#09.絶対幸せにしてくれるから!
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そう決起したのは、サーリャの力を借りると決めたことにもあった。全てを曝し上げたとして、この世界に留まるわけでもなし、となけなしの言い訳を並べ立てて名前は決意した。そうすれば、クロムと相対したときにも、帰郷への希望が力になってくれるはずだとも名前は計算していた。
しかし、確固たる決意とは言い難く、何度もサーリャの部屋の前まで行くまでに引き返し、ノックをするにも時間がかった。
サーリャはやはり、名前の再来を鋭敏に感じ取っていた。
待っていたわ、と、妖しくも美しい笑みを浮かべて名前を出迎える。名前は青い顔でひきつり笑いで返した。あれよあれよと後悔する間も無く、あの薄暗い部屋の、あの日座った場所に変わりなく座らされた。
「さぁ、始めましょう。…私に全部…お見せなさい」
「…!」
むしろ。
後悔させる時間を与えなかったのはサーリャの思惑通り、迅速に計る為でもあり、彼女なりの優しさだったのかもしれない。
名前は目の前に翳された手のひらに思わず目を瞑る。額に冷ややかな肌の感触を受けて、名前の意識は、まるで電源を閉めたようにぷちりと途切れた。
「……に……れ…!」
「………?」
「…なの…な…んなの…なんなの…!…この、不愉快な…っ」
「……?」
名前が次に意識を取り戻した時、サーリャはぐしゃぐしゃと頭をかきむしり、厚いカーテンを広げた。眩しい太陽の光が目を刺して頭を振って逃れる。それからまだ狼狽しているサーリャに、そっと目を開けて見つめた。
「サーリャさん…?」
「どういうつもり…!こんなもの見せて、嫌がらせのつもり…!?」
「え……え?」
苦しそうに顔を歪ませてサーリャは名前を睨みつけた。名前はその意図がわからず、困惑するのみ。首を二度傾げて、責め苦に眉を顰める名前にサーリャは肩を上下させつつ落ち着こうと深く息を吐き出した。
「…失敗よ…」
「えっ」
「儀式は失敗したって言ってるの」
「そ、そんな…!」
「………貴方のせいよ」
「!…え……?」
「本当に貴方、真剣にこの儀式に身を委ねたの?貴方の心の中は迷いばかりで捻れているわ。真実を詰めた箱を隠すように」
「……!…わ…私は…」
「…無意識なのかしら…?…それはそれで興味深いけれど…忌々しいものを見てしまって、吐き気がする…今日はもう帰って」
「………」
「…心が落ち着いた時…また来なさい。次に中途半端な覚悟で来たなら…心を壊すわ、確実に」
「!」
サーリャの睨みを効かせた脅し文句は、浸透しやすい名前の心に深くまで突き刺さった。
結局、また放心状態の名前をサーリャは突き放してしまい、部屋から追い出されてしまった。
失敗するという可能性を考えもしなかった名前は、サーリャの部屋の前でしばらく動くことが出来なかった。
彼女の言う迷いとは何か。
帰郷を渋る気持ちか。それとも青年に向ける淡い思いか。
どちらにしても、手放してしまうには骨が折れるものだ。比較など出来ないほどにどちらも愛おしい。
どうすればいいの。
名前はやはり、二の足を踏むしかなく、良い考えが浮かぶこともなかった。
名前は無意識に、首にかかったあの指輪を服の上から探して掴んでいた。
言うならば、順序を変えればいいだけの話。
苦悩の元となる指輪をクロムに返し、迷いを打ち切るべし。いっそわかりやすく拒否でもされた方が心晴れやかに本懐を遂げられるというもの。
そうストーリー付けてみても、肝心の「心晴れやかに」なれるような自信をどこにも持ち合わせていなかった。わかりやすく拒否されたときの精神的苦痛は計り知れないのが真実だ。
出発前、自警団のアジトへ久しぶりにクロムが顔を出した。目的はもちろん、出没した屍兵退治を自ら指揮する為だ。今まではルフレやフレデリクが代役として指示を出したり、クロムに報告を述べたりとしていた。それ故に何日かぶりの団長復帰は、団員たちの気分を高揚させていた。
ただ一人、名前だけが青白い顔をして俯いている。時折腹をさすり、言葉数少ないクロムの声に反応しないようにするのが精一杯だ。
「どうしたの?」
「…!」
「気分でも悪い?」
少しずつ輪から外れ、端の方に位置をずらしていく名前に目聡く気づいたティアモに声をかけられ、名前は慌てて首を振った。それから、過剰なストレスに反応して胸元にある簡易ネックレスの丸い金属をぎゅっと握りしめる。
ティアモは怯える名前に気付きながらも、それでも何食わぬ顔を装った。
「……クロム様と話したかったんじゃない?行かなくていいの?」
「…!」
クロムへの気持ちを徐々に認めていく行程の中、名前にはティアモへ向ける感情をどう処理するべきかもわからなくなって、後回しにしていた。ティアモがクロムを特別視していると理解していたし、彼女と自分を比較して勝る点を細かにして探してしまいそうで、名前は恐ろしかった。
強く、気高く、そして努力家と、ティアモは内面外面どちらから見ても優れている。それに反してなかなか感情を表に出せず恋愛に奥手な一面は奥ゆかしさと言えた。
名前はすぐ卑屈になる自分をよく理解していたし、ティアモこそがクロムに相応しいとも思う。
だからひとまず向けられた火の粉を払うべく、名前は頬をつり上げて笑ってみる。
「ティアモさんは、行かなくていいんですか…?」
「私は…。質問返しは感心しないわよ」
「ご…ごめんなさい…でも…」
「……」
「……………」
言葉は続きそうで続かない。名前は腹部をさすって溜息を吐くだけで会話は途切れてしまった。
ティアモは、眉間に皺を寄せていても、そんな名前に辛抱強く付き合った。
それからはたと気付き、手の中で何かを転ばせて掴み取ったものを、代わりにティアモに突き出された。
「何?」
「……これ…ティアモさんに…」
「えっ私に?」
名前の手のひらの上できらりと光るそれを恐る恐る掴み、ティアモは目の前に翳した。
指輪だ。
ティアモは頬を暖めた。まさか女の子から貰えるなんて、と一瞬真面目に捉えてしまった。
しかし、補足として付け足されたか細い名前の声に現実に引き戻される。指輪の装飾を認めたのと同時の事だ。
「クロム様に…」
「えっ!」
「…クロム様に…お返ししてもらえませんか…?ティアモさん、から」
「………」
「………」
ティアモの動きが止まる。時が止まったように、微動だにしなくなったので名前は不安になりながら彼女が動き出すのを待った。
が、ティアモは名前が間延びする間もなく動き出した。手早く名前の腕を掴むと強引にその場を後にする。
幸い、慌ただしく出て行く二人に気付いたのは、周りに目を配るルフレと、さりげなく二人に注目していた場の主役たる青年だけだった。
「何考えてるの!」
「!」
「こんな大事なもの…!他人に渡して!」
「あ、あ、う…っ」
強引に手を開かせ、指輪を押し付けると同時に両の手で包み込む。ティアモは真っ赤になっていく名前に構わず、苦悶の表情を抑えながらも優しく笑いかけた。
「…貴方の世界がどうかはわからないけど、この世界の文化にはね、指輪には特別な意味があるのよ」
「…し…知ってる」
「知ってて…知ってて私に渡したの」
「………ティアモさんなら、…うまく渡してくれると…思って…」
「……!」
ぱちん、と、乾いた音が辺りに響く。名前はヒリヒリと熱を帯びる頬に、そしてティアモが平手打ちした事実に驚いた。
「貴方、クロム様に失礼だと思わないの!?」
「……っ」
「この指輪が、どんなものか…!わかってて貴方…酷いじゃない!」
「…っ…」
「なんとか言いなさい!!」
「…っ…だ…っ…て…、もう…」
「もう?」
「もう…きらわれた、から…!」
「!」
「わたし、違うせか、っいの、にんげっ…だから…!…もうだめなの…!」
「苗字…」
「もうダメなの…!…ダメ、…だめな…の…わたし…じゃ…」
「…ごめんなさい…ごめんなさい、苗字…!叩いたりして、あたし…!」
「うぅっ…う、ぁあ…」
「でも!でも違うわ、きっと違う。クロム様はそんな人じゃない…、そんな人じゃ…ないわ…」
ぽろぽろと落ちる涙と共に、不安と恐れを垂れ流し、泣きじゃくる名前を引き寄せ、ティアモは震える身体で抱き締め、謝り続けた。自分が犯した過ちに、心が冷えていく。しかし、そんなティアモに構わず、やっと感情を吐露出来る相手を見つけた名前は顔を押し付けて泣き続ける。幼子のように、ただただ必死に。ティアモはそれだけで許されたように思えて、必死に背をさすり、名前を強く抱き締め返した。
名前がぐすりぐすりと鼻を啜り、落ち着いた頃。ようやくぐちゃぐちゃの顔を上げた。
「ご…ごめんなさい、ティアモさん…私、なんて、こと…」
「ううん、私だって…痛かったでしょう?」
名前は首を横に振って否定した。袖もとを手繰り寄せ、涙まみれの目元を強く擦る。時折身体が跳ねるのは嗚咽を我慢しているためだ。
それからぽつりと、本心を吐く。
「…怖いの……」
「え?」
「……クロム様に…直接、拒否されるのが……わたし…そんなつもりじゃなかったのに…!…でも、私、クロム様のことが…!」
「知ってるわ、貴方の気持ち…前から」
「!」
「それに此処まで泣かれたら、誰だってわかるわよ」
「て…ティアモさん…!」
「何も言わないで。…大事な人だから嫌われたくない…。そうよね、怖いわ。私だって…面と向かって言われたら…」
「………」
今更、名前は顔を赤くして俯いた。心情を指摘された恥ずかしさか、ティアモに対する罪悪感からか。いや、どちらの要因も重なったからそうなったのだ。
ティアモはそんな名前にまた一つ笑みをこぼす。
本当にわかりやすいんだから、と。
「……わかったわ」
「え…?」
「私が代わりに…この指輪をクロム様に返してあげる」
「い、いいの?」
「貴方こそ本当にいいの?…この指輪は…貴方にとって最後の繋がりよ。私に託したら…逃げることになるわ」
「………」
名前はしばらく考えた。じっと、ティアモが掲げるクロムの指輪とにらみ合う。
しかし、目を伏せ、噛みしめた唇をほどくのにそう時間がかからなかった。
「……お願い…します…」
「……」
「もうこれ以上…迷惑…かけたくない…から…」
「そう…それで…本当にいいのね?」
「…私、帰ります…故郷に…お父さんとお母さんが…待ってるから…だから、平気…」
「………」
覇気のない言葉だった。しかし、その裏の気持ちに鋭敏なティアモは気づけないわけなかった。
しかし、彼女は何も言わなかった。
言ったところで、頑固な少女の気持ちが変わることなどない、いや、変えることも出来ないと確信していたのだ。
「えっ」
「あまり体調がよくないそうなの。だから今回の遠征は見送るって」
「そ…そうか。…うぅん、大丈夫かな」
「えぇ。もう部屋に戻ってる。…それで、あの…く、クロム様は?」
「クロムかい?一度部屋に戻るってことだから、もうすぐ帰ってくるよ」
「そう…ありがとう」
ルフレは何かしら言いたそうだったが、結局何も聞かなかった。ティアモも同様に何も告げず。
城までの回廊に行くまでに会えるだろう。そんな思惑を胸に、軽くはない足取りでティアモは進んだ。
そしてそのティアモの予見通り、クロムは彼女の前方から現れた。
疲れた顔をしていたが、彼女の存在に気付くと力強く笑いかけてくれる。それだけで、背を正したティアモの胸は弾み、痛む。
「どうした?忘れ物か?お前らしくないな」
「あ…い、いえ!そんなんじゃ…あの…お時間よろしいですか?」
「ん?あぁ、俺は構わないぞ。なんだ?」
ティアモはごくり、と喉を鳴らした。とても言いにくい、打ち明けずらい話だ。
しかし、それでも話さなければ。
恋い焦がれる相手と、友のためだから。
「これ…」
「……!」
「苗字から預かりました。クロム様に…と」
「苗字…から…そう、か…そうか…」
「………」
クロムはティアモから譲り受けた指輪を手にすると、今まで穏やかな顔をしていた青年は悲壮の色を初めて見せた。俯き、影の出来た顔。そんな彼を見つめていて、ティアモは声をあげた。喉を上擦らせ、素っ頓狂な第一声を咳で誤魔化しつつ、さっきまで一緒だった少女の感触を思い浮かべながら。
「どうして、受け取るんですか?」
「……」
「その指輪は苗字に贈ったのでしょう?…人を介さず、直接渡しに来いって、言わないのですか?」
「…苗字は嫌がったんだろう?俺に会いに来るのを」
「…嫌がったんじゃありません。怖かったんです」
「怖い…?」
「クロム様に会って、直接指輪を渡して自分を拒否されるのが怖かったんです」
「…!」
「自分は異邦人だから、と…」
「俺はそんなこと、そんなこと考えたこともない!」
「だったらそう伝えてあげてください」
「……」
「あの子、頭が堅い子だから。言葉にしなくちゃわからないんだと思います。だからクロム様の言葉で安心させてほしい」
「…傷つけてばかりの俺に、そんなことが出来るのか?」
「出来ます」
「ティアモ…」
「だって、クロム様は何時だってそうしてきたじゃないですか。だから苗字はすぐに貴方を好きになれたんです」
「!」
「もっと、自信をもってください。…傷つけられたって、人はそんなに簡単に人を嫌いにはなれないんですから」
クロムはちょっとの間は困惑して目を泳がせてしまったが、従来の性格からか考えるのが面倒になって、茹だる頭をかきむしった。
「すまん、ティアモ」
「は、…はい」
「今日はやはり、此処に残ることにする」
「!」
「ルフレにはうまいこと言っておいてくれないか?やることが出来たとか、なんとか」
「…わかりました」
自分の判断にまだ迷いがあるのか、苦笑いのクロムにティアモは言葉を付け足すか迷う。
それでもそのままの勢いに任せて、言葉を詰まらせながらティアモは言う。
「ち、ちょっと強引な方が、」
「ん?」
「女の子は、好きなんですよっ」
「……」
最初は呆気にとられてぽかんと間が空いたが、クロムはそれからにんまりと笑った。
ありがとう、と一言。
クロムは来た道を引き返していった。
ティアモはまだ正す背を伸ばしきり、起立したままその背を見送った。
クロムが振り返ることはないと知りながらも、そう願ってしまう自分がいる。
「飴、舐めとくか?」
「が、ガイアさん!な、なんです、いたんですか!?」
「まぁな」
不意に差し出された棒付き飴は薄いイエロー。甘そうな色をしている。
受け取るかも考えていなかったティアモはぐいぐいと口元に押し込んでくるあめ玉をとうとう拒否出来なくて口の中へ。思った通りに甘酸っぱい。
「いいんですか?貴重な甘味でしょう?」
「いいんだよ。こういうときは甘いのが。それに好きなんだろ?強引な男が」
「も、もう!」
私がレモン味が苦手だったらどうするの、と心中詰ってみても、きっと今は受け取ってしまうだろう。
ガイアはそれきり何も言わなくなった。いつもは猫背のくせに、今だけしゃんと背筋を伸ばしているのは、折れつつあるティアモの為か。
ティアモは出来上がる影の中で、男の薄い背に少しだけ凭れ込んだ。今になってこみ上げる悲壮が、辛みが、目の奥から生まれてくる。
口の中は甘酸っぱいまま。飴玉を壊さぬようにくっついた棒を噛みしめて、ティアモはそこではじめて泣いた。
しかし、確固たる決意とは言い難く、何度もサーリャの部屋の前まで行くまでに引き返し、ノックをするにも時間がかった。
サーリャはやはり、名前の再来を鋭敏に感じ取っていた。
待っていたわ、と、妖しくも美しい笑みを浮かべて名前を出迎える。名前は青い顔でひきつり笑いで返した。あれよあれよと後悔する間も無く、あの薄暗い部屋の、あの日座った場所に変わりなく座らされた。
「さぁ、始めましょう。…私に全部…お見せなさい」
「…!」
むしろ。
後悔させる時間を与えなかったのはサーリャの思惑通り、迅速に計る為でもあり、彼女なりの優しさだったのかもしれない。
名前は目の前に翳された手のひらに思わず目を瞑る。額に冷ややかな肌の感触を受けて、名前の意識は、まるで電源を閉めたようにぷちりと途切れた。
「……に……れ…!」
「………?」
「…なの…な…んなの…なんなの…!…この、不愉快な…っ」
「……?」
名前が次に意識を取り戻した時、サーリャはぐしゃぐしゃと頭をかきむしり、厚いカーテンを広げた。眩しい太陽の光が目を刺して頭を振って逃れる。それからまだ狼狽しているサーリャに、そっと目を開けて見つめた。
「サーリャさん…?」
「どういうつもり…!こんなもの見せて、嫌がらせのつもり…!?」
「え……え?」
苦しそうに顔を歪ませてサーリャは名前を睨みつけた。名前はその意図がわからず、困惑するのみ。首を二度傾げて、責め苦に眉を顰める名前にサーリャは肩を上下させつつ落ち着こうと深く息を吐き出した。
「…失敗よ…」
「えっ」
「儀式は失敗したって言ってるの」
「そ、そんな…!」
「………貴方のせいよ」
「!…え……?」
「本当に貴方、真剣にこの儀式に身を委ねたの?貴方の心の中は迷いばかりで捻れているわ。真実を詰めた箱を隠すように」
「……!…わ…私は…」
「…無意識なのかしら…?…それはそれで興味深いけれど…忌々しいものを見てしまって、吐き気がする…今日はもう帰って」
「………」
「…心が落ち着いた時…また来なさい。次に中途半端な覚悟で来たなら…心を壊すわ、確実に」
「!」
サーリャの睨みを効かせた脅し文句は、浸透しやすい名前の心に深くまで突き刺さった。
結局、また放心状態の名前をサーリャは突き放してしまい、部屋から追い出されてしまった。
失敗するという可能性を考えもしなかった名前は、サーリャの部屋の前でしばらく動くことが出来なかった。
彼女の言う迷いとは何か。
帰郷を渋る気持ちか。それとも青年に向ける淡い思いか。
どちらにしても、手放してしまうには骨が折れるものだ。比較など出来ないほどにどちらも愛おしい。
どうすればいいの。
名前はやはり、二の足を踏むしかなく、良い考えが浮かぶこともなかった。
名前は無意識に、首にかかったあの指輪を服の上から探して掴んでいた。
言うならば、順序を変えればいいだけの話。
苦悩の元となる指輪をクロムに返し、迷いを打ち切るべし。いっそわかりやすく拒否でもされた方が心晴れやかに本懐を遂げられるというもの。
そうストーリー付けてみても、肝心の「心晴れやかに」なれるような自信をどこにも持ち合わせていなかった。わかりやすく拒否されたときの精神的苦痛は計り知れないのが真実だ。
出発前、自警団のアジトへ久しぶりにクロムが顔を出した。目的はもちろん、出没した屍兵退治を自ら指揮する為だ。今まではルフレやフレデリクが代役として指示を出したり、クロムに報告を述べたりとしていた。それ故に何日かぶりの団長復帰は、団員たちの気分を高揚させていた。
ただ一人、名前だけが青白い顔をして俯いている。時折腹をさすり、言葉数少ないクロムの声に反応しないようにするのが精一杯だ。
「どうしたの?」
「…!」
「気分でも悪い?」
少しずつ輪から外れ、端の方に位置をずらしていく名前に目聡く気づいたティアモに声をかけられ、名前は慌てて首を振った。それから、過剰なストレスに反応して胸元にある簡易ネックレスの丸い金属をぎゅっと握りしめる。
ティアモは怯える名前に気付きながらも、それでも何食わぬ顔を装った。
「……クロム様と話したかったんじゃない?行かなくていいの?」
「…!」
クロムへの気持ちを徐々に認めていく行程の中、名前にはティアモへ向ける感情をどう処理するべきかもわからなくなって、後回しにしていた。ティアモがクロムを特別視していると理解していたし、彼女と自分を比較して勝る点を細かにして探してしまいそうで、名前は恐ろしかった。
強く、気高く、そして努力家と、ティアモは内面外面どちらから見ても優れている。それに反してなかなか感情を表に出せず恋愛に奥手な一面は奥ゆかしさと言えた。
名前はすぐ卑屈になる自分をよく理解していたし、ティアモこそがクロムに相応しいとも思う。
だからひとまず向けられた火の粉を払うべく、名前は頬をつり上げて笑ってみる。
「ティアモさんは、行かなくていいんですか…?」
「私は…。質問返しは感心しないわよ」
「ご…ごめんなさい…でも…」
「……」
「……………」
言葉は続きそうで続かない。名前は腹部をさすって溜息を吐くだけで会話は途切れてしまった。
ティアモは、眉間に皺を寄せていても、そんな名前に辛抱強く付き合った。
それからはたと気付き、手の中で何かを転ばせて掴み取ったものを、代わりにティアモに突き出された。
「何?」
「……これ…ティアモさんに…」
「えっ私に?」
名前の手のひらの上できらりと光るそれを恐る恐る掴み、ティアモは目の前に翳した。
指輪だ。
ティアモは頬を暖めた。まさか女の子から貰えるなんて、と一瞬真面目に捉えてしまった。
しかし、補足として付け足されたか細い名前の声に現実に引き戻される。指輪の装飾を認めたのと同時の事だ。
「クロム様に…」
「えっ!」
「…クロム様に…お返ししてもらえませんか…?ティアモさん、から」
「………」
「………」
ティアモの動きが止まる。時が止まったように、微動だにしなくなったので名前は不安になりながら彼女が動き出すのを待った。
が、ティアモは名前が間延びする間もなく動き出した。手早く名前の腕を掴むと強引にその場を後にする。
幸い、慌ただしく出て行く二人に気付いたのは、周りに目を配るルフレと、さりげなく二人に注目していた場の主役たる青年だけだった。
「何考えてるの!」
「!」
「こんな大事なもの…!他人に渡して!」
「あ、あ、う…っ」
強引に手を開かせ、指輪を押し付けると同時に両の手で包み込む。ティアモは真っ赤になっていく名前に構わず、苦悶の表情を抑えながらも優しく笑いかけた。
「…貴方の世界がどうかはわからないけど、この世界の文化にはね、指輪には特別な意味があるのよ」
「…し…知ってる」
「知ってて…知ってて私に渡したの」
「………ティアモさんなら、…うまく渡してくれると…思って…」
「……!」
ぱちん、と、乾いた音が辺りに響く。名前はヒリヒリと熱を帯びる頬に、そしてティアモが平手打ちした事実に驚いた。
「貴方、クロム様に失礼だと思わないの!?」
「……っ」
「この指輪が、どんなものか…!わかってて貴方…酷いじゃない!」
「…っ…」
「なんとか言いなさい!!」
「…っ…だ…っ…て…、もう…」
「もう?」
「もう…きらわれた、から…!」
「!」
「わたし、違うせか、っいの、にんげっ…だから…!…もうだめなの…!」
「苗字…」
「もうダメなの…!…ダメ、…だめな…の…わたし…じゃ…」
「…ごめんなさい…ごめんなさい、苗字…!叩いたりして、あたし…!」
「うぅっ…う、ぁあ…」
「でも!でも違うわ、きっと違う。クロム様はそんな人じゃない…、そんな人じゃ…ないわ…」
ぽろぽろと落ちる涙と共に、不安と恐れを垂れ流し、泣きじゃくる名前を引き寄せ、ティアモは震える身体で抱き締め、謝り続けた。自分が犯した過ちに、心が冷えていく。しかし、そんなティアモに構わず、やっと感情を吐露出来る相手を見つけた名前は顔を押し付けて泣き続ける。幼子のように、ただただ必死に。ティアモはそれだけで許されたように思えて、必死に背をさすり、名前を強く抱き締め返した。
名前がぐすりぐすりと鼻を啜り、落ち着いた頃。ようやくぐちゃぐちゃの顔を上げた。
「ご…ごめんなさい、ティアモさん…私、なんて、こと…」
「ううん、私だって…痛かったでしょう?」
名前は首を横に振って否定した。袖もとを手繰り寄せ、涙まみれの目元を強く擦る。時折身体が跳ねるのは嗚咽を我慢しているためだ。
それからぽつりと、本心を吐く。
「…怖いの……」
「え?」
「……クロム様に…直接、拒否されるのが……わたし…そんなつもりじゃなかったのに…!…でも、私、クロム様のことが…!」
「知ってるわ、貴方の気持ち…前から」
「!」
「それに此処まで泣かれたら、誰だってわかるわよ」
「て…ティアモさん…!」
「何も言わないで。…大事な人だから嫌われたくない…。そうよね、怖いわ。私だって…面と向かって言われたら…」
「………」
今更、名前は顔を赤くして俯いた。心情を指摘された恥ずかしさか、ティアモに対する罪悪感からか。いや、どちらの要因も重なったからそうなったのだ。
ティアモはそんな名前にまた一つ笑みをこぼす。
本当にわかりやすいんだから、と。
「……わかったわ」
「え…?」
「私が代わりに…この指輪をクロム様に返してあげる」
「い、いいの?」
「貴方こそ本当にいいの?…この指輪は…貴方にとって最後の繋がりよ。私に託したら…逃げることになるわ」
「………」
名前はしばらく考えた。じっと、ティアモが掲げるクロムの指輪とにらみ合う。
しかし、目を伏せ、噛みしめた唇をほどくのにそう時間がかからなかった。
「……お願い…します…」
「……」
「もうこれ以上…迷惑…かけたくない…から…」
「そう…それで…本当にいいのね?」
「…私、帰ります…故郷に…お父さんとお母さんが…待ってるから…だから、平気…」
「………」
覇気のない言葉だった。しかし、その裏の気持ちに鋭敏なティアモは気づけないわけなかった。
しかし、彼女は何も言わなかった。
言ったところで、頑固な少女の気持ちが変わることなどない、いや、変えることも出来ないと確信していたのだ。
「えっ」
「あまり体調がよくないそうなの。だから今回の遠征は見送るって」
「そ…そうか。…うぅん、大丈夫かな」
「えぇ。もう部屋に戻ってる。…それで、あの…く、クロム様は?」
「クロムかい?一度部屋に戻るってことだから、もうすぐ帰ってくるよ」
「そう…ありがとう」
ルフレは何かしら言いたそうだったが、結局何も聞かなかった。ティアモも同様に何も告げず。
城までの回廊に行くまでに会えるだろう。そんな思惑を胸に、軽くはない足取りでティアモは進んだ。
そしてそのティアモの予見通り、クロムは彼女の前方から現れた。
疲れた顔をしていたが、彼女の存在に気付くと力強く笑いかけてくれる。それだけで、背を正したティアモの胸は弾み、痛む。
「どうした?忘れ物か?お前らしくないな」
「あ…い、いえ!そんなんじゃ…あの…お時間よろしいですか?」
「ん?あぁ、俺は構わないぞ。なんだ?」
ティアモはごくり、と喉を鳴らした。とても言いにくい、打ち明けずらい話だ。
しかし、それでも話さなければ。
恋い焦がれる相手と、友のためだから。
「これ…」
「……!」
「苗字から預かりました。クロム様に…と」
「苗字…から…そう、か…そうか…」
「………」
クロムはティアモから譲り受けた指輪を手にすると、今まで穏やかな顔をしていた青年は悲壮の色を初めて見せた。俯き、影の出来た顔。そんな彼を見つめていて、ティアモは声をあげた。喉を上擦らせ、素っ頓狂な第一声を咳で誤魔化しつつ、さっきまで一緒だった少女の感触を思い浮かべながら。
「どうして、受け取るんですか?」
「……」
「その指輪は苗字に贈ったのでしょう?…人を介さず、直接渡しに来いって、言わないのですか?」
「…苗字は嫌がったんだろう?俺に会いに来るのを」
「…嫌がったんじゃありません。怖かったんです」
「怖い…?」
「クロム様に会って、直接指輪を渡して自分を拒否されるのが怖かったんです」
「…!」
「自分は異邦人だから、と…」
「俺はそんなこと、そんなこと考えたこともない!」
「だったらそう伝えてあげてください」
「……」
「あの子、頭が堅い子だから。言葉にしなくちゃわからないんだと思います。だからクロム様の言葉で安心させてほしい」
「…傷つけてばかりの俺に、そんなことが出来るのか?」
「出来ます」
「ティアモ…」
「だって、クロム様は何時だってそうしてきたじゃないですか。だから苗字はすぐに貴方を好きになれたんです」
「!」
「もっと、自信をもってください。…傷つけられたって、人はそんなに簡単に人を嫌いにはなれないんですから」
クロムはちょっとの間は困惑して目を泳がせてしまったが、従来の性格からか考えるのが面倒になって、茹だる頭をかきむしった。
「すまん、ティアモ」
「は、…はい」
「今日はやはり、此処に残ることにする」
「!」
「ルフレにはうまいこと言っておいてくれないか?やることが出来たとか、なんとか」
「…わかりました」
自分の判断にまだ迷いがあるのか、苦笑いのクロムにティアモは言葉を付け足すか迷う。
それでもそのままの勢いに任せて、言葉を詰まらせながらティアモは言う。
「ち、ちょっと強引な方が、」
「ん?」
「女の子は、好きなんですよっ」
「……」
最初は呆気にとられてぽかんと間が空いたが、クロムはそれからにんまりと笑った。
ありがとう、と一言。
クロムは来た道を引き返していった。
ティアモはまだ正す背を伸ばしきり、起立したままその背を見送った。
クロムが振り返ることはないと知りながらも、そう願ってしまう自分がいる。
「飴、舐めとくか?」
「が、ガイアさん!な、なんです、いたんですか!?」
「まぁな」
不意に差し出された棒付き飴は薄いイエロー。甘そうな色をしている。
受け取るかも考えていなかったティアモはぐいぐいと口元に押し込んでくるあめ玉をとうとう拒否出来なくて口の中へ。思った通りに甘酸っぱい。
「いいんですか?貴重な甘味でしょう?」
「いいんだよ。こういうときは甘いのが。それに好きなんだろ?強引な男が」
「も、もう!」
私がレモン味が苦手だったらどうするの、と心中詰ってみても、きっと今は受け取ってしまうだろう。
ガイアはそれきり何も言わなくなった。いつもは猫背のくせに、今だけしゃんと背筋を伸ばしているのは、折れつつあるティアモの為か。
ティアモは出来上がる影の中で、男の薄い背に少しだけ凭れ込んだ。今になってこみ上げる悲壮が、辛みが、目の奥から生まれてくる。
口の中は甘酸っぱいまま。飴玉を壊さぬようにくっついた棒を噛みしめて、ティアモはそこではじめて泣いた。