#03.覚悟を背負え
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あの出来事から数日が経った。包帯の取り替えという所作が加わっただけで、後は特に変化がない。名前と同じく被害者として捕まっていたミストもヨファも変わることはなく、今でも砦の何処かで遊んでいるか、家事をしているだろう。
どうして、彼女達はもう何事もなく時間を過ごせるのだろう。
(それは、私が…)
その先の言葉が出ない。想像しただけで恐ろしく、現実から目を反らしたくて目を瞑った。
[覚悟を背負え]
この間の出来事があってからようやくグレイルを含め全員が揃った。命令違反を犯して皆が助けにきてくれたことを知ったのは事前にミストに知らされていたがグレイルの処罰は緩まず、待機出来ずに戦闘を行った者達には数日の謹慎を命じた。傭兵という職業柄、少しの甘えが彼らの命を奪うという理由だ。そしてそれが少し名前にもわかった。しかし傭兵団の噂を聞き、付近の村からならずものの討伐依頼がきているため、処罰を受けた団員達の謹慎ははひとまず保留となった。せき立てられるように団員達はグレイルとティアマトの二人の元に分かれてそれぞれ仕事に向かうことに。
解散の折り、グレイルが名前を呼んだ。呆然としていた名前はまさか自分に声がかかるとは思っていなかったのでたじろぎながらも名前はグレイルの後ろに付いて歩き出す。
「ここでの生活は慣れたか?」
「あ、はい…なんとか」
「そうか。それはよかった」
他愛のない話をしつつグレイルの私室に招かれると近くの椅子に座らされる。彼は先程の処断時とは違って穏やかな顔をしていて名前はほっと安堵した。
「…この間のことで、君を巻き込んでしまってすまない」
「あ、いいえ!…私こそ、ミストちゃんやヨファ君を危ない目に合わせて…」
「あれから、大分参っているようだな?顔色が優れないようだが」
「……」
「何があった?」
事情は話していない。あの放火は名前を殴った男によってもたらされたもの、と大体の皆は思っているようだった。顔色が悪いのも事件のショックによるものと考えているのだろう。そのため、無理に事情を聞かれることもなかった。
だから話せなかった。その苦心も、辛さも。聞いて欲しいと、望んでいいのかもわからなかった。今の今まで、グレイルが訪ねるまで。
ひくり、と喉を鳴らし、名前は考え、しかしどうにも我慢できなくなった。
「ひ、…人を、殺したんです」
「……!」
「きっと、私、ひとを…!」
名前は堰を切ったようにその事実を繰り返し口にした。そして目の前の男の責め句からいつでも耐えれるように身を縮めて固めた。
認めがたいことだった。しかし、何回考えても何故あの場面で炎が巻き起こったのかわからない。そしてあれだけの惨事に自分は手の火傷しか負わなかった。火がまるで自分を避けるように轟く姿を名前は朦朧とする意識で見てもいた。
そう思うと自分が恐ろしかった。いくら自己防衛とはいえ、あんなことを起こしたのだ。釜戸の火を見るのも辛い。その炎がいつ此処の優しい人たちに襲いかかるか。想像しただけで背筋が凍る。
自分は一体、何なのだろう。
「名前!」
「!」
「落ち着くんだ」
グレイルの渇が体に響きわたる。肩を数度叩かれ、その都度ひくひくと喉を鳴らした。呼吸方法を忘れて、うまく酸素を取り込めない。苦しくて手のひらを強く握りしめる。それは強く、ぎちぎちと包帯が悲鳴をあげた。そして余計体が強ばって、ぽろぽろと涙がこぼれ出す。
「我慢するな」
「…っ」
「ゆっくりでいい。…落ち着くんだ」
「う…ぇ…ッ」
頭に乗せられるグレイルの手のひら。その暖かな感触がこんな自分に向けられていいのだろうか、と名前は思う。それはグレイルの優しさだからだ。拒めない、拒んでいいはずのない人の善意。まるで、自分を許してくれるような、甘い感覚がする。
名前は俯きながら声を一度あげて呼吸を始めた。青白くなった顔が真っ赤に染まっていく。だけど涙が止まらなかった。
事が起こった時の出来事を詳しく話して欲しいと言われ、名前はあの惨事を思い出した。それは苦しい作業だったが、グレイルの言葉には逆らいたくなかった。目を閉じるとあのときの男が炎に包まれていく。頭を抱え、苦悶の表情を浮かべながらたどたどしく言葉を紡ぐ。
そして名前の話に「赤い本」という存在が出てきた途端、グレイルは口を開いた。今まで眉を顰めて賢明に記憶を巡らせていた少女を見守っていた彼は、少し何かを思案した。
「それは、もしかしたら魔道書だったかもしれん」
「ま、どうしょ…」
はたと気づく。そういえばミストもヨファもそんなことを言っていたような気がする。だが、聞いたこともない名前の本であるとあまり深く考えなかった。
しかし、グレイルは少し神妙な顔をするだけでそこから先が進まない。何かあるのかと探るように彼を見ていたが、グレイルは安心しろとでも言うかのように微笑んだ。そして立ち上がると出入り口の扉を開く。
「シノン」
「…おっと、こりゃ団長」
「何か用か?」
「いえいえ。少し通りかかったものですから」
そこには赤髪を一つに纏めた、目つき鋭い男がいた。こちらと目が合うと名前は眉を顰める。シノンが嘲って笑っているように見えた。
「お前にしては、遅い足取りだな?」
「…!」
「何か話があるのなら後で聞いてやるぞ」
「…いんや、折角のお誘いですが遠慮しておきますよ」
シノンは口の端を引き延ばして笑って見せた。しかし顔の筋肉がひきつっているのが名前にもわかる。彼はもう一度名前を一瞥すると去っていった。グレイルは彼を見送った後に扉を閉めた。
「すまないな。悪い奴じゃないんだが」
「…いいえ」
シノンは、唯一己に対して疑心を向けていると名前も気づいている。いつも自分を見る目が気持ち悪がっているのだ。まるで異端な存在を見抜かれているようで、名前もあまり深く関わろうとしなかった。恐らく今の話を盗み聞いていたのだろう。もし自分の置かれた特殊な環境に気づかれたらと思うと恐ろしい。彼はきっと、その排除に容赦がないだろう。寒気がして腕を擦る。
「話を続けよう。君の故郷ではそういう類のものはないのか?」
「現実には…それこそ、本の中のものなら覚えはありますけど」
全て仮想の偶物である。魔法なんて現実にはないと思った。
しかしこの世界では違う。グレイルの話はそうした仮想のそれと違いなかった。彼も常用の知識しか持ち合わせていないと断ったが、今の名前には十分な説明だった。
「じゃあ私は、あの本を使ってあんなことを…どうして…?」
「…わからん。だが、君には素養があったのかもしれない」
「素養…?」
「精霊を使役し、扱う力だ」
「!」
こんな事態にならなければ胸躍る内容だっただろう。しかし、ついつい顔をしかめてしまった。原因がわかっても、自分のしたことは消えない。
「すまないな」
「え…」
「君に、業を背負わせた」
「……」
「私達の仕事は、正義の名の下にあるわけではない。実際私の手は、君よりはるかに汚れている」
「そんな…!」
「それが真実だ。だが、私は私の仕事に誇りを持っている。この仕事で私の手が汚れようと、恥じたりは…しない」
「どうして、です?人の命を、簡単に奪っていいことなんて、ない…どんな、理由だって…」
「…そうだな。本来なら、君の言うとおりだ」
「……」
「だが、残念なことにこの世界は君の世界のように秩序で守られているわけではない。…国が守れない存在もある」
「そ、そんな…」
「此処は、こういう世界なのだ。現に君があの日、行動を起こさなければ君は此処にこうして生き続けただろうか」
名前は、頭を小さく横に振った。
思い出すのは、男の殺意。本当に自分を殺そうとしていたのだ。ぎらぎらとした獣のような目。理性があったとは思えない。道徳心があったとは思えない。そしてその狂気が、あの男一人が特別抱いていたものではないことも知っている。
名前は無意識に、規則という秩序が何処かで自分を守っていてくれていると今の今まで信じていた。そして今はその優しい盾の範囲から外れていることを、ようやく理解した。
「でも、でも、だからって…!だからって、殺していい、言い訳に、ならない」
「…そうだ。だから、恨んでいい」
「…!」
「私を恨んでいい。君をこんな危険な環境に置いた私を恨めばいい。…もっと早く、君を安全な場所に移しておくべきだった。私達と君とでは、生きる世界が違いすぎたと、気づくべきだった」
「…ち、ちがう…違う…!」
「……」
「団長さんは、か、関係ない…!全部私が、…私は…!」
ぐっと息を止めた。今から口にすることが、その答えを知ることが恐ろしい。涙がまた溢れ出す目を強く瞑った。グレイルの顔を直視できるほどの勇気まではない。暗い視界のまま、名前は口を開く。
「わ、私は、生きていて、い、いいので…しょうか」
がたがたと歯が鳴った。
自分では答えを見つけられなかった。己と同じ命を奪った自分が、胸を張って、これからも生を持ち続けていいのか。
わからない。判断してもいいのかさえ。
このまま一生、グレイルの言葉がなければいいのにと願った。答えを聞くのが、たまらなく恐ろしい。
「私には、君の質問には答えられない」
「…っ…」
「だが君は、生き残ったのだ」
「…!」
「生きていたいと、願ったはずだ」
グレイルの言葉が名前の記憶を呼び起こす。
死の淵に晒された瞬間、強く願った。願ってしまったのだ。だからあんなことになった。
震える体を押さえつけ、名前は目に溜まる涙を落とし、鼻を啜る。情けない姿だと思った。それからまた、口を開く。
「わ、私も…」
「…あぁ」
「……わたしも、団長さん達のように、強く、なれるで、しょうか」
「君は、強い」
「……」
「人はどんなに惨めでも生きていられるものだ。…罪を擦り付けてでも、逃げてでも。だが、君はあえてそうせず、一番正しくて、そして辛い選択を選んだ。自分の犯したことを、受け入れようともがいている。君は強い」
「…そんなこと、ないです…私は、まだ、こわい」
「それでいい。私だって、…何時だって恐れている」
「!…団長さんも…?」
「あぁ。私はいろんなものを奪って、生きている。だが時折思う。この重みが全て嘘だと思えれば、どんなに楽だろう。歩みを止められれば、どんなに幸せだろうと。だが、私は逃げるわけにはいかない。逃げても、見ない振りをしても、その事実は変わらないし、守らなければならないものがあった。だから私は奪っただけ、相入れぬものを切り捨てただけ、生きなければ。生きる責任が私にはあると、考えている」
「生きる…責任…」
少しだけ、グレイルの言葉を理解できた。自分もこれから、そうして生きていかなければならないと思ったからだ。
人の人生を蹴落として、今、こうして生きているのだ。胸は張れなくても、勝手に歩みを止めるわけにはいかない。それはある意味では死者に対する冒涜にも思えた。
それは勝手な想像だ。そしてこれからの自分への言い訳だ。だが、これだけは言える。
私は生きたいから、殺したのだ。
そう認めると、息苦しさが収まった。自分でもそれがただの開き直りだとわかったが、その行為が、おかしいほどにすんなりと事実を受け入れさせてくれる。
「…ありがとう、ございます。よく、わかりました」
「そうか…」
「私、…私、甘えたかったんです。誰かに…貴方は、悪くないって、言ってほしくて…」
「……」
「でも、団長さんが恨んでいいって言ってくれても、ぜんぜん、嬉しくなかった…そんなの、嘘っぱちだもの…」
「だから、立ち向かうのか」
「…立ち向かえるか、まだ、わかりません…でも、自分のしたことに嘘をついちゃいけないって…例え、間違ったことをしても、目を反らしたら、自分が自分じゃなくなりそうだと思うから…」
「そうか。…そうだな。それでいいと私も思う。すぐに立ち上がらなくていい。ゆっくりと、歩めばいい」
「…はい」
「お互い、不器用な生き方だな」
グレイルの言葉に、名前はようやく笑って見せた。彼は穏やかな微笑みを携えていて、それがどんなに名前を救ってくれただろう。腫れて赤くなった目を強く擦る。気づけば手のひらが痛かった。強く拳を作っていたのだろう。火傷の上に爪をたてるように指を押しつけた。なのに気づかず、今になって鋭い痛みが響いた。また、痛覚が鈍っていたらしい。
「…話は戻すが」
「…?」
「君は、君の力をどうしたい?」
「……」
「特に魔道とは特殊なものだ。安易に会得することはおろか、発動さえ普通は出来ない」
「でも…私は…」
「あぁ。事故とは言え、力を使えた。今回のような出来事を起こさないためにも、きちんと学んだほうがいいだろう」
「…はい…」
「…だが、今はこの砦に魔道を詳しく教えられる者がいないのも確かだ」
「今は…?」
「一人、腕のいい魔道士が修行にでている。師事を願うといいだろう。だから今すぐ答えを出さなくてもいい」
「……」
「勿論、傭兵になってくれというわけではないから、負担になりそうなら今のまま裏方の仕事をやってくれると助かる」
「…でも、でも」
「なんだ?」
「…なにもしないままだったら…また、あんなことになりかねないんですよね…」
「あぁ…否定はできない」
「もう、あんなことは、いやです」
脳裏にはあの火だるまの男がいた。それがこの優しい人たちに降り注いだら、今度こそ自分は自分を許さないだろうと名前は思う。
そうならないために、出来ることはしておきたい。
「そうか。少しずつ学んでいくといい。この世界のことも、君の力のことも」
「…はい。ありがとうございます、なにもかも…」
「気にしなくていい。私は、君のような若者が成長していく姿を見るのが生き甲斐だからな」
「……」
「だが、無理だけはするな。君は一人ではない。此処に住む人間は皆、家族だ」
「…はい、ありがとう、ございます」
グレイルは最後まで優しかった。卑屈になるわけではないが、得体の知れない存在を同じように扱ってくれる懐の深さに感謝が尽きなかった。
退室する際、頭を何度も下げた。行きと帰りとでは全く違った心持ちを持っていた。ようやく生きていけると確信する。