#04.お空の向こうまで連れて行きますから
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夜道ということもあって、辛労は大きい。行動の早いリヒトに着いていくだけでも精一杯ながら、名前も気迫だけで夜を越えようとしていた。
国境付近。あくまでお忍びでエメリナ達の軍隊に着いてきた名前達だったが、切り立った崖に挟まれ、隠れるところがあまりない。仕方なく回り道をして崖を越え、ペレジアの領域ギリギリのところで岩影を見つけて二人で滑り込んだ。
「ドキドキしてきたね…!あっ!マリアベル!」
「しっ」
名前は指を立て、リヒトが示した方向を凝視する。腕を拘束され、見張りの兵士に捕まれている状況ながら、マリアベルはその威勢を失ってはいないようだった。今にも噛みついてやる、と言いたげに顔を怒らせている様子まで名前は見た。ひとまずは安心だ。
「どうしよう…クロムさん達、話し合いうまくいってるのかな?」
「…あまり…よくない…かな…」
顔色の悪い派手な衣服の男が大将だろう。何かを笑いながらまくしたてている男に、イーリス勢の顔色はよくない。
「ね、苗字さん」
「……?」
「此処からマリアベルを捕まえている男を狙えない?」
名前は目を丸くしてリヒトを見た。まさかそんな発想が名前には思い浮かばなかったのだ。確かに、もう少し近づけば矢を放てないことはないと思う。だが、それには大きな障害があると名前は思う。
「…私…人に向かって撃ったことない…」
「あ…」
俯いてしまった名前の様子にリヒトも一瞬言葉を無くす。戦いになるという予想はどちらもしていた。ただ、その見解をリヒトはその事実を出来るだけ前向きに捉え、名前は考えないようにしてきた差があった。名前の生きてきた日常での道徳ははっきりしていたし、正義や悪の分類も為されていた。戦争というニュースが一時期賑わせたこともあったが、あくまでそれは他人事。名前の狭い了見には入らなかった。
そんな名前をリヒトは叱り飛ばす。
「何言ってるのさ!ここまで来て、怖がらないでよ!」
「……」
「そりゃ、僕だって怖いよ!?でも貴方がここで矢を撃たなくちゃ、マリアベルが死んじゃうかもしれないんだよ!」
「…!」
「戦わなくちゃ、殺されるんだ!大事な人たちを守りたいから戦うんだ!そう決めたんじゃないの!?」
「ま…まもる…」
「大丈夫、僕がついてる!何があっても苗字さんも守るから!」
「……わか…っ…た…」
リヒトの気迫に負けて、名前は弓を持った。矢を一本抜き取りながら岩影を屈みながらゆっくり移動する。身体を震わせながら、リヒトもせかせかと小柄な体を活かして着いてくる。
名前は落ち込んでいた。こんな、年下の少年だって理解していたというのに、自分は、と。
名前はちら、と険しい顔をしたリヒトを見て思う。口先ばかりの思いで此処まで来てしまった自分が今更ながら恥ずかしかった。
それでも此処まで来てしまった。どんな理由であろうとも舞台の上に足を出してしまった以上引き返せない。
名前は震える指先を何度も握り込んだ。厚手に出来た弓引き用の手袋に熱が一向に生まれないがそれでいい、と吐き捨てる。
心に生まれるのは不安ばかりだ。己の正義のために相手を傷つけていいのか、だとか、今までの常識がこれから罪を犯す名前を引き留めるばかり。
しかしどうせ、恨むのだ。
好きな人が傷つけば、奪われれば、失えば。どうせ自分も憎むし、悲しむ。死にたくなるほどに後悔するのだ。
そんなのは、もっと嫌だ。
名前は頭を置いていくことにして弓を構えた。湧き出る不安は脳の中のもの。だから心から思う気持ちに従って矢をつがえる。
今はこの、小さな少年の勇気に応えるのみ。
矢尻をマリアベルを乱暴に掴む男の頭に向けた。屈強そうな顔を見ないようにして、兜の隙間を狙う。
が、男をかばうようにマリアベルの柔らかそうな髪が視界に入ってしまい、名前の集中が途切れた。
「…だ…ダメ…」
「えっ」
「マリアベルさんに当たったら…!」
「ど、どうにか出来ない!?」
「…二人が近すぎるよ…」
どうにかして角度を調整出来ないか、射型を崩しながらも矢尻の先を狙い続けるのだが側のマリアベルや男自身も所々で動くのでなかなか矢を放てない。意を決して射ったとしても、体勢を崩した状態から矢は外れ、最悪の結末を迎えたら。
名前が四苦八苦している中、事態は一変してしまった。
話し合いの決裂だ。
ペレジアは兵をエメリナに向け、姉を庇ったクロムの剣に斬られてしまう。
戦争だ、と男の狂気に満ちた声を聞き、名前は内震えた。ペレジアの軍勢が姿を現し、エメリナ達に向かっていく。
全ては遅かったのだ。止められたかもしれない機会をみすみす逃してしまったのは、やはり何処かにまだ迷いがあった為だろう。名前は唇を噛み、今更叱咤を繰り返す。
「行こう、苗字さん!」
「…!」
「マリアベルを助けるチャンスだよ!」
少年は、違うところを見ていた。直向きに少女のことを思い、駆けだしていく。名前もその後に続いて走り出した。
駆けながらリヒトは緑の表紙をした本を広げ、ぶつぶつと呟いた。すると小さな身体の周りには光の紋様が浮かんだ。名前も同じスピードで着いていったものだから、間近でそんな現象を目の当たりにして驚きで目を丸くする。
一陣の風が通り過ぎていった。
「なっなに!?」
マリアベルを捕まえていた男が、次の瞬間には倒れていた。珍しく大声をあげた名前にリヒトはちょっと振り向いてくれたが、にかっと笑うだけで答えない。
「迎えにきたよ、マリアベル!」
「リヒトさん!?それに苗字さんも!」
リヒトはマリアベルと話していた妖艶な女性と対面し、名前は立ちすくむマリアベルに素早く寄り添って、あらかじめリヒトから取り上げた小さなナイフで縄を解いた。拘束を解かれ、マリアベルはほっと溜息を吐く。
女は艶やかな声音でリヒトを挑発したものの、まんまとそれに引っかかった少年の起こした風に怯む。
今の内に、と勇ましく先導するリヒト、追いかけるマリアベルのしんがりに名前が。
名前が後ろをちらと振り向けば、女は妖しく笑い続けていて、名前はぞっとするのだった。
お待ちになって、というマリアベルが、リヒトを追い越してイーリスの部隊とは反対の方へ駆けだした。リヒトが待ったをかけるも彼女は聞く耳を持たない。名前も良くない予感はしたものの、ずんずんと進んでいく少女を見過ごすわけにはいかず、リヒトと共に追いかけた。
「…!」
目の良い名前は、マリアベルが控えていた兵士にむかっていることに気づく。ペースをあげて少女の手を掴み、近くの岩影に滑り込んだ。
「何しますの!」
「……見張りがいる…あっちに何があるの?」
「わたくしの大事な愛馬ですわ。荷物も一緒のはずです」
「…わかった、此処にいて」
「何をしますの?」
マリアベルの言葉は耳に入らなかった。そのときにはもう集中して、見張りの兵士だけしか見えなかったのだ。一度した後悔の後だ、すんなりと不安は殺せた。
名前は弓に矢をつがえ、構える。男の額を的に見立て、射立てる為に。
(一矢、入魂…!)
部活のとき、先生の渇をいれた怒声を心で巻き戻し自分の声音と共に響かせた。
びゅんっと矢は飛んでいく。それは見事、男の額ど真ん中だった。
男はぐるりと目を回し、反動のまま仰向けになって倒れる。
目の当たりにした名前は背筋がぞくりと冷える。
「お見事ですわ!」
「うん!すごいよ!」
「………」
耳を塞ぎたくなる気持ちを抑え、名前も先に行った二人について岩影を出た。倒れる兵士の前に恐る恐る近づいて、その死に顔を見る。
吐き気と全身が揺さぶられるほどの震えを覚えた。光の写らない瞳に小さな傷口から流れる血が溜まり、涙を流しているようだった。ぴくりとも動かないのに、まだいつ息を吹き返してもおかしくないような、そんな暖かみを感じてしまった。同時に徐々に生気は抜けていっていることもわかる。
恐らくは即死だ、だから苦しまなかったはず。そう願いたかった。
名前は身を屈め、指先で瞼を閉じてやった。それから溢れる罪悪感のまま、手を合わせる。
「さあ、わたくしの大事な子を取り戻しましたし、行きましょう!」
「あれ?大丈夫?」
「……うん」
無事、リヒト達が小屋から現れ出た。マリアベルは栗毛の馬に跨がって颯爽と杖を掲げる。
名前は目元を擦り、震える足で立ち上がる。
リヒトを先頭にして、三人は駆けだすのだった。
国境付近。あくまでお忍びでエメリナ達の軍隊に着いてきた名前達だったが、切り立った崖に挟まれ、隠れるところがあまりない。仕方なく回り道をして崖を越え、ペレジアの領域ギリギリのところで岩影を見つけて二人で滑り込んだ。
「ドキドキしてきたね…!あっ!マリアベル!」
「しっ」
名前は指を立て、リヒトが示した方向を凝視する。腕を拘束され、見張りの兵士に捕まれている状況ながら、マリアベルはその威勢を失ってはいないようだった。今にも噛みついてやる、と言いたげに顔を怒らせている様子まで名前は見た。ひとまずは安心だ。
「どうしよう…クロムさん達、話し合いうまくいってるのかな?」
「…あまり…よくない…かな…」
顔色の悪い派手な衣服の男が大将だろう。何かを笑いながらまくしたてている男に、イーリス勢の顔色はよくない。
「ね、苗字さん」
「……?」
「此処からマリアベルを捕まえている男を狙えない?」
名前は目を丸くしてリヒトを見た。まさかそんな発想が名前には思い浮かばなかったのだ。確かに、もう少し近づけば矢を放てないことはないと思う。だが、それには大きな障害があると名前は思う。
「…私…人に向かって撃ったことない…」
「あ…」
俯いてしまった名前の様子にリヒトも一瞬言葉を無くす。戦いになるという予想はどちらもしていた。ただ、その見解をリヒトはその事実を出来るだけ前向きに捉え、名前は考えないようにしてきた差があった。名前の生きてきた日常での道徳ははっきりしていたし、正義や悪の分類も為されていた。戦争というニュースが一時期賑わせたこともあったが、あくまでそれは他人事。名前の狭い了見には入らなかった。
そんな名前をリヒトは叱り飛ばす。
「何言ってるのさ!ここまで来て、怖がらないでよ!」
「……」
「そりゃ、僕だって怖いよ!?でも貴方がここで矢を撃たなくちゃ、マリアベルが死んじゃうかもしれないんだよ!」
「…!」
「戦わなくちゃ、殺されるんだ!大事な人たちを守りたいから戦うんだ!そう決めたんじゃないの!?」
「ま…まもる…」
「大丈夫、僕がついてる!何があっても苗字さんも守るから!」
「……わか…っ…た…」
リヒトの気迫に負けて、名前は弓を持った。矢を一本抜き取りながら岩影を屈みながらゆっくり移動する。身体を震わせながら、リヒトもせかせかと小柄な体を活かして着いてくる。
名前は落ち込んでいた。こんな、年下の少年だって理解していたというのに、自分は、と。
名前はちら、と険しい顔をしたリヒトを見て思う。口先ばかりの思いで此処まで来てしまった自分が今更ながら恥ずかしかった。
それでも此処まで来てしまった。どんな理由であろうとも舞台の上に足を出してしまった以上引き返せない。
名前は震える指先を何度も握り込んだ。厚手に出来た弓引き用の手袋に熱が一向に生まれないがそれでいい、と吐き捨てる。
心に生まれるのは不安ばかりだ。己の正義のために相手を傷つけていいのか、だとか、今までの常識がこれから罪を犯す名前を引き留めるばかり。
しかしどうせ、恨むのだ。
好きな人が傷つけば、奪われれば、失えば。どうせ自分も憎むし、悲しむ。死にたくなるほどに後悔するのだ。
そんなのは、もっと嫌だ。
名前は頭を置いていくことにして弓を構えた。湧き出る不安は脳の中のもの。だから心から思う気持ちに従って矢をつがえる。
今はこの、小さな少年の勇気に応えるのみ。
矢尻をマリアベルを乱暴に掴む男の頭に向けた。屈強そうな顔を見ないようにして、兜の隙間を狙う。
が、男をかばうようにマリアベルの柔らかそうな髪が視界に入ってしまい、名前の集中が途切れた。
「…だ…ダメ…」
「えっ」
「マリアベルさんに当たったら…!」
「ど、どうにか出来ない!?」
「…二人が近すぎるよ…」
どうにかして角度を調整出来ないか、射型を崩しながらも矢尻の先を狙い続けるのだが側のマリアベルや男自身も所々で動くのでなかなか矢を放てない。意を決して射ったとしても、体勢を崩した状態から矢は外れ、最悪の結末を迎えたら。
名前が四苦八苦している中、事態は一変してしまった。
話し合いの決裂だ。
ペレジアは兵をエメリナに向け、姉を庇ったクロムの剣に斬られてしまう。
戦争だ、と男の狂気に満ちた声を聞き、名前は内震えた。ペレジアの軍勢が姿を現し、エメリナ達に向かっていく。
全ては遅かったのだ。止められたかもしれない機会をみすみす逃してしまったのは、やはり何処かにまだ迷いがあった為だろう。名前は唇を噛み、今更叱咤を繰り返す。
「行こう、苗字さん!」
「…!」
「マリアベルを助けるチャンスだよ!」
少年は、違うところを見ていた。直向きに少女のことを思い、駆けだしていく。名前もその後に続いて走り出した。
駆けながらリヒトは緑の表紙をした本を広げ、ぶつぶつと呟いた。すると小さな身体の周りには光の紋様が浮かんだ。名前も同じスピードで着いていったものだから、間近でそんな現象を目の当たりにして驚きで目を丸くする。
一陣の風が通り過ぎていった。
「なっなに!?」
マリアベルを捕まえていた男が、次の瞬間には倒れていた。珍しく大声をあげた名前にリヒトはちょっと振り向いてくれたが、にかっと笑うだけで答えない。
「迎えにきたよ、マリアベル!」
「リヒトさん!?それに苗字さんも!」
リヒトはマリアベルと話していた妖艶な女性と対面し、名前は立ちすくむマリアベルに素早く寄り添って、あらかじめリヒトから取り上げた小さなナイフで縄を解いた。拘束を解かれ、マリアベルはほっと溜息を吐く。
女は艶やかな声音でリヒトを挑発したものの、まんまとそれに引っかかった少年の起こした風に怯む。
今の内に、と勇ましく先導するリヒト、追いかけるマリアベルのしんがりに名前が。
名前が後ろをちらと振り向けば、女は妖しく笑い続けていて、名前はぞっとするのだった。
お待ちになって、というマリアベルが、リヒトを追い越してイーリスの部隊とは反対の方へ駆けだした。リヒトが待ったをかけるも彼女は聞く耳を持たない。名前も良くない予感はしたものの、ずんずんと進んでいく少女を見過ごすわけにはいかず、リヒトと共に追いかけた。
「…!」
目の良い名前は、マリアベルが控えていた兵士にむかっていることに気づく。ペースをあげて少女の手を掴み、近くの岩影に滑り込んだ。
「何しますの!」
「……見張りがいる…あっちに何があるの?」
「わたくしの大事な愛馬ですわ。荷物も一緒のはずです」
「…わかった、此処にいて」
「何をしますの?」
マリアベルの言葉は耳に入らなかった。そのときにはもう集中して、見張りの兵士だけしか見えなかったのだ。一度した後悔の後だ、すんなりと不安は殺せた。
名前は弓に矢をつがえ、構える。男の額を的に見立て、射立てる為に。
(一矢、入魂…!)
部活のとき、先生の渇をいれた怒声を心で巻き戻し自分の声音と共に響かせた。
びゅんっと矢は飛んでいく。それは見事、男の額ど真ん中だった。
男はぐるりと目を回し、反動のまま仰向けになって倒れる。
目の当たりにした名前は背筋がぞくりと冷える。
「お見事ですわ!」
「うん!すごいよ!」
「………」
耳を塞ぎたくなる気持ちを抑え、名前も先に行った二人について岩影を出た。倒れる兵士の前に恐る恐る近づいて、その死に顔を見る。
吐き気と全身が揺さぶられるほどの震えを覚えた。光の写らない瞳に小さな傷口から流れる血が溜まり、涙を流しているようだった。ぴくりとも動かないのに、まだいつ息を吹き返してもおかしくないような、そんな暖かみを感じてしまった。同時に徐々に生気は抜けていっていることもわかる。
恐らくは即死だ、だから苦しまなかったはず。そう願いたかった。
名前は身を屈め、指先で瞼を閉じてやった。それから溢れる罪悪感のまま、手を合わせる。
「さあ、わたくしの大事な子を取り戻しましたし、行きましょう!」
「あれ?大丈夫?」
「……うん」
無事、リヒト達が小屋から現れ出た。マリアベルは栗毛の馬に跨がって颯爽と杖を掲げる。
名前は目元を擦り、震える足で立ち上がる。
リヒトを先頭にして、三人は駆けだすのだった。