#09.絶対幸せにしてくれるから!
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きゃっきゃ、きゃっきゃと華美な女中達の玩具状態から解放され、ようやく一休みという時間になっても、名前は緊張からは脱せない。
「お水、注いできましたよ」
「あ、ありがとうございます…」
スミアが気を利かせて用意したコップの中身を飲み干して、溜息。すかさず新しい紅を乗せた指先が唇に沿う。
はい、これで大丈夫。
にこにこと嬉しそうに笑うスミアに、名前は疲れを見せつつも笑みで返した。
白いドレス。膨れ上がった裾がひらひらと舞う癖に身を気怠くさせる。きゅうきゅうに腰をコルセットで固められ、顔を塗りたくり、そうして出来上がったのはイーリスの花嫁だ。
少し前までは冴えない学生だった自分が。
気分はシンデレラのように輝かしくはない。疲労の為でもあり、そしてこれからの不安を隠せなかったからだ。
仲間達は盛大に祝福してくれた。しかし、それは短いながらも共に過ごし、戦った時間があったからだ。
イーリスの人々は、こんな自分を受け入れてくれるのだろうか。
こんこん、とノックの後、扉を開いて押し入ってきたのはルフレだった。妻の働きを心配してきたと軽口を言う。すかさず謝るかと思いきや、スミアが頬を膨らませて怒ってみせる。
「うん。よく似合ってるよ」
「あ…ありがとうございます」
「緊張してるかい?…無理もないね。君はあまり人前に出たがる性格じゃないし」
「……」
「大丈夫です!大勢の人の前でお話をするときは、周りの人をお野菜だと思えばきっとうまくいくと本に書いてありましたよ」
「や、野菜…」
「あぁ、あったね、そういうの」
「私、カボチャがいいです!美味しいですよ、カボチャ」
「いや、そういうことじゃなくて」
え?と首を捻るスミアに負けて、ルフレは苦笑い。名前は吹き出して笑った。
「クロムが羨ましがっていたよ。名前の晴れ姿を一番に見たかったって」
「……」
名前が「名前」と呼ばれるようになったのも、つい最近のことだ。どうして名前で名乗らなかったの、と何度も訪ねられてきたが、名前にとっては名字も自分の名前だったし、それで事足りると思っていた。しかしクロムはあれから口を酸っぱくしてもう隠し事はないのかと確認してくる。しばらくはそのやりとりが日課だった。
「そうそう、クロム様はどうなさったのです?」
「まだ今日のスピーチと格闘中だよ。用意したものを必死に頭に詰め込んでる」
「うふふ、ルフレさんも昨日の夜頑張って考えましたもんね」
その姿が頭に浮かぶから不思議だ。ヴェイクに邪魔されているところまで想像していたとき、また新しいノックが来訪者を告げる。
「まぁ、リズ様」
「もうお着替え終わった?」
「あぁ、もう大丈夫だよ」
「よぉし!お邪魔しまーす!」
勢いよく開いた扉から元気な姿を見せた王女リズは、名前の姿を一見、頬を赤らめて嬉しそうに笑う。
「ウエディングドレス姿、すっごい綺麗だよ、名前さん!」
「あ、ありがとう…綺麗にしてもらったみたいで…」
「ううん、そんなことない!黒い髪にとても合うよ!いいなぁ、私も着たいなぁ」
「リズだって良い人がいるんじゃないの?」
「ま、まぁ、それは置いといて!そうそう、フレデリクがルフレさんのこと探してたよ?」
「フレデリクが?何かな…行ってみるよ。ありがとう、リズ」
「あ!私も行きます!ブーケの用意が残ってますし」
「それじゃあまた後で」
ルフレ夫妻はにこやかな笑みを浮かべて二人肩を並べて去っていく。仲良いよね、と呟くリズに同意する形で名前も頷いた。それからリズは名前の目の前の椅子に腰掛ける。
「…名前さん、緊張してる?」
「は、はい……」
「そうだよね。…私もみんなの前に立つの苦手だからわかるな」
「リズ様も?」
「うん!だからお兄ちゃんやお姉ちゃんはいつもすごいなって思ってた」
「………」
「…お姉ちゃんは…あんな形でお別れになっちゃって、私、すごく辛くて…でも…でもね」
「…いいえ…」
「え?」
「エメリナ様は、生きています。きっと何処かで。クロム様もみんなも、きっとそう信じてます。…だから…また会えます」
「……うん…うん、そうだよね!私も信じてる」
「でも…エメリナ様に会えたら…今の私を祝福、してくれるでしょうか…」
「もちろんだよ!きっと自分のことのように喜ぶよ?だって、今の私がそうだもん!」
「リズ様…」
「ありがとう、名前さん。お兄ちゃんのこと選んでくれて。あんながさつな人だけど、絶対幸せにしてくれるから!ううん、そうじゃないと私が許さないっ…だって、私の新しいお姉さんだもん!」
「……っ」
「わわっ、な、泣かないで!」
鼻を啜り、顔をくしゃりと歪めて泣きそうな名前をリズは賢明に慰める。そんな少女の言動に、どれほどの勇気と優しさをもらったのか測れない。名前はリズを抱き締めて、声無き声でありがとうと呟いた。
そろそろ、お時間ですよ。
ドアの向こうから女中の声弾む報告を受けて、リズと共に慌てて身形を整えて、最後にヴェールを被る。着慣れないドレスに視界が狭まった名前を先導したのはやはり義妹となるリズだった。手を繋ぎ、ゆっくり進んだ先でたくさんの者達がはやし立てる。拍手に混じった知る声もあったのだが、それに返事をする余裕がなかった。薄い生地を透かして見る景色に恥ずかしさと嬉しさを感じ、ただただ俯いて進むしか。
「名前」
「!」
リズの手が自然と解けてしまい、自由になった名前のその手はしかし、すぐに捕まってしまった。青年のしっかりとした感触を覚えていた名前は、リズの与えてくれていた温もりと同じくらいに満足感を得る。
「クロム様」
「あぁ。行こう」
ようやくあげた視線の先にやはりその人がいた。顔はよく見えない。しかし湛える微笑みだけは伝わって、名前も笑い返した。スミアから渡されただろうブーケを彼から受け取ると、歩き出した相手に合わせ足を自分から出していく。握られそうになった手を外し、代わりに、その逞しい腕にすがりついて。
大歓声と共に出迎えられたイーリスの民たちの声を聞きながら、名前は一度空を仰いだ。
晴天。
雲一つ無いほどの快晴に心躍りつつも、やるせない心配は確かにある。
父さん、母さん。
心の中で言えば、いつか彼らに伝わるような気がして、空の向こう側を覗くように仰ぐ。
これは強制されたことじゃない。自分で決めた人生の門出。
共に歩きたいと思えた人と出会い、強めた絆の形だ。
(だから、私は此処で生きるよ)
それから少し視線を下げて遠くの方を見つめた。初めてこの世界で優しさを与えてくれた人を思う。
エメリナ様、何処かで見ていますよね。
相手の腕を掴む手を強め、そうして名前はようやく、バルコニーの柵の間から手を振ってくれる人々を見た。
皆、自分のことのように喜び、大手をあげて祝福の声をあげてくれる。
「手を振り返すといい」
「……」
クロムの声を聞き、頷いた名前は怖ず怖ずとドレスを掴んで離さなかった手をあげて、彼らに感謝の意を示すのだった。
「………そうだ!」
「ど、どうかなさいました?」
観衆の中でうるうると涙ぐんでいたスミアの隣から、いきなり素っ頓狂な声をあげた夫に驚いて、スミアも一緒に飛び上がった。
「すっかり忘れてた!…サーリャから預かり物をしていたんだった…名前へ渡してくれって」
ポケットをまさぐって取り出した粗末な紙を広げてルフレは溜息を吐く。内容を見てしまったのだ。
「……いや…これは渡さない方がよかったのかもしれない」
「え?」
スミアはそれが手紙ではないかと予測したので、自分からのぞき込んでくるはずもない。だがルフレが差し出した紙にいたのは人物だった。
モノクロで描かれた青年は苦悶の表情を浮かべている。
「これは…」
「きっと名前が探していた男だろうね。事情は聞いていたんだけど、見つけていたんだな…」
サーリャのことだからわざと口を噤んだのだろうと、解釈は出来る。そして情報を渡してしまえば名前がどうするのかさえ予測していたのだろう。
スミアは夫の言葉を聞きながらもじっとその、ぼさぼさ髪を三つ編みで纏めた青年を見つめ続けた。
「あぁ、短い髪は名前の記憶違いだろうね」
「え?えぇ…いえ、そうじゃなく…なんだか…」
「ルフレさん、そろそろ移動しないと」
「あぁ!行こうか、スミア」
「あ、は、はいっ」
何かを言い掛けたところで誰かによって遮られてしまった。
仕舞われた紙はルフレの袖の中に消え去り、浮かんだ疑問に確信を得ないまま、スミアは急かす夫に着いて、覚束ない足で駆け出すのだった。
「お水、注いできましたよ」
「あ、ありがとうございます…」
スミアが気を利かせて用意したコップの中身を飲み干して、溜息。すかさず新しい紅を乗せた指先が唇に沿う。
はい、これで大丈夫。
にこにこと嬉しそうに笑うスミアに、名前は疲れを見せつつも笑みで返した。
白いドレス。膨れ上がった裾がひらひらと舞う癖に身を気怠くさせる。きゅうきゅうに腰をコルセットで固められ、顔を塗りたくり、そうして出来上がったのはイーリスの花嫁だ。
少し前までは冴えない学生だった自分が。
気分はシンデレラのように輝かしくはない。疲労の為でもあり、そしてこれからの不安を隠せなかったからだ。
仲間達は盛大に祝福してくれた。しかし、それは短いながらも共に過ごし、戦った時間があったからだ。
イーリスの人々は、こんな自分を受け入れてくれるのだろうか。
こんこん、とノックの後、扉を開いて押し入ってきたのはルフレだった。妻の働きを心配してきたと軽口を言う。すかさず謝るかと思いきや、スミアが頬を膨らませて怒ってみせる。
「うん。よく似合ってるよ」
「あ…ありがとうございます」
「緊張してるかい?…無理もないね。君はあまり人前に出たがる性格じゃないし」
「……」
「大丈夫です!大勢の人の前でお話をするときは、周りの人をお野菜だと思えばきっとうまくいくと本に書いてありましたよ」
「や、野菜…」
「あぁ、あったね、そういうの」
「私、カボチャがいいです!美味しいですよ、カボチャ」
「いや、そういうことじゃなくて」
え?と首を捻るスミアに負けて、ルフレは苦笑い。名前は吹き出して笑った。
「クロムが羨ましがっていたよ。名前の晴れ姿を一番に見たかったって」
「……」
名前が「名前」と呼ばれるようになったのも、つい最近のことだ。どうして名前で名乗らなかったの、と何度も訪ねられてきたが、名前にとっては名字も自分の名前だったし、それで事足りると思っていた。しかしクロムはあれから口を酸っぱくしてもう隠し事はないのかと確認してくる。しばらくはそのやりとりが日課だった。
「そうそう、クロム様はどうなさったのです?」
「まだ今日のスピーチと格闘中だよ。用意したものを必死に頭に詰め込んでる」
「うふふ、ルフレさんも昨日の夜頑張って考えましたもんね」
その姿が頭に浮かぶから不思議だ。ヴェイクに邪魔されているところまで想像していたとき、また新しいノックが来訪者を告げる。
「まぁ、リズ様」
「もうお着替え終わった?」
「あぁ、もう大丈夫だよ」
「よぉし!お邪魔しまーす!」
勢いよく開いた扉から元気な姿を見せた王女リズは、名前の姿を一見、頬を赤らめて嬉しそうに笑う。
「ウエディングドレス姿、すっごい綺麗だよ、名前さん!」
「あ、ありがとう…綺麗にしてもらったみたいで…」
「ううん、そんなことない!黒い髪にとても合うよ!いいなぁ、私も着たいなぁ」
「リズだって良い人がいるんじゃないの?」
「ま、まぁ、それは置いといて!そうそう、フレデリクがルフレさんのこと探してたよ?」
「フレデリクが?何かな…行ってみるよ。ありがとう、リズ」
「あ!私も行きます!ブーケの用意が残ってますし」
「それじゃあまた後で」
ルフレ夫妻はにこやかな笑みを浮かべて二人肩を並べて去っていく。仲良いよね、と呟くリズに同意する形で名前も頷いた。それからリズは名前の目の前の椅子に腰掛ける。
「…名前さん、緊張してる?」
「は、はい……」
「そうだよね。…私もみんなの前に立つの苦手だからわかるな」
「リズ様も?」
「うん!だからお兄ちゃんやお姉ちゃんはいつもすごいなって思ってた」
「………」
「…お姉ちゃんは…あんな形でお別れになっちゃって、私、すごく辛くて…でも…でもね」
「…いいえ…」
「え?」
「エメリナ様は、生きています。きっと何処かで。クロム様もみんなも、きっとそう信じてます。…だから…また会えます」
「……うん…うん、そうだよね!私も信じてる」
「でも…エメリナ様に会えたら…今の私を祝福、してくれるでしょうか…」
「もちろんだよ!きっと自分のことのように喜ぶよ?だって、今の私がそうだもん!」
「リズ様…」
「ありがとう、名前さん。お兄ちゃんのこと選んでくれて。あんながさつな人だけど、絶対幸せにしてくれるから!ううん、そうじゃないと私が許さないっ…だって、私の新しいお姉さんだもん!」
「……っ」
「わわっ、な、泣かないで!」
鼻を啜り、顔をくしゃりと歪めて泣きそうな名前をリズは賢明に慰める。そんな少女の言動に、どれほどの勇気と優しさをもらったのか測れない。名前はリズを抱き締めて、声無き声でありがとうと呟いた。
そろそろ、お時間ですよ。
ドアの向こうから女中の声弾む報告を受けて、リズと共に慌てて身形を整えて、最後にヴェールを被る。着慣れないドレスに視界が狭まった名前を先導したのはやはり義妹となるリズだった。手を繋ぎ、ゆっくり進んだ先でたくさんの者達がはやし立てる。拍手に混じった知る声もあったのだが、それに返事をする余裕がなかった。薄い生地を透かして見る景色に恥ずかしさと嬉しさを感じ、ただただ俯いて進むしか。
「名前」
「!」
リズの手が自然と解けてしまい、自由になった名前のその手はしかし、すぐに捕まってしまった。青年のしっかりとした感触を覚えていた名前は、リズの与えてくれていた温もりと同じくらいに満足感を得る。
「クロム様」
「あぁ。行こう」
ようやくあげた視線の先にやはりその人がいた。顔はよく見えない。しかし湛える微笑みだけは伝わって、名前も笑い返した。スミアから渡されただろうブーケを彼から受け取ると、歩き出した相手に合わせ足を自分から出していく。握られそうになった手を外し、代わりに、その逞しい腕にすがりついて。
大歓声と共に出迎えられたイーリスの民たちの声を聞きながら、名前は一度空を仰いだ。
晴天。
雲一つ無いほどの快晴に心躍りつつも、やるせない心配は確かにある。
父さん、母さん。
心の中で言えば、いつか彼らに伝わるような気がして、空の向こう側を覗くように仰ぐ。
これは強制されたことじゃない。自分で決めた人生の門出。
共に歩きたいと思えた人と出会い、強めた絆の形だ。
(だから、私は此処で生きるよ)
それから少し視線を下げて遠くの方を見つめた。初めてこの世界で優しさを与えてくれた人を思う。
エメリナ様、何処かで見ていますよね。
相手の腕を掴む手を強め、そうして名前はようやく、バルコニーの柵の間から手を振ってくれる人々を見た。
皆、自分のことのように喜び、大手をあげて祝福の声をあげてくれる。
「手を振り返すといい」
「……」
クロムの声を聞き、頷いた名前は怖ず怖ずとドレスを掴んで離さなかった手をあげて、彼らに感謝の意を示すのだった。
「………そうだ!」
「ど、どうかなさいました?」
観衆の中でうるうると涙ぐんでいたスミアの隣から、いきなり素っ頓狂な声をあげた夫に驚いて、スミアも一緒に飛び上がった。
「すっかり忘れてた!…サーリャから預かり物をしていたんだった…名前へ渡してくれって」
ポケットをまさぐって取り出した粗末な紙を広げてルフレは溜息を吐く。内容を見てしまったのだ。
「……いや…これは渡さない方がよかったのかもしれない」
「え?」
スミアはそれが手紙ではないかと予測したので、自分からのぞき込んでくるはずもない。だがルフレが差し出した紙にいたのは人物だった。
モノクロで描かれた青年は苦悶の表情を浮かべている。
「これは…」
「きっと名前が探していた男だろうね。事情は聞いていたんだけど、見つけていたんだな…」
サーリャのことだからわざと口を噤んだのだろうと、解釈は出来る。そして情報を渡してしまえば名前がどうするのかさえ予測していたのだろう。
スミアは夫の言葉を聞きながらもじっとその、ぼさぼさ髪を三つ編みで纏めた青年を見つめ続けた。
「あぁ、短い髪は名前の記憶違いだろうね」
「え?えぇ…いえ、そうじゃなく…なんだか…」
「ルフレさん、そろそろ移動しないと」
「あぁ!行こうか、スミア」
「あ、は、はいっ」
何かを言い掛けたところで誰かによって遮られてしまった。
仕舞われた紙はルフレの袖の中に消え去り、浮かんだ疑問に確信を得ないまま、スミアは急かす夫に着いて、覚束ない足で駆け出すのだった。