#04.お空の向こうまで連れて行きますから
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崖を下る形でペレジア兵の目をかいくぐれて来れたものの、イーリスの本隊の近くまで来ると、戦わないわけにはいかなくなった。
リヒトの風魔道によってある程度足止めし、名前が弓を射る。相手が単騎であったからこそ出来た戦法だったが、数人掛かりで来られると通用はしなくなる。徐々に屈強な男達に囲まれ始め、矢を射る隙もなく、男達の得物をすれずれで避けるしか出来なくなっていた。馬上のマリアベルはともかく、此処まで休み無しで動き続けてきたリヒトと、加えて食事をまともに採れていない名前は此処に来て体力の限界に近づいていた。
キリがない。名前の頭にそんな言葉が浮かぶ。一人倒れても、また一人が立ちふさがる。その繰り返しだ。体力が無くなれば、結末は決まっているし、そしてそれは時間の問題だ。名前は当初からの計画通り、自分を囮にして二人を逃がす為に口を開く。が、
そのときだ。
上空を覆う影に、ヒヤリと汗が流れる。
「やぁあああっ!」
女性の柔らかな声に、賢明に勇ましさを練り込んだような威勢が、風のように現れた。白い物体は名前達の間に滑り込むようにして間に入り、襲いかかった剣士は彼女の槍に突き刺された。
「大丈夫か!」
「ルフレさん…!スミアさんも!」
相乗りしていた天馬から飛び降りたルフレは、剣を構えて斧兵を斬り伏せていく。
安堵して膝をついたのは、彼が黄色い本を素早く持ち替えた姿を見た後だ。名前は地に手を突いて、今更苦しい呼吸に気づくことになったのだ。何も入ることがない腹がムカムカして痛い。
「大丈夫ですの!」
「…げほっ…がは…っ」
「しっかりなさいまし!」
マリアベルの治療と渇は利く。名前は涙目になりながらも頷いて、汚れた手袋のまま目を擦る。
此処は戦場だけど、ルフレが来てくれたからもう大丈夫。
そんな安堵感が、名前を揺さぶっていた。
「苗字!」
「…っ……っ」
「もう大丈夫だ。さぁ、こっちへ」
クロム達も駆け寄ってきた。傷だらけのリヒトにリズが杖を掲げ、名前はクロムによって肩を抱かれて立たされた。名前はぐらぐら揺れる頭を擡げて、なかなか重心を図れない。
「こんな状態で無茶をする…。だが無事でよかった」
「す…すみません…エメリナ様は…?」
「…姉さんなら大丈夫だ。フィレイン達が守ってくれている」
「よかった……エメリナ様…」
ぎゅっと弓を抱き、大きく息を吐き出した。これで一つの不安はなくなった。
そこにまた一際大きな影が空から現れた。今度は援軍等ではない。
「くっ…!ドラゴンナイトか!」
「……!」
まるで大きい爬虫類の王のような、尊大な生き物が肉厚な翼をはためかせて飛んでいる。
ドラゴン、とクロムの言葉を反復したとき、空に向かって竜は吼え、こちらに向かって突っ込んできた。
雄叫びに怯み、動けない名前を庇ったのはもちろんクロムだ。名前を抱えながら跳躍し、尻餅を着く形で竜騎士の斧をファルシオンで弾く。
「うっ…」
「大丈夫か!?」
「あっ…!う、うん、ごめんなさい!」
反動に呻いている場合ではなかった。仕方のない状況とは言えクロムに抱きしめられた状態に気づき、名前は慌てて離れた。
クロムは訝しげにしていたが、瞬時に頭を切り替える。
「苗字、あいつを弓で射れないか?」
「えっ」
「竜の翼を狙え。そうすれば落ちるはずだ」
「あ…あの子を…?」
竜は羽ばたいている。上空で旋回してもう一度こちらにむかってくるつもりらしい。
しかし名前も竜の上に人が跨がっている様子をようやく捉えた。弓を構え、矢をつがえる。
竜騎士は名前を弓兵と理解したのか、一直線上に向かってきた。だが、的は大降りに動かず向かってくるのだから、これほど好都合なことはない。名前にとって狙いやすくなっただけだった。
引きつけておいて矢を離す。空を裂いて、矢尻は竜騎士の首にすこん、と当たった。手綱を離し、竜から滑り地に墜ちる。
だがドラゴンは止まらない。主人を失った哀れな竜は、暴走し、その原因を作った名前に向かって飛んできた。
ぶつかる、と目を閉じた名前に飛びかかったのはクロムだ。代わりに竜は切り立った崖にがつん、と激突した。
竜はぐるぐると頭を回しながら、それでも名前を探している。
だがそこに、回復したリヒトが立ちはだかった。彼の起こすかまいたちによって身を切られ、悲しそうな声をあげて竜は息絶えた。
「あ…」
「爪が甘いよ!苗字さん!」
「……っ」
リヒトの声は聞こえなかった。確かに彼は窮地を救ってくれただろう。しかし、喜んでいいのかと問いかける。
あのドラゴンだって生きていた。動物に悪意はない。だから殺すべきではないと判断した。
しかしそれは間違いだったのか、と名前は自問する。息絶えた竜は確かに名前に怒りを覚えていた。愛していたのだろう、あの主人を。
「大丈夫か?」
「……」
差し出されたクロムの手を握れはしない。ごめんなさい、と謝ろうと口を開いたが、いつの間にか溜まった涙に気が付いて急ぎ顔を拭った。
自分の力で立ち上がり、今は声が出ないからと頭をとにかく下げておいた。
それからまた目線を骸となった竜に向ける。
今更人という命を奪っておいて、動物は嫌だというのは我が儘だし、立派な矛盾だ。そして解決するために割り切るべきである。頭ではわかっていたが、それでも名前は唇を噛まずにはいられなかった。
立ち尽くす名前を連れたのは、やはりクロムだった。肩を抱き、心を手放したような名前をその場から引き離す。いつまでも自分の犯した罪を真っ直ぐ受け止める彼女を、クロム自身が見たくなかった為でもあった。
戦いが終わり、口を結びきってしまった名前が声をあげたのは、野営地の隅で座り込んでから大分経った頃だった。
相手が、ルフレだったということもあったのかもしれない。
大丈夫かいという言葉に最初、うんと頷き、座ってもいいかという問いに同じくうんと首を縦に振った。
「ペレジアと…戦争になるね…」
「……」
「これからもっと辛い戦いになる。君は……君はこれから、どうするんだい?」
「……わから…ない…あの男を…探さなきゃ…でも…エメリナ様やみんなが…みんなは…戦うの?」
「…あぁ。少なくとも、僕は戦う。みんなを守りたいから」
「…怖く…ないの…?…人に恨まれて…傷ついて…殺されるかもしれない…」
「あぁ、そうだね。でも、それよりもっと怖いことがある。仲間を失うことだ」
「……」
「だから戦う。目の前に立ちふさがるものは倒さなきゃ進めない。もちろん、戦わない方法だって全力で探すよ。だけど…それでも、逃げられないことだってあるから」
「うん…私もそう…思う…だから、…此処に来たの…でも…やっぱり、動物を…何かを意味なく殺めるのは……」
「苗字…」
「嫌なの…わかってるけど…戦争はそういうものだって、わかるけど…でも…嫌なの……!」
「それでいいんだよ。君はそれでいい。…だけどね、これからの戦いは、そんな甘いことを言っていられなくなる。戦争なんだ。…君は君の為すべきことをすべきだ」
「………」
「まだその男は見つからないけど…これ以上巻き込まれなくてもいいんだよ」
名前はこの言葉にやはり答えられなかった。
見知った人が傷つこうとしている中、自分だけが安置される事実を自身が許せるのか。
だが、戦いの中で渦巻く恐怖や憎悪に耐えられるかと考えれば、名前の決意の天秤は揺らぐ。それは恐らく、自分に勇気があるのかどうかの問題だ。
不意に、クロム、と、ルフレの呼ぶ声に名前も思考を中断し顔をあげた。クロムだけではない、フレデリクとリズも一緒である。立ち上がるルフレにつられて名前も腰をあげた。
「姉さん達はイーリスに引き返す。苗字も一緒に行くといい」
「………」
「僕らも一緒じゃないのかい?その…いろいろ準備が必要になるのだし」
「そうなんだけど、ちょっと傭兵団はお仕事だよ」
「辺境の方でならず者の目撃情報を掴みました。戦の前ではありますが、憂いを絶つべきかと。」
「…そうだね」
「それともう一つ、とある小島に妙な建築物を発見しましたので私達で確認しに行きます」
「妙な建築物?」
「はい。建築物の案内役と名乗る女性が言うには、その場所は異界の門であり、旅人を誘導している…と付近の住民から通報がありまして」
「い、かい」
パチリ、と塞ぎがちだった眼が開く。聞き覚えのなく、普段なら使いようもない単語だったが、頭の中で正しい漢字が変換されていた。
「異界の、門だって?」
「……る…ルフレさん!」
「…うん。光明が見えてきた気がするよ」
名前は頬を赤らめ、晴れやかな笑顔で頷いた。わからない三人はその様子に首を捻る。
「クロム、苗字を連れて行くよ。もしかしたらその異界の門が、彼女の問題を一気に解決へ導いてくれるかもしれない」
「…なんだって?」
「もしかして、探している人がそこにいるの!?」
「わからない。だから行ってみるべきだ。その男がいる可能性がとても高いからね」
ルフレの言葉に、名前は何度も頷いた。熱心に首を降り続ける名前を見て、クロムは渋い顔をするが、最後には同行を許すしかなかった。
許さない理由がなかった為だ。
親友を助けて嬉しげなリズの相手をする名前の小さな背を見て、クロムは隣のルフレに問いかける。
「…リズから聞いてはいたが、本当にその探し人がいるのか?」
「わからないよ、行ってみないと。…でも、その男が見つかっても苗字が帰れるかどうかは…」
「…帰る、のか?故郷に?」
「うん。もしかしたらお別れになるかもしれないね。でも、彼女にはその方がいいだろう…さっきの戦いは大分無理をしていたようだからな…」
「苗字は…ルフレには、なんでも話すんだな」
「うん?そうかな?だとしてもそれは僕が記憶喪失だからだと思うけどね」
記憶喪失だから、と話すルフレにクロムは少し驚きを持った。理由も然り、また、己の心内から湧くわだかまりを知ったからだ。
-記憶があるから話せないのは解せない。自分だって、己だからこそ出来ることだってあるはずだ。
さっきの戦いだって、近くで守っていたのは自分だったし、無理をしていることにだって気づき助けた。
なのに弱音を吐いたのは、事情を知るというルフレだけである。戦闘後、怪我がないかと問いかけた時の苗字は、どんよりとした黒い瞳を己に向けることもなく、唇を噛みしめて口を噤み、頷くだけだった。あの弱くか細い声をあげることもなかった。
むかむか、と黒い感傷が胸に巣くう。それはあの頼りなさそうな背をした少女に向けてじゃない。
隣の、暢気そうな友が腹立たしかった。
その言いぐさが、その態度が、自分と違う魅力を纏った男の姿が。
クロムは頭を弱く振り、頬の内側を噛んだ。こんなのは俺らしくない、と強く思うし、感じる。
別にルフレを嫌ったわけじゃない。頼りに思う気持ちは消えてはいない。
ただ、羨ましい。
そう顕著に思うのは確かだった。
リヒトの風魔道によってある程度足止めし、名前が弓を射る。相手が単騎であったからこそ出来た戦法だったが、数人掛かりで来られると通用はしなくなる。徐々に屈強な男達に囲まれ始め、矢を射る隙もなく、男達の得物をすれずれで避けるしか出来なくなっていた。馬上のマリアベルはともかく、此処まで休み無しで動き続けてきたリヒトと、加えて食事をまともに採れていない名前は此処に来て体力の限界に近づいていた。
キリがない。名前の頭にそんな言葉が浮かぶ。一人倒れても、また一人が立ちふさがる。その繰り返しだ。体力が無くなれば、結末は決まっているし、そしてそれは時間の問題だ。名前は当初からの計画通り、自分を囮にして二人を逃がす為に口を開く。が、
そのときだ。
上空を覆う影に、ヒヤリと汗が流れる。
「やぁあああっ!」
女性の柔らかな声に、賢明に勇ましさを練り込んだような威勢が、風のように現れた。白い物体は名前達の間に滑り込むようにして間に入り、襲いかかった剣士は彼女の槍に突き刺された。
「大丈夫か!」
「ルフレさん…!スミアさんも!」
相乗りしていた天馬から飛び降りたルフレは、剣を構えて斧兵を斬り伏せていく。
安堵して膝をついたのは、彼が黄色い本を素早く持ち替えた姿を見た後だ。名前は地に手を突いて、今更苦しい呼吸に気づくことになったのだ。何も入ることがない腹がムカムカして痛い。
「大丈夫ですの!」
「…げほっ…がは…っ」
「しっかりなさいまし!」
マリアベルの治療と渇は利く。名前は涙目になりながらも頷いて、汚れた手袋のまま目を擦る。
此処は戦場だけど、ルフレが来てくれたからもう大丈夫。
そんな安堵感が、名前を揺さぶっていた。
「苗字!」
「…っ……っ」
「もう大丈夫だ。さぁ、こっちへ」
クロム達も駆け寄ってきた。傷だらけのリヒトにリズが杖を掲げ、名前はクロムによって肩を抱かれて立たされた。名前はぐらぐら揺れる頭を擡げて、なかなか重心を図れない。
「こんな状態で無茶をする…。だが無事でよかった」
「す…すみません…エメリナ様は…?」
「…姉さんなら大丈夫だ。フィレイン達が守ってくれている」
「よかった……エメリナ様…」
ぎゅっと弓を抱き、大きく息を吐き出した。これで一つの不安はなくなった。
そこにまた一際大きな影が空から現れた。今度は援軍等ではない。
「くっ…!ドラゴンナイトか!」
「……!」
まるで大きい爬虫類の王のような、尊大な生き物が肉厚な翼をはためかせて飛んでいる。
ドラゴン、とクロムの言葉を反復したとき、空に向かって竜は吼え、こちらに向かって突っ込んできた。
雄叫びに怯み、動けない名前を庇ったのはもちろんクロムだ。名前を抱えながら跳躍し、尻餅を着く形で竜騎士の斧をファルシオンで弾く。
「うっ…」
「大丈夫か!?」
「あっ…!う、うん、ごめんなさい!」
反動に呻いている場合ではなかった。仕方のない状況とは言えクロムに抱きしめられた状態に気づき、名前は慌てて離れた。
クロムは訝しげにしていたが、瞬時に頭を切り替える。
「苗字、あいつを弓で射れないか?」
「えっ」
「竜の翼を狙え。そうすれば落ちるはずだ」
「あ…あの子を…?」
竜は羽ばたいている。上空で旋回してもう一度こちらにむかってくるつもりらしい。
しかし名前も竜の上に人が跨がっている様子をようやく捉えた。弓を構え、矢をつがえる。
竜騎士は名前を弓兵と理解したのか、一直線上に向かってきた。だが、的は大降りに動かず向かってくるのだから、これほど好都合なことはない。名前にとって狙いやすくなっただけだった。
引きつけておいて矢を離す。空を裂いて、矢尻は竜騎士の首にすこん、と当たった。手綱を離し、竜から滑り地に墜ちる。
だがドラゴンは止まらない。主人を失った哀れな竜は、暴走し、その原因を作った名前に向かって飛んできた。
ぶつかる、と目を閉じた名前に飛びかかったのはクロムだ。代わりに竜は切り立った崖にがつん、と激突した。
竜はぐるぐると頭を回しながら、それでも名前を探している。
だがそこに、回復したリヒトが立ちはだかった。彼の起こすかまいたちによって身を切られ、悲しそうな声をあげて竜は息絶えた。
「あ…」
「爪が甘いよ!苗字さん!」
「……っ」
リヒトの声は聞こえなかった。確かに彼は窮地を救ってくれただろう。しかし、喜んでいいのかと問いかける。
あのドラゴンだって生きていた。動物に悪意はない。だから殺すべきではないと判断した。
しかしそれは間違いだったのか、と名前は自問する。息絶えた竜は確かに名前に怒りを覚えていた。愛していたのだろう、あの主人を。
「大丈夫か?」
「……」
差し出されたクロムの手を握れはしない。ごめんなさい、と謝ろうと口を開いたが、いつの間にか溜まった涙に気が付いて急ぎ顔を拭った。
自分の力で立ち上がり、今は声が出ないからと頭をとにかく下げておいた。
それからまた目線を骸となった竜に向ける。
今更人という命を奪っておいて、動物は嫌だというのは我が儘だし、立派な矛盾だ。そして解決するために割り切るべきである。頭ではわかっていたが、それでも名前は唇を噛まずにはいられなかった。
立ち尽くす名前を連れたのは、やはりクロムだった。肩を抱き、心を手放したような名前をその場から引き離す。いつまでも自分の犯した罪を真っ直ぐ受け止める彼女を、クロム自身が見たくなかった為でもあった。
戦いが終わり、口を結びきってしまった名前が声をあげたのは、野営地の隅で座り込んでから大分経った頃だった。
相手が、ルフレだったということもあったのかもしれない。
大丈夫かいという言葉に最初、うんと頷き、座ってもいいかという問いに同じくうんと首を縦に振った。
「ペレジアと…戦争になるね…」
「……」
「これからもっと辛い戦いになる。君は……君はこれから、どうするんだい?」
「……わから…ない…あの男を…探さなきゃ…でも…エメリナ様やみんなが…みんなは…戦うの?」
「…あぁ。少なくとも、僕は戦う。みんなを守りたいから」
「…怖く…ないの…?…人に恨まれて…傷ついて…殺されるかもしれない…」
「あぁ、そうだね。でも、それよりもっと怖いことがある。仲間を失うことだ」
「……」
「だから戦う。目の前に立ちふさがるものは倒さなきゃ進めない。もちろん、戦わない方法だって全力で探すよ。だけど…それでも、逃げられないことだってあるから」
「うん…私もそう…思う…だから、…此処に来たの…でも…やっぱり、動物を…何かを意味なく殺めるのは……」
「苗字…」
「嫌なの…わかってるけど…戦争はそういうものだって、わかるけど…でも…嫌なの……!」
「それでいいんだよ。君はそれでいい。…だけどね、これからの戦いは、そんな甘いことを言っていられなくなる。戦争なんだ。…君は君の為すべきことをすべきだ」
「………」
「まだその男は見つからないけど…これ以上巻き込まれなくてもいいんだよ」
名前はこの言葉にやはり答えられなかった。
見知った人が傷つこうとしている中、自分だけが安置される事実を自身が許せるのか。
だが、戦いの中で渦巻く恐怖や憎悪に耐えられるかと考えれば、名前の決意の天秤は揺らぐ。それは恐らく、自分に勇気があるのかどうかの問題だ。
不意に、クロム、と、ルフレの呼ぶ声に名前も思考を中断し顔をあげた。クロムだけではない、フレデリクとリズも一緒である。立ち上がるルフレにつられて名前も腰をあげた。
「姉さん達はイーリスに引き返す。苗字も一緒に行くといい」
「………」
「僕らも一緒じゃないのかい?その…いろいろ準備が必要になるのだし」
「そうなんだけど、ちょっと傭兵団はお仕事だよ」
「辺境の方でならず者の目撃情報を掴みました。戦の前ではありますが、憂いを絶つべきかと。」
「…そうだね」
「それともう一つ、とある小島に妙な建築物を発見しましたので私達で確認しに行きます」
「妙な建築物?」
「はい。建築物の案内役と名乗る女性が言うには、その場所は異界の門であり、旅人を誘導している…と付近の住民から通報がありまして」
「い、かい」
パチリ、と塞ぎがちだった眼が開く。聞き覚えのなく、普段なら使いようもない単語だったが、頭の中で正しい漢字が変換されていた。
「異界の、門だって?」
「……る…ルフレさん!」
「…うん。光明が見えてきた気がするよ」
名前は頬を赤らめ、晴れやかな笑顔で頷いた。わからない三人はその様子に首を捻る。
「クロム、苗字を連れて行くよ。もしかしたらその異界の門が、彼女の問題を一気に解決へ導いてくれるかもしれない」
「…なんだって?」
「もしかして、探している人がそこにいるの!?」
「わからない。だから行ってみるべきだ。その男がいる可能性がとても高いからね」
ルフレの言葉に、名前は何度も頷いた。熱心に首を降り続ける名前を見て、クロムは渋い顔をするが、最後には同行を許すしかなかった。
許さない理由がなかった為だ。
親友を助けて嬉しげなリズの相手をする名前の小さな背を見て、クロムは隣のルフレに問いかける。
「…リズから聞いてはいたが、本当にその探し人がいるのか?」
「わからないよ、行ってみないと。…でも、その男が見つかっても苗字が帰れるかどうかは…」
「…帰る、のか?故郷に?」
「うん。もしかしたらお別れになるかもしれないね。でも、彼女にはその方がいいだろう…さっきの戦いは大分無理をしていたようだからな…」
「苗字は…ルフレには、なんでも話すんだな」
「うん?そうかな?だとしてもそれは僕が記憶喪失だからだと思うけどね」
記憶喪失だから、と話すルフレにクロムは少し驚きを持った。理由も然り、また、己の心内から湧くわだかまりを知ったからだ。
-記憶があるから話せないのは解せない。自分だって、己だからこそ出来ることだってあるはずだ。
さっきの戦いだって、近くで守っていたのは自分だったし、無理をしていることにだって気づき助けた。
なのに弱音を吐いたのは、事情を知るというルフレだけである。戦闘後、怪我がないかと問いかけた時の苗字は、どんよりとした黒い瞳を己に向けることもなく、唇を噛みしめて口を噤み、頷くだけだった。あの弱くか細い声をあげることもなかった。
むかむか、と黒い感傷が胸に巣くう。それはあの頼りなさそうな背をした少女に向けてじゃない。
隣の、暢気そうな友が腹立たしかった。
その言いぐさが、その態度が、自分と違う魅力を纏った男の姿が。
クロムは頭を弱く振り、頬の内側を噛んだ。こんなのは俺らしくない、と強く思うし、感じる。
別にルフレを嫌ったわけじゃない。頼りに思う気持ちは消えてはいない。
ただ、羨ましい。
そう顕著に思うのは確かだった。