#12.今は二人を信じてあげて
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クロムの目が覚めた時には愛する妻の姿はなく、朝を計ってきたのだろう従事の騎士と挨拶を交わすことから始まる。身形を整えて、野営の天幕を出てしまえば目まぐるしい一日の開始だ。イーリスの内政、軍務、自警団としての活動。全てトップとして人を導く立場にある。
疲れが出ない訳ではない。常に人に囲まれ、人を導き、人の見本にならねばならない。その重責には多大な心労もあった。しかし、これを嘆く気持ちは一切無く、尊敬する姉のような、優しくも強い『王』の姿に近づくために努力する楽しみをクロムは知っている。
しかしそれと同時に、王も一人の『男』である訳で。夜、従事の騎士と共に帰ってくれば、既に寝台では妻がこちらに背を向けて深い眠りについている。
今日もまともに話が出来なかった。
そんな落胆を胸に抱えたまま、クロムは溜息を吐かずにはいられなかった。
「結局それは名前と話し合わなきゃいけないだろう」
「………」
公務を一旦切り上げ、軍師ルフレと昼食の時間。クロムは苦い顔をして一度深く頷いた。ルフレは反対する言葉を続けるだろう主人の様子を、パンを噛みながら待つ。思った通り、しかしとクロムが切り出した。
「夕食の時に顔を合わせていると…あいつはあいつで満足しているような気がしてならん…」
「まぁ、…君がそう思うのならそうなのかもしれないけど」
と、返してはみたものの。ルフレにとって名前は目の前のことに集中する性格から、どうにも周りのことに疎くなると知っている。恐らく名前は、夫のことよりも食への取り組み方に気をやっているはずなのである。
「…どちらにしても、君に不満があるのならきちんと話をするべきだ。名前だってわかってくれるよ。ソワレとの修練についても話し合ったんだろう?」
「……そうだな」
ルフレはクロムの額の皺が深くなるのを見逃せなかった。恐らくは自分の想定とは別の状態になったに違いないと理解する。ルフレはここでもクロムの言葉を待った。元が明朗な青年の性格を良く知っていたし、抱え込んで悩むよりも打ち明けて打開策を考え合う有用性をクロムが理解していないことはない。
クロムは少し迷っていたが、ルフレの想定通りに口を開いた。
「…名前の修練の件は、ソワレと話し合うことで解決した」
「ん?ソワレと?」
「…まずソワレに理解してもらえれば、名前も納得してくれるだろうと思って」
「え?」
何故、妻の名前ではなく訓練相手のソワレと話し合うことにしたのか。勿論現状把握に余念のないルフレに理解出来ないことはない。気恥ずかしさなんて、今更なのにとルフレは思いながら、先程の引っかかりの答えを知って安堵も覚えた。この夫婦は訓練云々の事実より、事の経緯の進め方によって関係が悪化したのだろう。名前の頑固な性格が尾を引いている想像が容易に浮かぶ。その尻尾を掴むか掴まざるべきか悩む親友の姿もだ。
ルフレは心中溜息をついて言葉を選ぶ。
「……クロム。君はちゃんと、自分の気持ちを話したのかい?」
「話した。名前は剣を持つより弓がいいと」
「そうじゃなく。剣の指導は自分がやるって言えばよかったんじゃないか?」
「っ…!な、なな、何を!?」
「名前はあの性格だから、君に負担をかけられないでソワレに頼んだのだろうけど、それが君には気にくわなかったわけだろう?」
「………」
「…クロム?」
顔を真っ赤にしたクロムはルフレの言葉を聞きつつも頭を抱えてうなだれた。現状を指摘しただけのルフレは訝しげにクロムを観察していたが、彼の騎士が主の気持ちを代弁すべく、横からルフレに耳打ちする。
「クロム様がその指摘を受けるのは三度目です」
「そうなの?」
「はい」
一人目はソワレである。彼女はクロムの話に容認はしたものの、「キミはそれで本当にいいのか?」と再三訪ねた後に「素直に認めたらいいのに」と呟いたと言う。妹のリズからは「いい年こいて、ヤキモチ焼いちゃって!」と、詰られたらしく。さらにはルフレにストレートに指摘されたからには、自分が如何に単純な性格なのかと思い知らされもするのだろう。言わば土足で心を踏み荒らされるようなものである。
重責の立場上、それはまずいと考えるクロムはぽつりと呟く。
「俺はそんなにわかりやすいのか」
「いや、リズは血が繋がっているのだし、ソワレとは付き合いの長さがあるだろう?僕はほら、観察するのが仕事のうちだから」
「…肝心の名前には一向に伝わらないのがな…」
「あぁ、あの子にそれを求めるのは難しいかもね。ただでさえ人と距離を置きたがるし、自分の世界を持っているから」
「…俺は精一杯、伝えているつもりなんだがな」
「遠回しな言い方じゃ名前には伝わらないよ。だからはっきり言うのを勧める。今更恥ずかしいのはわかるけどさ」
「………」
ルフレはクロムが特に名前に甘いと知っている。二人の意志疎通が遅かったこともあり、クロムは名前にはっきりと物言いするのを恐れている節があった。
二人の間に何があったのかは知らないが、それでは溝も出来るというものだ。とはいえ、ルフレに出来ることは精々助言してやるくらいである。
ルフレはもう少しだけ、口を開いた。
「名前はなんで弓を極める前に剣を選んだのかな」
「……それがわからん。今までは俺の後ろで俺を助けてくれたのだが」
「僕が見るに、きっとルキナが生まれたからだと思うな」
「ルキナが?」
顔をあげて一心に耳を傾けるクロムに、ルフレは微笑んで言葉を続ける。
「母になって、守るものが増えて…気が焦っちゃったのかもね。剣は、君との繋がりにもなるとも思ったのだとも思う」
「……」
「私もそう思いますよ、クロム様。名前さんはクロム様の激務を誰よりも間近で見ています。私よりも、名前さんはクロム様のお体を労れていますよ」
「そう、なのだろうか」
「はい。名前さんは、クロム様の負担にならないように敢えて距離を取っていると私は思っていましたから」
「……」
「だから君が直接剣術を教えてあげたら、名前は喜ぶんじゃないかな。ね、フレデリク」
「はい。良い考えかと」
「…そう、かな」
フレデリクと顔を見合わせ笑い合う。なんとか問題が解決しそうで、彼の騎士も嬉しそうに微笑んだ。
しかし。
「そうしたいところだが、今はそんな余裕はないしな…。全てはヴァルムとの戦いが終わってからだ。…その間名前とは…出来る限り時間を作って、話をしてみよう」
「……」
「……」
ルフレはこの時の、フレデリクの落胆ぶりが印象的だったとよく覚えている。
船旅が続いて数日。船上戦を終えてヴァルムの地が近づき、上陸の準備が進んでいたある日のことだ。珍しくも、ルフレの元にフレデリクが訪れたのは。苦々しい顔でスミアの入れた紅茶に手を付け、溜息を吐く男に、妻と目を合わせて心配そうに理由を尋ねる。
「あのぅ…何かあったのですか?」
「えぇ…その…クロム様と名前さんのことなのですが」
「あ、あぁ…あの二人ね…」
「どうかしたのです?」
「名前さんが、フェリア王フラヴィア殿に剣を教えを請う為にしばらくクロム様と寝起きを別にすると…」
「まぁ」
「クロム、それを許したの?」
「……最終的には。しかし、心中察するとお労しくて。私はなんとお声をおかけすればいいか…」
「名前さん、フェリア王様と仲が良いですものね。前々から剣術を習いたいと仰ってましたし」
「…クロムはどうしてるの?」
「しばらく一人になりたいと…」
「………」
おいたわしや、と口々に心配する騎士の聞き役をスミアに任せ、ルフレは重い腰を上げて部屋を出ていくのだった。
疲れが出ない訳ではない。常に人に囲まれ、人を導き、人の見本にならねばならない。その重責には多大な心労もあった。しかし、これを嘆く気持ちは一切無く、尊敬する姉のような、優しくも強い『王』の姿に近づくために努力する楽しみをクロムは知っている。
しかしそれと同時に、王も一人の『男』である訳で。夜、従事の騎士と共に帰ってくれば、既に寝台では妻がこちらに背を向けて深い眠りについている。
今日もまともに話が出来なかった。
そんな落胆を胸に抱えたまま、クロムは溜息を吐かずにはいられなかった。
「結局それは名前と話し合わなきゃいけないだろう」
「………」
公務を一旦切り上げ、軍師ルフレと昼食の時間。クロムは苦い顔をして一度深く頷いた。ルフレは反対する言葉を続けるだろう主人の様子を、パンを噛みながら待つ。思った通り、しかしとクロムが切り出した。
「夕食の時に顔を合わせていると…あいつはあいつで満足しているような気がしてならん…」
「まぁ、…君がそう思うのならそうなのかもしれないけど」
と、返してはみたものの。ルフレにとって名前は目の前のことに集中する性格から、どうにも周りのことに疎くなると知っている。恐らく名前は、夫のことよりも食への取り組み方に気をやっているはずなのである。
「…どちらにしても、君に不満があるのならきちんと話をするべきだ。名前だってわかってくれるよ。ソワレとの修練についても話し合ったんだろう?」
「……そうだな」
ルフレはクロムの額の皺が深くなるのを見逃せなかった。恐らくは自分の想定とは別の状態になったに違いないと理解する。ルフレはここでもクロムの言葉を待った。元が明朗な青年の性格を良く知っていたし、抱え込んで悩むよりも打ち明けて打開策を考え合う有用性をクロムが理解していないことはない。
クロムは少し迷っていたが、ルフレの想定通りに口を開いた。
「…名前の修練の件は、ソワレと話し合うことで解決した」
「ん?ソワレと?」
「…まずソワレに理解してもらえれば、名前も納得してくれるだろうと思って」
「え?」
何故、妻の名前ではなく訓練相手のソワレと話し合うことにしたのか。勿論現状把握に余念のないルフレに理解出来ないことはない。気恥ずかしさなんて、今更なのにとルフレは思いながら、先程の引っかかりの答えを知って安堵も覚えた。この夫婦は訓練云々の事実より、事の経緯の進め方によって関係が悪化したのだろう。名前の頑固な性格が尾を引いている想像が容易に浮かぶ。その尻尾を掴むか掴まざるべきか悩む親友の姿もだ。
ルフレは心中溜息をついて言葉を選ぶ。
「……クロム。君はちゃんと、自分の気持ちを話したのかい?」
「話した。名前は剣を持つより弓がいいと」
「そうじゃなく。剣の指導は自分がやるって言えばよかったんじゃないか?」
「っ…!な、なな、何を!?」
「名前はあの性格だから、君に負担をかけられないでソワレに頼んだのだろうけど、それが君には気にくわなかったわけだろう?」
「………」
「…クロム?」
顔を真っ赤にしたクロムはルフレの言葉を聞きつつも頭を抱えてうなだれた。現状を指摘しただけのルフレは訝しげにクロムを観察していたが、彼の騎士が主の気持ちを代弁すべく、横からルフレに耳打ちする。
「クロム様がその指摘を受けるのは三度目です」
「そうなの?」
「はい」
一人目はソワレである。彼女はクロムの話に容認はしたものの、「キミはそれで本当にいいのか?」と再三訪ねた後に「素直に認めたらいいのに」と呟いたと言う。妹のリズからは「いい年こいて、ヤキモチ焼いちゃって!」と、詰られたらしく。さらにはルフレにストレートに指摘されたからには、自分が如何に単純な性格なのかと思い知らされもするのだろう。言わば土足で心を踏み荒らされるようなものである。
重責の立場上、それはまずいと考えるクロムはぽつりと呟く。
「俺はそんなにわかりやすいのか」
「いや、リズは血が繋がっているのだし、ソワレとは付き合いの長さがあるだろう?僕はほら、観察するのが仕事のうちだから」
「…肝心の名前には一向に伝わらないのがな…」
「あぁ、あの子にそれを求めるのは難しいかもね。ただでさえ人と距離を置きたがるし、自分の世界を持っているから」
「…俺は精一杯、伝えているつもりなんだがな」
「遠回しな言い方じゃ名前には伝わらないよ。だからはっきり言うのを勧める。今更恥ずかしいのはわかるけどさ」
「………」
ルフレはクロムが特に名前に甘いと知っている。二人の意志疎通が遅かったこともあり、クロムは名前にはっきりと物言いするのを恐れている節があった。
二人の間に何があったのかは知らないが、それでは溝も出来るというものだ。とはいえ、ルフレに出来ることは精々助言してやるくらいである。
ルフレはもう少しだけ、口を開いた。
「名前はなんで弓を極める前に剣を選んだのかな」
「……それがわからん。今までは俺の後ろで俺を助けてくれたのだが」
「僕が見るに、きっとルキナが生まれたからだと思うな」
「ルキナが?」
顔をあげて一心に耳を傾けるクロムに、ルフレは微笑んで言葉を続ける。
「母になって、守るものが増えて…気が焦っちゃったのかもね。剣は、君との繋がりにもなるとも思ったのだとも思う」
「……」
「私もそう思いますよ、クロム様。名前さんはクロム様の激務を誰よりも間近で見ています。私よりも、名前さんはクロム様のお体を労れていますよ」
「そう、なのだろうか」
「はい。名前さんは、クロム様の負担にならないように敢えて距離を取っていると私は思っていましたから」
「……」
「だから君が直接剣術を教えてあげたら、名前は喜ぶんじゃないかな。ね、フレデリク」
「はい。良い考えかと」
「…そう、かな」
フレデリクと顔を見合わせ笑い合う。なんとか問題が解決しそうで、彼の騎士も嬉しそうに微笑んだ。
しかし。
「そうしたいところだが、今はそんな余裕はないしな…。全てはヴァルムとの戦いが終わってからだ。…その間名前とは…出来る限り時間を作って、話をしてみよう」
「……」
「……」
ルフレはこの時の、フレデリクの落胆ぶりが印象的だったとよく覚えている。
船旅が続いて数日。船上戦を終えてヴァルムの地が近づき、上陸の準備が進んでいたある日のことだ。珍しくも、ルフレの元にフレデリクが訪れたのは。苦々しい顔でスミアの入れた紅茶に手を付け、溜息を吐く男に、妻と目を合わせて心配そうに理由を尋ねる。
「あのぅ…何かあったのですか?」
「えぇ…その…クロム様と名前さんのことなのですが」
「あ、あぁ…あの二人ね…」
「どうかしたのです?」
「名前さんが、フェリア王フラヴィア殿に剣を教えを請う為にしばらくクロム様と寝起きを別にすると…」
「まぁ」
「クロム、それを許したの?」
「……最終的には。しかし、心中察するとお労しくて。私はなんとお声をおかけすればいいか…」
「名前さん、フェリア王様と仲が良いですものね。前々から剣術を習いたいと仰ってましたし」
「…クロムはどうしてるの?」
「しばらく一人になりたいと…」
「………」
おいたわしや、と口々に心配する騎士の聞き役をスミアに任せ、ルフレは重い腰を上げて部屋を出ていくのだった。