短編集まとめ

「今日、シーツ洗おうかな」
朝食を片付け終えたあと、なのはちゃんは唐突にそう宣言した。
「えらいじゃん」
「えらいので褒めて」
「はいはい、えらいえらい」
そう返すと、彼女は満足したように頷いた。それから、寝室の方へ向かっていく。少しして戻ってきた腕の中には、丸められた白いシーツが抱えられていた。
「はじめちゃん、こっち持って」
「はいはい」
渡された端を持つと、思っていたよりも大きい。
二人で広げると、部屋の中に一枚の白い布がふわりと広がった。
「……大きいね」
「シーツだからね」
「知ってる」
なのはちゃんが少しだけむっとした顔をする。
その顔が可笑しくて、つい笑いそうになるのをこらえた。

洗濯機に入れるには少し苦労した。
なのはちゃんが片側を押し込み、僕が反対側を整える。最後に彼女が洗剤を入れて、蓋を閉める。
「完璧」
「まだ洗濯機が洗ってくれるだけでしょ」
「私がやると決めた時点で半分は勝ちみたいなもの」
「何に?」
「生活に」
大げさな言い方をして、なのはちゃんは得意げに胸を張った。
洗濯機が回り始める。
水の音と、布が中で揺れる音が、部屋の奥から低く聞こえてくる。
その間、なのはちゃんはソファに沈んで、スマホを見たり、少し眠そうにしたりしていた。
「眠いなら寝ててもいいよ」
「シーツ干すまでは寝ない」
「えらい」
「もっと褒めて」
「えらいえらい」
「雑」
言いながらも、彼女は少し笑っていた。
洗濯が終わると、二人でシーツをベランダまで運んだ。
濡れた布は朝よりも重くて、なのはちゃんが少しだけ顔をしかめる。
「思ったより大変」
「だから手伝ってるでしょ」
「たすかる」
「どういたしまして」
物干し竿に広げる時、風が一度強く吹いた。
濡れたシーツが大きく膨らんで、二人の間で白く波打つ。
「わ、すご」
なのはちゃんが笑う。
その笑い声が風に混ざって、少しだけ遠く聞こえた。
「飛ばされないように押さえて」
「押さえてる!」
「そっちの角」
「はいはい」
二人で端を合わせて、洗濯ばさみで留める。
白い布はベランダいっぱいに広がって、日差しを受けてまぶしいくらいだった。
「よく乾きそうだね」
「今日は勝ち」
「だから何に?」
「生活に」
また同じことを言うので、今度は少しだけ笑ってしまった。

それから数時間後、シーツはちゃんと乾いていた。
昼を過ぎた部屋には、少しだけあたたかい光が差していた。
ベランダに出ると、乾いたシーツが風に揺れている。朝の重さはもうなくて、触れるとさらりと軽い。
「取り込も」
なのはちゃんがそう言って、洗濯ばさみを外し始める。
僕も反対側を外して、落とさないように端を持った。
「こっち持って」
「うん」
二人でシーツを竿から下ろす。
その瞬間、また風が吹いた。

乾いた白い布が、朝よりずっと軽く膨らんで、なのはちゃんの方へ流れる。
彼女が「わ」と声を上げた時には、シーツはそのまま彼女の頭から肩へ、ふわりとかかっていた。
薄い白の向こうで、なのはちゃんが瞬きをする。
「……はじめちゃん」
「大丈夫?」
「大丈夫。見て」
そう言って、彼女はシーツの端を少し持ち上げた。
頭から落ちた白い布が、顔の横を通って、肩のあたりでやわらかく広がっている。
「ベールみたいじゃない?」
軽い調子の声だった。
ただの思いつきで、ただの遊びで、たぶんそれ以上の意味はない。

それなのに、返事が少し遅れた。

白い布越しの光。
乾いたシーツの、洗剤と日なたの匂い。
その中で、なのはちゃんがこちらを見て笑っている。

本当に、一瞬だけ。
ただのシーツが、別のものに見えた。

「……はじめちゃん?」
「いや」
「なにその顔」
「別に」
「絶対なんか変な顔してた」
「してないよ」
「してた。え、なに。へん?」
「そういう話じゃない」
言ってから、しまったと思った。
なのはちゃんは、少しだけ目を細める。
「じゃあどういう話?」
「……なんでもない」
「なんでもない顔じゃなかった気がするけど」
追及するような声なのに、彼女の表情はどこか楽しそうだった。
シーツの下から覗く顔が、さっきより少し近い。
「はじめちゃんも入る?」
「いや、僕はいいよ」
「いいから」
「なのはちゃん」
止める間もなく、彼女がシーツの端を持ち上げる。
次の瞬間、僕の頭にも白い布がかかった。
視界が白くなる。
近くで、なのはちゃんが笑う気配がした。
「シーツおばけ」
「……おばけなんだ」
思わずそう言うと、なのはちゃんが布の中でこちらを見る。
「なに、おばけは嫌?」
「そうは言ってないでしょ」
「顔が言ってた」
「言ってない」
「言ってたもん」
シーツの中は少し暑い。
けれど、洗い立ての匂いがして、彼女の声が近く聞こえる。
さっきまでの妙な沈黙は、もうどこにもなかった。
いつもの軽口と、いつもの距離。
なのはちゃんは満足したように笑って、ようやくシーツを僕の頭から外した。
「よし、畳むよ」
「急だね」
「シーツおばけは終わりです」
「はいはい」
二人で向かい合って、シーツの端を合わせる。
角と角を揃えて、半分に折る。
もう一度、半分。
ただの洗濯物に戻った白い布は、腕の中で大人しく収まっていく。
「今日の私は生活に勝った」
「最後おばけになってたけどね」
「おばけは勝ち」
「何それ」
なのはちゃんは得意げに笑った。

ただのシーツだ。
洗い立てで、日なたの匂いがして、なのはちゃんが頭からかぶればおばけにもなる。
畳めば、いつもの寝具に戻る。

それでも、風に膨らんだ白い布の向こうで彼女が笑った一瞬だけは、しばらく目の奥に残っていた。
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