#04.不穏な光
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皆の助けを借りながら、名前はようやく簡単な世情や歴史と世界の常識を身につけていった。相変わらず紙面上の言語を完璧に理解するには及ばなかったが、生活する上では支障も少なくなったと自負する。そこには少しだけ逞しくなった自分が存在していた。
[不穏な光]
名前は大いに後悔していた。名前がテリウス語(と、名付けた)から少し離れ、気分転換に魔道に用いられる言葉、古代語にちょっと手を付けてみたことからそれは始まった。古代語はその名の通り、テリウス語が使用される以前の言語である。そう教えられたものだから名前はてっきり今の言葉より難しく会得しがたいものだと思っていた。日常生活も考え、順序立ててテリウス語から勉強を始めたのも易しいものからという思惑からである。
しかし古代語は名前の考えていた難解なイメージとは懸け離れていた。字や発音は違えど、文字の掛け合わせ方が名前の知る言語に似ていたのだ。その事実は名前にとって今までやってきたテリウス語とは遙かに取り組みやすく感じさせた。
無理をしてでも先に魔道書の扱い方を覚えようと思っていれば。そんな後悔が名前に頭を擡げさせたのだ。
とにかく自分の母国語を駆使し、急遽先に古代語の会得に乗り出すのだった。魔道の修行を早めることも出来るし、テリウス語は日常を過ごすことを前提に少しずつで良いと、多少いい加減だが名前は考えたのだった。
あるときミストが見つけてくれた埃っぽい魔道書を抱えて名前は砦の庭先に出た。拝借した薪の一本を立ててから少し離れた先に一人立つ。名前は自分で作った発動の手順と詠唱を記したメモを開き、書と見比べながら薪へ指先を向けた。
(指や目を標的に向けて、きちんと示す…)
睨みつけるように薪を凝視し、本のページをめくる。それから違う参考書にあった炎の詠唱を口ずさんだ。そのとき炎精から力を抽出し、具現させるよう燃えたぎる炎球のイメージを頭に浮かべる。
「(火よ、舞い踊れ)!」
薪に向かいながら思い切り腕を振った。しかし一向に火が起こることはない。なんだか一人で格好を付けただけで恥ずかしくなった。シン、と静まり返った場が尚更名前の羞恥心を焚き付ける。
何故、どうしてと頭は混乱し、メモを見返しては魔道書のページを捲る。しかし覚え立ての古代語ではじっくりと見直すことは出来ず、やり方がよくなかったかも、と幾度となく呪譜を調べなおした。
それでも目的の炎は具現しない。誤爆とはいえはじめは呪文も知らなかったのに、と焦りばかり募り、誰かに見られていないだろうかと辺りを見回しながら、やけくそになって本を振り回した。
「もう…!なんでっ?…(いでよ)!!」
すると名前を囲むようにして風が巻き起こる。不自然な砂煙が立ち、考える間もなく小さな竜巻の中に閉じこめられたが、すぐに風は流散した。
「……?……あれ…?」
とっさの出来事に反応出来なかった名前はがくんと膝を折って地に尻餅をついた。それからしばらく呆然としてしまう。なにが起こったのかわからず、ただただ体が震えた。無意識に指先が小さな紙を掴もうとするが、手元には存在しないことに気づく。いつの間にか飛んでいったらしく、名前はすぐ傍に放られた紙片へ手を伸ばした。
「あっ…」
砦の入り口近くに誰かがいた。長い黒髪のほっそりとした少年は、赤い瞳で睨みつけるようにして自分を見ていたのだ。名前はもしや全部見られていたかと思って誤魔化すために頭を下げるが、少年は目があったと知るや否や一別もくれず砦の中へと消えていく。
何か仕事の依頼人か、と無愛想な印象を受けてしまって不快感を吐き出すように溜息を吐いた。
結局名前は家事を手伝うためと名目打ってこの日初めての魔道士修行を諦めた。なんだかどっと疲れが溜まり、これからに不安ばかり感じて気が滅入りそうになったその時。砦の窓が開け放たれて、そこから声がかかった。珍しく慌ただしい雰囲気のオスカーだ。彼は名前に急いで作戦室へ行くように、と伝えると窓を閉じて去っていった。
足を急かせ、たどり着いた部屋は大半の団員達が集まっていた。最後にグレイルとあの黒髪の少年が連れたって入室後、部屋の扉は閉じられた。あのときのようにちらと少年に睨みつけられた名前はやはりこの傭兵団にとって重要な人物だったのか、と人知れず頬を染める。そんな名前に隣のミストが耳打ちをした。
「名前ちゃん、はじめてよね。彼はセネリオ。他の傭兵団に修行に出ていたのよ」
「じゃあ、此処の人?」
「うん」
ミストからの紹介を受け、もう一度セネリオを見る。年は自分より年下、または同年代のように見えるが佇まいは落ち着いていて大人びた印象を受ける。とても武器を振り回して戦うような体型ではないが、と頭を捻る。
そうこうしている内にグレイルが口を開いた。
「他の傭兵団に修行に出ていたセネリオが帰って来た。とんでもない情報付きでな。…セネリオ」
「はい」
セネリオの口から明かされた情報とは傭兵団の皆を驚かされた。自国であるクリミアが突如隣国のデインに襲撃を受けて戦争を起こしたというのだ。
今の今まで自分とは無縁であったはずの事柄は名前を震撼させるには十分だった。名前にとって戦争とは、歴史の一部であり、やはり本の中の情報でしかなかった。こんなにも身近で起こったというのにあまりにも緊張感がない。セネリオという少年がちょっとした悪戯のための嘘であればいいのにと願ったが彼にそんな茶目っ気をあるとは思えない。鬱蒼な感情をもてあましている中、話は進んでいく。
グレイル傭兵団も決して関係の無い話ではない。戦いを生業としている以上、どちらかの軍勢に就く可能性が高い。義を以て故郷クリミアを支持するティアマトと依頼が無ければ今回の戦いに参戦せず傍観を進言した、デイン側の勝利を予見するセネリオの二人が論争を始めた。だがどちらの意見も譲り難くまとまった結論を出せない。
グレイルは現在の状況と情報収集の為、偵察を出すことに決めた。アイクに現場指揮を一任すると部隊を編成し、グレイルは副長ティアマトに後事を任せて自分は出て行ってしまった。傭兵として認められたばかりの新米に大事な仕事の指揮を取らせることにアイクを始めとして訝る者もあったが、結局グレイルは何の説明も与えはしなかったのだった。
口を挟む余裕もましてや言葉もなかった名前は事の顛末をただ見守ることで緊張感を漂った話しあいをこうして乗り越えたのだった。名前も含め、他の団員達は戦争という恐怖に不安を感じずにはいられない。
そんな曇り顔の名前にあの黒髪の少年は目の前に立った。
「平然とこの場に顔を出していますが、貴女は誰です?」
「あ、あ、すみません。ご挨拶が遅れて」
「名前だ。お前が修行に出ている間に此処に住むことになった」
「よろしくお願いします」
「……どうも」
「挨拶なんざ後でも出来るだろ。お前らもさっさと用意しろ。こんなつまらねぇ仕事、早く終わらせるに限るぜ」
「アイク、行きましょう」
「あぁ」
アイクから紹介を受けて腰を折って丁寧に自己紹介をしてみたものの当のセネリオは下から上まで値踏みするように一度見回した後、興味をなくしたようにアイクと共に出て行ってしまった。妙に威圧を感じて息を止めていたらしい名前はそんな小さな背を見送った。
「あんま気にすんなよ。あいつ、誰にだってあんな調子だ」
「少し人見知りが強いだけよ。悪い子じゃないのだけど…気分を悪くさせたのならごめんなさいね?」
「いいえ!…私も挨拶が遅れましたし…」
名前はあの真っ赤な瞳が放つ冷たさを思い出して、それからすぐに忘れるように頭を振るのだった。
「アイク、遅れましたが改めて。正式入団おめでとうございます」
「あぁ。ありがとう」
「仕事に参加されるようになって、如何ですか?」
「順調と言いたいところだが、まだまだな。色々迷惑をかけている」
離れた時分も重なって、途切れることなくぽつりぽつりと紡がれる会話の中で、セネリオは先程であった新参者を話題に出すかどうか迷っていた。少し前を行くアイクの足取りは早い。もうすぐ彼の部屋に辿りついてしまうだろう。セネリオは意を決し口を開いた。
「……彼女、新しい傭兵には見えませんでしたが」
「名前か?あぁ、親父が仕事中に保護した。行くところがないから此処に住んで家事を手伝っている。…いや、今はお前と同じ魔道の勉強もしているんだったか」
「魔道?魔道士として雇用するつもりなのですか?」
「さぁな。ただ親父に勧められたと話はしていたか」
「……」
セネリオも思い出していた。見覚えのない彼女が一人、庭先で魔道書を振り回しぶつぶつと乱雑な詠唱を繰り返していたのを。注意して追い払おうと思った矢先、彼女の言霊に反応した精霊が魔力と変化した。術者に文句の代わりに悪戯をしかけたような風が巻き起こったのだ。ほんの些細な力だったがそれは結果的に彼女を驚かせることとなった。
背筋に冷たいものが走ったのはそれからすぐだ。精霊は簡単には人の言霊になど応えない。
「…確かに、団長から一人、魔道士の育成を頼まれました。恐らく彼女のことなのでしょうね」
「そうだろう。今まで自分なりにやってきたみたいだが、うまくいってないらしい。俺じゃ何の力にもなれないしな。大変だろうが時間があるときにでも面倒みてやってくれ」
「………アイクは彼女と仲がよろしいのですね」
「そうか?まぁボーレと俺は年が近いからよく話すようにしているが」
「……」
「それより帰って来たばかりで任務につくことになったが、セネリオ、あまり無理するなよ。…これからよろしくな」
「はい」
アイクは自室の前に来るとセネリオと別れて部屋の中に消えていった。セネリオも腰を曲げてそれを見送る。少しの間、じっと扉の木目を見ていたが、そこから何かが始まることはなく。そうしてセネリオも久し振りの自室へと赴くのだった。