#06.……きっと、大丈夫だ
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「…すまん、やはり嫌だったか?」
「っ!」
「だが、寒いから…これは着ておけ。…な?」
「……」
クロムの声は弱々しく小さい。しかしそれ以上に優しさがこもっていた。
名前はなんだか自分が悪い気がして、痛む胸元を手で押さえた。
結局マントは名前が一人で羽織ることになり、クロムはまた、さっきと同じように距離を取った。
そんな相手を、名前は盗み見る。
(…クロム様って…こんな人だったっけ…)
思えばあまりよく知らない。
大好きなエメリナ様の弟君で、明るいリズの兄で、イーリスの王子。
皆から大事にされていて、人に優しくするのが当たり前という。裕福さが生む傲慢な性格をした男だと、名前は少なからず思っていた。
しかし隣の青年はどうだろう。
強引に優しさの押し売りをしたところまでは名前のイメージ通りだ。だがその後の彼は、反省しているのか塞ぎ込んでいるようだ。その横顔は憂鬱そうである。
クロムの吐息は白い靄が途切れない。勿論自分もそうなのだけど、片腕がむき出しの服装の青年は余計寒々としていた。
名前は迷いに迷ったが、スリスリと冷たい尻を擦りながらクロムの方へ寄った。
「っん!?」
「……」
「ど、どうした?」
「あの……やっぱり、風邪引きそうだから…」
「俺なら平気だ。鍛えているから」
「……い、イヤならいいです…」
「あっ、嫌とかじゃ…じゃあ入ってもいいか?」
名前は口を結んで、腕を振るって絡めたマントを広げた。
クロムは笑って、小さな空間に入り込む。
クロムの肩にマントを被し直し、名前は膝を抱えるようにして出来る限り身を小さく折り畳んだ。それでも隣と密着する範囲を狭くしようともぞもぞ動いてしまう。
「無理しなくてもいいんだぞ?」
「…ううん……付き合わせてますから…」
「無理矢理連れてきたのは俺だ」
「………うん…」
でもやっぱり体調を壊したら、と言い掛けて言葉を切った。またエメリナのことが思い浮かんだからだ。クロムが倒れたらエメリナ達が悲しむからなんて、名前には言えなかった。
それきり、会話は続く様を見せない。
二人が身動ぎ、白い息が消えていくだけだ。
ようやく互いが落ち着いてきた頃を見計らって、クロムは名前の方に深く被せ直した。
しん、とした空間に布擦りの音と呼吸音が耳に届く。
(……また…緊張してきた……)
隣の異性と少ない暖を取り合っているなんて、ほんのちょっと前の名前には考えられなかっただろう。
もしも隣がルフレなら、自分は嬉しかったのだろうか。
スミアと二人、仲睦まじく語らう後ろ姿を思い出して、名前は深い溜息を吐いた。弓を握る手が強まる。
そんな名前の狭い視界に、クロムの群青色の手袋が映り込む。自分のそれより太い指先は、弓の模様細工を撫で通る。
「好きなんだな」
「…え?」
「弓だ。…傷、たいしたことないといいな」
「……うん」
隣のクロムは微笑んだ。名前は胸奥で暖かな何かがじわりと漏れ出した感触を得る。ぎこちなく笑い返して、相手から目線を下げた。
ドキドキしている。名前は声も上げずに唇を動かした。
きっと彼が異性であり、なおかつこんなにも距離が近いからだ。緊張しているのだ。
これがルフレのものならば、と、もう一度考える。
しかし、浮かび上がるのは隣の青年の顔と、優しい声音が頭の中でリピートするばかりで。
この感覚を、自分は知っている。
名前はほぅっと白い息を明一杯吐き出して問うた。言い訳ばかりを打ち消すように。
だが白い息はすぐには消えなかった。隣からの吐息が、己のそれと目の前で混じり合っていく。
その一瞬の光景に不思議そうに瞬き、無意識に隣を顧みてしまう。
クロムは相変わらず笑っていた。
何処かで見た微笑みだった。
それがエメリナのものと同じだと気付いたのは、ほんの少し後である。
(クロム様も、同じなんだ…エメリナ様と…同じ…)
数式を解いた後のように、名前は何か、大事なことに気づけた喜びで一杯になった。ぎこちなかった表情が緩まっていくのを感じずにはいられない。
ドキドキしている。
名前はもう一度、心の中で繰り返した。
だけどそこに苦しさはない。
ルフレを見つめる視線とはまた違った意味の感情がこみ上げてくる。
「……きっと、大丈夫だ」
「……」
「姉さんも…イーリスも…きっと…」
「…うん…」
「……ありがとう…苗字…」
「……」
きっとクロムの言うとおりだろう。だけど名前はさっきの言葉は彼自身が自分に言い聞かせているようだと思えた。
だから、返事を返した。
きっとエメリナは無事に帰ってくる。多少の不安はあっても、名前は何処かでそう信じていた。
その為になら。
(…守ります…エメリナ様…エメリナ様の、大事な人…大事な人達…私も守ります…)
きっとエメリナは守りたかったのだ。震えを隠し、懸命に立ち向かえたのは王としての責務だけじゃない。
愛する家族を。クロムを、リズを。
それにクロムもまた、弱い一面がある。名前はそう知ってしまった。
同時に彼の優しさに触れてしまった。
自分にはない、力強い慈悲の心。
何故仲間達が彼に惹かれ、彼に従うのか。名前もようやく理解出来た。
名前も守りたくなった。エメリナの大事な人を。クロムの優しさを。
彼はそれきり口を閉じきってしまった。名前は相変わらず何も言わないが、この沈黙で構わないからこそ、クロムがそこにいるのだと考えを改めて、より静かな一夜を過ごすのだった。
朝方早く。城下に人通りが増え始めた頃、二人は距離を空けた。
マントの中でうつらうつらと眠ってしまった名前だったが、それはクロムも同じことだったらしく、昇る日に目を細めつつ固まった節々を各々が伸ばして解す。
店前ですでに客が控えていたことに驚く強面の店主は気前がよかった。寒かったろう、と弓を裁定する間、暖かい茶を御馳走になった。冷たい指先を暖めながら、寝ぼけ眼で苦めの茶をすすってようやく名前は目覚めた。
弓は心配するほどの損傷もなく。クロムと顔を見合わせて、名前は杞憂を笑った。むしろ綺麗に手入れしてもらって返ってきた。
よかったな、と帰路の途中かけられた言葉に名前は満面の笑みで頷き返した。
並ぶ二人の距離は無意識なのか行きと帰りで全く違う。
しかし、待ち受けていた事実は甘くない。
ペレジア軍、イーリス軍に勝利と宣言。
同時に聖王エメリナはペレジア軍に拘束され、数日後の処刑が決まったとクロム達に知らせが走ったのは、フェリア出立直前のことだった。
「っ!」
「だが、寒いから…これは着ておけ。…な?」
「……」
クロムの声は弱々しく小さい。しかしそれ以上に優しさがこもっていた。
名前はなんだか自分が悪い気がして、痛む胸元を手で押さえた。
結局マントは名前が一人で羽織ることになり、クロムはまた、さっきと同じように距離を取った。
そんな相手を、名前は盗み見る。
(…クロム様って…こんな人だったっけ…)
思えばあまりよく知らない。
大好きなエメリナ様の弟君で、明るいリズの兄で、イーリスの王子。
皆から大事にされていて、人に優しくするのが当たり前という。裕福さが生む傲慢な性格をした男だと、名前は少なからず思っていた。
しかし隣の青年はどうだろう。
強引に優しさの押し売りをしたところまでは名前のイメージ通りだ。だがその後の彼は、反省しているのか塞ぎ込んでいるようだ。その横顔は憂鬱そうである。
クロムの吐息は白い靄が途切れない。勿論自分もそうなのだけど、片腕がむき出しの服装の青年は余計寒々としていた。
名前は迷いに迷ったが、スリスリと冷たい尻を擦りながらクロムの方へ寄った。
「っん!?」
「……」
「ど、どうした?」
「あの……やっぱり、風邪引きそうだから…」
「俺なら平気だ。鍛えているから」
「……い、イヤならいいです…」
「あっ、嫌とかじゃ…じゃあ入ってもいいか?」
名前は口を結んで、腕を振るって絡めたマントを広げた。
クロムは笑って、小さな空間に入り込む。
クロムの肩にマントを被し直し、名前は膝を抱えるようにして出来る限り身を小さく折り畳んだ。それでも隣と密着する範囲を狭くしようともぞもぞ動いてしまう。
「無理しなくてもいいんだぞ?」
「…ううん……付き合わせてますから…」
「無理矢理連れてきたのは俺だ」
「………うん…」
でもやっぱり体調を壊したら、と言い掛けて言葉を切った。またエメリナのことが思い浮かんだからだ。クロムが倒れたらエメリナ達が悲しむからなんて、名前には言えなかった。
それきり、会話は続く様を見せない。
二人が身動ぎ、白い息が消えていくだけだ。
ようやく互いが落ち着いてきた頃を見計らって、クロムは名前の方に深く被せ直した。
しん、とした空間に布擦りの音と呼吸音が耳に届く。
(……また…緊張してきた……)
隣の異性と少ない暖を取り合っているなんて、ほんのちょっと前の名前には考えられなかっただろう。
もしも隣がルフレなら、自分は嬉しかったのだろうか。
スミアと二人、仲睦まじく語らう後ろ姿を思い出して、名前は深い溜息を吐いた。弓を握る手が強まる。
そんな名前の狭い視界に、クロムの群青色の手袋が映り込む。自分のそれより太い指先は、弓の模様細工を撫で通る。
「好きなんだな」
「…え?」
「弓だ。…傷、たいしたことないといいな」
「……うん」
隣のクロムは微笑んだ。名前は胸奥で暖かな何かがじわりと漏れ出した感触を得る。ぎこちなく笑い返して、相手から目線を下げた。
ドキドキしている。名前は声も上げずに唇を動かした。
きっと彼が異性であり、なおかつこんなにも距離が近いからだ。緊張しているのだ。
これがルフレのものならば、と、もう一度考える。
しかし、浮かび上がるのは隣の青年の顔と、優しい声音が頭の中でリピートするばかりで。
この感覚を、自分は知っている。
名前はほぅっと白い息を明一杯吐き出して問うた。言い訳ばかりを打ち消すように。
だが白い息はすぐには消えなかった。隣からの吐息が、己のそれと目の前で混じり合っていく。
その一瞬の光景に不思議そうに瞬き、無意識に隣を顧みてしまう。
クロムは相変わらず笑っていた。
何処かで見た微笑みだった。
それがエメリナのものと同じだと気付いたのは、ほんの少し後である。
(クロム様も、同じなんだ…エメリナ様と…同じ…)
数式を解いた後のように、名前は何か、大事なことに気づけた喜びで一杯になった。ぎこちなかった表情が緩まっていくのを感じずにはいられない。
ドキドキしている。
名前はもう一度、心の中で繰り返した。
だけどそこに苦しさはない。
ルフレを見つめる視線とはまた違った意味の感情がこみ上げてくる。
「……きっと、大丈夫だ」
「……」
「姉さんも…イーリスも…きっと…」
「…うん…」
「……ありがとう…苗字…」
「……」
きっとクロムの言うとおりだろう。だけど名前はさっきの言葉は彼自身が自分に言い聞かせているようだと思えた。
だから、返事を返した。
きっとエメリナは無事に帰ってくる。多少の不安はあっても、名前は何処かでそう信じていた。
その為になら。
(…守ります…エメリナ様…エメリナ様の、大事な人…大事な人達…私も守ります…)
きっとエメリナは守りたかったのだ。震えを隠し、懸命に立ち向かえたのは王としての責務だけじゃない。
愛する家族を。クロムを、リズを。
それにクロムもまた、弱い一面がある。名前はそう知ってしまった。
同時に彼の優しさに触れてしまった。
自分にはない、力強い慈悲の心。
何故仲間達が彼に惹かれ、彼に従うのか。名前もようやく理解出来た。
名前も守りたくなった。エメリナの大事な人を。クロムの優しさを。
彼はそれきり口を閉じきってしまった。名前は相変わらず何も言わないが、この沈黙で構わないからこそ、クロムがそこにいるのだと考えを改めて、より静かな一夜を過ごすのだった。
朝方早く。城下に人通りが増え始めた頃、二人は距離を空けた。
マントの中でうつらうつらと眠ってしまった名前だったが、それはクロムも同じことだったらしく、昇る日に目を細めつつ固まった節々を各々が伸ばして解す。
店前ですでに客が控えていたことに驚く強面の店主は気前がよかった。寒かったろう、と弓を裁定する間、暖かい茶を御馳走になった。冷たい指先を暖めながら、寝ぼけ眼で苦めの茶をすすってようやく名前は目覚めた。
弓は心配するほどの損傷もなく。クロムと顔を見合わせて、名前は杞憂を笑った。むしろ綺麗に手入れしてもらって返ってきた。
よかったな、と帰路の途中かけられた言葉に名前は満面の笑みで頷き返した。
並ぶ二人の距離は無意識なのか行きと帰りで全く違う。
しかし、待ち受けていた事実は甘くない。
ペレジア軍、イーリス軍に勝利と宣言。
同時に聖王エメリナはペレジア軍に拘束され、数日後の処刑が決まったとクロム達に知らせが走ったのは、フェリア出立直前のことだった。