#02.もう…我慢しないで
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もうすぐ陽が昇るだろう。
変わらない時間の流れなのに、時が刻まれていく度に名前は戦慄した。一秒一秒が精神を削り、その都度ざわつく身体を抱き締める。
家族は何をして、何を思っているだろう。そして多大な心労を与える自分は親不孝者だ。
名前は、明るくなる視界を睨みつけて、自分を責めるしか時を過ごせなかった。
せめて夢ならば。名前は何度願ったかわからない。
だが安楽の中に逃げることも、悪夢から覚めることもない。目を閉じて名前を出迎えるのはただの黒だ。それも光が混じる。
陽は、昇ってしまった。
それが現実だと告げるように。
「おはよう、名前さん!」
「おはよう…ございます」
「ちょっとの間だけだけど、ちゃんと眠れました?」
「………」
ざわざわと身じろぐ音をきっかけに、名前が身体を起こすと髪を束ね始めた少女が昨日と変わらずににこやかに挨拶した。名前も目を伏せ、上半身を曲げてお辞儀を返す。リズの問いには答えなかったが口角をあげて頷いておいた。彼女はよかった、と嬉しそうに応える。
「今日はもう少し歩くとイーリスの城下町に着きますから!それまで頑張りましょっ」
「……」
名前は変わらず弱い微笑みを浮かべ、頷いた。
リズの側にいると安心出来た。
彼女は彼女自身が放つ無邪気な空気で名前という異端を見ない。無意識の内なのだろうが、それがどれほど安心できるか。少なくとも名前が一晩の内に懐柔してしまう理由にはなった。
名前も準備をしようと制服のポケットを叩いてみる。が、特にこれといったものを手持ちしてない。触り癖のある携帯電話を含んだ大体の荷物は置いてけぼりにした鞄の中だ。あるのはハンカチとティッシュくらいだろう。
仕方なく手持ち無沙汰に名前はリズの準備を待つ。
少女は片手で髪をいじり、もう片方で手鏡を持つという、手一杯さで悪戦苦闘していた。愛らしくも難しい顔がつるりとした面で反射している。
名前は手鏡をそっと奪った。リズはきょとんとしたが、名前の気持ちを察したのかぱっと華やぐ笑顔を浮かべた。
「あっありがとう!」
名前は首を振った。少女への、精一杯の礼だった。
リズは空いた手を満遍なく使い、ツインテールを完成させて複雑そうな髪飾りで覆うと満足げに名前と鏡に笑って頷いた。
「お嬢さん。こちらにも可愛らしいお顔と共に鏡を向けてくれないかな?」
「……は?」
名前は寒気を感じつつ首を二度捻り、一応鏡を持つ該当者として声をかけた方を向いた。
そこには長身の、昨日装甲の男に連れとして間違われた方の男がいた。何を考えているかわからない含みのある微笑みを浮かべて胸に手を当てている。
名前はとりあえず鏡を向けてやった。男はあぁ、と大袈裟に感嘆符をあげて緩やかに動き出す。
「感謝するよ。婦女子の準備を妨げるのはどうかと思ったのだけど、生憎私の愛用していた鏡を壊したばかりでね。とても大事にしていたものだったのだけど」
「………」
「……。…えぇっと、苗字君…だったね」
「…はい」
「何故、壊れたのだとか、そういう質問はないのかい?」
「え…?……どうしてですか?」
「よくぞ聞いてくれたね」
「……」
「昨日のことだ…なんとも不運なことに優雅な旅を送っていた私は、突如現れた化け物に襲われてしまって。果敢に応戦したのだけど、多勢に無勢でね」
「……」
「じゃあ戦ってるときに壊されちゃったんですね?」
「いや。逃げるときに落として割れてしまったのさ」
「…………」
「…それってヴィオールさんの不注意なんじゃ?」
「貴族的にも、そう言うだろうね」
「…………」
リズは苦笑いをたてた。しかし名前は無表情を装いながらも、歯を食いしばる。心に沸き上がるものを必死で抑え込み、なかったことになんとかした。ヴィオールの話に吹き出してしまいそうになったが、意気消沈していた分が勝ったらしい。
「おっと。仕度がまだだった。ちょっと待ってくれるかい?」
「……」
男は鼻歌を口ずさみながら髪を整え、真っ白なスカーフを首に巻いてその調節に時間をかけた。名前も角度を合わせたりと手伝ってやるのだがなかなか思うように決まらないらしく時間がかかってしまう。
男の相手に飽きた名前が、目線を下げると見覚えのある羽を見つけて口をぱか、と開いた。
「どうかしたかね?」
「矢が……弓…やってるんですか?」
「あぁ。これか。まぁね、あくまで貴族的に考えた私に合う得物だよ」
「………」
何故貴族、とハテナマークが最初浮かんだが、確かに言われてみればヒラヒラのスカーフがそれっぽい。
名前は頭の中でワイングラスを互いに打ち付けてカチーン、と鳴らすが、胡散臭さは変わらないのである種の詐欺師に見えると呟く。勿論心の中で。
「弓に興味があるのかな?」
「あ…は、はい。私も射ますので…」
「苗字さん、弓出来るの!?」
「う、うん…」
リズが驚いて声をあげるので、思った通りの反応に恥ずかしくなり、赤くなっていく顔を下げて名前は地面を見た。
更に追い打ちをかけるようにわぁ、と感嘆する声が耳に届き、全身熱くなる。
「それじゃあ一度引いてみるかい?」
「えっ」
「私の得物を貸そうじゃないか」
「で…でも…」
「私も見たい!ね、苗字さんお願い!」
「じゃあ……ありがとうございます、お借りします」
「なんのなんの」
「…………」
嬉しく弓を受け取ったものの、名前はその小ささに戸惑った。形が洋弓と呼べるものだろうかと弦を弾き物を見る。
名前がいつも使う和弓はとても背が高い。最初は構えるだけで、軸を取れずゆらゆらと揺れたものだ。番える場所も全く違う。
しかし弓は弓だ。
名前はそう思い込むことにして、弾く指にタオルハンカチとティッシュを巻き付けた。あまり意味を為しそうにないが、あるだけマシと言ったところだ。ヴィオールから厚手の手袋を渡されたが男物の大きさで弓を引くよりは、と幾重にも重ねて固定した。
矢を二本受け取る。形状は同じだ。これも工夫すれば良しと羽根を触りながら不満を消す。
何よりもこんな状況で放てるだけ良いというものだ。そんな小さな不快よりも幸福感が大きかった。
場所が場所なだけに、障害物のないルートを見つけて適当そうな木を的に見立てることに。弦を引き、力加減を診つつも距離を取った。
辺りが静寂になる。
人の話し声も聞こえなくなって、深呼吸を終えた名前はいつものように背を正し、足踏む。どんなに形は違っても叩き込んだ動作だけは削げなかった。
一連の動きを終え、矢を番えれば臨戦体勢だ。風の動きを神経で感じ取って、他には見えないだろう丸い的の中心部へ矢尻を向けて弦を引く。
キリキリキリと悲鳴を上げた弓はしなった。張り詰めた状態の中、名前はただ待つ。あとは気を溜めて、己の呼吸次第で何時でもいい。
それは一瞬のことだ。
音を立てて、矢は放たれていった。幾つもの木々の横を瞬く間に通り過ぎて、的の幹に突き刺さる。
名前は放ったまま、動かない。
すごい、と駆け寄ろうとしたリズの口が塞がれる。いつの間にか隣には手を出した兄に、フレデリク、ルフレやソワレまで見物人と貸していた。
し、と指を立てて静止を促すヴィオールの指示にリズも頷いて目線を戻す。
その先の名前は弱々しさの欠片もない真剣さを帯びていた。ゆったりとした動きで回転した弓を正し、先程と全く同じに矢を番える。
名前の表情は、至って厳しい。
指に違和感を感じるも先程よりも目一杯に弦を引いた。重い矢に軽い弓。調整を測りつつも、乱れた呼吸を正す。
目線を切り替え、矢の刺さる的より上に切っ先を向けた。
至極自然に指を離せば、大袈裟な音を立てて弦は元に戻る。ぴり、と指先が痛んだが気にせずに名前は的だけを見ていた。
的へ向き直った際に、すごいすごい、と多人数から拍手を送られて名前は肩を跳ねさせて驚いた。弓道を知らない人間の反応と全く同じだった為に、やっぱり名前ははにかみつつも真っ赤な顔を下を向けた。
「すごいよ!びゅんって飛んでったね!ちゃんと木に当たってるよ!」
「う、うん…」
「さっきまでと全然雰囲気が違うな。真剣勝負って感じだね。その集中力はボクも見習わないと」
「あ……ありがとうございます…」
「いやいや!可憐で有りながら、力強くも美しいフォームについ目を奪われたよ!」
「あ……弓、ありがとうございます」
「構わないさ。こいつも君のような弓打ちに扱われて本望というだろうさ。何処で習ったのかな?是非お茶でも共にしながら私にもご教授を…」
「…私、矢を拾ってきますね」
「あ、あぁ、いや、まだ話が…」
名前は口角をあげて笑み、的の方へと駆けていった。
ヴィオールはふっと笑みを漏らして見送る。
変わらない時間の流れなのに、時が刻まれていく度に名前は戦慄した。一秒一秒が精神を削り、その都度ざわつく身体を抱き締める。
家族は何をして、何を思っているだろう。そして多大な心労を与える自分は親不孝者だ。
名前は、明るくなる視界を睨みつけて、自分を責めるしか時を過ごせなかった。
せめて夢ならば。名前は何度願ったかわからない。
だが安楽の中に逃げることも、悪夢から覚めることもない。目を閉じて名前を出迎えるのはただの黒だ。それも光が混じる。
陽は、昇ってしまった。
それが現実だと告げるように。
「おはよう、名前さん!」
「おはよう…ございます」
「ちょっとの間だけだけど、ちゃんと眠れました?」
「………」
ざわざわと身じろぐ音をきっかけに、名前が身体を起こすと髪を束ね始めた少女が昨日と変わらずににこやかに挨拶した。名前も目を伏せ、上半身を曲げてお辞儀を返す。リズの問いには答えなかったが口角をあげて頷いておいた。彼女はよかった、と嬉しそうに応える。
「今日はもう少し歩くとイーリスの城下町に着きますから!それまで頑張りましょっ」
「……」
名前は変わらず弱い微笑みを浮かべ、頷いた。
リズの側にいると安心出来た。
彼女は彼女自身が放つ無邪気な空気で名前という異端を見ない。無意識の内なのだろうが、それがどれほど安心できるか。少なくとも名前が一晩の内に懐柔してしまう理由にはなった。
名前も準備をしようと制服のポケットを叩いてみる。が、特にこれといったものを手持ちしてない。触り癖のある携帯電話を含んだ大体の荷物は置いてけぼりにした鞄の中だ。あるのはハンカチとティッシュくらいだろう。
仕方なく手持ち無沙汰に名前はリズの準備を待つ。
少女は片手で髪をいじり、もう片方で手鏡を持つという、手一杯さで悪戦苦闘していた。愛らしくも難しい顔がつるりとした面で反射している。
名前は手鏡をそっと奪った。リズはきょとんとしたが、名前の気持ちを察したのかぱっと華やぐ笑顔を浮かべた。
「あっありがとう!」
名前は首を振った。少女への、精一杯の礼だった。
リズは空いた手を満遍なく使い、ツインテールを完成させて複雑そうな髪飾りで覆うと満足げに名前と鏡に笑って頷いた。
「お嬢さん。こちらにも可愛らしいお顔と共に鏡を向けてくれないかな?」
「……は?」
名前は寒気を感じつつ首を二度捻り、一応鏡を持つ該当者として声をかけた方を向いた。
そこには長身の、昨日装甲の男に連れとして間違われた方の男がいた。何を考えているかわからない含みのある微笑みを浮かべて胸に手を当てている。
名前はとりあえず鏡を向けてやった。男はあぁ、と大袈裟に感嘆符をあげて緩やかに動き出す。
「感謝するよ。婦女子の準備を妨げるのはどうかと思ったのだけど、生憎私の愛用していた鏡を壊したばかりでね。とても大事にしていたものだったのだけど」
「………」
「……。…えぇっと、苗字君…だったね」
「…はい」
「何故、壊れたのだとか、そういう質問はないのかい?」
「え…?……どうしてですか?」
「よくぞ聞いてくれたね」
「……」
「昨日のことだ…なんとも不運なことに優雅な旅を送っていた私は、突如現れた化け物に襲われてしまって。果敢に応戦したのだけど、多勢に無勢でね」
「……」
「じゃあ戦ってるときに壊されちゃったんですね?」
「いや。逃げるときに落として割れてしまったのさ」
「…………」
「…それってヴィオールさんの不注意なんじゃ?」
「貴族的にも、そう言うだろうね」
「…………」
リズは苦笑いをたてた。しかし名前は無表情を装いながらも、歯を食いしばる。心に沸き上がるものを必死で抑え込み、なかったことになんとかした。ヴィオールの話に吹き出してしまいそうになったが、意気消沈していた分が勝ったらしい。
「おっと。仕度がまだだった。ちょっと待ってくれるかい?」
「……」
男は鼻歌を口ずさみながら髪を整え、真っ白なスカーフを首に巻いてその調節に時間をかけた。名前も角度を合わせたりと手伝ってやるのだがなかなか思うように決まらないらしく時間がかかってしまう。
男の相手に飽きた名前が、目線を下げると見覚えのある羽を見つけて口をぱか、と開いた。
「どうかしたかね?」
「矢が……弓…やってるんですか?」
「あぁ。これか。まぁね、あくまで貴族的に考えた私に合う得物だよ」
「………」
何故貴族、とハテナマークが最初浮かんだが、確かに言われてみればヒラヒラのスカーフがそれっぽい。
名前は頭の中でワイングラスを互いに打ち付けてカチーン、と鳴らすが、胡散臭さは変わらないのである種の詐欺師に見えると呟く。勿論心の中で。
「弓に興味があるのかな?」
「あ…は、はい。私も射ますので…」
「苗字さん、弓出来るの!?」
「う、うん…」
リズが驚いて声をあげるので、思った通りの反応に恥ずかしくなり、赤くなっていく顔を下げて名前は地面を見た。
更に追い打ちをかけるようにわぁ、と感嘆する声が耳に届き、全身熱くなる。
「それじゃあ一度引いてみるかい?」
「えっ」
「私の得物を貸そうじゃないか」
「で…でも…」
「私も見たい!ね、苗字さんお願い!」
「じゃあ……ありがとうございます、お借りします」
「なんのなんの」
「…………」
嬉しく弓を受け取ったものの、名前はその小ささに戸惑った。形が洋弓と呼べるものだろうかと弦を弾き物を見る。
名前がいつも使う和弓はとても背が高い。最初は構えるだけで、軸を取れずゆらゆらと揺れたものだ。番える場所も全く違う。
しかし弓は弓だ。
名前はそう思い込むことにして、弾く指にタオルハンカチとティッシュを巻き付けた。あまり意味を為しそうにないが、あるだけマシと言ったところだ。ヴィオールから厚手の手袋を渡されたが男物の大きさで弓を引くよりは、と幾重にも重ねて固定した。
矢を二本受け取る。形状は同じだ。これも工夫すれば良しと羽根を触りながら不満を消す。
何よりもこんな状況で放てるだけ良いというものだ。そんな小さな不快よりも幸福感が大きかった。
場所が場所なだけに、障害物のないルートを見つけて適当そうな木を的に見立てることに。弦を引き、力加減を診つつも距離を取った。
辺りが静寂になる。
人の話し声も聞こえなくなって、深呼吸を終えた名前はいつものように背を正し、足踏む。どんなに形は違っても叩き込んだ動作だけは削げなかった。
一連の動きを終え、矢を番えれば臨戦体勢だ。風の動きを神経で感じ取って、他には見えないだろう丸い的の中心部へ矢尻を向けて弦を引く。
キリキリキリと悲鳴を上げた弓はしなった。張り詰めた状態の中、名前はただ待つ。あとは気を溜めて、己の呼吸次第で何時でもいい。
それは一瞬のことだ。
音を立てて、矢は放たれていった。幾つもの木々の横を瞬く間に通り過ぎて、的の幹に突き刺さる。
名前は放ったまま、動かない。
すごい、と駆け寄ろうとしたリズの口が塞がれる。いつの間にか隣には手を出した兄に、フレデリク、ルフレやソワレまで見物人と貸していた。
し、と指を立てて静止を促すヴィオールの指示にリズも頷いて目線を戻す。
その先の名前は弱々しさの欠片もない真剣さを帯びていた。ゆったりとした動きで回転した弓を正し、先程と全く同じに矢を番える。
名前の表情は、至って厳しい。
指に違和感を感じるも先程よりも目一杯に弦を引いた。重い矢に軽い弓。調整を測りつつも、乱れた呼吸を正す。
目線を切り替え、矢の刺さる的より上に切っ先を向けた。
至極自然に指を離せば、大袈裟な音を立てて弦は元に戻る。ぴり、と指先が痛んだが気にせずに名前は的だけを見ていた。
的へ向き直った際に、すごいすごい、と多人数から拍手を送られて名前は肩を跳ねさせて驚いた。弓道を知らない人間の反応と全く同じだった為に、やっぱり名前ははにかみつつも真っ赤な顔を下を向けた。
「すごいよ!びゅんって飛んでったね!ちゃんと木に当たってるよ!」
「う、うん…」
「さっきまでと全然雰囲気が違うな。真剣勝負って感じだね。その集中力はボクも見習わないと」
「あ……ありがとうございます…」
「いやいや!可憐で有りながら、力強くも美しいフォームについ目を奪われたよ!」
「あ……弓、ありがとうございます」
「構わないさ。こいつも君のような弓打ちに扱われて本望というだろうさ。何処で習ったのかな?是非お茶でも共にしながら私にもご教授を…」
「…私、矢を拾ってきますね」
「あ、あぁ、いや、まだ話が…」
名前は口角をあげて笑み、的の方へと駆けていった。
ヴィオールはふっと笑みを漏らして見送る。