#01.灯された始まり
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最初に感じ取ったのは土の匂い。鼻孔を抜けていく空気は何処か澄んでいて都会では味わうことはないクリアな感触がある。そっと目を開けると青々とした草が飛び込んできた。なかなか覚醒しない頭でも己が外にいるのだと気づかされるには十分だった。
(何故?)
名前は呆然としながらも妙な疑問に頭が透き通っていく。覚醒していく感覚に苦痛を感じながらも土まみれだった服を叩きながら身を起した。
「…何処、ここ…」
か細い声は辺りに響くこともなく消えていった。
[灯された始まり]
部屋にいたはずだった。頭を捻りながらもう一度辺りを見回して自分の立ち位置を掴もうと立ち上がる。ふらりと一度立ちくらみ何度も頭を振って状況を掴もうと努力した。
その日はとても疲れていて、すぐに寝てしまった。
そんな情報を生みだしたとき、名前はようやく過去に触れた気がした。倒れこんだベッドで見た斜めの世界を最後に、次に現れた視界が今の状態だ。間違っても戯れに外出し草の上で寝てしまった記憶はない。
しかし考えが行きつくとますますわからなくなる。まるで何かとすり替わってしまったような違和感に名前は次に身体を確認した。手を見て、腹を見て、足を見て、そして触って確かめる。鏡がない分、やりにくさはあったが幼少時に受けた傷跡、生後からあった黒子などを見つけてそれが自分なのだとはっきりと自覚する。それから簡単な自分の問題を作っては一つずつ丁寧に答えていったがやはり考える限り別段気が振れたわけでもなく。
そうしてじっとすること時が流れる。人の気配さえ感じずに時間だけが過ぎてしまい、名前はわけもわからず焦燥感に駆られた。このままじっとしていて良いのだろうか。うんうんと唸り何度も変わることのない周囲に気を配ってみて名前はようやく道なき道を進むことにする。此処にいても何も変わらないだろうという予見と此処が何処なのかという好奇心が結局は己を動かしたのだった。
何よりも人に出会えればなんとかなるかもしれないという期待もあった。
しばらく山道(道にしては人が通れるように舗装されているわけではなかったが)を下り、穏やかな時間を過ごす。木々が風に揺らされて瑞々しそうな葉が音を鳴らしてまるで小唄を歌っている。更には注がれる柔らかな光を一心に身に受けて樹木が嬉しそうに見えた。
小気味よく歩き続けていると何処からか子鳥の群れが空へと羽ばたいていった。それが妙に危機感を煽られる。小鳥の群れが我先にと急いで飛んで行くように見えたからだろうか、今まで輝いていた自然の森が一瞬にして不気味な雰囲気を醸し出した。肩を挙げて緊張感を受けながらも歩を進めているとがさりと乱暴に草むらを揺らす音に足を止められた。草を踏みしめる足音は男たちでいっぱいになる。粗雑な服と凶悪そうな風貌に関わり合いになりたくはなかったが、いやらしくにやにやと笑う男たちと目が合ってしまって既に逃げられる気配もなかった。#名前#は徐々に近寄ってくる男たちと距離を取るため後退しつつも和やかな雰囲気にするために懸命に笑って見せた。そしてカラカラに乾く喉を潤そうと一度生唾を飲み込むと声帯を振り絞った。思った以上に声に震えはない。
「あ、の。あの…私、道に迷ったみたいで」
「ほお、そいつぁいけねぇな」
「俺達が送ってってやろうかぁ?」
「い…いいえ。あの、此処が何処なのか教えていただければ、なんとかします、ので」
「此処が何処かだと?」
口を大っぴらに開き、汚い歯並びを見せつけながら男たちは互いに顔を見合わせ合って笑い合う。それは明らかに名前の言葉を小馬鹿にする態度であり、しかめそうになる顔を必死で名前は笑顔を繕い続けた。震える腕を抑えつけながら。
「此処が何処だって聞いてるぞ?おい、誰か教えてやれよ」
「おお、じゃあ親切な俺様が教えてやるよ、へへへ」
「……」
「此処はな、嬢ちゃん。俺達の縄張りなんだよ」
「なわ、ばり?」
「そう。ナ・ワ・バ・リ。つまり嬢ちゃんは無断でこのテリトリーに入っちまったんだ。それがどういう意味かわかるかぁ?」
「ど…どういう…」
「へへへ。頭ぁ。どうしやす?」
不気味に、それでいて饒舌に語っていた男が後方の頭と呼んだ男に話を振った。怪しい光を湛えた瞳とぶつかりあって名前は一瞬怯む。一際屈強そうな男だ。周りの男たちとは一線を引いた冷たく、恐怖をそそられる雰囲気である。その男はにやりと口角をあげて低い声音で裁きを下した。
「捕まえろ。暴れるようならバラしちまえ」
「!?」
「りょうーかいでさぁ!!」
歓声をあげて男たちの野太い腕が一斉に挙げられる。嬉しい悲鳴をあげ、ぎらぎらとしたたくさんの視線が名前に注がれた。まるで血に飢えた獣が獲物を捕えようとする貪欲さ、そしてそれを楽しむ残酷なお遊びを湛える男たちに背筋に冷えたものが走る。その両拳には、鈍い銀色の光があった。
(剣…?それに、あれは、斧…!?)
歯を打ち鳴らしてしまう口を閉じようと唇をしめながら必死に目を凝らして名前は周りを観察した。滑らかな曲線を描き、空想物語で使われるような剣は、どれも錆や血の跡がべっとりとこびりついていて汚い。だけど少なくとも昔の資料として飾られているような剣のレプリカより切れ味はありそうだ。斧も、薪割りで使うような小さなものではなく大柄で、まるで人肉を捌く為に存在しているように思えた。危険信号が脳に響き、目にちかちかと光が錯乱する。
まさか。まさか人を襲うわけがない。
名前は必至でこの状況の言い訳を考えた。追剥ぎにしても、こんなにも大きな凶器など扱っていいわけがない、と否定したかった。仮にメディアの企画ものだったら。お芝居の中だったら。夢だったら。だが考え付くもしもが浮かんでは消えていく。男たちの雰囲気が尋常ではないことくらい、名前にも感じ取れた。言うならば犯罪者の醸すきな臭さ。常人には持ち得ない狂気が男達には垣間見えた。
後ろに逃げようと咄嗟に振り返るが無駄だった。既に男達が名前を囲んでいて逃げ道自体塞がれていた。それぞれが得物を軽く振り回し、中には巨大な斧を引き摺る音を起こしながら、名前の怖がる顔を見て楽しむ奴もいた。
あぁ。もう駄目なのだ。
名前は先程から止まらない腕の震えが全身に流れていく様がわかった。目に涙が浮かび、その見開いた瞳はきょろきょろと周囲を見るが定まらない。瞬きさえ、そして思考さえ、上手く出来ない。
そうこうするうちに男の一人が飛びかかってきた。その手には重そうな斧。名前は奇声をあげる男に驚いて足の力が抜けて地に倒れこんだ。多少滑り込んだ感覚はあったが痛みまではわからない。怯んでしまったその隙に首を落とされるだろう等と、諦めと恐怖を天秤にかけ弄ぶしかない名前はただ震えるしかなかった。
低い男の悲鳴があがったのはすぐだった。涙目で開いてしまった視界は捉えきれない不鮮明さでぼんやりと白味かかっていたが、近くで起こったことで名前の不具合な視界を余りあるくらい補った。
目の前で男が崩れ落ち、隣に寝転がる。後頭部にはあってはならない棒が突き刺さり、傷口から真っ赤な何かが滴り落ちた。
男たちの恐怖に慄く声が辺りを煩くしているというのに、名前の意識には入らない。ただ隣のモノとなった男だけが名前の心を奪い去っていた。
そこに一人の男が名前を取り囲む輪を掻い潜り中央に舞い込んだ。がっしりとした体格に相応しい巨斧を軽々と抱えた男は名前のすぐ傍にまで身を露わにしたが、肝心の名前は気付かない。男は俊敏に腕を伸ばすと名前を抱え、見開いた瞳を覆い隠した。突然閉じられた視界に驚いて小さく悲鳴を上げたものの、急速な展開に脳が追い付かず、精神が圧迫されて堪らず名前の思考は閉じてしまった。