#06.正しさの証明
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慌しくも急がれる引き継ぎが行われる傭兵団を待つことなく、事件は深夜に起こる。デイン軍がアイク達の滞在する古城を取り囲んだのだ。ガリア領内であるにも関わらず踏み込んできた彼らは決死隊と成る覚悟で襲撃した。この覚悟は次にグレイル傭兵団達にも課せられる。逃げ道など無い。降伏さえ許されないだろう。戦い、抗うことしかもう道は残されていないのだ。
アイクは亡き父と誓ったばかりだった。此処には守るべき妹がいる。血肉を分け合い、最期まで亡父が気にかけていた彼女と、自分を信じて残った仲間達を前にして、退く方法を案じる頭は最初からなかった。
雨はまだ降り続いている。
幾度目かの訪れた絶望を前に、アイクは初めて団の長として立ち上がる。しかしそんな死地へ向かうアイクに縋った存在が。ミストである。強かった父が亡くなった今、唯一の肉親である兄まで失う恐れに、妹は耐えきれるほどまだ強くはなかった。
ならば共に、全てを諦める方が。
そんなミストにアイクは約束を交わす。
生きて帰る、と。納得出来ようもない約束に、ミストはもう何も言えなかった。戦うと決めた兄の意気を削ぐことが同じ傭兵の子であるミストには出来なかったのだ。
踵を返しながら思う。本当なら一緒にいたい。戦場は恐ろしかったが、何もわからないまま亡くすことの方が辛い。なのにそんなことさえ兄はわかってくれなかった。
砦の出入口でミストを迎えたヨファもまた泣いていた。小さな身体を震わせてボロボロと涙を落とすのは恐怖からだけではない。抱える弓を強く握り、矢筒を強く抱きしめていた。年を重ねていないだけ悔しさが募り、それを吐き出すことも出来ず、少年少女は共に支えながら家族が生きて帰ることを信じ、待つしかなかった。
古城には、傭兵団の他に逃げてきた商人達が在った。ミストとヨファの姿を一見し、彼らは無事を確かめて安堵していく。口にはしないが、デイン兵の噂を知っているらしかった。
しかしミストは気づく。そこに在る筈の人がいないことを。
「名前ちゃんは?」
「…えっ」
「誰だい、それは?」
「名前ちゃん、ここにいないの?」
「此処には、俺達だけだが…」
強面の男が察して青くなる。仲間と逸れてきた彼らがミスト達の置かれた状況と重なって顔色を変えていった。同じ顔の青年二人が探しに出ようとするのを女性が止める。戦いが始まってしまってはもうどうすることも出来ないのだと現実を告げて。
腰を落として座り込んでしまったミストが、ガタガタと震えだして己を強く抱きしめた。胸元に隠すメダリオンを握り込んで、最早祈るしかなかった。
お父さん、お母さん、どうかお兄ちゃんを、みんなを助けて。
両親の思いが込められている青銅は、少女の心に共鳴したかのように蒼く淡く輝いていた。
夜の闇に溶けそうな程視界は暗いが人の気配までは消せない。雨は降り続き、音による情報さえ制限されているのは相手も同じだ。幸いにも古城は守り易く建てられている。ミスト達が待機する城内へ続く道は一つ。言うならば逃げ道も此処だけなのだが、そこさえ守りきれば良いのだ。機会を見つけて商人達が子供たちを連れて逃げ出してくれるのを期待するしかないとアイクは思う。
父ならばどのような心境で仲間達を鼓舞するだろう。もうあの背中をなぞるくらいしか出来ないことが辛かったが、そんな辛苦さえ胸の内に留めるように息を大きく吸い込んだ。
「準備は良いな!?グレイル傭兵団、出撃…っ!?」
後方から人が駆けてくる気配がして、アイクは寒気がした。デイン兵が既に古城内へと侵入したのかと錯覚してしまった。それはすぐに打ち消される。厚手のローブを頭まですっぽり被って、しかしその奥の黒い瞳が深々と光る。見知っているはずの少女が雨に打たれ出して、アイクはつい、声を荒げた。
「名前!!何しに来た!!?戻れっ!!!」
「…私も戦います」
「何言ってる!?」
「私、戦えます!…戦えるんです。なのに、此処で何もしなかったら…私…!」
「……」
「お願いします!…お願い…!ちゃんと、やりますから」
「…わかった」
「アイク!?」
「どの道此処を突破されたら終わりなんだ。戦える者は皆働いてもらう」
「あ…ありがとう!」
名前の声は存外明るかった。対してアイクの旗色は渋い。決めたものの、こんなことになるとは思わなかった。ミストやヨファのように、砦内で待機してくれていれば、どんなに安心出来るか。今となってはもう遅かった。せいぜい出来ることは「前に絶対に出るな」と命じるくらいである。
名前は顔を強張らせながらも頷いた。
(これくらいしか、もう、私には出来ないから)
シノンの言葉がずっと頭にリピートし続けた。何度も己の身の振り方を考えた。料理が出来るわけでもなく、裁縫が出来るわけでも無く、このテリウスという世界で常識と日常に慣れてきたばかりの自分が出来ることは大抵皆の方がきちんと出来た。シノンの言う通り、何もしなくても許される身分ではなくなった。
それでもアイクはそんな自分でも頑張っているのだと認めてくれた。
それが嬉しかった。だから立ち上がれた。怖い思いはある。殺されるかもしれないという危うさが消えてくれるわけでもない。それほどの勇気はまだ湧かない。それでも勇気が無くても立ち上がることは出来る。
(私は、みんなと生きたいから)
生きるために戦うことを選ぶ。あのグレイル団長が示してくれたように。この世界の家族と共に。
だから、残った選択が正しいと証明しなければ。
「グレイル傭兵団、出撃する!!!」
初めて耳にするアイクの激は、名前の心を確かに昂揚させたのだった。
手入れのない石造りの壁の向こうから重そうな鎧の擦れる音が幾重にもなって聞こえてくる。幸いにも古城は防衛に適している。三か所ある通路は一人分の細い道を抜けないと内部には侵入出来ず、そちらを塞いでしまえば兵の侵入を阻む壁となれる。道の一つはティアマトが陣取り既に交戦している。もう一か所はオスカーとボーレが。そして最後の通路にはアイクと女剣士ワユが代わる代わるデイン兵を食い止める。名前は時折飛び込んでくる矢に動くに動けない。徐々に増えていく負傷者に、キルロイは手一杯。同じ魔道士のセネリオは気配を頼りに壁の向こうへ風魔道を放つ。それは確かに統率の取れた兵士たちに混乱を巻き起こす。
それぞれが自分の役割を理解したうえで最低限のコミュニケーションで連携し、防衛に中る。その隙間が名前にはわからない。
その名前の腕を取る者が。アイクである。咄嗟の事に驚きつつもその理由がすぐにわかる。自分のいた場所に矢が飛んできたのだ。それは地を弾いて慣性を削いで転がっていく。
「ぼうっとするな!!」
「ご、ごめんなさい」
アイクの怒声の方にも怯んだ。冷たい雨に打たれ続けた身にとても響く。が、それはすぐに形を潜める。アイクは手薄になった通路の先を見ていた。
「打って出る好機か」
「え…?」
「行くぞ!」
驚いてつい聞き返したが、アイクは名前の意志など最初から聞くつもりもなく前進していく。名前には付いていくしか道はなく。暗がりでも映える赤いマントを追いかけて、視界から消えかけた紅と共に自分も角を曲がるとあの黒鎧も一緒に視界に飛び込んできた。長物が先行するアイクへと向けられており、そしてアイクもまたデイン兵へと剣を向ける。突き出された槍を身体を捻って紙一重でやり過ごし、握る剣で鎧を弾く。名前も見覚えのある剣だ。アイクが父より授かった新しい剣。今はもうあの時のように輝かしくはなく、所々に傷もある。短い間なれど使い込んできたその剣で猛然と相手へ向かい、厚い刃は鎧の強固さを叩き破り、肉まで届く。血しぶきが上がり、兵士はくぐもった悲鳴を上げた。動揺したのは名前だけである。間近で繰り広げられる生き死にの奪い合いの苛烈さだけではない。驚いたのはあの寡黙な青年の別側面でもあった。そんな青年を狙う兵士は一人だけではない。地面へ崩れていく兵士の後方から別の男が剣を振り下ろしていた。一息吐く間も与えられず、自分を狙う剣はアイクの体を確かに傷つけた。しかし幸運だったのは滑る地面に足をすくわれたためでもある。服と共に皮一枚を斬ったが出血はそれほどでもなかった。とはいえ、足を掬われ体勢を崩したアイクの不利は変わらない。
「アイクさん!」
応えが返ってくることはない。二撃、三撃と繰り出される剣戟に防御の構えを取るしかないアイクがいつ押し負けてもおかしくない。そんな連想の末、名前は腕の中が発火したかのように熱くなった。勿論それはただの幻想であり、しかし振り払いたい程に熱した本が告げている。
(そうだ、この感覚)
自分に呼応する魔道書。閉じ込められた炎が解放を望んでいる。至極簡単にこの状況を打破する方法が、自分に出来るただ一つの方法が示されているように。
雨雲に向けて翳した手に、今度こそ明確なイメージを浮かべて具現する。降り続く雨粒を蒸発させるほどの熱が幾重にも折り重なり、それはやがて火球へと変じる。そして突き出した指先へ火球は飛んでいく。アイクへ斬りかかっていたが為に、不意に飛び込んできた悪意に気づけず、火球は胸元へと直撃した。泥濘を転がりまわって鎮火させようとするが、そんな余地をアイクが与えるはずもない。首筋をバッサリと斬られ、剣士は絶命した。
(で…できた…!)
今まで一度も頭のイメージと魔道書とが合致せずに火が一瞬燃え上がるだけだった。それが炎から火球へと変じた。何よりもいざというときに動けたという事実が、名前の今までとは違った。
ナイスアシスト、と誰かが名前の肩を叩いて追い抜いた。濡れた紫紺の髪を揺らしてアイクを庇うように剣を構える。