#02.生涯の傷
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名前が意識を取り戻した時には、あてがわれた部屋のベッドの中で、三度目の夜の帳も降りた深夜のことだった。波に打ち上げられた流木のように、眠りの余韻を残しながら少しずつ覚醒していくと次第に喉の乾きに苦しめられる。恐らくはその為に意識を取り戻したのだと緩やかな意識が告げた中、突然両手に響く痛覚が神経の糸を引き絞る。
見ると、包帯で頑丈に固められた両手。何かの傷なのだと、理解したのだが、それが何なのかと考える。
これは火傷だ。
己の中の何かがいう。何故、と自問自答すれば、それが愚かな行為だと悟らされる。男の断末魔が聞こえた気がした。
自分が、あれをやったのだ。どうやったのかわからないのに。しかしそれは覆ようもない事実なのだ。
目を瞑り、詳細を思い出そうとする。だが鈍痛が頭に響く。鳴り出した痛みは思い出したように名前の頭を圧迫した。まるで思い出したくないと脳が告げているようだと思う。
名前は頭を振って、それから喉を鳴らす。からからの口からは唾液さえ生み出されず、仕方がないのでベッドから出た。ふらふらとバランスを崩し、鈍い頭痛に悩まされながらも痛む手を庇いながら歩きだしたがすぐに足を止めた。ドアノブを握るのに躊躇したのだ。普段なら気にもとめないのに、ふと自分の手を見れば固く薬品臭い包帯がある。指先を動かそうとすれば頭痛を一瞬忘れさせるくらいの痛みを訴えた。しかし喉が乾く。今すぐにでも水が欲しいという欲求を糧に、しばらくがちゃがちゃとノブと格闘した。
「おい」
「ヒッ」
驚いて二三歩後退した。まさか声がかかると思わなかった名前は恐々と声をあげた。ドアからまた声がかかる。
「俺だ」
アイクの声だった。ドアの向こうにいるのだろう、と正体を見抜くとほっと名前は息を吐く。もう大丈夫なのか、と労りの言葉に返事をするとどうかしたのか、と当然の疑問をドアは聞く。喉が乾いたから、と言えば、ちょっとまっていろ、という言葉の後、扉はそれから語らなくなった。
しばらくして。扉の前で呆然としていた名前にノック音が降り懸かる。返事をすれば扉が開いた。水瓶とコップを持った青年が姿を現した。名前に手渡そうとしたが、名前の手の包帯を見てアイクは慌ててコップに水を注いで誤魔化した。今度こそコップを差し出すと名前は両手をあまり動かさないようにして受け取る。すみません、とか細く名前が呟く。
もうこの際だから、名前のすみませんはありがとうだとアイクは勝手に認識し、首を振る。名前はコップの中の水を飲み干していく。喉を鳴らしながら一心に飲む姿に、もう三日も飲まず食わずだったのだ、仕方ないのかもしれない、とアイクは思う。満足したのか、名前は力無く微笑んだ。つぎ足してやると、また口を付けたが今度は半分もコップの中のそれは減らなかった。
ガラスのコップが、名前の包帯を写している。名前もコップの中の水をじっと見ていた。
「痛いのか?」
「えっ」
「手。それだけはどうしても治らなかったって、キルロイが嘆いていた。痕が残るかもしれないくらい、酷かったらしいぞ」
「…そう、ですか」
人事のように返した。しかし実感が全く沸かなかったのは事実だ。アイクの言葉は本当なのだろう。包帯の中身を名前は見ていなかったがこの痛みと包帯の様子からそれが伺える。そこから別の痛みはない。
「これで…これだけで済んで、よかったと思わないと…」
死への恐怖がこびりついていた名前の、本心からの言葉だった。手などどうでもいい。傷を負ったが意識はあるのだから。
あの男はどうなのだろう。私が咄嗟に呪ったあの男。
口を開こうとして、やめた。聞いてはいけない、聞けば、後悔するような気がした。
だけど何れは自分に降り懸かることなのだとも理解していた。
するとアイクは呆けている名前に言いづらそうに声音を落として呟く。
「すまん」
「っ…」
「あんたの花、枯れたんだ」
「……」
最初はなにを言っているのか理解できなかった。しかしゆっくりと考えればなにを指しているのかはわかる。慌てて簡素な小さいテーブルを見れば、分かりやすい違和感を与えられる。花瓶代わりの大きめのコップは空だった。
「仕方ない、です」
「…忘れていたんだ。あの花、あんたが水をよく変えていたの、知っていたのに」
「……でも、いつか枯れちゃうから…」
「…」
「遅かれ早かれ…だから、気にしないでください」
「名前…」
アイクはそれ以上なにも言わなかった。名前は目を合わせず、花瓶のある方をぼんやりと見つめていた。ただアイクだけが名前の黒い瞳をみた。光を宿さない名前の瞳は、最初あったあの陰りのある状態を思い起こさせるようで、アイクは胸の疼きを感じずにはいられなかった。不愉快にも似た、感情が渦を巻いて心を濁す。だが何故そう感じるのかはわからない。名前の悲しみが伝わったからだろうか。
違う。話さないからだ。なんでもないような顔をして名前が内に秘めてしまうから、ややこしくなるし、わからなくなる。
思考が回ってアイクは顔をしかめた。何故そんなことを気にするのだ。わからないのなら、わからないままでいい。仲間だからって、介入して良いことと悪いことがあるのだとアイクは思う。
それよりも名前が起きたことをミストが知れば、と肉親を思い出してアイクは心配していた、と名前に話した。あっと声をあげて名前はミストやヨファの様子を訪ねた。一変した名前の姿に、アイクはほっと安堵する。いつもの、知っている彼女の姿がそこにはあった。
花は枯れる。遅かれ少なかれ。
だけど誰かの意志で、その時期を早めてしまう権利があるのだろうか。だが確かに花は枯れてしまった。いつもなら感じることのない罪を犯したような気がひた。そしてそれは花だけでなく、立場さえ変われば自分も同じ運命なのだ。
ならばそれに対する罰は何なのだろう。生命を傷つけた罰は、それ相応のものがふさわしいだろうに。
花瓶をちらと覗きながら、名前は責め立てられる感覚を感じずにはいられなかった。