#04.不穏な光
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慌ただしく出て行ったアイク達を見送って名前はいつものように書庫へと入った。外に出ての修業に見切りをつけ、いつものように本から字を学ぶ時間を作ったのだ。名前がしばらく悪戦苦闘している内に、ミストとヨファ、そして珍しくボーレも一緒になって書庫へとやってきたのだった。ミストとヨファは二人して児童向けの教本を、ボーレは適当な武術書を手にテーブルについたが、前者二人と比べて熱心さにかけていた。彼はそこで机上に散らばる名前のメモの一つに目をやって、首を傾げる。
「前から気になってたんだけどよ、名前の書いてるのなんだ?」
「え?…あっ」
ボーレが摘んでいる紙を見るとそこにはテリウス語や古代語でもない、名前の母国語で書いたメモだった。無意識に使用していたらしく、気が付いたとしても自分用のものだからという感覚で放っておいた。誰かに見られても今まで深く追求されることはなかったという考えが甘かったのだろう。隠すように手元にメモ紙を引き寄せるが、運悪く、一緒にいる少女達もうんうんと頷いてボーレの言葉に同調し始めた。
「何かの落書きかなぁって、思ってたよ」
「私も。不思議な形よね」
「あ、ああ…ううん…えっと……」
三人の視線を浴びて、名前は言葉にならない悲鳴を小さくあげるしかなかった。上手い言い訳が考え付かない。秒数が刻まれるほど、名前の首から上の皮膚が真っ赤に染まっていく。
その時、書庫の扉が開いて注目の的がそちらへと移った。名前は天の助けとばかりにくしゃくしゃとメモを手のひらで小さく丸めてポケットへ。扉を開いたのはオスカーだった。
「みんな此処にいたのか。クッキーを焼いたよ、お茶にしようか」
「やった!名前ちゃん、ちょっと休憩にしましょう?」
「う、うん!……此処、ちょっと片付けてから行くね」
オスカーの誘いを受け、ミストとヨファは率先して書庫から出て行った。ボーレも後に続こうとしたが、不意に下を向いたまま深く溜息を吐いている名前の姿を見つけて首を捻った。
「なんか悪かったな、妙なこと訊いちまってよ」
「……え?いやっ、そんなこと…!」
「だけど茹蛸みたいで面白かったな、お前の顔!」
「!!」
「悪い悪い。お前も早く来いよ、無くなっちまうぞ」
「……うん」
にっかと笑って出て行った青年の顔を見送って名前はどっと疲れを意識した。机に突っ伏してはぁあ、と声に出してもやついた意識を吐き出していく。結局はからかわれたのだ、と理解してしまったからだ。それからポケットにかさ張ったメモを取り出してそれを広げてみた。皺となった紙片は走り書きの母国語とテリウス語が並べて書かれていた。それはこれを読める人はやっぱり此処にはいないのだと再認識させられて、なんだか悲しくなった。
「…名前?」
「!…は、はい!」
「大丈夫かい?」
「あ、は、はい、なんとか…」
そこにはいつもの緑色に光る鎧ではなく、布服の上に腰にエプロンを巻いたオスカーが扉から顔を覗かせていた。ずっとそこにいたのか、もしかして一連の動作を見られていたのだろうか、と疑ってまた顔の温度が上昇していく。オスカーは眉の端を下げて苦笑していた。
「ボーレがまた、一言多かったかな。すまないね。でも気にする事は無いよ」
「い、いいえ、そんな…」
「多分、あれはあれなりに君を元気付けようとしているんだと思う」
「あ……」
「もう少し、言葉を選べばいいのだけどね。…早くおいで。焼きたてが一番美味しいから」
「…はい」
名前は机の上の紙束を急いでまとめあげる。
手を動かしながら、先程の出来事を思い返してしまう。きっとボーレは自分やミスト、ヨファの様子を探っていたのだろう。明朝、戦争に巻き込まれる可能性が出て、過剰に不安視していないかどうか。恐らくオスカーの言葉が無ければその可能性さえ考えなかっただろう。少しだけ反省を交える。
(だけど、笑いの種に自分を持ってこないで欲しかったな)
名前は心中そう呟いてから多少の不満を苦笑に変えた。ようやく片付いた机上をおきざりにする形で扉前のオスカーと共にその場を後にするのだった。
アイク達一行は早々に帰って来た。
彼らはデインの一小隊と戦闘になり、追い払うことに成功したという。
しかし、そんな出来事は些事であった。彼らは気を失った一人の女性を保護して帰って来たのだ。
名をエリンシア・リデル・クリミア。
クリミアの賢王ラモンの隠された一人娘である。
民草は彼女の存在を知らされてはいない。しかしデイン軍の強襲により、意識を取り戻した彼女は、ラモンとその妻が己の目の前で命を奪われたこと。そして、ラモンの弟であり、叔父であるレニング卿によって自分は逃がされたこと。その甲斐無く、デインの追手によって近衛兵達が戦い、相討ちとなったこと。今もデイン王が己を血眼になって探していることが彼女の隠そうとする悲壮な声音が説明した。
壮絶な体験を送った王女の話はグレイルと彼女を保護したアイク自身が聞き取り、彼らが傭兵であることを知ると彼女は一つの依頼を傭兵団に持ちかけるのだった。
自分をガリアへと護送してくれないか、と。
談話室は一挙にその手の話で持ちきりとなった。
クリミア軍がデインに済崩しとなって敗戦した旨は大いに信じがたい。
しかし、エリンシアの語る話を虚言としては受け入れられなかった。共に話を聞いたアイクの所見ではグレイルは彼女をクリミア女王として見ているという。
そんな暢気な空気は血の気が引いたヨファの存在によって掻き消されてしまう。
デインの魔の手は、すぐそこまで迫っていた。
現実味を見いだせず蚊帳の外だった名前もそうは言っていられなくなり、書庫から急いで連れられた作戦会議室では、狭い部屋に傭兵団の面々がずらりと勢揃いして待っていた。名前の登場が最後らしい。グレイルは自分達が置かれている立場を再度説明してくれた。
彼らはクリミア王女の身柄引き渡しと、砦の放棄を要求してきている。断れば戦闘も辞さない覚悟だという。
それ故に、エリンシア王女の話も証明が成されたようなもの。自分達が取るべき行動は二つに分かたれた。
エリンシア王女を伴い、ガリアへ向かう。クリミア王国に順ずるか。
デイン軍の要求を呑み、強者に与し、利益を得るか。
グレイルは一人一人の意見を問うた。傭兵団の副長から傭兵達。この砦に住む子供達、そして名前にも。
グレイルの視線とかち合って、名前はたじろいだ。彼はしっかりと自分を見つめているが、決して圧するものではなく優しかった。それでも名前自身は答えを出すことを躊躇っていた。
身に降りかかったことのない戦争がすぐ近くにある。そして、自分の一手で此処にいる傭兵団の者達が命を賭けることになる。同時に、一人の少女の人生を左右するのだ。考えないわけがない。
言葉を詰まらせた名前だったが、グレイルの力強い視線に負けてクリミア王女の命を取ることにした。戦いを知らない名前でも彼らが強者であることを知っていたことが大きかった。彼らならなんとかなるはずだという楽観視が名前には生まれていた。
結局、クリミア王女の依頼を受けることに決まった。
不満気な団員もちらりと見受けられたものの、団長の決したことだ。意を唱えることもない。
何故なら戦いの狼煙はすぐに上がることになるのだから。