#10.夜道は気をつけてね
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一刻も早く不穏な空気を振り払うためにも屍島を出たかったが、日は沈みきり、帰りの船を出すことも適わなくなった。
仕方なく、洋館を離れると広い丘を探して簡易陣営を作り、一夜を明かすことになった。
天幕の中で休みを取っていた名前だったが、話し合いから帰ってきたクロムを出迎えて立ち上がる。
「さっきの人は…」
「わからん。…ルフレにも、心当たりはないようだ。…当たり前か…あいつはまだ、記憶が戻ったわけじゃないからな」
「ルフレさん…」
自警団の中でも瞬く間に話は広がっていた。ルフレの存在を疑問視する声こそ上がらないが、それでもこの謎の答えを知るものなどいない。一番不安だろうルフレも、今は一人にしてくれと告げて陣を離れていった。その後ろ姿を不安そうに見ていた彼の愛妻は自分のことのように苦痛そうな面もちで、今も陣の出入り口で夫の帰り待っている。
「クロム様…ルフレさんのこと…」
「あぁ。もう一度様子を見てくる」
「……」
「大丈夫。ルフレはルフレだ。あの男が何者だろうと…今まで俺達を助けてくれたのはあいつだということに変わりない。お前もあまり考えすぎるなよ」
「…はい」
黒髪を撫で、強く微笑みかけるクロムに名前も同じく笑みで返した。
もう一度出て行ったクロムを送って、名前は荷物の中からエメリナの弓を取り出した。
今は弓術を極めるのではなく、沢山の武芸を身に付けている最中だ。とはいえ、置いていくにはあまりにも心寂しくいつも傍らに置いてある。
何かが動き始めている。
そんな予感は、愚鈍な名前にだって感じ取れていた。
弓を抱え、どうかそれが杞憂であることを願うしかない。
騒ぎが起こったのは、それから後すぐだ。護衛に付いていたティアモに連れ出され、皆と合流したときには屍兵の軍団に取り囲まれていた。しかし、クロムもルフレも既に戦いに出ていて、名前は追いかけることから始まっていた。
刀を抜き、襲いかかる屍兵の胴をなぎ払う。肉を裂き、骨を穿ったはずなのに、胴体の太い屍兵はにやりと笑うだけで、その手の斧を振った。かろうじて距離を保つも、血深泥のまま相手は名前を追いつめる。
が、後ろから飛んできた投げ斧が男の太い背骨を砕いた。反動で屍兵は倒れる。
「名前さん、大丈夫!?」
「…っ!」
あぁ、リズ様!
名前は心の中で相手に感謝を述べ、ほっと息吐き相手に微笑んだ。リズも無事を確認出来るとにこと笑む。
「リズ様、クロム様は…」
「私、見てないよ。もっと奥の方かも…」
「いたわ!」
黒天馬に乗り込んだティアモが空中から声を上げる。彼女は仰ぐ名前と目が合うと、指して方向を示した。
「…っティアモさん!」
きゃあっとリズの悲鳴が上がる。
空に向かって一矢が放たれていた。名前は丘の上から弓兵が天馬を狙っている事実を知って呼びかけるが、空の上で何が起こったのかはわからない。ティアモはふらふらと天馬を走らせてこの場を離れていった。
私、見てくるね!と、リズが手斧を回収して大急ぎで駆けていった。名前は尚も射掛ける相手の動向を見る。長距離用の大きな弓を確認すれば、名前は今、手元に弓を持たなかった自分に苛立ちを覚える。夜とは言え、此処からでも頭が見えるのだ。
しかし、次の獲物を探していたらしい弓歩兵は、慌てふためく様子を見せるとバタリと倒れ込んで視界から消えた。
何が起こったのかわからず踵をあげてみたが、いきなり後ろからぽんと肩を叩かれて名前は飛び跳ねた。
「っさ、サーリャさん…!」
「…ぼうっとしてると危ないわよ」
「ごめんなさい…!…もしかして、さっきのはサーリャさんが?」
「ちがうよ~!ボクがやったんだぁ」
「!!」
サーリャの後ろからひょいっと顔を出した笑顔の少年に、名前はまたも驚いて後退した。全く気配を伺えなかったのだ。
この場に似つかわしくない笑みを絶やさない存在に首を捻る名前はサーリャに目線で問いかけた。彼女は後ろの少年を鬱陶しそうに見て、名前の疑問に応えることもなく歩き出すのだった。
「あ…あの…」
「あっ、自己紹介?ボクはヘンリー!よろしくね~」
「あ…ど、どうも…」
手を差し出されたので名前も握手を交わす。冷たい手のひらからぎゅうっと握られてぶんぶんと振られた。
行くわよ、と、きつい口調でサーリャから命じられ、ヘンリーは大きな声で返事をして駆けていく。サーリャは名前にも同じく冷たい目線を投げかける。どうやら前を歩けと言うらしい。
クロムを追いかけたい名前だが、呪術師二人を無視するわけにもいかず、ヘンリーに倣って急ぎ足で駆けるのだった。
結局、慣れぬ剣技を操る名前にサーリャとヘンリーの二人に幾度も助けられた。
そうしてようやく事態が落ち着きを取り戻した折り、サーリャとヘンリーに別れを告げて、名前は引き続きクロムを探しにかかる。
ティアモの指した場所へ赴けば、そこには困惑顔のルフレと口をへの字に曲げたフレデリクが待っていた。
「ルフレさん!」
「あっ!…名前…!」
ギクリ、とルフレは肩を震わせて名前を出迎えた。そんな相手の常とは違う雰囲気に二度ほど首を捻るが、問いかけることはない。
冷たくなった指輪の存在を確かめて後、名前は息を整えて軍師に詰め寄る。
「クロム様は…!?ご一緒じゃ…」
「う、うん…その、さっきまで一緒だったのだけど…暗殺者が」
「暗殺者!?」
「あっ!いや、クロムは無事なんだ。…ほら、君も知っているかな。蒼髪の女剣士の子が助けてくれて…」
「…マルスさん、が?」
しどろもどろに説明するルフレの姿は普段とは似付かわしくない。例の件を引きずっているのかと怪しむが、何処か慌てている様子。
名前は再度彼に詰め寄った。
「クロム様は?」
「えっと、その…」
「…クロム様はあちらに」
「フレデリク!」
今まで閉口していた重騎士に、名前はありがとう、と礼を述べて駆けだした。
「ふっフレデリク…!今はちょっとまずいよ…!」
「…?…何故です?名前さんなら恩人に挨拶したいでしょう」
「あぁっもうっ」
主人を襲われ守護できなかったという反省を終えたらしい彼は小首を傾げてルフレに訪ね返した。が、煮え切らない軍師はそれを無視して少女を追いかけるのだった。
名前の足が固まったのは、夫の無事を確認出来たということではなく、彼の胸元に在る少女剣士の姿を目の当たりにしたからだった。
自分に気が付かない二人は何事か囁き合い、マルスは溢れんばかりの涙を流してクロムにすがりつき、クロムはそんな華奢な背を優しく抱いている。
何が起こっているのか、と、あらゆる想定を打ち出そうとするも、意図的に最終結論を出したがらない。
繰り返し繰り返し同じ言葉を浮かんでは打ち消す。そんな、思考停止した名前を救ったのはルフレだった。
こちらにも説明してくれ、と、冷静に訪ねる青年に、クロムとマルスはようやく名前の存在に気が付いて同じ色彩の瞳を瞬かせた。
「…名前!無事だったか…よかった」
「………………」
「名前?」
こほん、というルフレの咳払いに気づき、慌ててクロムから離れた少女は涙を拭い、クロムに向き直る。
「全てお話します」
「いいのか?るっ……マルス」
「…いいえ、お父様。その名はもう…」
「おっ…!?」
お父様。
名前は自分の耳を疑った。
確かにクロムに向かって放たれた言葉に、名前は再度クロムを睨みつけた。
クロムはそんな、怒りを滲ます黒い瞳にたじたじと後退する。
「な、何を怒っている?そんなに戦いは危なかったのか?」
「名前、落ち着いて…!」
ぎりぎりぎりぎりと歯を噛み合わせる名前に、ルフレが横槍を入れた。しかし、その甲斐無く名前は涙目になって俯き出す。徐々に後退していく足先を見て、少女剣士が声を上げる。
「待ってください!…どうか、話を聞いてください」
「っ!」
綺麗な瞳だった。強烈な青い視線に名前は目を奪われ、そんな名前の驚きに少女は照れたように首を振る。
「私の名は…ルキナ。これよりずっと先の未来からやってきました」
「…え?」
ルキナ。
名前は忘れたはずもない。自分がお腹を痛めて初めて授かった愛娘の名だ。
確かに彼女は父となるクロムと同じ青い髪、顔立ちが似ている。
どういうことなの、とクロムを見れば、夫は頭を柔く掻いた。彼が言うには、目の前のルキナの持つ剣は間違いなくイーリスの至宝ファルシオンであるということ。
彼女は語る。自分の知る未来は一筋の光も無い絶望の世界だと。
大地には屈強な屍兵がしがらみ無くのさばる。人々は恐怖に晒され、多大な犠牲を生み、僅かとなった生き残りが肩を寄せ合って生きている。
契機となったのは聖王エメリナの死からだと語られる。
彼女の語る史実は間違いなく今のクロム達を取り巻く情勢そのものを知り尽くしていた。
クロムは既に信じることを決めたのか戸惑いは少ないが、ルフレやフレデリクは冷静な顔色を崩さないが言葉数少なく混乱しているようだ。
しかし、此処で一つの明るい声が挙がった。
リズである。彼女は追いつき様に話を伺っていたが、かつて自分の窮地を救ってくれたマルスが嘘を吐くはずがないと答えた。
その言葉に、ルフレもフレデリクもようやく笑みを見せた。
ルキナは弱々しく微笑んだ。それから、ただ一人、何も言わない名前へ視線を投げかける。緊張した面もちなのは、彼女の問答一つで自分の価値を決める為だ。
名前は恥ずかしそうに一度頷いた。
「…私も…信じる…」
「…っ」
「この世界では何が起こっても不思議じゃないから……私だって、元々この世界の人間じゃないし…」
「…名前…さん」
「……」
それから名前はじっとルキナを見た。目を伏せ、もじもじと居辛そうにする少女に、名前は物寂しさを感じる。
「…ごめんなさい」
「えっ!」
「ずっと貴方は助けてくれていたのに…気付いてあげられなくて…」
「そんな…そんなこと…!」
「怖かった、でしょう?」
「!」
「知らない世界で…一人ぼっちで……私には、わかる。一人は…怖かったから…」
「…っ…」
「でも、これからは一緒だから。……ずっと一緒に…貴方のこと、守るから…」
「お、…お母様…っ」
くしゃり、と顔を歪ませると、ルキナは名前にすがりついた。か細い体を受け入れて、名前はぽろぽろとこぼれる涙で濡れる頭を肩に押しつけた。それだけで我が子がどんなに辛苦を受けていたのかが伺える。頭を撫でられ、苦しそうに息を乱すルキナに、名前はもらい泣く。
「ありがとう…会いに、来てくれて……元気に育ってくれて、本当によかった…っ」
「お、おかあ、さま…!…っず、ずっと、ずっと会いたくて…っおはなし、したくて…っ…おかあさま…っ…おかあさま…!」
「うん…うん…」
母を恋う娘の呼び掛けに、名前はずっと答え続けた。
そんな二人に、クロムはそっと寄り添う。名前の肩を抱き、泣きすがる娘の背を撫でて慰める。
親子の邂逅は、その絆を確かなものにするまで、いつまでも身を寄せ合うのだった。
親子三人で寝ましょう、と提案をしたのは珍しくも名前からだった。新たな楽しみを見つけたように、ウキウキと身を弾ませて夫と娘の先導をする名前だったが、当のルキナはいまだ恥ずかしそうに指先をこすり合わせた。
「い、いいのでしょうか?私も一緒に…なんて…」
「何を今更。遠慮なんかするな」
「そうですよ!……私、親子三人で川の字になって寝るの、憧れてたから…つきあってほしいな」
「うふふ…はい、そのお話は何度も聞きました。…ですが、私はその…あなた方の本当の娘ではありませんし…」
未来から来たという事実は、血の繋がりを証明したとしても、本物の親子と言えるのだろうか、とルキナは考える。
しかし、これに血相を変えたのは親の二人だ。
「何言ってるの!」
「…っ」
「お前は俺達の娘だ。そうだろう?」
「ですが、この時代に…あなた方の本当のルキナが…」
「えぇ。その子も貴方も…どちらも大事なの」
「そうだ。お前も変な気を回すな」
「は…はい。ありがとうございます」
それでも躊躇いを見せるルキナの姿に、名前はクロムと顔を合わせる。こちらの身勝手な意志を押しつけたくはない。自分たちが気にはしなくても、ルキナ自身の心境は違うかもしれないのだ。
彼女が言う、自分は本当の娘ではないのなら、親であるクロムも名前も、彼女の本物の親ではないということになる。
「…無理に付き合わなくても…いいんだぞ?」
「いいえ!違います!あの…以前お父様から、夜は夫婦の時間だから、と…聞かされていたものですから」
「!」
「な、なに?」
これには二人して目を丸くした。もう一度顔を見合わせ、お互い顔が赤くなる。
「お父様もお母様も、時間があるときは私達に付きっきりでしたから。ですから夜だけはお二人の邪魔をしないように…と」
「そ、そんなことを未来の俺は言ったのか!?」
「えぇ、はい。私の目から見てもとても仲睦まじく…よく城を抜け出してお二人で散策していましたよ」
「あ…あぁ、さ…散歩か」
「……」
名前は口を閉ざして苦い顔だ。未来の己は、子供にまで惚気てしまうのかと羞恥心を感じているのだ。しかし、ルキナの「だから邪魔をしたくない」と一歩引く姿勢がむず痒い。名前はがっと彼女の腕を掴んだ。
「え、え?」
「…じゃあ今日はルキナちゃんと寝る」
「えっ!?」
「!?」
「…それじゃあ駄目…?」
「あっいや、そんな…」
名前のおねだりに、ルキナは赤くなって俯きだした。その顔は徐々に緩み、嬉しそうに口角が上がっていく。
「待て!俺はどうなる?」
「……。…おひとりでお休みください」
「おいおい!…ならルキナ!今日は俺と寝よう!」
「えぇっ!?」
「こんな年頃の女の子に向かって何言ってるんですか!!」
「…やはりまずいよな」
「当たり前です!!」
「あの、お母様、私のことはお構いなく!お父様とお休みください」
「いや!今日はルキナちゃんと寝る!」
「名前!それはずるいだろう!」
名前はルキナを抱き締めてクロムと相対する。クロムの方は苦虫を噛みしめたようにそんな母娘を目にする。
「お前はさっきからおかしいぞ?俺が何かしたのか?」
「………」
「うふふっお母様はさっき私とお父様のことを勘違いなさったから…だから気まずいのでは?」
「っ!?」
「ん?そうなのか?」
「まさか私が娘だなんてわかりませんよね。…でも、そのためにお二人が仲違いするのは…嫌です」
「る…ルキナちゃん」
名前の拘束を優しく解き、ルキナは微笑んで手を離す。
「いつも仲の良いお二人でいてください。お願いです」
「………」
「そうだな」
「く、クロムさま」
「娘の我が儘だ。聞くしかないだろう?」
「……」
「すまないな、ルキナ。心配をかけて」
「いいえ!…おやすみなさい、お父様、お母様」
「あっあ…る、ルキナちゃん…」
にこ、と微笑んで、ルキナは二人の前から颯爽と歩いて行ってしまった。
追いすがる名前の後ろ首を掴み、クロムは憮然とした態度に変わる。
「…まさか今更嫉妬だなんてな」
「…………」
「毎日毎日俺の気持ちを表してきたつもりだったんだが」
「…………」
「どうやら…まだまだ足りないようだな?」
「………あ…あの…」
「ん?」
「明日も行軍だから…あの…」
「聞いていただろう?ルキナが言うには…夜は俺達の時間らしい」
「………」
「安心しろ。お前の不安が消え去るくらいに……たっぷり愛してやるから」
直接耳にふっと熱い吐息を吹きかけられて、ひっ、と悲鳴をあげて仰け反った。その様子にクロムは大口をあげて笑う。
「冗談だ。だがな、妙な勘ぐりはするなよ」
「もうっ…からかわないでください…」
「さっきのお返しだ。俺だって慌てたんだからな。俺一人置いてけぼりだなんて」
「……だって」
「ん?」
「ルキナちゃん…すごく可愛かったから…」
「……」
「あんな風に…育ってくれるんだって…優しくて、強くて、賢くて…クロム様に似てくれて、よかったって……」
「…名前にだって似ているさ」
「ううん………ねぇ、クロム様」
「うん?」
「未来の私達は…あの子に、あんな過酷なことを背負わせてしまったんですよね…」
「…あぁ。認めたくはないが…俺もお前もルキナを残して…」
「……守りましょうね…あの子の未来のためにも……」
「あぁ、勿論だ。俺達でならきっと運命を変えられる」
名前は肩を抱くクロムの胸元に縋る。それから、既に消えてしまった愛娘の後ろ姿を目で追いかけた。
彼女の辿った道程は、どれほど奇怪で不安定だったか。
そして知っているのだ。
彼女は絶望の光景を。
名前は強く指先に力を込めた。愛する夫と共に約束を交わし、その思いを強くする。
娘を守るのだと。
これから先、苦難が待ち受けていることを知って不安を感じない分けがない。
しかしこの思いが不思議と恐ろしさを打ち消してくれた。
この出会いこそが運命だった。
名前はこちらの世界に招かれたときのように、特別大切な時節が訪れたのだと感じていたのだった。
仕方なく、洋館を離れると広い丘を探して簡易陣営を作り、一夜を明かすことになった。
天幕の中で休みを取っていた名前だったが、話し合いから帰ってきたクロムを出迎えて立ち上がる。
「さっきの人は…」
「わからん。…ルフレにも、心当たりはないようだ。…当たり前か…あいつはまだ、記憶が戻ったわけじゃないからな」
「ルフレさん…」
自警団の中でも瞬く間に話は広がっていた。ルフレの存在を疑問視する声こそ上がらないが、それでもこの謎の答えを知るものなどいない。一番不安だろうルフレも、今は一人にしてくれと告げて陣を離れていった。その後ろ姿を不安そうに見ていた彼の愛妻は自分のことのように苦痛そうな面もちで、今も陣の出入り口で夫の帰り待っている。
「クロム様…ルフレさんのこと…」
「あぁ。もう一度様子を見てくる」
「……」
「大丈夫。ルフレはルフレだ。あの男が何者だろうと…今まで俺達を助けてくれたのはあいつだということに変わりない。お前もあまり考えすぎるなよ」
「…はい」
黒髪を撫で、強く微笑みかけるクロムに名前も同じく笑みで返した。
もう一度出て行ったクロムを送って、名前は荷物の中からエメリナの弓を取り出した。
今は弓術を極めるのではなく、沢山の武芸を身に付けている最中だ。とはいえ、置いていくにはあまりにも心寂しくいつも傍らに置いてある。
何かが動き始めている。
そんな予感は、愚鈍な名前にだって感じ取れていた。
弓を抱え、どうかそれが杞憂であることを願うしかない。
騒ぎが起こったのは、それから後すぐだ。護衛に付いていたティアモに連れ出され、皆と合流したときには屍兵の軍団に取り囲まれていた。しかし、クロムもルフレも既に戦いに出ていて、名前は追いかけることから始まっていた。
刀を抜き、襲いかかる屍兵の胴をなぎ払う。肉を裂き、骨を穿ったはずなのに、胴体の太い屍兵はにやりと笑うだけで、その手の斧を振った。かろうじて距離を保つも、血深泥のまま相手は名前を追いつめる。
が、後ろから飛んできた投げ斧が男の太い背骨を砕いた。反動で屍兵は倒れる。
「名前さん、大丈夫!?」
「…っ!」
あぁ、リズ様!
名前は心の中で相手に感謝を述べ、ほっと息吐き相手に微笑んだ。リズも無事を確認出来るとにこと笑む。
「リズ様、クロム様は…」
「私、見てないよ。もっと奥の方かも…」
「いたわ!」
黒天馬に乗り込んだティアモが空中から声を上げる。彼女は仰ぐ名前と目が合うと、指して方向を示した。
「…っティアモさん!」
きゃあっとリズの悲鳴が上がる。
空に向かって一矢が放たれていた。名前は丘の上から弓兵が天馬を狙っている事実を知って呼びかけるが、空の上で何が起こったのかはわからない。ティアモはふらふらと天馬を走らせてこの場を離れていった。
私、見てくるね!と、リズが手斧を回収して大急ぎで駆けていった。名前は尚も射掛ける相手の動向を見る。長距離用の大きな弓を確認すれば、名前は今、手元に弓を持たなかった自分に苛立ちを覚える。夜とは言え、此処からでも頭が見えるのだ。
しかし、次の獲物を探していたらしい弓歩兵は、慌てふためく様子を見せるとバタリと倒れ込んで視界から消えた。
何が起こったのかわからず踵をあげてみたが、いきなり後ろからぽんと肩を叩かれて名前は飛び跳ねた。
「っさ、サーリャさん…!」
「…ぼうっとしてると危ないわよ」
「ごめんなさい…!…もしかして、さっきのはサーリャさんが?」
「ちがうよ~!ボクがやったんだぁ」
「!!」
サーリャの後ろからひょいっと顔を出した笑顔の少年に、名前はまたも驚いて後退した。全く気配を伺えなかったのだ。
この場に似つかわしくない笑みを絶やさない存在に首を捻る名前はサーリャに目線で問いかけた。彼女は後ろの少年を鬱陶しそうに見て、名前の疑問に応えることもなく歩き出すのだった。
「あ…あの…」
「あっ、自己紹介?ボクはヘンリー!よろしくね~」
「あ…ど、どうも…」
手を差し出されたので名前も握手を交わす。冷たい手のひらからぎゅうっと握られてぶんぶんと振られた。
行くわよ、と、きつい口調でサーリャから命じられ、ヘンリーは大きな声で返事をして駆けていく。サーリャは名前にも同じく冷たい目線を投げかける。どうやら前を歩けと言うらしい。
クロムを追いかけたい名前だが、呪術師二人を無視するわけにもいかず、ヘンリーに倣って急ぎ足で駆けるのだった。
結局、慣れぬ剣技を操る名前にサーリャとヘンリーの二人に幾度も助けられた。
そうしてようやく事態が落ち着きを取り戻した折り、サーリャとヘンリーに別れを告げて、名前は引き続きクロムを探しにかかる。
ティアモの指した場所へ赴けば、そこには困惑顔のルフレと口をへの字に曲げたフレデリクが待っていた。
「ルフレさん!」
「あっ!…名前…!」
ギクリ、とルフレは肩を震わせて名前を出迎えた。そんな相手の常とは違う雰囲気に二度ほど首を捻るが、問いかけることはない。
冷たくなった指輪の存在を確かめて後、名前は息を整えて軍師に詰め寄る。
「クロム様は…!?ご一緒じゃ…」
「う、うん…その、さっきまで一緒だったのだけど…暗殺者が」
「暗殺者!?」
「あっ!いや、クロムは無事なんだ。…ほら、君も知っているかな。蒼髪の女剣士の子が助けてくれて…」
「…マルスさん、が?」
しどろもどろに説明するルフレの姿は普段とは似付かわしくない。例の件を引きずっているのかと怪しむが、何処か慌てている様子。
名前は再度彼に詰め寄った。
「クロム様は?」
「えっと、その…」
「…クロム様はあちらに」
「フレデリク!」
今まで閉口していた重騎士に、名前はありがとう、と礼を述べて駆けだした。
「ふっフレデリク…!今はちょっとまずいよ…!」
「…?…何故です?名前さんなら恩人に挨拶したいでしょう」
「あぁっもうっ」
主人を襲われ守護できなかったという反省を終えたらしい彼は小首を傾げてルフレに訪ね返した。が、煮え切らない軍師はそれを無視して少女を追いかけるのだった。
名前の足が固まったのは、夫の無事を確認出来たということではなく、彼の胸元に在る少女剣士の姿を目の当たりにしたからだった。
自分に気が付かない二人は何事か囁き合い、マルスは溢れんばかりの涙を流してクロムにすがりつき、クロムはそんな華奢な背を優しく抱いている。
何が起こっているのか、と、あらゆる想定を打ち出そうとするも、意図的に最終結論を出したがらない。
繰り返し繰り返し同じ言葉を浮かんでは打ち消す。そんな、思考停止した名前を救ったのはルフレだった。
こちらにも説明してくれ、と、冷静に訪ねる青年に、クロムとマルスはようやく名前の存在に気が付いて同じ色彩の瞳を瞬かせた。
「…名前!無事だったか…よかった」
「………………」
「名前?」
こほん、というルフレの咳払いに気づき、慌ててクロムから離れた少女は涙を拭い、クロムに向き直る。
「全てお話します」
「いいのか?るっ……マルス」
「…いいえ、お父様。その名はもう…」
「おっ…!?」
お父様。
名前は自分の耳を疑った。
確かにクロムに向かって放たれた言葉に、名前は再度クロムを睨みつけた。
クロムはそんな、怒りを滲ます黒い瞳にたじたじと後退する。
「な、何を怒っている?そんなに戦いは危なかったのか?」
「名前、落ち着いて…!」
ぎりぎりぎりぎりと歯を噛み合わせる名前に、ルフレが横槍を入れた。しかし、その甲斐無く名前は涙目になって俯き出す。徐々に後退していく足先を見て、少女剣士が声を上げる。
「待ってください!…どうか、話を聞いてください」
「っ!」
綺麗な瞳だった。強烈な青い視線に名前は目を奪われ、そんな名前の驚きに少女は照れたように首を振る。
「私の名は…ルキナ。これよりずっと先の未来からやってきました」
「…え?」
ルキナ。
名前は忘れたはずもない。自分がお腹を痛めて初めて授かった愛娘の名だ。
確かに彼女は父となるクロムと同じ青い髪、顔立ちが似ている。
どういうことなの、とクロムを見れば、夫は頭を柔く掻いた。彼が言うには、目の前のルキナの持つ剣は間違いなくイーリスの至宝ファルシオンであるということ。
彼女は語る。自分の知る未来は一筋の光も無い絶望の世界だと。
大地には屈強な屍兵がしがらみ無くのさばる。人々は恐怖に晒され、多大な犠牲を生み、僅かとなった生き残りが肩を寄せ合って生きている。
契機となったのは聖王エメリナの死からだと語られる。
彼女の語る史実は間違いなく今のクロム達を取り巻く情勢そのものを知り尽くしていた。
クロムは既に信じることを決めたのか戸惑いは少ないが、ルフレやフレデリクは冷静な顔色を崩さないが言葉数少なく混乱しているようだ。
しかし、此処で一つの明るい声が挙がった。
リズである。彼女は追いつき様に話を伺っていたが、かつて自分の窮地を救ってくれたマルスが嘘を吐くはずがないと答えた。
その言葉に、ルフレもフレデリクもようやく笑みを見せた。
ルキナは弱々しく微笑んだ。それから、ただ一人、何も言わない名前へ視線を投げかける。緊張した面もちなのは、彼女の問答一つで自分の価値を決める為だ。
名前は恥ずかしそうに一度頷いた。
「…私も…信じる…」
「…っ」
「この世界では何が起こっても不思議じゃないから……私だって、元々この世界の人間じゃないし…」
「…名前…さん」
「……」
それから名前はじっとルキナを見た。目を伏せ、もじもじと居辛そうにする少女に、名前は物寂しさを感じる。
「…ごめんなさい」
「えっ!」
「ずっと貴方は助けてくれていたのに…気付いてあげられなくて…」
「そんな…そんなこと…!」
「怖かった、でしょう?」
「!」
「知らない世界で…一人ぼっちで……私には、わかる。一人は…怖かったから…」
「…っ…」
「でも、これからは一緒だから。……ずっと一緒に…貴方のこと、守るから…」
「お、…お母様…っ」
くしゃり、と顔を歪ませると、ルキナは名前にすがりついた。か細い体を受け入れて、名前はぽろぽろとこぼれる涙で濡れる頭を肩に押しつけた。それだけで我が子がどんなに辛苦を受けていたのかが伺える。頭を撫でられ、苦しそうに息を乱すルキナに、名前はもらい泣く。
「ありがとう…会いに、来てくれて……元気に育ってくれて、本当によかった…っ」
「お、おかあ、さま…!…っず、ずっと、ずっと会いたくて…っおはなし、したくて…っ…おかあさま…っ…おかあさま…!」
「うん…うん…」
母を恋う娘の呼び掛けに、名前はずっと答え続けた。
そんな二人に、クロムはそっと寄り添う。名前の肩を抱き、泣きすがる娘の背を撫でて慰める。
親子の邂逅は、その絆を確かなものにするまで、いつまでも身を寄せ合うのだった。
親子三人で寝ましょう、と提案をしたのは珍しくも名前からだった。新たな楽しみを見つけたように、ウキウキと身を弾ませて夫と娘の先導をする名前だったが、当のルキナはいまだ恥ずかしそうに指先をこすり合わせた。
「い、いいのでしょうか?私も一緒に…なんて…」
「何を今更。遠慮なんかするな」
「そうですよ!……私、親子三人で川の字になって寝るの、憧れてたから…つきあってほしいな」
「うふふ…はい、そのお話は何度も聞きました。…ですが、私はその…あなた方の本当の娘ではありませんし…」
未来から来たという事実は、血の繋がりを証明したとしても、本物の親子と言えるのだろうか、とルキナは考える。
しかし、これに血相を変えたのは親の二人だ。
「何言ってるの!」
「…っ」
「お前は俺達の娘だ。そうだろう?」
「ですが、この時代に…あなた方の本当のルキナが…」
「えぇ。その子も貴方も…どちらも大事なの」
「そうだ。お前も変な気を回すな」
「は…はい。ありがとうございます」
それでも躊躇いを見せるルキナの姿に、名前はクロムと顔を合わせる。こちらの身勝手な意志を押しつけたくはない。自分たちが気にはしなくても、ルキナ自身の心境は違うかもしれないのだ。
彼女が言う、自分は本当の娘ではないのなら、親であるクロムも名前も、彼女の本物の親ではないということになる。
「…無理に付き合わなくても…いいんだぞ?」
「いいえ!違います!あの…以前お父様から、夜は夫婦の時間だから、と…聞かされていたものですから」
「!」
「な、なに?」
これには二人して目を丸くした。もう一度顔を見合わせ、お互い顔が赤くなる。
「お父様もお母様も、時間があるときは私達に付きっきりでしたから。ですから夜だけはお二人の邪魔をしないように…と」
「そ、そんなことを未来の俺は言ったのか!?」
「えぇ、はい。私の目から見てもとても仲睦まじく…よく城を抜け出してお二人で散策していましたよ」
「あ…あぁ、さ…散歩か」
「……」
名前は口を閉ざして苦い顔だ。未来の己は、子供にまで惚気てしまうのかと羞恥心を感じているのだ。しかし、ルキナの「だから邪魔をしたくない」と一歩引く姿勢がむず痒い。名前はがっと彼女の腕を掴んだ。
「え、え?」
「…じゃあ今日はルキナちゃんと寝る」
「えっ!?」
「!?」
「…それじゃあ駄目…?」
「あっいや、そんな…」
名前のおねだりに、ルキナは赤くなって俯きだした。その顔は徐々に緩み、嬉しそうに口角が上がっていく。
「待て!俺はどうなる?」
「……。…おひとりでお休みください」
「おいおい!…ならルキナ!今日は俺と寝よう!」
「えぇっ!?」
「こんな年頃の女の子に向かって何言ってるんですか!!」
「…やはりまずいよな」
「当たり前です!!」
「あの、お母様、私のことはお構いなく!お父様とお休みください」
「いや!今日はルキナちゃんと寝る!」
「名前!それはずるいだろう!」
名前はルキナを抱き締めてクロムと相対する。クロムの方は苦虫を噛みしめたようにそんな母娘を目にする。
「お前はさっきからおかしいぞ?俺が何かしたのか?」
「………」
「うふふっお母様はさっき私とお父様のことを勘違いなさったから…だから気まずいのでは?」
「っ!?」
「ん?そうなのか?」
「まさか私が娘だなんてわかりませんよね。…でも、そのためにお二人が仲違いするのは…嫌です」
「る…ルキナちゃん」
名前の拘束を優しく解き、ルキナは微笑んで手を離す。
「いつも仲の良いお二人でいてください。お願いです」
「………」
「そうだな」
「く、クロムさま」
「娘の我が儘だ。聞くしかないだろう?」
「……」
「すまないな、ルキナ。心配をかけて」
「いいえ!…おやすみなさい、お父様、お母様」
「あっあ…る、ルキナちゃん…」
にこ、と微笑んで、ルキナは二人の前から颯爽と歩いて行ってしまった。
追いすがる名前の後ろ首を掴み、クロムは憮然とした態度に変わる。
「…まさか今更嫉妬だなんてな」
「…………」
「毎日毎日俺の気持ちを表してきたつもりだったんだが」
「…………」
「どうやら…まだまだ足りないようだな?」
「………あ…あの…」
「ん?」
「明日も行軍だから…あの…」
「聞いていただろう?ルキナが言うには…夜は俺達の時間らしい」
「………」
「安心しろ。お前の不安が消え去るくらいに……たっぷり愛してやるから」
直接耳にふっと熱い吐息を吹きかけられて、ひっ、と悲鳴をあげて仰け反った。その様子にクロムは大口をあげて笑う。
「冗談だ。だがな、妙な勘ぐりはするなよ」
「もうっ…からかわないでください…」
「さっきのお返しだ。俺だって慌てたんだからな。俺一人置いてけぼりだなんて」
「……だって」
「ん?」
「ルキナちゃん…すごく可愛かったから…」
「……」
「あんな風に…育ってくれるんだって…優しくて、強くて、賢くて…クロム様に似てくれて、よかったって……」
「…名前にだって似ているさ」
「ううん………ねぇ、クロム様」
「うん?」
「未来の私達は…あの子に、あんな過酷なことを背負わせてしまったんですよね…」
「…あぁ。認めたくはないが…俺もお前もルキナを残して…」
「……守りましょうね…あの子の未来のためにも……」
「あぁ、勿論だ。俺達でならきっと運命を変えられる」
名前は肩を抱くクロムの胸元に縋る。それから、既に消えてしまった愛娘の後ろ姿を目で追いかけた。
彼女の辿った道程は、どれほど奇怪で不安定だったか。
そして知っているのだ。
彼女は絶望の光景を。
名前は強く指先に力を込めた。愛する夫と共に約束を交わし、その思いを強くする。
娘を守るのだと。
これから先、苦難が待ち受けていることを知って不安を感じない分けがない。
しかしこの思いが不思議と恐ろしさを打ち消してくれた。
この出会いこそが運命だった。
名前はこちらの世界に招かれたときのように、特別大切な時節が訪れたのだと感じていたのだった。