#01.灯された始まり
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「……よし。移ったな」
「あ…あの…ありがとう…」
「あぁ」
アイクはようやく窯の中から視線を戻すと目元を擦りつける名前を見た。先ほどよりもずっと暗い顔をしているな、と心中で呟くと、またも気まずい心持となって頭を軽く掻いた。ミストと喧嘩をして、泣きそうになる前のそれと似ている気がする。指先が赤くなっているのできっとそのせいだと決めつけた。
「痛いのか?包帯なら持っているぞ」
「…いえ、大丈夫です。なんともないですから」
僅かに血が滲む方の手を名前は覆い隠した。抑揚のない声がずっと不気味に思える。
アイクは彼女をどう扱っていいのかよくわからなかった。父親が連れてきた同年代の異性。ミストとは違ってあまり喋らないし、ティアマトのように余裕も見られない。だからといって同姓のように接してみれば相手は戸惑うばかりで、逆に困らせてしまう。今までの経験がどうも通用しなかった。
行った方がいいだろうか、と額に巻かれた鉢巻きの結びをいじりながらアイクは窯の方へ目線をやった。こうこうと燃え続ける炎を見ていると二人きりの空気に何も言わない存在が主張してくれているようで安堵できた。そこから新しい薪が視界に現れて炎に食われていった。ぎょっとしたが勿論名前のしたことである。腕をまくっているせいか白い腕が炎やくすんだ地面でより一層生えて見えた。こんなに白いものなのか、女とは。いや、名前があまり陽の光を浴びていないのだと気づき頭を振った。
「…一人で大丈夫か?」
「えぇ、はい…なんとか」
大丈夫なようには見えない。彼女は怪我をしたままの手で薪を握っていた。伏しているが、怪我を見てもらうためキルロイのところに行かせた方がいいかと思える。湯が沸くまでは自分が見ていればいい。そもそも先程から纏わりつく服を脱ぎ、汗をさっさと流したくて手伝っていたのだ、彼女に任せているよりは自分でやったほうが早い。
「俺が見ていてやるから、怪我、見てもらった方がいいぞ」
「……」
少しわざとらしかったろうか。アイクは先程から痒みを訴える頭をかきむしる。名前は不意にアイクの方へ顔を向けた。初めて見上げてくる彼女の顔は驚きで緩んでいた。それからきゅっと開かれた唇を引き締める。アイクはどきりとさせられた。目に輝きが見られなかったのだ。諦めや、悲しみといったおよそ辛苦に近いものを感じ取れた。むずがゆさが一層強まる。
「……大丈夫です、これくらい出来ますから…」
「だけど、血が…」
木々の節目から飛び出る棘が危ういというのに、名前は余計に握った拳を強めたようだった。アイクは思わず薪を取り上げた。濁った瞳が見開いて、アイクを見ていたが気にも出来なかった。此処まで我儘を聞くつもりもないし泣くなら泣けばいい、とアイクはその後来る面倒な後始末にも立ち向かう決心をつけた。しかし相手は、泣かなかった。震えているのに、目には水滴があるのにそれを堪えている。思った展開とは違ってそれからどうすればいいのか、とアイクは困惑した。泣いてしまえばそれなりの対処が出来るのに、そうとも出来ない。思った以上にややこしいことになってしまった。
「ごめんなさい…何も出来なくて」
か細くて小さい声が沈黙を破った。およそ聞き取りにくいほどの声量だったがなんとか聞き取るとアイクは自分が悪者になった気分でいっぱいになった。罪悪感をひしひしと感じさせる何かが彼女にはあった。
あぁ、もう面倒だ。
アイクは名前の手を取ると血が滲む指先に向けてふっと息を吹きかけた。砂の細かい粒子を払い落し、汚れを取ってやる。白い掌がびくりびくりと痙攣を繰り返し引っ込めようと名前は腕を引いたが手は奪い返せなかった。
「痛いだろう?別に我慢することじゃない。痛いなら痛いって言えばいい。隠すことなんてない」
視覚にきちんと表せば、きっと認めるに違いない。土で汚れた掌が綺麗になるにつれて石で切りつけた傷跡がはっきりと姿を見せてきた。アイクは自分の肌と彼女の肌の色があまりにも違うと見比べてしまった。こんなにも自分とは違うのだ。綺麗な手が怪我で勿体ない、と思った。
「ほんとに、なにもできなくて」
「…別に気にしなくていい」
「簡単なこと、なのに…」
「簡単なわけじゃない。コツがいるんだ、火を点けるの。今度教えてやる」
「……」
何かが詰まったような声をあしらっていると、ぽと、と名前の腕に水滴が落ちた。何処から落ちたのか見れば、名前の濁った瞳からとうとう涙が溢れていた。アイクはまた心臓を強く打つ。適当に返事をしたことに気付いたのか、と後ろめたさが背筋を強張らせた。
「どうした、痛いのか?」
首を振る彼女は声もなく泣き続けていた。掴み切れなかったタイミングで涙腺を切ってしまった名前にアイクは慌てた。どうも想定外のことが続いていて余裕もなくなっていた。解かることは、自分が泣かせたことくらいか。
「泣くな、すまん」
「……」
「すまん。だから、泣くな」
「…がう……ちがう、から…」
「んん?」
「ちがう…ちがう…」
「何がだ?何が違うんだ?」
頭を振るばかりでアイクの問いかけには一切答えない。溢れていく涙が頬を満面なく濡らしていく。アイクは顔を顰め、どうしたものかと慌てるしかできない。とにかく涙を止めてやるのが一番かと目元を擦ってやるとアイクの指先がすぐに濡れすぼった。あまり効果は見られない。ハンカチなんていう洒落たものはない。
「お兄ちゃん!?」
「!」
アイクにとって最悪なことが起きた。声がした方を見ればやはり見慣れた妹の姿がそこにあった。目を吊り上げて立っている。その後ろには心配顔のヨファとキルロイがいた。ミストは彼らを置いてずんずんと怒りに身を任せた足音が近づいてくる。どう見ても泣いている少女と泣かせたように見える自分達のところへ。
「違うんだ、これは」
「何が違うの!!お兄ちゃんが悪いんでしょ!」
「話を聞けよ!」
「ごめんね、名前ちゃん、お兄ちゃんがまた無神経なこと言ったんでしょ?お父さんに言っておくから大丈夫よ」
「ミスト!!」
「わっ!?」
ミストを振り払うとふらふらと名前は立ち上がって後ずさった。目線が何処へ向いているのかわからない。黒い瞳は更に深淵を見せ、震えながら何処かを見ている。
(何を、見ているんだ?)
相変わらずわからない視線の先。その先に、彼女が見ている恐ろしさがあるとアイクは思えた。
「名前ちゃん?」
「ち…ちがう…ちがう…から…」
「え?」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「……」
ミストとアイクは顔を見合わせた。彼女の気持ちがどちらも汲み取れなかった。名前がぎゅっと拳を握りしめている姿を見て、あっとアイクは声をあげた。怪我をしていると話すとミストはよりいっそう心配そうに名前を見る。だがどう言葉をかければいいかわからなかった。今もまだごめんなさいと謝っている。