#02.生涯の傷
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どれくらい眠っていただろうか。軋む頭を撫でながら意識を集中させてようやく名前の危険信号は響きだした。頭が痛い。それも神経が悲鳴を上げているのではなく、直接的な傷があるのだとわかった。指先が傷口に触れてよけいに痛みが増す。もちろん夢ではない。
なにがあっただろうか、とまだ体を動かせない名前は覚えている限りを思い出そうとした。昼飯を終え、帰路についてしばらく経った頃だった。異様な雰囲気の男たちに囲まれて手に持つ鈍器で襲われたのは。
いち早く事態を察したのはミストである。泣き出しそうなヨファと呆然とした名前の手を握り逃げ道を探した。しかし、二人の気が揃わない為に惑い、ついにはその凶器に頭をやられてしまったのである。
年長者としての恥ずかしさを感じ取り、名前はもう一度意識を失ってしまいたくて強く目を閉じた。だがすぐにそれも辞める。守らなければならない二人の安否が気になったからだ。暗闇に慣れた視界で痛む頭を庇いながらも起きあがる。幸い拘束の類はされていなかった。すぐ傍で転がされたように眠る二人に体を引きづって近寄り、揺すり起こす。顔を歪ませながら覚醒したミストとヨファ。名前と同じ頭痛を負いながらも二人にそれ以上の外傷もなく、名前はほっとしたのだった。
しかしそんな一時の安堵を消したのは、荒々しく扉の開く音と外から漏れる光だった。闇に慣れた目には強烈な明るさに三人は腕で影を作ってその光に耐える。
「起きたか、ガキ共が」
「だ、誰!?」
慌てて声を上げたミストに対して声の主である男はあざ笑う。三人にはそれに腹を立てる余裕さえなかった。身を寄せ合いながら小さくなることしか。逆光で男の顔まではわからなかったがそれでも男の体格、雰囲気が恐ろしかった。手には人斬り用の大きな斧が光を帯びている。
「大人しくしていろよ。じゃねぇと一生口がきけなくなるぞ」
「こ、こんなことしても無駄よ!お父さんが、お兄ちゃんが許さないんだから!!」
「うるせぇ!!!」
男が荒々しく傍にあったがらくたを蹴りあげる。それだけで効果はある。ミストや名前は小さく悲鳴を上げ、ヨファと共に体を固くしてがたがたと震えだした。男の周りは砂や埃が煙になって異様な雰囲気が漂う。
「こちとらシマ取られて頭にきてんだ。先にお前等からヤっちまってもいいんだぞ?あぁ?」
「や…や、…」
やめてください、と言葉にも出来ない。名前は二人を強く抱きしめながら震え続けた。その様子に満足したのか気味の悪い笑みを見せて男は続ける。
「恨むなら俺たちに手ぇつけたお前等の仲間を恨むんだな」
男の言葉と同時くらいに、外が騒がしくなった。奴らが来たぞという外からの怒声に男はもう一度名前達を一瞥し、笑いながら小屋から出ていった。再び暗闇が名前達を支配する。
しばらくして堪えきれなくなったヨファが小さく泣き出した。我慢できなくなったのだろう、と考えながら名前も同じように泣いてしまいたかった。それでも震えた声で賢明に叱咤するミストの様子をみてそれは許されないと悟る。父や兄、そして仲間達がどんなに強い人たちかと一生懸命に訴えた。しかし彼女のそんな虚勢が恐怖していることを隠しきれないでいる。
私がなんとかしないと。
名前の心に一種の使命感が生まれたのはそれからすぐだった。彼女たちより年上の自分がなんとか、せめて二人だけでも助けなければ。自然と震える手を強く握りしめ麻痺させることで恐怖を誤魔化しながら名前は慣れた暗闇を見渡す。じっとしているだけでは何も変わらない。二人を隅に寄せると心配そうに声をかけられながら名前はそろりと出入り口に四つん這いで向かった。埃や土で汚れながらも必死でたどり着く。それから音を立てないようにノブを回すが一定以上は回らない。かちゃりかちゃりと小さく音を鳴らしてもそこが開くことはなかった。そこまでは想定していた。それから扉に耳を寄せて外を伺う。すると喧噪と怒号と悲鳴とが混じりあって名前は身の毛が弥立った。
誰かが争っている。名前の中で木霊する危険信号が更に音量を上げた気がした。
それでは身を守る何かがないだろうか。
武器とまではいかない。何かの棒きれでも、手に持っているだけでどれだけ安心するだろう。そうして名前はすぐ側で鎮座する荷物置き場に手を着けた。じっとしていられなくなったのだろう、ミストとヨファも一緒になって何かないかと探し出す。あるのはぼろぼろの空箱と、汚らしい麻袋ばかりで、武器になりそうなものが見つからない。
乾燥しきった紙束や積み重なる色褪せた本までたどり着き、名前はそこにも手を着けた。字を習い始めたばかりの名前にはその紙束達がどのような情報が載っているのかなどわからない。ただ質量があったから、それが壁となって何かが隠れてないかと手をつっこんだのだ。ばさばさと崩し、本を放る。するとある一冊に触れ、一瞬違和感を感じ驚いてそれを地に落とした。どうしたの、とミストが慌てて名前に寄る。何を言葉にしていいのかわからず、ただ名前は視線と指先を件の本へ向けた。埃で古ぼけた赤いその本をミストが触れる。
「…これ…魔道書かしら」
「ま、どうしょ?」
「えぇ。これとは違うけど、似たようなのならみたことあるわ」
「僕もある」
ミストに手渡され、恐る恐るそれを受け取った。名前はなぜこんなにもこの本が気になるのかよくわからなかったが、手にしてようやく違和感の正体に気づく。
(なんだろう…あたたかい)
感触はまるで違うのに、人の温もりに触れているようだった。表紙いっぱいに手のひらを当ててみるとよくわかる。しかし、そんな不思議な本に構ってなどいられなかった。使えるの、と問うヨファの言葉に首を傾げながらもその本をほかの紙類と同じように置こうとした。
瞬間扉が開かれ小屋の中の名前達を照らし出す。瞬時のことで目をやられないように視界を閉じた三人は驚きと共に背筋に冷たいものを感じた。男は先程憎らしい態度をとった者ではないようだ。興奮していて鼻息が荒く、目が血走っていてそれが余計に三人を震え上がらせた。
「来い!」
男の手が近くにいたヨファの手に触れる。ヨファは精一杯抵抗するが少年と体格の良い男では勝負にもならない。引きずられて小屋から連れ出されて、もう一人がミストに向かって手を伸ばす姿が名前の目に入る。それがとてもゆっくりと、スローモーションで再生されたように。
駄目だ。こんなの駄目だ。
名前の中の小さな正義心が叫ぶ。
だけど怖い。今すぐにでも目を瞑ってしまいたい。
ミストの今にも泣き出しそうな瞳とかち合うことさえなければ、名前はその勇気を捨てていただろう。少女の恐怖に満ちた瞳。涙を堪え、名前に助けを求めているのだ。こんな、卑怯な自分に。
「やめて!!」
男の太い腕に絡みついた。突然のことに虚を突かれた男は声を荒げたがしょせんは女の力。勢いよく振り解かれると地に尻を強かに打ちつけることになった。痛みに気を取られているとミストの甲高い悲鳴が起こる。ようやく名前は気づく。出入り口の扉からの光を背に、ならず者の男の腕が名前に向かっている姿。目を丸くしてしっかりと焼き付けてしまった。
鈍い音が体から響く。
「…ぁぐ!!」
顔が痛い。殴られた衝撃で全身から震えと恐怖による脱力が名前を襲った。視界が定まらない。本能からか、リカバリを計る脳は、神経の末端にあった指先を動かした。それは床に名前と同時に放り出されたあの本を掠り、撫でる。耳はミストのつんざく声がする。どんどんと小さくなっていくのだが、名前は殴られたショックで彼女が、ミストがどうなったのかはわからない。妙なことに、何も食べていないのに味がする。鉄の味、血だ。揺れる視界が暗く変わる。その変化一つ一つに怯えるしかなかった。
「このアマぁ、ふざけやがって。人質はガキ二人で十分だ!」
「ぁっ、あぐ、ゥ、あ」
「死ねッ!」
ぐらぐらと揺れる頭が、今や何をすべきなのかわからなくなっていた。
ただ理解したのは、此処で自分がどうなるかということだった。
(いや、いや、やだ…っ)
瞬間、何かが弾けるような感触を、名前は持った。
右手に強烈な熱を感じる。燃え上がるような熱。まるで炎の中に手を突っ込んだようだ。膨れ上がる熱は温度を上げていく。
「ああああアアアアアアッッッ!!!」
男の叫び声が小屋に木霊する。何が、と涙をはたき落とすとあの男が炎に包み込まれて身悶えている。大きな体躯が深紅の炎から逃げ惑い、しかしその火は執拗に男の皮膚にまとわりついた。周りが赤く染まっていく。炎が全てを飲み込んでいく様を、名前はただ地べたから見ているしかなかった。開けた口から歯が打ち合う音を出す。男の振り払う火の粉が肌に触れてチリチリと痛む。だけど何故か炎は名前には近寄らなかった。ただ、煌々と燃えるあの本だけが名前の手を離さない。肌が焼ける異臭が、物が焼失する臭いが、何よりも手の中の痛みが夢の中の出来事ではないと告げる。
これは、もしや、自分がやったのか。名前は悟り、恐ろしくなって歯を食いしばった。引っ込んだはずの涙が浮かぶ。怨念で人を火炙りにしたことが、ただ恐ろしかった。
やがて小屋の中の薄まる酸素が、名前の意識を奪っていったのはそれからすぐのことだった。
まだ、名前ちゃんがいるの。
ミストが火を纏う小屋の中へと駆け出そうとしてティアマトに止められながら叫んだ。団員達がたじろぐ中、いち早く走り出したのは手持ちの斧を投げ出したボーレだった。息を吐き、大きく吸い込むとそのまま呼吸を止め、今にも崩れそうな小屋へと突入した。それからすぐアイクも同じく駆け出そうとしたがオスカーが青年を止めた。息巻いて俺もいく、と振り解こうとした途端、近くで青白くなりながら祈っていたキルロイが嗚呼、と嘆息した。ボーレがすぐに小屋から出てきたのだ。抱きしめるように名前も連れている。ぶはっ、と肩を大いに動かし豪快に酸素を取り込みながらボーレは名前を地に寝かせた。それからあのキルロイのように青白くなって呟いた。
「い…息、してねぇ」
ミストの小さな悲鳴が上がった後、ヨファは泣き出した。皆が呆然とする中、ただ一人、シノンだけが小さく吐き捨てる。
「死にやがったか」
その声にティアマトは赤髪の男を睨みつける。だがすぐに意識を名前に向けた。ボーレを押し退け、膝をつくと名前の状態を見る。
「軽い中毒を起こしているわ。キルロイ、早く治療を!」
「は、はい!!」
「治るの?名前ちゃん大丈夫なの!?」
「大丈夫。大丈夫よ、ミスト」
ティアマトの言葉にミストは体を固くする。すぐにでも泣き出してしまいたい衝動を少女は我慢し、キルロイの治療を一心に見つめ続けた。手を握り合わせ、唇を噛みしめながら。
やがて晴れやかな青年の声が挙がる。危機を脱したとポロポロと涙を流しながら告げたキルロイの言葉に、団員達は緊張の糸を切った。ミストは座り込みながら同じく泣き出し、ヨファは兄たちにすがってやはり泣き続け、他の団員達は安堵に溜息をついて喜んだ。
そうしてこの騒動は、名前の意識のない状態で幕を閉じた。