#07.獣国にて
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そして朝が来る。
隣のミストが朝日差す眩い光に目を細めて呟いた。
「これが、生きているって……感じなのかな…」
ぽっかりと空いた穴を埋めていく安堵感を、名前もまた同じように長い溜息を吐き出して、沈黙を以て答えるのだった。
[獣国にて]
ミストは明るい少女へと戻っていた。先に部屋を出た彼女には昨日のような憔悴した様子もなく。勿論哀しみを乗り越えきれたわけではないのだろう。気を使って強がっているのかもしれないが、ミストの明るい笑顔に安心感を得ているのは事実である。
名前もまた気怠い身体の筋を伸ばして滞った血流の働きを促す。雨に濡れていた外套を誰かが掛けてくれていたのだろう。生乾きだが肌寒さに負けて袖を通して身支度を済ませた。
そろり、とドアを開けると静かだった回廊に人の気配があった。顔を出した名前に彼女は親しく声を掛けてくれる。
「おはよう!いい朝だね!」
「あ…おはようございます。えっと…」
「あ、そっか。なんだかんだで挨拶がまだだったね。同じ戦場に立ったからそんな感じしなかったよ!あたしはワユ。改めてよろしくね!」
快活な少女に名前は控えめに笑んだ。可憐ながらも勇ましく対する姿を昨夜見ていたが、裏表のない言動が彼女を体現している気がした。彼女は亡きグレイル団長がデイン兵に捕まっていたところを保護されたという。そして昨夜の戦闘を経て、彼女もグレイル傭兵団に残ることを決めたと告げる。
「昨日は本当に危なかったね。名前は初めて戦いに出たんだっけ…。お互い、命があってめっけものだ」
「そうですね…。私、結局何も出来なかったんですが…」
「何言ってるの!あの状況じゃ逃げたっておかしくないのに、大将に着いて戦っていたじゃん!もっと自信持たないと」
「…ありがとうございます」
「それでもさ、納得できないなら…次はもっと活躍できるように鍛錬するしかないよ」
彼女なりの励ましに名前は頷いて同意した。口数の少ない名前に気を使ってくれたのだ。そんな心遣いに感謝し、名前も笑い返す。ここ数日、鬱屈した毎日が続いていたので明るいワユと話していると心が湧きたつようだった。
朝食の準備が為されているのだろう。久しぶりに食欲が膨れだす。密やかな話声に団員たちの団欒の様子が伺えた。その輪に入ろうとするが、部屋の片隅に違和感を感じてそちらに視線を向けた。
見覚えのない男女が一人ずつ。大柄な体型の男は青色の短髪で厳つい様相ながらその瞳は優し気で。対するように華奢な女性の目は鋭く、周りを警戒していた。どちらも獣の耳と尻尾を有するラグズ達である。女性は名前と目が合うと仏頂面の顔色を更に険しくさせた。
「誰だ、お前は」
「あ、えっと」
「レテ。初めテ会うベオクを睨ムのは良くなイ」
ベオク。また聞き覚えの無い言葉である。
大柄な男は少し訛りを含ませつつも穏やかな声で名前とワユに挨拶を述べてくれた。ワユは女性の剣呑な雰囲気に圧倒されながらも元気よく返す。名前もまた同じく会釈いた。レテと呼ばれた女性はしかし、と男に向けた。
「モゥディ。昨夜このニンゲンを見たか?」
「ソの呼び方も良くなイ。彼女たちはベオクだ」
「お前は頭が固い。そんなことを聞きたいんじゃないぞ」
「…すまナい。モゥディ達ハ昨夜、挨拶をしただろウか?」
「い、いいえ!私、昨日は気を失っていたみたいなので…」
「そうカ!では挨拶ヲしよう。モゥディだ」
おい、という女性に構わず、モゥディと名乗った男性から大きな手を差し出され、名前は嬉しくなって自分も手を重ねた。優しいな雰囲気にほっとさせられたのだ。少なくとも悪い人達ではないと名前は思う。
次にモゥディはレテにも同じように挨拶をするように促す。しかし彼女は名前にぶっきらぼうに名乗り、値踏みするだけで手までは差し出さなかった。
どうした、という声はすぐ後ろから掛けられた。アイクである。不思議な空気を放つこちらに気づいて近づいたのだ。そんな彼に準備は済ませたのかと問うたのはレテである。しかしアイクが出発までもう少し時間がかかることを伝えると、レテは不満そうに眉を寄せて離れていった。そんな彼女を謝りながらもモゥディも追っていく。話が見えないままの名前はワユとアイクを交互に見比べるしかなかった。
「昨夜、俺達を助けてくれたのがあの二人だ。ガリア王宮へ案内してくれるらしい」
「そうだったんですか」
「二人は体調はどうだ?」
「平気平気、ピンピンしてるよ」
「私も。大した怪我はしていませんので…」
「そうか。昨日の今日で疲れているだろうが王宮まで行けば一息つけるだろう。何か足りないものがあれば俺やティアマトに相談してくれ」
アイクはそれだけを告げて離れていった。恐らくは他の団員の様子を確認して回っているのだ。忙しないその様子が少しだけ気がかりではあったが、出発と聞いて嬉しくもあった。勿論、色々なことが起こったこの場所に名残がないといえば嘘になる。が、ガリア王宮への道が示されたことは、当初の目的地への道が開けたこともあり、そして疲弊したこの傭兵団に安息地が近いことも意味するだろう。
逸る心もそのままに、新しい一日は既に始まっていたのだった。
出発前。
自分が担当していた荷物を持って古城を出た。しかし、思った以上に早く準備が済んだらしく、他の団員の姿はまだ見当たらない。周りを見回せば、昨夜死闘を繰り広げたこの地は今はもう雨上がりの塗れた地面が輝くだけだ。視界を広げると鮮やかな晴天に雲が流れていく。それでも、薄い血しぶきや傷ついた壁が、此処で凄惨な戦闘が在ったことを証明するだろう。此処で起こった出来事はどうあっても消せないのだ。恩人は亡くなり、仲間は去った。新たな出会いはあっても、拭い去れない傷を癒すことは出来ない。
名前はそうして記憶から昨夜を巡っていた。どうしてあの時決意したのか、今となっては言葉にも出来ない。だけど不思議と後悔はしていなかった。戦場で共に戦う許しは、危険だろうことも承知していたが何よりも居場所となってくれたのだ。
此処まで思考を巡らせながら、名前は不意に荷物の中に手を忍ばせた。魔道書を見返して、少しでも魔道という世界に慣れておかねばならない気がした。デインの奇襲が終わったとは限らない。王宮へ辿り着くまでの悶着が無ければいいが、それでも基本を見返さない理由とまでには出来なかった。しかし、肝心の本が荷物の中から見つからない。手探りで膨らんだ鞄を探り続けたが、指先が厚いハードカバーを擦ることがなかったのだ。次第に名前はあれ、あれ、と小さく疑問を漏らしながら外からも荷物の形を確かめる。部屋を出る際、忘れ物の確認はした。しかし、行ったという明確な証拠を示すことが己自身で出来ない。記憶はだんだんと朧気に霞んでいく。だがようやく荷物をかき混ぜながら鞄の奥の奥で表紙を掴み、それを抜き取った。本は割と嵩張る。だから荷造りの際に一番に手をつけて置いていくことのないようにと施したことをようやく思い出すのだった。これには反省するしかなかった。名前は己が傭兵としての自覚のなさがこの体たらくであると思う。敵が目の前に現れていたら、そんな幻想の後に気恥ずかしさで頬が蒸気した。
途端、ギャッとつんざく悲鳴が上がった。今朝のラグズ達が遠巻きにこちらから見て取れた。彼等はとても慌てていて、モゥディは大きな体をぶるぶると震わせて小さくなり、レテは興奮したのか体中の毛を逆立てて名前へ敵意を向ける。
「貴様!火の魔道使いかっ!!?」
「えっ?え…?」
「おのれ!!後ろから我等を狙うつもりか!!卑怯なニンゲンめ!!!」
「ち、違います!そんなことしません!」
レテの憤怒の相に驚いて咄嗟に名前は本を隠した。しかしそれは彼女の指摘通り、後背を狙う為にナイフを隠す姿とよく似ていた。ジリジリとにじり寄るレテは今にも襲い掛からんとする。名前は更に無抵抗を主張せねばならなくて、しかしそれはもう本を手放すしかなかった。目の前でべたりと地に落ちた魔道書は雨でぬかるむ泥を被る。しまった、と慌てて汚れた表紙を払うものの、本は黒く塗れて紙に染み込んでいた。
しかし此処までやった甲斐はあった。混乱と焦燥で涙目の名前を見て、レテは認めるしかなかったのだ。呆れながらも。
「…お前。それはお前の牙のようなものだろう」
「す、すみません…!」
「いや。……むしろ…こちらに非がある。なのに何故お前が謝る」
レテは不可解そうに名前を睨みつけながら問うた。しかし名前としては己の不手際を指摘されて叱られたと考えていたので、レテの言葉に首を捻ってみせるしかない。
ようやくほっと息がつけたのか、仲介に入ったのはモゥディだ。
「すまナい。モゥディ達ハ"それ"が恐ろシいものだと知っていルから驚いてしまっタ」
「おい!モゥディ!!」
「そ、そうだったんですか…、いえ、こちらこそ驚かせてしまってすみません」
「汚れてしまっタが、大丈夫カ…?」
モゥディの指摘に名前も指先を黒くしてみるも染み込んだ泥にコーティングされてしまったが、そこから暖かな感触は変わりなく。魔道書としての機能に問題はないようだ。ハンカチで汚れた本を庇いながら荷物にしまい込みながらモゥディに大丈夫なことを伝える。彼はほっと胸を撫でて、良かったと言いたげにレテの方を窺った。彼女は神妙な顔色で顎を撫でてひらひらとその特徴的な耳を動かす。そして今気付いたと瞳がきらっと輝く。
「お前がライの言っていた女か」
「えっと…」
「通りで。我等の前で簡単に牙を隠すような真似をする。あいつの言っていた、おかしなベオクの女はお前以外にいない」
「……!」
はっきりと聞かされた中傷に名前は首をもたげるしかなかった。傭兵になったばかりとはいえ、ガリア兵の彼女たちでさえ自分がうっかり者であるとバレてしまったのだ。戦場で生きていくには致命的な欠点である。
「レテ。それは言イ過ぎダ。ライはこうモ言っていタ。ラグズであるモゥディ達にモちゃんと目ヲ見て話ス良いベオクだト」
「………」
「すまナい。レテは火が怖かったノを誤魔化シているダけだ。気にしなイで欲しい」
「モゥディ!!」
顔を真っ赤にしたレテがモゥディに詰め寄るも対してモゥディは気にしていない。名前も何故彼女が火を怖がるのかと首を捻った。成り立ての魔道士に恐怖を感じる理由には乏しい気がした。
「あの…確かにこの本は火の魔道書ですけど…私、また変なところを燃やしてしまったのでしょうか?」
「名前は知らないカ?モゥディ達、獣の民ハ火が苦手ダ」
「こら!!お前は言わなくて良いことをペラペラと!!」
レテの反応が真実を示している。そのことに驚いて名前は荷物を背に隠しながら彼らから距離を取った。警戒心を抱かれていたことにようやく気付いたのだ。
「ごめんなさい!…私、何も知らなくて……」
「どうだか。後ろからこっそり狙っていたかもしれん」
「レテ!」
「す、すみません。私、謝ることしか出来ず……皆さんにも世間知らずでよく迷惑をお掛けしているんです。私、出来るだけ離れて歩きます。だから安心してください」
「………」
後退する名前にモゥディはしゅんと尻尾を誑して悲しそうに項垂れた。そうしてレテの方をじっと見る。彼の視線に負けて、レテの苦々しそうな顔がひとつ溜息を吐きながら離れ行く名前を引き留めた。
「…お前」
「は、はい」
「………世間知らずと言ったな。では、ガリアのこともよく知らないのか」
「えっと……ガリアだけじゃなく…知らないことだらけというか…」
「ならば、我等と共に歩けるというのなら」
「……」
「話を聞かせてやる。何も知らないベオクの風潮でガリアに偏見を持たれるのは癪だからな」
「!」
名前は思わずモゥディを見て、モゥディもまた驚いて何度か瞬きながらも尻尾を立ててにこやかに微笑んだ。これは彼女の方から交流の機会を作ってくれたのだ。そのことに気づいて名前は口角をあげてレテに礼を述べる。二人に挟まれたレテの方が気恥ずかしくなってしまうくらいに二人は嬉しそうに笑っていたのだ。
ほどなく傭兵団の準備も終わり、旅立ちの時間が訪れた。
団長の墓を参る。これからの旅路を祈る為に。名残惜しく、手を合わせていた兄妹たちを最後に彼を背にして、グレイル傭兵団は出発するのだった。