であるという認識で話していた。その娘が自分のテリトリーに一歩近く詰め寄ってきた。思わず身構える己に対しても怯むこともなくその黒い瞳がじっと自分を見定めている。名前は不可解そうに眉を寄せて険しい表情に変わる。
「確かに……クロム様もルフレさんも、サイリさんに戦ってほしくないのだと思います。……だから、きっと私もそうすべきなのかもと思いますが……でも……サイリさんが納得いっていないのなら、聞かねばなりません」
「…………」
「サイリさんは、本当にそうすべきだと思いますか?私と言う枷を付けられて……後悔しませんか……?」
「枷、などと。奥方、私は……」
「……私もサイリさんのことを大事な友達だと、思っています。だからこそ、サイリさんと一緒に戦えるこの機会を与えられて嬉しい。だから……本当は貴方の枷になどなりたくないのです。私は貴方様の……一番の味方です……」
「…………」
サイリは気づく。顔色を伺っていたのは己の方だったのだと。気遣われ、その優しさに報いて我を押し殺さねばと自然と考えないようにしていた。しかし名前は、そんな夫や心配性の娘の意向を置いて、次の戦場で背中を預け合う自分を優先してくれるという。
サイリは思う。
袂を別ち、今や刃を向け合う兄のことを理解している振りをしていたのではないか。
霞んでいた剣聖の後背が一瞬鮮明に瞼の奥に映る。
「…………会わねばならぬ……」
「……」
「私は、あの男に問わねば……!」
「…………」
名前はそれ以上言葉にしなかった。ただ勇ましく大きく頷いて、サイリの震える握り拳を両手で覆った。