短編集まとめ

夜は、もうそこにあった。
森に足を踏み入れた瞬間から、ではない。灯りを消したわけでも、太陽が沈んだわけでもない。ただ、彼女がそこにいる限り、世界は静かに夜へ傾いていく。

古い洋館の一室。
魔法陣は描かれていない。触媒もない。あるのは、彼女自身だけだった。
――これでいい。
呼びたい誰かがいるわけじゃない。助けてほしいわけでも、守ってほしいわけでもない。
――ただ、確かめたかった。
魔術が失われ、縁が断たれ、契約も命令も意味を持たなくなったこの世界で。それでもなお、「応える」という行為は成立するのか。
彼女は、静かに息を吸った。

「私は、あなたを縛らない」

誰に向けた言葉でもない。
世界そのものに落とす、問い。

「命令もしない。役割も与えない。それでも――来る?」

沈黙。

何も起きないように見えた。
それでも、夜の奥で、何かが揺れた。
最初に感じたのは、視線だった。
向けられているというよりかは、見返されている、というような感覚。
次に、足音。
床を踏む音はなく、扉が開く気配もない。
ただ、気づけばそこに、影が立っていた。
静かな佇まい。剣を持つ者のはずなのに、刃の気配が薄い。
「……ここは?」
問い返されて、彼女は少しだけ目を細めた。
命令も契約もない呼びかけに、応答が返ってきた。
「……帰ってもいい」
そう告げると、影はわずかに首を傾げた。
しばらくの沈黙のあと、彼は視線を逸らし、こう言った。
「……行き先が、特にないんだよねぇ」

それだけだった。

理由でも忠誠でもない。彼はただ、留まる余地があったから、そこに立っている。
契約はない。
令呪もない。
それでも、確かに“成立してしまった”。

――たった一度きりの問いに、応答があった。
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