#09.絶対幸せにしてくれるから!
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ギャンレルは言う。
お前と俺は同類だ。相手を憎み、喰い合うことしか出来ず、戦う術しか持たない獣なのだと。
クロムは違う。
傍らの名前は、恐れを忘れてただ小さく暗愚王の言葉を否定した。そして皆が同じ思いを携えているともわかっていた。
クロムは一人ではない。
仲間を屑呼ばわりが出来るギャンレルと同じなわけがないのだ。
その結果、彼は今、一人戦場に立たされているのだから。
エメリナの息吹を受け、仲間達と肩を並べて戦うクロムと何処が同じなのか。
フェリアの連絡係が慌てた様子でイーリス部隊に駆け込んできたのは戦地にて、隊列を整え終えようとした矢先だった。
敵軍の将兵が続々と戦闘放棄し、軍から逃走者が相次いでしているとのこと。
思えばペレジア軍の崩壊はこの戦以前より始まっていた。
イーリスに怒り、憎むことで戦いのモチベーションと連携を取っていたペレジアだったが、ある時期を境に兵達に戸惑いと迷いが生まれていた。
それは聖王エメリナの、身を捧げたあの演説。彼女の言葉は、心からの願いは、ちゃんとペレジアの国民に届いていた。
この場に姉がいれば。
クロムがぽつりと漏らした言葉に、ルフレは何も応えなかった。
そうしてペレジアには好戦的な兵士達しか残らず、力による支配さえも行き届かなくなったギャンレルは孤立してしまったのだ。
しかしまだ勝敗はわからない。フェリア軍が大軍を率いて戦いを挑み、これに打ち勝ててもギャンレルを討たなければ戦いは続くだろう。
言葉による説得は通じない。クロムだってそう諦めていた時期があった。しかし今は違う。エメリナの残した平和の種が、ペレジアにも芽吹き始めた。
今はただ、その芽を踏みつぶさんとする暗愚王と決着を付ける。
クロムは姉の為に、そして己を信じて戦う仲間達の為に刃を抜く。
決戦の火蓋は落とされた。
ギャンレルの部隊は数は減れど、士気は恐ろしいほどに高かった。死を厭わず、狂気に触れたかのように目の前の敵に襲いかかる。
しかしギャンレルに動きはない。まるで此処まで来てみろと言っているかのように不適な笑みを浮かべてクロムを見据えていた。
総崩れだった軍を支えているのはギャンレルの存在だ。怨みの象徴であり、或いは暗愚王への畏敬と恐怖に惑わされたペレジア兵達。
前進だ、とクロムは自らが死地へ向かう。名前もその後ろをぴったりとくっついて、そして今まで共に戦ってきた仲間達が続く。
ただ一人、ルフレだけが立ち止まり周りを見渡した。
衝突後の消耗戦。その予測は立っていたが、ギャンレルが大人しい為にイーリス軍が有利に見える。しかし、相手のこれまでの出方を考えれば、溢れる危惧から慎重にことを運びたかった。
クロムを呼び止めなければ。そう判断するも遅かった。
戦場に配置されたペレジアの砦からは隠れた援軍が示し合わせたように現れる。ペレジア兵はクロム達を取り囲んだのだ。同時にギャンレル自身も動き出す。野獣のような目は、相変わらずクロムを見ていた。
これが狙いだったのだ。やはり真っ向からの勝負など考えてもいなかっただろう。
ルフレは隣で不安げに自分を見守っていたスミアを顧みた。彼女は何事も声をかける前にきりりと顔を引き締めてこくりと頷く。ルフレに向かって手を伸ばした。
ルフレは出来るだけ笑みを取り繕った。余裕などなかったが、彼女にこれ以上の不安を煽りたくなかった。華奢な腕に助けられ、天馬の背に跨がると前方の愛する騎手は大きく手綱を振るった。
ルフレは殿を努めていた仲間達を連れて自らの戦いの場へ。
一方。
ペレジア軍の猛攻を受け、それでもクロム達は諦めることはない。仲間達で寄り添いあって、四方の敵と得物をぶつけ合う。
軽装の剣士の四肢に二本の矢を穿ち、その後ろで詠唱を施していた魔道士は後ろから躍り出たソワレの槍で喉元を一突きされて倒れた。名前は一息吐くのも忘れて、次のペレジア兵を探す。
不意にぐい、と身体を拘束されると共に、名前のあった場所には一槍が地に刺さった。はっと我に返ると名前は持っていた矢を弓につがえ直し、肩を制すクロムの腕が離れると同時に馬上の騎士へ放った。馬が嘶き、倒れた馬主を置いて戦場を駆けていく。
クロムの方へ目を向ければ、待っていたように相手の瞳とかちあい、頷く彼はまた前方の敵へと向かった。名前も追いかける。
そこには煌めく剣をまるで玩具のように手で遊ばせる勇者がいた。相手どるのはロンクーだ。彼はいつもの仏頂面で素早く相手と距離を取って一閃。だが相手はロンクーの剣を受け止めて弾いた。驚愕したその一瞬の隙を突かれ、ロンクーは相手の鋭い剣を肩に掠める。強者だと悟ると、彼は嬉しそうに微笑を湛える。
が、がつりと後背の衣服を後方の乙女によって捕まれてしまった。
ロンクーの顔は一変する。
「お下がりなさい!怪我を治します!」
「っ…!は、離れろ!!」
マリアベルは当たり前にこれを無視した。頑として要求を呑むわけにはいかない。真っ青になった男を馬上から引きずるようにしてその場から離れようと、巧みに手綱を振るう。が、それをペレジアの勇者は勿論見逃さない。ロンクーの血を払った剣は、次はマリアベルへ向けられていた。
前方のクロムは駆ける足を早める。しかし息絶え絶えの名前には追いかけることしか出来ない。
間に合うか、とクロムの背を願うように名前は見ていたが、突如勇者の身は翻る。
男の鎧の隙間には矢が刺さっていた。名前のものではない。同じ弓兵のヴィオールのものだ。マリアベルの後ろから躍り出ると彼はもう一矢を男の額当てへ放った。
防具は慣性に耐えられず割れ、小さな刃物を脳髄に受け、男は制御できなくなった身体をぐるんと回しながら倒れた。
今度こそ安堵した。クロムも同じなのか、進むスピードを緩めて駆け足は遅い。
が、そのまた前方に、見覚えのある悪魔を名前は見つけてしまった。
「クロム様!!」
「っ!?」
一筋の雷撃が落とされた。筋に通る電流に身体が硬直し、クロムは剣を地に刺し膝を着いて息を吐き出した。
「ヒャハハハッ!こんなもので倒れるんじゃねぇーぞ!!まだまだ足掻いてくれねぇとなぁ!!」
ギャンレルはそう叫びながらも魔力が封じられた剣を天に翳す。剣は持ち手の魔力を吸って雷となった。上から降り注がれる一撃に、クロムはまだ反応ができない。
が、後ろから現れた少女がクロムを突き飛ばす形で一緒に倒れ込んだ。降り懸かる雷は地面へ流れ、クロムの在った場所を焦がす。
ギャンレルは盛大に舌を打つ。
「…っすまん!」
「……!」
名前は声も無く首を振った。素早く立ち上がるクロムに名前も倣う。
ふん、と鼻を鳴らし、ギャンレルは面白くなさそうに顔を歪めた。
「はっ…女なんかに守られやがって。恥ずかしくないのか、王子様」
「……!」
この言葉には名前が反応した。目を怒らせてギャンレルを睨みつける。クロムに直に向けられる悪意に腹が立った。
しかし当のクロムは悠然とそれを流した。荒ぐ息を抑え、真っ向にギャンレルと向き合う。
「あぁ。俺には仲間がいる。守るべき、大事な人たちが。だから戦える」
「ハッ!まさに優等生の口上だなぁ!?お綺麗すぎて反吐が出る」
クロムは何も返さなかった。何を言っても通じることはないのだろう。そして同時に男が哀れであるとクロムは思う。自分の背を後押す仲間との絆は、結んでみて始めて多大な力があるとわかるものだ。
だから代わりに鈍く光るファルシオンの切っ先を向けた。望み通り、言葉より、力で決着を付けるしかない。
ギャンレルは予想通り、笑みを浮かべて得物を振るう。
名前は戦慄した。男の表情はあまりにも歪んでいて、迸る狂気の色を理解してしまった。それは名前の予測とは懸け離れた度合いだった。握る弓に力が入る。
「苗字」
「!」
ちらりと見せる群青色の瞳に曇りはない。その光は、名前の頭に蔓延った恐怖の塵を払う清廉さのようで。名前は頷いて弓を構えた。
「一緒に…」
名前の小さくもしっかりとした返事は、今度はクロムに活力を与えた。
頷き返し、封剣ファルシオンを握り直すと己に向かってくる暗愚王へ自らも立ち向かう。
一撃、二撃。
鋼のぶつかり合う音を響かせて、両者は相対した。
力押しのクロムに対し、ギャンレルは柔軟に動き回り翻弄した。真っ向からの攻撃を避け、魔剣の力で遠方から狙いを定めてくる。雷撃の軌道を感覚で捉えて避けるものの、それでも近接攻撃の手しかないクロムには不利だ。
しかし、ギャンレルもクロムに対して決め討ちかねていた。
素早いクロムに、思った以上の魔力を剣に注ぐ時間がない。加えてクロムの陰からチラチラとこちらに狙いを定める弓兵の姿。距離を取りすぎれば、すぐにでも打ち抜かんとばかりに鏃は常に正確にギャンレルの動く方向を向いていた。それも、間違っても射的方向とクロムが重ならないように。
二点に注意を散らされて苛立ちが襲う。しかし勝機がないわけじゃないとギャンレルは確信していた。自分は真っ向から勝負を仕掛けにきたわけではないのだから。時間がかかればかかるほど、首が絞められるのはイーリスなのだ。
それでも、一吹く風ではなびかない勝機に、確実に焦りという感情をギャンレルは沸き上がらせていた。
そして、それ故に、ギャンレルは動く。幾度もの危険な賭場を渡り歩いた慢心をギャンレルは熟知していたし、時節を計る際の大きな要因として寧ろ大いに信頼していた。
手抜かりはない。
しかし、すぐに手の内を明かすわけはない。
ギャンレルは振りかぶってきた封剣をあえて受け止めて、鍔迫り合いの場へ持ち込んだ。真剣な面差しのクロムに、ギャンレルは笑いかける。
「いいこと教えてやろうか」
「なに…!」
「なんで俺がこんな戦場の真っ直中に出てきたと思う?」
「……!」
「お前が来るとわかっていたからだよクロム!!馬鹿なお前が、前進きって向かってくることくらいわかってたんだよ!!…今頃お前に着いてきた愚かで可哀想な後ろの部隊は、俺の伏兵達に襲われて総崩れだろうぜぇ」
「…っ貴様ぁ!!」
激昂したクロムは、ギャンレルを押し返してファルシオンを翻しもう一度振りかぶった。
ギャンレルは笑い続ける。
「そうだ!!怒れ!!憎しみを俺に向けろ!!!」
「ああああああ!!!」
「そしてこれで俺の勝ちだ!!クロム!!!」
雷の魔剣は、時間をかけて蓄積していた魔力から大きな雷雲を作り上げた。
そしてその一瞬の後には、鋭い雷光で視界を染める。
遅れた雷撃の音が鳴り響き、周りにいた者達の耳を騒がせる。
その一方で、溢れる鮮血が雑草を焼き、焦がした土に降り注ぎ汚れていく。
クロムは目の前にいた。腹立たしいその顔が、何故かこんなにも近い。
斬り伏せられた身体がぐらぐらと揺れて、ギャンレルは仰向けに地面に倒れ込んだ。
確かに、放たれた魔力はクロムに向けられていた。
しかし、同時に襲った痛覚が判断を鈍らせた。
ギャンレルは震える手で肩を確かめる。そこには身体から垂直に穿つ矢があった。
緩やかに振り返る情景に、漆黒の瞳があった。クロムの側にまとわりついていたあの弓兵。少女は的確に、そして、適切なタイミングでその矢を放っていた。その矢が、傷を負った反動が、クロムという標的の姿を煙に巻いた。
牽制を張るくらいで足手まといにしかならない。ギャンレルは確かにそう判断していたはずだった。
身体に迸る激痛に歯を食いしばって耐えていたギャンレルに、耳障りな声が増えていく。
「無事か、クロム!!」
「ルフレ…そうだ、伏兵が、」
「大丈夫。後方の憂いは絶って…た。それ…たた…いは…」
「あぁ…俺た…の……」
(俺の…負け…かよ)
薄れゆく意識の中、ギャンレルは最後までそれらを聞き取ることは出来なかった。
お前と俺は同類だ。相手を憎み、喰い合うことしか出来ず、戦う術しか持たない獣なのだと。
クロムは違う。
傍らの名前は、恐れを忘れてただ小さく暗愚王の言葉を否定した。そして皆が同じ思いを携えているともわかっていた。
クロムは一人ではない。
仲間を屑呼ばわりが出来るギャンレルと同じなわけがないのだ。
その結果、彼は今、一人戦場に立たされているのだから。
エメリナの息吹を受け、仲間達と肩を並べて戦うクロムと何処が同じなのか。
フェリアの連絡係が慌てた様子でイーリス部隊に駆け込んできたのは戦地にて、隊列を整え終えようとした矢先だった。
敵軍の将兵が続々と戦闘放棄し、軍から逃走者が相次いでしているとのこと。
思えばペレジア軍の崩壊はこの戦以前より始まっていた。
イーリスに怒り、憎むことで戦いのモチベーションと連携を取っていたペレジアだったが、ある時期を境に兵達に戸惑いと迷いが生まれていた。
それは聖王エメリナの、身を捧げたあの演説。彼女の言葉は、心からの願いは、ちゃんとペレジアの国民に届いていた。
この場に姉がいれば。
クロムがぽつりと漏らした言葉に、ルフレは何も応えなかった。
そうしてペレジアには好戦的な兵士達しか残らず、力による支配さえも行き届かなくなったギャンレルは孤立してしまったのだ。
しかしまだ勝敗はわからない。フェリア軍が大軍を率いて戦いを挑み、これに打ち勝ててもギャンレルを討たなければ戦いは続くだろう。
言葉による説得は通じない。クロムだってそう諦めていた時期があった。しかし今は違う。エメリナの残した平和の種が、ペレジアにも芽吹き始めた。
今はただ、その芽を踏みつぶさんとする暗愚王と決着を付ける。
クロムは姉の為に、そして己を信じて戦う仲間達の為に刃を抜く。
決戦の火蓋は落とされた。
ギャンレルの部隊は数は減れど、士気は恐ろしいほどに高かった。死を厭わず、狂気に触れたかのように目の前の敵に襲いかかる。
しかしギャンレルに動きはない。まるで此処まで来てみろと言っているかのように不適な笑みを浮かべてクロムを見据えていた。
総崩れだった軍を支えているのはギャンレルの存在だ。怨みの象徴であり、或いは暗愚王への畏敬と恐怖に惑わされたペレジア兵達。
前進だ、とクロムは自らが死地へ向かう。名前もその後ろをぴったりとくっついて、そして今まで共に戦ってきた仲間達が続く。
ただ一人、ルフレだけが立ち止まり周りを見渡した。
衝突後の消耗戦。その予測は立っていたが、ギャンレルが大人しい為にイーリス軍が有利に見える。しかし、相手のこれまでの出方を考えれば、溢れる危惧から慎重にことを運びたかった。
クロムを呼び止めなければ。そう判断するも遅かった。
戦場に配置されたペレジアの砦からは隠れた援軍が示し合わせたように現れる。ペレジア兵はクロム達を取り囲んだのだ。同時にギャンレル自身も動き出す。野獣のような目は、相変わらずクロムを見ていた。
これが狙いだったのだ。やはり真っ向からの勝負など考えてもいなかっただろう。
ルフレは隣で不安げに自分を見守っていたスミアを顧みた。彼女は何事も声をかける前にきりりと顔を引き締めてこくりと頷く。ルフレに向かって手を伸ばした。
ルフレは出来るだけ笑みを取り繕った。余裕などなかったが、彼女にこれ以上の不安を煽りたくなかった。華奢な腕に助けられ、天馬の背に跨がると前方の愛する騎手は大きく手綱を振るった。
ルフレは殿を努めていた仲間達を連れて自らの戦いの場へ。
一方。
ペレジア軍の猛攻を受け、それでもクロム達は諦めることはない。仲間達で寄り添いあって、四方の敵と得物をぶつけ合う。
軽装の剣士の四肢に二本の矢を穿ち、その後ろで詠唱を施していた魔道士は後ろから躍り出たソワレの槍で喉元を一突きされて倒れた。名前は一息吐くのも忘れて、次のペレジア兵を探す。
不意にぐい、と身体を拘束されると共に、名前のあった場所には一槍が地に刺さった。はっと我に返ると名前は持っていた矢を弓につがえ直し、肩を制すクロムの腕が離れると同時に馬上の騎士へ放った。馬が嘶き、倒れた馬主を置いて戦場を駆けていく。
クロムの方へ目を向ければ、待っていたように相手の瞳とかちあい、頷く彼はまた前方の敵へと向かった。名前も追いかける。
そこには煌めく剣をまるで玩具のように手で遊ばせる勇者がいた。相手どるのはロンクーだ。彼はいつもの仏頂面で素早く相手と距離を取って一閃。だが相手はロンクーの剣を受け止めて弾いた。驚愕したその一瞬の隙を突かれ、ロンクーは相手の鋭い剣を肩に掠める。強者だと悟ると、彼は嬉しそうに微笑を湛える。
が、がつりと後背の衣服を後方の乙女によって捕まれてしまった。
ロンクーの顔は一変する。
「お下がりなさい!怪我を治します!」
「っ…!は、離れろ!!」
マリアベルは当たり前にこれを無視した。頑として要求を呑むわけにはいかない。真っ青になった男を馬上から引きずるようにしてその場から離れようと、巧みに手綱を振るう。が、それをペレジアの勇者は勿論見逃さない。ロンクーの血を払った剣は、次はマリアベルへ向けられていた。
前方のクロムは駆ける足を早める。しかし息絶え絶えの名前には追いかけることしか出来ない。
間に合うか、とクロムの背を願うように名前は見ていたが、突如勇者の身は翻る。
男の鎧の隙間には矢が刺さっていた。名前のものではない。同じ弓兵のヴィオールのものだ。マリアベルの後ろから躍り出ると彼はもう一矢を男の額当てへ放った。
防具は慣性に耐えられず割れ、小さな刃物を脳髄に受け、男は制御できなくなった身体をぐるんと回しながら倒れた。
今度こそ安堵した。クロムも同じなのか、進むスピードを緩めて駆け足は遅い。
が、そのまた前方に、見覚えのある悪魔を名前は見つけてしまった。
「クロム様!!」
「っ!?」
一筋の雷撃が落とされた。筋に通る電流に身体が硬直し、クロムは剣を地に刺し膝を着いて息を吐き出した。
「ヒャハハハッ!こんなもので倒れるんじゃねぇーぞ!!まだまだ足掻いてくれねぇとなぁ!!」
ギャンレルはそう叫びながらも魔力が封じられた剣を天に翳す。剣は持ち手の魔力を吸って雷となった。上から降り注がれる一撃に、クロムはまだ反応ができない。
が、後ろから現れた少女がクロムを突き飛ばす形で一緒に倒れ込んだ。降り懸かる雷は地面へ流れ、クロムの在った場所を焦がす。
ギャンレルは盛大に舌を打つ。
「…っすまん!」
「……!」
名前は声も無く首を振った。素早く立ち上がるクロムに名前も倣う。
ふん、と鼻を鳴らし、ギャンレルは面白くなさそうに顔を歪めた。
「はっ…女なんかに守られやがって。恥ずかしくないのか、王子様」
「……!」
この言葉には名前が反応した。目を怒らせてギャンレルを睨みつける。クロムに直に向けられる悪意に腹が立った。
しかし当のクロムは悠然とそれを流した。荒ぐ息を抑え、真っ向にギャンレルと向き合う。
「あぁ。俺には仲間がいる。守るべき、大事な人たちが。だから戦える」
「ハッ!まさに優等生の口上だなぁ!?お綺麗すぎて反吐が出る」
クロムは何も返さなかった。何を言っても通じることはないのだろう。そして同時に男が哀れであるとクロムは思う。自分の背を後押す仲間との絆は、結んでみて始めて多大な力があるとわかるものだ。
だから代わりに鈍く光るファルシオンの切っ先を向けた。望み通り、言葉より、力で決着を付けるしかない。
ギャンレルは予想通り、笑みを浮かべて得物を振るう。
名前は戦慄した。男の表情はあまりにも歪んでいて、迸る狂気の色を理解してしまった。それは名前の予測とは懸け離れた度合いだった。握る弓に力が入る。
「苗字」
「!」
ちらりと見せる群青色の瞳に曇りはない。その光は、名前の頭に蔓延った恐怖の塵を払う清廉さのようで。名前は頷いて弓を構えた。
「一緒に…」
名前の小さくもしっかりとした返事は、今度はクロムに活力を与えた。
頷き返し、封剣ファルシオンを握り直すと己に向かってくる暗愚王へ自らも立ち向かう。
一撃、二撃。
鋼のぶつかり合う音を響かせて、両者は相対した。
力押しのクロムに対し、ギャンレルは柔軟に動き回り翻弄した。真っ向からの攻撃を避け、魔剣の力で遠方から狙いを定めてくる。雷撃の軌道を感覚で捉えて避けるものの、それでも近接攻撃の手しかないクロムには不利だ。
しかし、ギャンレルもクロムに対して決め討ちかねていた。
素早いクロムに、思った以上の魔力を剣に注ぐ時間がない。加えてクロムの陰からチラチラとこちらに狙いを定める弓兵の姿。距離を取りすぎれば、すぐにでも打ち抜かんとばかりに鏃は常に正確にギャンレルの動く方向を向いていた。それも、間違っても射的方向とクロムが重ならないように。
二点に注意を散らされて苛立ちが襲う。しかし勝機がないわけじゃないとギャンレルは確信していた。自分は真っ向から勝負を仕掛けにきたわけではないのだから。時間がかかればかかるほど、首が絞められるのはイーリスなのだ。
それでも、一吹く風ではなびかない勝機に、確実に焦りという感情をギャンレルは沸き上がらせていた。
そして、それ故に、ギャンレルは動く。幾度もの危険な賭場を渡り歩いた慢心をギャンレルは熟知していたし、時節を計る際の大きな要因として寧ろ大いに信頼していた。
手抜かりはない。
しかし、すぐに手の内を明かすわけはない。
ギャンレルは振りかぶってきた封剣をあえて受け止めて、鍔迫り合いの場へ持ち込んだ。真剣な面差しのクロムに、ギャンレルは笑いかける。
「いいこと教えてやろうか」
「なに…!」
「なんで俺がこんな戦場の真っ直中に出てきたと思う?」
「……!」
「お前が来るとわかっていたからだよクロム!!馬鹿なお前が、前進きって向かってくることくらいわかってたんだよ!!…今頃お前に着いてきた愚かで可哀想な後ろの部隊は、俺の伏兵達に襲われて総崩れだろうぜぇ」
「…っ貴様ぁ!!」
激昂したクロムは、ギャンレルを押し返してファルシオンを翻しもう一度振りかぶった。
ギャンレルは笑い続ける。
「そうだ!!怒れ!!憎しみを俺に向けろ!!!」
「ああああああ!!!」
「そしてこれで俺の勝ちだ!!クロム!!!」
雷の魔剣は、時間をかけて蓄積していた魔力から大きな雷雲を作り上げた。
そしてその一瞬の後には、鋭い雷光で視界を染める。
遅れた雷撃の音が鳴り響き、周りにいた者達の耳を騒がせる。
その一方で、溢れる鮮血が雑草を焼き、焦がした土に降り注ぎ汚れていく。
クロムは目の前にいた。腹立たしいその顔が、何故かこんなにも近い。
斬り伏せられた身体がぐらぐらと揺れて、ギャンレルは仰向けに地面に倒れ込んだ。
確かに、放たれた魔力はクロムに向けられていた。
しかし、同時に襲った痛覚が判断を鈍らせた。
ギャンレルは震える手で肩を確かめる。そこには身体から垂直に穿つ矢があった。
緩やかに振り返る情景に、漆黒の瞳があった。クロムの側にまとわりついていたあの弓兵。少女は的確に、そして、適切なタイミングでその矢を放っていた。その矢が、傷を負った反動が、クロムという標的の姿を煙に巻いた。
牽制を張るくらいで足手まといにしかならない。ギャンレルは確かにそう判断していたはずだった。
身体に迸る激痛に歯を食いしばって耐えていたギャンレルに、耳障りな声が増えていく。
「無事か、クロム!!」
「ルフレ…そうだ、伏兵が、」
「大丈夫。後方の憂いは絶って…た。それ…たた…いは…」
「あぁ…俺た…の……」
(俺の…負け…かよ)
薄れゆく意識の中、ギャンレルは最後までそれらを聞き取ることは出来なかった。