#09.絶対幸せにしてくれるから!
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フェリアを巻き込んだイーリス・ペレジア間の戦争はペレジア王の敗戦から間もなく幕を引いた。勝ち鬨を上げたのはフェリアだけだ。寧ろイーリスの者達は生き残った安堵はあれど、戦いの終息以外の喜びの色は薄い。
三国は大いに傷ついた。イーリスの聖王エメリナを始め、フェリア・ペレジア含むたくさんの兵達が死んでいった。
だが、国を失ったわけではない。
ペレジアは新たな統治者を迎え、フェリアは敗戦国ペレジアから多額の賠償金を受け、そしてイーリスはそんなフェリアの助力を受けつつも、聖王代行の身となったクロムを中心に傷ついた国土を癒していくのだった。
「苗字みーっけ!」
「!!」
草陰に身を小さくして座り込んでいた名前の顔をのぞき込む少女。名前は彼女にはにかみながら服の土や草を払った。
「…ノノちゃん早いね」
「えへへ、ノノ、かくれんぼの鬼、得意なんだよー!」
無邪気に笑う竜の娘ノノの愛らしさに、思わず名前は顔を綻ばす。
それより、と、ノノは捕まえた名前の両腕を引っ張って訴える。
「ノノとの約束だよ!かくれんぼでノノが勝ったんだからお話聞かせて!」
「…うん、そうだね」
名前は困り顔ながら、己が身を隠す前にした約束を思い出した。かくれんぼで負けたら、名前の思い出話を聞かせてやる、とノノと指切りしたのだ。名前は心中乗り気ではないのだが、ノノにとっては好奇心と呼ぶにはちっぽけな、強い興味を引くお伽噺らしい。
戦争の後、心中許せる仲間達に名前はありのままの事実を打ち明けた。誰かは驚いて、違う誰かは一笑し、また違う誰かは名前の身を案じてみたり。
様々な予想通りの仲間達の反応を垣間見て後、名前はまた無口な少女へと変わり身した。自分の領域を一歩踏み出さないようにして、これ以上の混乱を招くまいとしたのだ。
しかし、傭兵団の面々はそんな名前の心使いにも、黙っているはずがなかった。名前が街へ訪れる際は誰かしらが隣に立って同伴を申し出てくるし、見るからに怪しい情報(主に異界の門より流れてくる奇怪な話が多い)を誰かが耳にすれば、忽ちあちらこちらから寄せられた。
名前はそんな仲間達の気遣いに感謝し、そして、自分より熱心な彼らに申し訳ない気持ちを抱かずにはいられなかった。
この話も何度目か。折れた木の枝を使って柔らかい地面に落書きをしながら、馬以外での長距離移動を可能にした人類の大発明をこれまた簡単に説明する。以前もそうして同じ話をミリエルにしたのだが、嵐のような質問攻めに合った疲労を名前は忘れられなかった。相手は話半分で聞いてくれるノノだからまだマシだ。名前があまり話したくないという理由の一つなのだが、彼女たちに共通して目を輝かせた期待感に、背くことも出来なかった。
しかし元々話し下手な名前の話術の為か。その場はいつの間にか飽いたらしいノノとの落書き大会と化していた。絵は花々が散らされた背景に可愛らしい火を噴いたドラゴンが二輪しかない自動車の上に乗せられてしまった。上手に描くものだ、と褒めてやると、ノノは嬉しそうに笑うこともなく、じっと名前を見つめ返した。
「うん?」
「………あのね、みんなが言ってたの。…苗字とは、もうすぐお別れかもしれないって」
「……」
「ほんとなの?どこか行っちゃうの?」
ノノは先程までの楽しそうな顔色から一変し、心配そうな視線を上目遣いで仰いだ。
名前は呆然とし、それからようやく考えて、言葉を紡ぐ。
「…今はまだ、よく…わからないな…」
「そうなの?」
「うん…帰りたいと思うし…みんなと一緒にも…いたい…」
一人言の風体で呟かれた言葉は名前の本心だった。ほんの少し前までは帰ることしか頭になかった。しかし、いつの間にやら郷愁の念と同じくらいにこの世界を大事に思う自分がいる。
何よりも。
名前は瞼の奥に存在する青年のシルエットが浮かび始めると瞬いてそれを打ち消した。
だが、そんな鷹揚な名前にがばりと小さな身体が張り付いた。言わずもがなノノである。
「あのね、ノノ、思うの」
「えっえ?」
「パパとママは大事にしなきゃダメだよっ」
「!」
「苗字、パパとママ、好きでしょ?寂しかったよね…すごく寂しいの、ノノわかるよ。ノノも…寂しかったもん」
「…ノノちゃん…」
「だからね、会いにいけるなら帰らなきゃ!心配してるよ、苗字のこと」
「……うん…」
「お別れは悲しいけど…家族も大事だもん。ノノ、苗字がもっと辛くなるのはやだから…」
「…ありがとう…ノノちゃん…」
ノノはいつの間にか涙をいっぱいに溜めて泣きべそを必死に堪えていた。ノノを抱きしめ返し、小さな頭をさらさらの髪を梳くように撫でれば、ぐすんと鼻をすすりながらノノは言葉を繋ぐ。
「あのね、パパとママの居場所がわからなかったらサーリャに聞くといいよ!」
「サーリャさん…?」
「ノノのパパとママを探してくれたんだ。…ちょっと遠いところにいて、まだ会えないけど…きっと探してくれるよ!」
サーリャはペレジアの呪術士だ。日夜怪しい呪いを施しているらしい。名前の正体を知った後、「通りで効き目が悪いわけだわ」とかなんとか、恐ろしい言葉を聞いてしまった。それ以来、何かと視線を感じるので、名前としては苦手意識を持つ仲間の一人だった。
しかし、ノノが教えてくれた折角の話だ。名前は少し沈黙した後、そうするね、と了解した。それを聞いてノノは晴れやかな笑顔を向けて何度も頷いたのだった。
人も増え、傭兵団のアジトは以前より狭くなったと思う。そんな中、サーリャは日の届かない倉庫のような薄暗い部屋を陣取った。大抵はルフレの動向を調べているか、ルフレと一緒に過ごせるからと出てくる食事の時以外はその部屋で過ごしている。
名前は二度三度ノックを躊躇った後、扉をようやく叩いた。部屋に向かって聞き耳を立ててみたものの、物音一つ拾いきれず、木造の扉は静かに開いた。
部屋の主は顔を床に向け、目だけを上向かせてじろりと睨みつける。
「………なに?」
「あ……えっと…あの…」
名前は用意していたはずの台詞が頭の中で真っ白になって散ってしまって口ごもる。それから恥ずかしくなって視線を反らせた。サーリャはその姿勢こそ後ろ向きだが目鼻立ち整った美人であり、名前には考えられない露出度の高い衣服を着こなしている。透けて見える瑞々しい素肌と撓わな乳房に名前は恥ずかしさを隠しきれない。
しかし、口数の少ない名前に気を悪くしたのか、サーリャが扉を閉めようとして、名前は慌てて止めに入る。
探し人を探す手伝いをお願いしたいこと、ノノに教えてもらった旨を伝えると、今度はサーリャがじっと名前を見つめて思案し、それから部屋へと迎え入れた。
「探し人って……例の突き落としたとかいう男?」
「あ……はい…いや、あの…故郷への帰り方さえわかれば…」
「…それは無理ね」
「えっ…」
「いくら私でも異世界まで範囲を広げるのは無理。…ただでさえ貴方には私の呪いが効きにくいもの」
「そ………そう、ですか…」
「…でも、別の方法はあるわ」
「えっそ、それは…」
「まぁ…とにかく座れば?」
サーリャに促され、小さな椅子一脚を拝借して座り込んだ。部屋の中は混沌としており、小さな明かり窓でさえ光を遮断する布が張られていた。なので日光に代わってあちこちの蝋の火が妖しくゆらめいている。サーリャは名前に対するように座る。その薄ら暗さが彼女に向ける視線の羞恥を和らげてくれた。
「…貴方の故郷を探すのは無理だけど…貴方をこの世界に突き落とした男…そいつなら見つけられるかもしれないわ」
「ほ、ほんとう?」
「……リスクはあるけどね」
サーリャは嬉しそうににやりと笑った。名前は今になってぞっとひきつったが、逃げ出したい気持ちを堪えて歯を噛みしめる。
サーリャは言葉を続ける。
「貴方の記憶…覗かせてもらえれば、その男の人相がわかるかも…」
「私の…記憶?」
「記憶は鮮明だけど、人が思い出せる範囲は限られているわ。…だから私が直接見て上げる。貴方の記憶の隅々までね…」
「!…そ、それはどういう…」
「言葉の通りよ。貴方が体験した今までから過去全て…洗いざらいね」
「……」
さぁっと、背筋に冷たいものが走る。ただの脅しにしてはあまりにもリアリティがない。だからこそ、それが嘘だとは思えなかった。きっとサーリャのことだから根刮ぎ名前という人間の内側を暴くだろう。
それは恐怖だ。耐え難い仕打ちだ。
名前が口を閉じて利き腕の方をひたすらさすりだしたので、サーリャは冷ややかな視線で事務的に言葉を付け足す。
「…決めるのは貴方よ。私は無理強いなんかしない…」
「……」
「でも本当に必要だと思うのなら、それ相応のリスクを背負うべきだわ。…痛みのない手段なんて、所詮まやかしよ」
「…そう…ですね…。……」
それでも思い切ってやってくれ、とは言えなかった。
気がつけばサーリャの部屋から出て、アジトを歩き回っていた。サーリャの誘いには時間をくれとだけ願って退室した。
リスクは高い。しかし、その分得られる情報は確かなものとなるだろう。名前にもそれはよく理解出来た。
あの青年の顔がわかれば探す範囲は広がるし、もしかしたら見つかるかもしれない。何よりも自分が異邦人だと信じない者達にも信用を得られるのは名前にはありがたいことだ。
しかし、名前は自分という人間を見せたくはない。幼い頃に周りから受けた仕打ちはいまだに自分を縛り付けていた。
己の将来の夢は、と幼児期問われて、名前は素直に答えをあげたことを浅薄として後悔していた。
大人達にとっては小さくて笑い話としても些細なものだったろう。しかし幼い名前には漠然とした夢であっても大事だった。そして今でも叶わぬと言ってもいいのに捨てきれない願いでもある。
サーリャもそれを知れば鼻で笑うのだろうか。
「…で、…なの!お兄ちゃん、大丈夫かなぁ…」
「…あら?」
「あっ」
「?」
「苗字さん!…どうしたの?顔色悪いよ?」
広間のテーブルに身を寄せ合ってお喋りを楽しんでいたらしいリズとマリアベルと目があった。会話を打ち切って心配そうに顔色を伺う少女達に、名前は賢明に笑って首を振った。
「お二人は何のお話を…?」
「あのね、お兄ちゃんの話。最近お話出来ないなって」
「え……そうなんですか?」
「うん…お仕事忙しいのはわかるんだけど…」
「……寂しいですか?」
「…うん」
リズは小さく頷いて下を向いたきりになってしまった。聖王代行としてクロムは傾いたイーリスの政で忙しく、ルフレとフレデリク以外は話はおろか、姿を間近で見ることもなくなった。もちろんクロムがリズを蔑ろにしたことはないだろうが、希薄になった関係性にリズは耐えられないのだろう。
しょんぼりとしてしまった親友にマリアベルが背を優しく撫でてやる。
「…それにね、フレデリクから聞いたんだけど、」
「?」
「お兄ちゃん…結婚しちゃうかもって…」
「!」
「あっ…り、リズ!」
「…えっ」
リズはぱっと口元を急いで押さえたが、紡いだ言葉は声となり、名前の耳に届いた後だ。
名前は呆然と目を見開いた。
「あっあの、その…!う、噂だよ!?フレデリクがお見合いしたんだって言うから…!」
「お…おみあい…?」
「あっと、えっと、あのこれ…話すつもりじゃなかったんだけど…」
「もう遅いですわね」
「………」
今度は名前が顔を歪ませて下を向いた。
助けを求めるようにリズはマリアベルに視線を向ける。期待の眼差しに気づくと、マリアベルはこほん、と一つ咳払いをして、詳しく話し始めた。
「…エメリナ様が行方不明になられてから、実質この国の指導者はクロム様に移りましたわ。正式な儀式執行は未定ですが、いずれ聖王の名を継がれますでしょう。そこで、今のイーリス貴族達の関心はクロム様の伴侶となる方です」
「は…はん…」
「伴侶。妻となる方ですわ」
「……」
「エメリナ様は聖王をお継ぎになるのが早かったので夫をお迎えする暇がありませんでしたから…。今だからこそ躍起になっているのですわ。まぁ、王家に縁を作っておこうという浅はかな方々の浅知恵ですけれど」
「……」
「でも、マリアベルにもお話が来たんだよね?」
「えっ」
「はい。ですが、私にはリヒトさんというパートナーがいますから!」
うふふ、とマリアベルは上品に微笑んで頬を染めた。
ペレジアとの戦争終結後、二人の紡いでいた仲は、家同士の繋がりもあって結ばれた。支え合える二人を先日祝福したばかりだ。
実はそんな甘い関係を密やかに結んでいたのは彼らだけではない。蕾だった花々が咲き出す暖かな季節を迎えたように、結ばれていく恋人達が続々と露わになっていった。平和になった証なのか、アジトはそんな桃色の空気をいつも纏っている。
名前もリズも、そんなマリアベルが微笑ましくも、現状苦笑いである。
とにかく、と話の反れを規律よく直し、マリアベルは話を続ける。
「お世継ぎのこともありますから、クロム様も真剣に取り組まなければなりません、結婚は重大なことなのですわ」
「…そっか…そうだよね…」
「……」
「……」
改めて、クロムの立場を理解させられたような気がした。王家とはそれほど魅力的なのだろう。手塩にかけて育てた娘をあてがう貴族達の姿はそれほど想像に難くない。見目麗しい女性達を侍らすクロムも様になるだろう。
自分なんかが隣にいれるはずはないのだ。
そもそも。
クロムは戦後自分と余所余所しくなった。聖王代行として、国のリーダーとして忙しくなったのは真実だ。しかし、以前のような親しみを彼は向けてくれなくなった。投げかける視線に合わせてくれることもなくなった。ましてや二人で話すことはない。弓の鍛錬をしよう、と約束してから一度も果たしてはいない。
契機はあった。名前が、己の真実を打ち明けてからだ。
そして同時に。名前はクロムの名を口にしなくなった。
リズとマリアベルは視線をかち合わせ、声もなく意志疎通を計る。青白くなっていく名前に、どう声をかけようか迷っているのだ。
そして、リズが意を決したようにでもね、と小さく声をかけた。
「お兄ちゃん、全部断ってるみたいなの」
「…!」
「……その為に貴族達との間に亀裂が入ってしまい、関係改善に忙しいとルフレさんは言ってましたわね」
「……っ」
「その理由がね、『指輪がもうない』からだー、の、一点張りで。…あんな大事なもの、どこにやっちゃったんだろ…お兄ちゃん」
「…指輪…?」
「うん。うちの親がね、奥さんになる人へ贈るようにってお兄ちゃんに指輪を持たせてたの」
「!」
「フレデリクが部屋中探したみたいなんだけど見つからなくて…いろんなことがあったから、どこかに落としちゃったのかなぁ…お兄ちゃんはなにも言わないし…」
「……」
「…苗字さん?」
「え…っえ?」
「本当に大丈夫ですの?顔から血の気が引いてますわよ」
「………っ」
「あ!杖使う?」
慌てた名前はそれを首を降るだけで断った。
だが念のため休んでおく、とか細い声をあげて名前はふらふらと自室へ引き上げた。
狭い個室に逃げ込んだ後、名前は首筋にぶら下げていた首輪をたぐり寄せた。そこには、小さな金属の輪っかが通されていてふらふら揺れている。
あの夜。クロム自身から託された指輪だった。決戦中も、そして、今の今まで紐に通されたそれは名前の首にかかり、肌と服の隙間に収まっていた。無くしてはならぬと肌身離さずにいたのは、この指輪だけがクロムとの微かな繋がりだったから。
リズの話が本当ならば、この指輪こそが親から贈られたという代物なのかもしれない。
愚鈍な名前にだって、その可能性は容易く浮かんだ。
(どうしてそんな大事なもの、私なんかに!)
それから激しくクロムを心中で詰る。
エンゲージリングという習慣がこの世界でも存在していると知ったのは、なにも今更ではない。自分にはちょっと似合わないかも、と、気恥ずかしそうにソワレが薬指にソールから贈られた指輪を填めているときにそう聞かされて驚いた覚えがある。
これがそうだとは、名前には考えつかなかった。
(でも、クロム様はこれがお守りだって…そう…言ってたはず……?)
サーリャの言うとおり、記憶を掘り起こすのは困難だ。名前はあの晩の幸せな思い出は忘れないが、会話の一つ一つが浮かばない。それに今になってこの指輪の意味を問いかけると胸が詰まるようだ。
これはクロムの婚約指輪だったのだ。それを、今は自分が握っている。
名前は期待を膨らませる己に気づくと頭を振った。
クロムは確かにお守りだ、と言って、不安な面もちの自分を励ますために渡したはず。
そう、これは預かりものなのだ。
名前はそう考えを巡らせると、あからさまに気分を落ち込ませた。
よくよく思い返せば、クロムは指輪を渡す際にさもおかしそうに笑っていた。理由を問いただせなかったが、不快感を持っていたことまで思い出して、こんな大事なものを私なんかに渡して、と責任を転嫁する。
そんな雰囲気で婚約指輪など渡すはずがない。そう結論づけてから、名前はまた新たな疑問にぶち当たった。
どうやってこれをクロムに返すべきか。
今やクロムに避けられていることを名前は自覚している。異邦人として意識させてしまった以上、これ以上迷惑をかけたくはない。きっと、返してほしくてもそのきっかけがなかったのだ。
名前はじっ、と、手のひらの上で重く感じる指輪を見つめ、溜息を吐いた。考えれば考えるほどに悲しい事実と巡り会う。
それから名前は面倒になって、指輪を握り込んだまま寝台の上に寝ころんだ。思考を手放しても、困り顔の青年の顔が頭から離れなくて、名前はいつの間にか枕を濡らして眠りに付くのだった。
三国は大いに傷ついた。イーリスの聖王エメリナを始め、フェリア・ペレジア含むたくさんの兵達が死んでいった。
だが、国を失ったわけではない。
ペレジアは新たな統治者を迎え、フェリアは敗戦国ペレジアから多額の賠償金を受け、そしてイーリスはそんなフェリアの助力を受けつつも、聖王代行の身となったクロムを中心に傷ついた国土を癒していくのだった。
「苗字みーっけ!」
「!!」
草陰に身を小さくして座り込んでいた名前の顔をのぞき込む少女。名前は彼女にはにかみながら服の土や草を払った。
「…ノノちゃん早いね」
「えへへ、ノノ、かくれんぼの鬼、得意なんだよー!」
無邪気に笑う竜の娘ノノの愛らしさに、思わず名前は顔を綻ばす。
それより、と、ノノは捕まえた名前の両腕を引っ張って訴える。
「ノノとの約束だよ!かくれんぼでノノが勝ったんだからお話聞かせて!」
「…うん、そうだね」
名前は困り顔ながら、己が身を隠す前にした約束を思い出した。かくれんぼで負けたら、名前の思い出話を聞かせてやる、とノノと指切りしたのだ。名前は心中乗り気ではないのだが、ノノにとっては好奇心と呼ぶにはちっぽけな、強い興味を引くお伽噺らしい。
戦争の後、心中許せる仲間達に名前はありのままの事実を打ち明けた。誰かは驚いて、違う誰かは一笑し、また違う誰かは名前の身を案じてみたり。
様々な予想通りの仲間達の反応を垣間見て後、名前はまた無口な少女へと変わり身した。自分の領域を一歩踏み出さないようにして、これ以上の混乱を招くまいとしたのだ。
しかし、傭兵団の面々はそんな名前の心使いにも、黙っているはずがなかった。名前が街へ訪れる際は誰かしらが隣に立って同伴を申し出てくるし、見るからに怪しい情報(主に異界の門より流れてくる奇怪な話が多い)を誰かが耳にすれば、忽ちあちらこちらから寄せられた。
名前はそんな仲間達の気遣いに感謝し、そして、自分より熱心な彼らに申し訳ない気持ちを抱かずにはいられなかった。
この話も何度目か。折れた木の枝を使って柔らかい地面に落書きをしながら、馬以外での長距離移動を可能にした人類の大発明をこれまた簡単に説明する。以前もそうして同じ話をミリエルにしたのだが、嵐のような質問攻めに合った疲労を名前は忘れられなかった。相手は話半分で聞いてくれるノノだからまだマシだ。名前があまり話したくないという理由の一つなのだが、彼女たちに共通して目を輝かせた期待感に、背くことも出来なかった。
しかし元々話し下手な名前の話術の為か。その場はいつの間にか飽いたらしいノノとの落書き大会と化していた。絵は花々が散らされた背景に可愛らしい火を噴いたドラゴンが二輪しかない自動車の上に乗せられてしまった。上手に描くものだ、と褒めてやると、ノノは嬉しそうに笑うこともなく、じっと名前を見つめ返した。
「うん?」
「………あのね、みんなが言ってたの。…苗字とは、もうすぐお別れかもしれないって」
「……」
「ほんとなの?どこか行っちゃうの?」
ノノは先程までの楽しそうな顔色から一変し、心配そうな視線を上目遣いで仰いだ。
名前は呆然とし、それからようやく考えて、言葉を紡ぐ。
「…今はまだ、よく…わからないな…」
「そうなの?」
「うん…帰りたいと思うし…みんなと一緒にも…いたい…」
一人言の風体で呟かれた言葉は名前の本心だった。ほんの少し前までは帰ることしか頭になかった。しかし、いつの間にやら郷愁の念と同じくらいにこの世界を大事に思う自分がいる。
何よりも。
名前は瞼の奥に存在する青年のシルエットが浮かび始めると瞬いてそれを打ち消した。
だが、そんな鷹揚な名前にがばりと小さな身体が張り付いた。言わずもがなノノである。
「あのね、ノノ、思うの」
「えっえ?」
「パパとママは大事にしなきゃダメだよっ」
「!」
「苗字、パパとママ、好きでしょ?寂しかったよね…すごく寂しいの、ノノわかるよ。ノノも…寂しかったもん」
「…ノノちゃん…」
「だからね、会いにいけるなら帰らなきゃ!心配してるよ、苗字のこと」
「……うん…」
「お別れは悲しいけど…家族も大事だもん。ノノ、苗字がもっと辛くなるのはやだから…」
「…ありがとう…ノノちゃん…」
ノノはいつの間にか涙をいっぱいに溜めて泣きべそを必死に堪えていた。ノノを抱きしめ返し、小さな頭をさらさらの髪を梳くように撫でれば、ぐすんと鼻をすすりながらノノは言葉を繋ぐ。
「あのね、パパとママの居場所がわからなかったらサーリャに聞くといいよ!」
「サーリャさん…?」
「ノノのパパとママを探してくれたんだ。…ちょっと遠いところにいて、まだ会えないけど…きっと探してくれるよ!」
サーリャはペレジアの呪術士だ。日夜怪しい呪いを施しているらしい。名前の正体を知った後、「通りで効き目が悪いわけだわ」とかなんとか、恐ろしい言葉を聞いてしまった。それ以来、何かと視線を感じるので、名前としては苦手意識を持つ仲間の一人だった。
しかし、ノノが教えてくれた折角の話だ。名前は少し沈黙した後、そうするね、と了解した。それを聞いてノノは晴れやかな笑顔を向けて何度も頷いたのだった。
人も増え、傭兵団のアジトは以前より狭くなったと思う。そんな中、サーリャは日の届かない倉庫のような薄暗い部屋を陣取った。大抵はルフレの動向を調べているか、ルフレと一緒に過ごせるからと出てくる食事の時以外はその部屋で過ごしている。
名前は二度三度ノックを躊躇った後、扉をようやく叩いた。部屋に向かって聞き耳を立ててみたものの、物音一つ拾いきれず、木造の扉は静かに開いた。
部屋の主は顔を床に向け、目だけを上向かせてじろりと睨みつける。
「………なに?」
「あ……えっと…あの…」
名前は用意していたはずの台詞が頭の中で真っ白になって散ってしまって口ごもる。それから恥ずかしくなって視線を反らせた。サーリャはその姿勢こそ後ろ向きだが目鼻立ち整った美人であり、名前には考えられない露出度の高い衣服を着こなしている。透けて見える瑞々しい素肌と撓わな乳房に名前は恥ずかしさを隠しきれない。
しかし、口数の少ない名前に気を悪くしたのか、サーリャが扉を閉めようとして、名前は慌てて止めに入る。
探し人を探す手伝いをお願いしたいこと、ノノに教えてもらった旨を伝えると、今度はサーリャがじっと名前を見つめて思案し、それから部屋へと迎え入れた。
「探し人って……例の突き落としたとかいう男?」
「あ……はい…いや、あの…故郷への帰り方さえわかれば…」
「…それは無理ね」
「えっ…」
「いくら私でも異世界まで範囲を広げるのは無理。…ただでさえ貴方には私の呪いが効きにくいもの」
「そ………そう、ですか…」
「…でも、別の方法はあるわ」
「えっそ、それは…」
「まぁ…とにかく座れば?」
サーリャに促され、小さな椅子一脚を拝借して座り込んだ。部屋の中は混沌としており、小さな明かり窓でさえ光を遮断する布が張られていた。なので日光に代わってあちこちの蝋の火が妖しくゆらめいている。サーリャは名前に対するように座る。その薄ら暗さが彼女に向ける視線の羞恥を和らげてくれた。
「…貴方の故郷を探すのは無理だけど…貴方をこの世界に突き落とした男…そいつなら見つけられるかもしれないわ」
「ほ、ほんとう?」
「……リスクはあるけどね」
サーリャは嬉しそうににやりと笑った。名前は今になってぞっとひきつったが、逃げ出したい気持ちを堪えて歯を噛みしめる。
サーリャは言葉を続ける。
「貴方の記憶…覗かせてもらえれば、その男の人相がわかるかも…」
「私の…記憶?」
「記憶は鮮明だけど、人が思い出せる範囲は限られているわ。…だから私が直接見て上げる。貴方の記憶の隅々までね…」
「!…そ、それはどういう…」
「言葉の通りよ。貴方が体験した今までから過去全て…洗いざらいね」
「……」
さぁっと、背筋に冷たいものが走る。ただの脅しにしてはあまりにもリアリティがない。だからこそ、それが嘘だとは思えなかった。きっとサーリャのことだから根刮ぎ名前という人間の内側を暴くだろう。
それは恐怖だ。耐え難い仕打ちだ。
名前が口を閉じて利き腕の方をひたすらさすりだしたので、サーリャは冷ややかな視線で事務的に言葉を付け足す。
「…決めるのは貴方よ。私は無理強いなんかしない…」
「……」
「でも本当に必要だと思うのなら、それ相応のリスクを背負うべきだわ。…痛みのない手段なんて、所詮まやかしよ」
「…そう…ですね…。……」
それでも思い切ってやってくれ、とは言えなかった。
気がつけばサーリャの部屋から出て、アジトを歩き回っていた。サーリャの誘いには時間をくれとだけ願って退室した。
リスクは高い。しかし、その分得られる情報は確かなものとなるだろう。名前にもそれはよく理解出来た。
あの青年の顔がわかれば探す範囲は広がるし、もしかしたら見つかるかもしれない。何よりも自分が異邦人だと信じない者達にも信用を得られるのは名前にはありがたいことだ。
しかし、名前は自分という人間を見せたくはない。幼い頃に周りから受けた仕打ちはいまだに自分を縛り付けていた。
己の将来の夢は、と幼児期問われて、名前は素直に答えをあげたことを浅薄として後悔していた。
大人達にとっては小さくて笑い話としても些細なものだったろう。しかし幼い名前には漠然とした夢であっても大事だった。そして今でも叶わぬと言ってもいいのに捨てきれない願いでもある。
サーリャもそれを知れば鼻で笑うのだろうか。
「…で、…なの!お兄ちゃん、大丈夫かなぁ…」
「…あら?」
「あっ」
「?」
「苗字さん!…どうしたの?顔色悪いよ?」
広間のテーブルに身を寄せ合ってお喋りを楽しんでいたらしいリズとマリアベルと目があった。会話を打ち切って心配そうに顔色を伺う少女達に、名前は賢明に笑って首を振った。
「お二人は何のお話を…?」
「あのね、お兄ちゃんの話。最近お話出来ないなって」
「え……そうなんですか?」
「うん…お仕事忙しいのはわかるんだけど…」
「……寂しいですか?」
「…うん」
リズは小さく頷いて下を向いたきりになってしまった。聖王代行としてクロムは傾いたイーリスの政で忙しく、ルフレとフレデリク以外は話はおろか、姿を間近で見ることもなくなった。もちろんクロムがリズを蔑ろにしたことはないだろうが、希薄になった関係性にリズは耐えられないのだろう。
しょんぼりとしてしまった親友にマリアベルが背を優しく撫でてやる。
「…それにね、フレデリクから聞いたんだけど、」
「?」
「お兄ちゃん…結婚しちゃうかもって…」
「!」
「あっ…り、リズ!」
「…えっ」
リズはぱっと口元を急いで押さえたが、紡いだ言葉は声となり、名前の耳に届いた後だ。
名前は呆然と目を見開いた。
「あっあの、その…!う、噂だよ!?フレデリクがお見合いしたんだって言うから…!」
「お…おみあい…?」
「あっと、えっと、あのこれ…話すつもりじゃなかったんだけど…」
「もう遅いですわね」
「………」
今度は名前が顔を歪ませて下を向いた。
助けを求めるようにリズはマリアベルに視線を向ける。期待の眼差しに気づくと、マリアベルはこほん、と一つ咳払いをして、詳しく話し始めた。
「…エメリナ様が行方不明になられてから、実質この国の指導者はクロム様に移りましたわ。正式な儀式執行は未定ですが、いずれ聖王の名を継がれますでしょう。そこで、今のイーリス貴族達の関心はクロム様の伴侶となる方です」
「は…はん…」
「伴侶。妻となる方ですわ」
「……」
「エメリナ様は聖王をお継ぎになるのが早かったので夫をお迎えする暇がありませんでしたから…。今だからこそ躍起になっているのですわ。まぁ、王家に縁を作っておこうという浅はかな方々の浅知恵ですけれど」
「……」
「でも、マリアベルにもお話が来たんだよね?」
「えっ」
「はい。ですが、私にはリヒトさんというパートナーがいますから!」
うふふ、とマリアベルは上品に微笑んで頬を染めた。
ペレジアとの戦争終結後、二人の紡いでいた仲は、家同士の繋がりもあって結ばれた。支え合える二人を先日祝福したばかりだ。
実はそんな甘い関係を密やかに結んでいたのは彼らだけではない。蕾だった花々が咲き出す暖かな季節を迎えたように、結ばれていく恋人達が続々と露わになっていった。平和になった証なのか、アジトはそんな桃色の空気をいつも纏っている。
名前もリズも、そんなマリアベルが微笑ましくも、現状苦笑いである。
とにかく、と話の反れを規律よく直し、マリアベルは話を続ける。
「お世継ぎのこともありますから、クロム様も真剣に取り組まなければなりません、結婚は重大なことなのですわ」
「…そっか…そうだよね…」
「……」
「……」
改めて、クロムの立場を理解させられたような気がした。王家とはそれほど魅力的なのだろう。手塩にかけて育てた娘をあてがう貴族達の姿はそれほど想像に難くない。見目麗しい女性達を侍らすクロムも様になるだろう。
自分なんかが隣にいれるはずはないのだ。
そもそも。
クロムは戦後自分と余所余所しくなった。聖王代行として、国のリーダーとして忙しくなったのは真実だ。しかし、以前のような親しみを彼は向けてくれなくなった。投げかける視線に合わせてくれることもなくなった。ましてや二人で話すことはない。弓の鍛錬をしよう、と約束してから一度も果たしてはいない。
契機はあった。名前が、己の真実を打ち明けてからだ。
そして同時に。名前はクロムの名を口にしなくなった。
リズとマリアベルは視線をかち合わせ、声もなく意志疎通を計る。青白くなっていく名前に、どう声をかけようか迷っているのだ。
そして、リズが意を決したようにでもね、と小さく声をかけた。
「お兄ちゃん、全部断ってるみたいなの」
「…!」
「……その為に貴族達との間に亀裂が入ってしまい、関係改善に忙しいとルフレさんは言ってましたわね」
「……っ」
「その理由がね、『指輪がもうない』からだー、の、一点張りで。…あんな大事なもの、どこにやっちゃったんだろ…お兄ちゃん」
「…指輪…?」
「うん。うちの親がね、奥さんになる人へ贈るようにってお兄ちゃんに指輪を持たせてたの」
「!」
「フレデリクが部屋中探したみたいなんだけど見つからなくて…いろんなことがあったから、どこかに落としちゃったのかなぁ…お兄ちゃんはなにも言わないし…」
「……」
「…苗字さん?」
「え…っえ?」
「本当に大丈夫ですの?顔から血の気が引いてますわよ」
「………っ」
「あ!杖使う?」
慌てた名前はそれを首を降るだけで断った。
だが念のため休んでおく、とか細い声をあげて名前はふらふらと自室へ引き上げた。
狭い個室に逃げ込んだ後、名前は首筋にぶら下げていた首輪をたぐり寄せた。そこには、小さな金属の輪っかが通されていてふらふら揺れている。
あの夜。クロム自身から託された指輪だった。決戦中も、そして、今の今まで紐に通されたそれは名前の首にかかり、肌と服の隙間に収まっていた。無くしてはならぬと肌身離さずにいたのは、この指輪だけがクロムとの微かな繋がりだったから。
リズの話が本当ならば、この指輪こそが親から贈られたという代物なのかもしれない。
愚鈍な名前にだって、その可能性は容易く浮かんだ。
(どうしてそんな大事なもの、私なんかに!)
それから激しくクロムを心中で詰る。
エンゲージリングという習慣がこの世界でも存在していると知ったのは、なにも今更ではない。自分にはちょっと似合わないかも、と、気恥ずかしそうにソワレが薬指にソールから贈られた指輪を填めているときにそう聞かされて驚いた覚えがある。
これがそうだとは、名前には考えつかなかった。
(でも、クロム様はこれがお守りだって…そう…言ってたはず……?)
サーリャの言うとおり、記憶を掘り起こすのは困難だ。名前はあの晩の幸せな思い出は忘れないが、会話の一つ一つが浮かばない。それに今になってこの指輪の意味を問いかけると胸が詰まるようだ。
これはクロムの婚約指輪だったのだ。それを、今は自分が握っている。
名前は期待を膨らませる己に気づくと頭を振った。
クロムは確かにお守りだ、と言って、不安な面もちの自分を励ますために渡したはず。
そう、これは預かりものなのだ。
名前はそう考えを巡らせると、あからさまに気分を落ち込ませた。
よくよく思い返せば、クロムは指輪を渡す際にさもおかしそうに笑っていた。理由を問いただせなかったが、不快感を持っていたことまで思い出して、こんな大事なものを私なんかに渡して、と責任を転嫁する。
そんな雰囲気で婚約指輪など渡すはずがない。そう結論づけてから、名前はまた新たな疑問にぶち当たった。
どうやってこれをクロムに返すべきか。
今やクロムに避けられていることを名前は自覚している。異邦人として意識させてしまった以上、これ以上迷惑をかけたくはない。きっと、返してほしくてもそのきっかけがなかったのだ。
名前はじっ、と、手のひらの上で重く感じる指輪を見つめ、溜息を吐いた。考えれば考えるほどに悲しい事実と巡り会う。
それから名前は面倒になって、指輪を握り込んだまま寝台の上に寝ころんだ。思考を手放しても、困り顔の青年の顔が頭から離れなくて、名前はいつの間にか枕を濡らして眠りに付くのだった。