#11.だが今は違う
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─黒煙がいつも空を覆っていた曇天の空。
─安堵の地を探し、疲弊する民達を連れて歩き続けた。
─彼らはいつも怯えていて、平穏の時は忘却の彼方へ消えていったかのよう。
─希望とは、簡単に口には出来なかった。
─それでもまだ負けてはいないのだと信じていたかった。毎日誰かの悲鳴と啜り泣く声を耳にしても、諦めることは許されなかった。
─だけど認めがたいことに、剣を抱いていないと眠れなかった。父が唯一残し、母が己に託した、国の至宝だけが己に力をくれる。
─しかし未だに眠れぬ夜が来る。
─恐ろしく、長い夜が。
(そんなとき、いつも思い出していた。父の優しく笑いかけてくれた笑顔。民達の先頭に立って、私達の手を引いてくれた母の勇ましい顔を。その思い出が、私をいつも支えてくれていた。挫けぬように、いつも思い出していた)
燃える景色の果てへ
名前の朝は早い。まだ深く眠り続ける夫を起こさぬように寝台を抜け出してから手早く衣服を着替え、身形を整えるために水場へ急ぐ。そこで出会う仲間達はいつも決まっている。欠伸をかみ殺し、目蓋を擦って眠気を払いながらの朝だった。
しかしとある光景が、最近の名前の目を覚まさせる。
「…おはよう」
「あっ!おはようございます、お母様!」
ルキナは、振るっていたファルシオンを下げつつ、流れる汗を拭って頭を下げた。名前は朝から鍛練に精を出す真面目な娘を労るために小走りに駆けよった。
「もう起きていたの?」
「はい。少しでも腕を上げておきたくて」
「…いつからやっていたの?」
「え?そうですね…つい先程からなのですが…」
「……」
名前の見るルキナの様子は朝の軽い運動とはほど遠く、肩は弾み、息絶え絶えという様子だ。説破詰まったような、そんな焦燥感に不安を感じつつ名前はそんなルキナへの違和感を敢えて目を瞑り、そう、と端的に返して笑んだ。ルキナは照れたようはにかむ。その笑みは壁を壊した後の夫によく似ていると名前は思った。
「じゃあ朝ご飯の前に、その汗を流してしまいましょう。私もこれから顔を洗いに行くところだから…一緒に、行く?」
「はい!」
そうしてルキナを伴って、水場へ歩んだ。ルキナはそわそわと名前の隣で視線を泳がせていたのだが、黙ったままの母に倣って何も語りかけることはなかった。名前も何かを話題をと思案してみて、少し間が空いた後に娘へ話しかけた。
「ルキナは、…私が異世界から来たことって……」
「はい。勿論知っています。お母様からよく、そのお話を聞かせていただきましたから」
「そ、そっかぁ…よかった。話していなかったらどうすればいいのかと…」
「弓だって教えてもらいましたよ?お父様からは剣術を、お母様からは弓道を、と。…だけど生憎、なかなか上手くなりませんでしたけど」
「ごめんね、教え方が下手だったんだね…」
「そ、そんなことありません!…あっ」
「ん?」
「ルフレさん」
先に水場を使っていたらしい軍師をルキナが見つけた。彼にしては珍しく、青ざめていて気分が悪そうな面持ちだ。名前は顔をしかめたが、彼に挨拶を交わすために恐る恐る声をかける。ルキナはそんな心配顔の母を横目に、複雑そうに目を伏せる。
「ルフレさん……大丈夫ですか?」
「名前…あぁ、大丈夫。おはよう二人とも。早いね」
「…おはようございます」
「おはようございます」
二人は揃って挨拶を返した。少し頭を下げた角度も同じで、ルフレは思わず吹き出す。これに名前もルキナも顔を見合わせて首を傾げた。ルフレは肩を揺らして笑いながら謝るものの、なかなか落ち着く気配はない。名前は眉を寄せて心配するんじゃなかったと小言を呟く。
「心配?」
「あまり顔色がよくなかったから……」
「あぁ、そうかな?…うん…あまり夢見がよくなくてね。大戦の前で、緊張しているのかもしれないな」
「無理なさらないでくださいね。……クロム様も心配しますし」
「そうだね。ありがとう、気を付けるよ」
ルフレは微笑み、二人に別れを告げると颯爽と歩いていった。先程の鬱屈そうな雰囲気が嘘のようで、彼の様子を見逃さないように気を張っていた名前はほっと安堵していた。
「…お母様は、ルフレさんと仲がいいのですね」
「えっ?……そう?彼は誰とでも仲良くしているし…クロム様だって、ルフレさんを頼りにしていますよ?」
「そう…ですね。…ごめんなさい、お母様。私、やっぱり先に行きますね」
「えっ…あ…」
ルキナは笑みを繕い、足早にその場を後にする。ルフレの去った道をなぞるようにして愛娘に置いていかれた名前は、何故だが妙に心が沈むのだった。
「ルキナとどう付き合っていけばいいか?」
「…うん…」
屍兵退治の帰路。馬を引くソワレの隣で、名前はぽつぽつと彼女に悩みを打ち明けた。ソワレは俯きがちな名前の肩を叩いて、力強く慰める。
「なんだかよそよそしくて……馴染みにくいのはわかるけど、もっと何か出来ることはないかなって……」
「うまくいかない?」
「うん……」
「ふむ…そうだね。事情が事情だから仕方ないのかもしれないが…確かにボクから見ても彼女はいつも一人だし、心配だね」
「……あまり無理してないといいけど」
「君に似て、なかなか手強い相手のようだ」
「そ、そんなことないですよ!ルキナはもっと、……素直です」
「あははっボクから見たらそっくりな親子で羨ましいよ」
ばんばん、と丸まった背を叩かれ、名前はうっうっと唸って咳をする。力強い手のひらの感触は名前の気力を刺激するには十分だ。釣られる形で名前も笑い返し、先程の言葉を思い返す。
「ソワレさんにも子供がいたら…どんな子なんでしょうね」
「えっボクの?そうだなぁ…想像がつかないな」
「ソワレさんに似るのか、ソールさんに似るのか。楽しみですね」
「よ、よせよ!なんだか恥ずかしいじゃないか…」
「そんな、きっと格好いい男の子か、美人さんです」
「う、うーん…容姿はともかく。…ボクもソールも、まだそういうことは考えていないよ」
「……そうですか。でも、ソワレさんの子供なら…きっと強い子なんだろうなぁ」
「…うん、それだけは自信あるかな。こんな時代だからこそ、生半可な育て方は出来ないからね」
「ソワレさんの修練はきついですしね。……私もなんとかついていけてますが、何度も吐きそうになってますし…」
「あー……名前、修行の件…なんだけど」
「はい?…どうしたんですか?」
ソワレにしては急に言葉が歯切れ悪くなった。名前は嫌な予感がして立ち止まる。同じく立ち止まったソワレは短く跳ねた赤髪をかいて、妙な空気を誤魔化す。
ソワレには今まで武芸の手解きを頼んでいた。差し当たって剣、槍、そして馬の稽古をつけてもらっている。この後もみっちり修行に付き合ってもらうつもりだった。
「実は……君への指導をクロムに止められてしまってね…あまり君に無茶をさせないでほしいって」
「えっ…む、無茶なんて…!」
「わかっている。君が真剣に強さを求めていたことも、本当に努力をしていたことも。だけどクロムは、君が剣を持つことに良い顔をしていないだろう?」
「……」
「ボクはクロムと付き合いが長い。主人でもあるし、なにより大事な友だ。だから奴の気持ちも分かるし汲んでやりたい。もちろん君も大事な人だけど…。身勝手なことだが、すまない。わかってくれないか?」
「わ……わかりました……」
「ただ、武器の扱いについては指導できないけど、馬術に関してはこれまで通り力になるから」
「は、はいっ!…お願いしますね…」
「……」
ソワレは眉を下げてはいたが笑みを絶やさずに名前の背をさすった。再び丸くなった背は明らかに落胆の重荷を背負ってしまったが、止めた歩みを再開させるくらいには力を与えてくれるのだった。
─安堵の地を探し、疲弊する民達を連れて歩き続けた。
─彼らはいつも怯えていて、平穏の時は忘却の彼方へ消えていったかのよう。
─希望とは、簡単に口には出来なかった。
─それでもまだ負けてはいないのだと信じていたかった。毎日誰かの悲鳴と啜り泣く声を耳にしても、諦めることは許されなかった。
─だけど認めがたいことに、剣を抱いていないと眠れなかった。父が唯一残し、母が己に託した、国の至宝だけが己に力をくれる。
─しかし未だに眠れぬ夜が来る。
─恐ろしく、長い夜が。
(そんなとき、いつも思い出していた。父の優しく笑いかけてくれた笑顔。民達の先頭に立って、私達の手を引いてくれた母の勇ましい顔を。その思い出が、私をいつも支えてくれていた。挫けぬように、いつも思い出していた)
燃える景色の果てへ
名前の朝は早い。まだ深く眠り続ける夫を起こさぬように寝台を抜け出してから手早く衣服を着替え、身形を整えるために水場へ急ぐ。そこで出会う仲間達はいつも決まっている。欠伸をかみ殺し、目蓋を擦って眠気を払いながらの朝だった。
しかしとある光景が、最近の名前の目を覚まさせる。
「…おはよう」
「あっ!おはようございます、お母様!」
ルキナは、振るっていたファルシオンを下げつつ、流れる汗を拭って頭を下げた。名前は朝から鍛練に精を出す真面目な娘を労るために小走りに駆けよった。
「もう起きていたの?」
「はい。少しでも腕を上げておきたくて」
「…いつからやっていたの?」
「え?そうですね…つい先程からなのですが…」
「……」
名前の見るルキナの様子は朝の軽い運動とはほど遠く、肩は弾み、息絶え絶えという様子だ。説破詰まったような、そんな焦燥感に不安を感じつつ名前はそんなルキナへの違和感を敢えて目を瞑り、そう、と端的に返して笑んだ。ルキナは照れたようはにかむ。その笑みは壁を壊した後の夫によく似ていると名前は思った。
「じゃあ朝ご飯の前に、その汗を流してしまいましょう。私もこれから顔を洗いに行くところだから…一緒に、行く?」
「はい!」
そうしてルキナを伴って、水場へ歩んだ。ルキナはそわそわと名前の隣で視線を泳がせていたのだが、黙ったままの母に倣って何も語りかけることはなかった。名前も何かを話題をと思案してみて、少し間が空いた後に娘へ話しかけた。
「ルキナは、…私が異世界から来たことって……」
「はい。勿論知っています。お母様からよく、そのお話を聞かせていただきましたから」
「そ、そっかぁ…よかった。話していなかったらどうすればいいのかと…」
「弓だって教えてもらいましたよ?お父様からは剣術を、お母様からは弓道を、と。…だけど生憎、なかなか上手くなりませんでしたけど」
「ごめんね、教え方が下手だったんだね…」
「そ、そんなことありません!…あっ」
「ん?」
「ルフレさん」
先に水場を使っていたらしい軍師をルキナが見つけた。彼にしては珍しく、青ざめていて気分が悪そうな面持ちだ。名前は顔をしかめたが、彼に挨拶を交わすために恐る恐る声をかける。ルキナはそんな心配顔の母を横目に、複雑そうに目を伏せる。
「ルフレさん……大丈夫ですか?」
「名前…あぁ、大丈夫。おはよう二人とも。早いね」
「…おはようございます」
「おはようございます」
二人は揃って挨拶を返した。少し頭を下げた角度も同じで、ルフレは思わず吹き出す。これに名前もルキナも顔を見合わせて首を傾げた。ルフレは肩を揺らして笑いながら謝るものの、なかなか落ち着く気配はない。名前は眉を寄せて心配するんじゃなかったと小言を呟く。
「心配?」
「あまり顔色がよくなかったから……」
「あぁ、そうかな?…うん…あまり夢見がよくなくてね。大戦の前で、緊張しているのかもしれないな」
「無理なさらないでくださいね。……クロム様も心配しますし」
「そうだね。ありがとう、気を付けるよ」
ルフレは微笑み、二人に別れを告げると颯爽と歩いていった。先程の鬱屈そうな雰囲気が嘘のようで、彼の様子を見逃さないように気を張っていた名前はほっと安堵していた。
「…お母様は、ルフレさんと仲がいいのですね」
「えっ?……そう?彼は誰とでも仲良くしているし…クロム様だって、ルフレさんを頼りにしていますよ?」
「そう…ですね。…ごめんなさい、お母様。私、やっぱり先に行きますね」
「えっ…あ…」
ルキナは笑みを繕い、足早にその場を後にする。ルフレの去った道をなぞるようにして愛娘に置いていかれた名前は、何故だが妙に心が沈むのだった。
「ルキナとどう付き合っていけばいいか?」
「…うん…」
屍兵退治の帰路。馬を引くソワレの隣で、名前はぽつぽつと彼女に悩みを打ち明けた。ソワレは俯きがちな名前の肩を叩いて、力強く慰める。
「なんだかよそよそしくて……馴染みにくいのはわかるけど、もっと何か出来ることはないかなって……」
「うまくいかない?」
「うん……」
「ふむ…そうだね。事情が事情だから仕方ないのかもしれないが…確かにボクから見ても彼女はいつも一人だし、心配だね」
「……あまり無理してないといいけど」
「君に似て、なかなか手強い相手のようだ」
「そ、そんなことないですよ!ルキナはもっと、……素直です」
「あははっボクから見たらそっくりな親子で羨ましいよ」
ばんばん、と丸まった背を叩かれ、名前はうっうっと唸って咳をする。力強い手のひらの感触は名前の気力を刺激するには十分だ。釣られる形で名前も笑い返し、先程の言葉を思い返す。
「ソワレさんにも子供がいたら…どんな子なんでしょうね」
「えっボクの?そうだなぁ…想像がつかないな」
「ソワレさんに似るのか、ソールさんに似るのか。楽しみですね」
「よ、よせよ!なんだか恥ずかしいじゃないか…」
「そんな、きっと格好いい男の子か、美人さんです」
「う、うーん…容姿はともかく。…ボクもソールも、まだそういうことは考えていないよ」
「……そうですか。でも、ソワレさんの子供なら…きっと強い子なんだろうなぁ」
「…うん、それだけは自信あるかな。こんな時代だからこそ、生半可な育て方は出来ないからね」
「ソワレさんの修練はきついですしね。……私もなんとかついていけてますが、何度も吐きそうになってますし…」
「あー……名前、修行の件…なんだけど」
「はい?…どうしたんですか?」
ソワレにしては急に言葉が歯切れ悪くなった。名前は嫌な予感がして立ち止まる。同じく立ち止まったソワレは短く跳ねた赤髪をかいて、妙な空気を誤魔化す。
ソワレには今まで武芸の手解きを頼んでいた。差し当たって剣、槍、そして馬の稽古をつけてもらっている。この後もみっちり修行に付き合ってもらうつもりだった。
「実は……君への指導をクロムに止められてしまってね…あまり君に無茶をさせないでほしいって」
「えっ…む、無茶なんて…!」
「わかっている。君が真剣に強さを求めていたことも、本当に努力をしていたことも。だけどクロムは、君が剣を持つことに良い顔をしていないだろう?」
「……」
「ボクはクロムと付き合いが長い。主人でもあるし、なにより大事な友だ。だから奴の気持ちも分かるし汲んでやりたい。もちろん君も大事な人だけど…。身勝手なことだが、すまない。わかってくれないか?」
「わ……わかりました……」
「ただ、武器の扱いについては指導できないけど、馬術に関してはこれまで通り力になるから」
「は、はいっ!…お願いしますね…」
「……」
ソワレは眉を下げてはいたが笑みを絶やさずに名前の背をさすった。再び丸くなった背は明らかに落胆の重荷を背負ってしまったが、止めた歩みを再開させるくらいには力を与えてくれるのだった。