短編集まとめ
朝から、七宮なのはは妙に機嫌がよかった。
と言っても、鼻歌を歌うとか、分かりやすく笑顔だとか、そういうものではない。ただ、いつもより少しだけ言葉数が多くて、目の前の出来事にいちいち何かを言いたがる。そういう時の彼女は、だいたい何か企んでいる。
「はじめちゃん、それ賞味期限切れてるよ」
朝食のテーブルについた途端、なのはちゃんはそんなことを言った。
僕はマグカップを持ったまま、手元のヨーグルトの蓋を見下ろす。まだ数日余裕がある。
「……エイプリルフールだからって、もっとましな嘘つきなよ」
「あ、ばれた」
ちっとも困っていない顔で、なのはちゃんはスプーンをくわえた。最初から隠す気もないのだろう。そういうところが雑で、可笑しい。
四月一日。
日付が変わった瞬間に「今日って祝日だっけ」とか、「駅前のコンビニ潰れたらしいよ」とか、どうでもいい嘘をいくつか投げられた。どれもすぐに見抜ける程度のものばかりで、彼女自身もそれを分かっていてやっている。たぶん、大事なのは騙すことじゃなくて、ただ“今日はそういう日”をやりたいだけなんだろう。
「ね、今日さ、雨降るらしい」
「外、あんなに晴れてるけど」
「午後から」
「降水確率見た?」
「見てない」
「じゃあただの勘でしょ」
「勘も大事だよ」
真顔でそう言って、なのはちゃんはトーストをかじった。窓の外はきれいに晴れている。カーテン越しの光がテーブルの端を白くしていて、その明るさの中で、彼女の黒髪だけが妙に静かに見えた。
昼になるにつれて、彼女の嘘は雑になっていった。
「はじめちゃん、さっきスマホ鳴ってたよ」
「鳴ってないよ」
「そっか」
「今のは何」
「確認」
「何の」
「集中力」
思わず息を吐く。彼女はその反応を見て、少しだけ口元を緩めた。こういう時、なのはちゃんはほんの少しだけ子どもみたいになる。本人は隠せているつもりなのだろうけれど、そんなものちっとも隠せていない。
午前中の用事を一通り片づけて、二人で昼食をとっていた時だった。特に変わったことは何もなかった。
テーブルには用意した簡単な昼食が並んでいて、なのはちゃんは食べながらスマホをいじっていた。テレビもついていない、ただ静かな昼だった。
なのはちゃんがふいに顔を上げた。
「ねえ」
呼ばれて、顔を上げる。その声には、さっきまでの軽い調子があまりなかった。
「なに」
「……はじめちゃん大好き」
その一言だけが、妙にまっすぐ落ちてきた。
彼女は言ったあとで自分が何を言ったのかを改めて意識したみたいに、ほんの少しだけ視線を逸らす。けれど、取り消す気配はない。嘘でした、も、なんでもない、も言わない。
ただ、静かだった。
「……それ、嘘?」
ようやく出た声は、自分でも少しだけ頼りなく感じた。なのはちゃんはテーブルの向こうでこちらを見る。口元はいつものままなのに、耳だけが少し赤い。
「さあ、どうでしょう」
その返しが、いかにも彼女らしかった。
逃げ道を残したまま、でも完全には引かない。冗談にすることもできるし、本気にすることもできる、そのぎりぎりの場所に立っている。
僕は何か言おうとして、言葉を飲み込んだ。ここで何を返したところで、きっと彼女は困る。自分だって、たぶん困る。だから、何も言わなかった。
テーブルの上には昼食の続きがあって、窓の外では風もなく洗濯物も揺れていない。そんな、どこにでもある昼の空気の中で、さっきの一言だけが妙に浮いていた。
なのはちゃんは先に視線を落として、箸を持ち直した。その横顔は、平然としているようでいて、少しだけ落ち着かないようにも見えた。
僕はテーブルの端に置かれたスマホへ何気なく目をやった。画面の隅に表示された時刻が、何でもない顔でそこにある。
――時刻は、正午を少し過ぎていた。
と言っても、鼻歌を歌うとか、分かりやすく笑顔だとか、そういうものではない。ただ、いつもより少しだけ言葉数が多くて、目の前の出来事にいちいち何かを言いたがる。そういう時の彼女は、だいたい何か企んでいる。
「はじめちゃん、それ賞味期限切れてるよ」
朝食のテーブルについた途端、なのはちゃんはそんなことを言った。
僕はマグカップを持ったまま、手元のヨーグルトの蓋を見下ろす。まだ数日余裕がある。
「……エイプリルフールだからって、もっとましな嘘つきなよ」
「あ、ばれた」
ちっとも困っていない顔で、なのはちゃんはスプーンをくわえた。最初から隠す気もないのだろう。そういうところが雑で、可笑しい。
四月一日。
日付が変わった瞬間に「今日って祝日だっけ」とか、「駅前のコンビニ潰れたらしいよ」とか、どうでもいい嘘をいくつか投げられた。どれもすぐに見抜ける程度のものばかりで、彼女自身もそれを分かっていてやっている。たぶん、大事なのは騙すことじゃなくて、ただ“今日はそういう日”をやりたいだけなんだろう。
「ね、今日さ、雨降るらしい」
「外、あんなに晴れてるけど」
「午後から」
「降水確率見た?」
「見てない」
「じゃあただの勘でしょ」
「勘も大事だよ」
真顔でそう言って、なのはちゃんはトーストをかじった。窓の外はきれいに晴れている。カーテン越しの光がテーブルの端を白くしていて、その明るさの中で、彼女の黒髪だけが妙に静かに見えた。
昼になるにつれて、彼女の嘘は雑になっていった。
「はじめちゃん、さっきスマホ鳴ってたよ」
「鳴ってないよ」
「そっか」
「今のは何」
「確認」
「何の」
「集中力」
思わず息を吐く。彼女はその反応を見て、少しだけ口元を緩めた。こういう時、なのはちゃんはほんの少しだけ子どもみたいになる。本人は隠せているつもりなのだろうけれど、そんなものちっとも隠せていない。
午前中の用事を一通り片づけて、二人で昼食をとっていた時だった。特に変わったことは何もなかった。
テーブルには用意した簡単な昼食が並んでいて、なのはちゃんは食べながらスマホをいじっていた。テレビもついていない、ただ静かな昼だった。
なのはちゃんがふいに顔を上げた。
「ねえ」
呼ばれて、顔を上げる。その声には、さっきまでの軽い調子があまりなかった。
「なに」
「……はじめちゃん大好き」
その一言だけが、妙にまっすぐ落ちてきた。
彼女は言ったあとで自分が何を言ったのかを改めて意識したみたいに、ほんの少しだけ視線を逸らす。けれど、取り消す気配はない。嘘でした、も、なんでもない、も言わない。
ただ、静かだった。
「……それ、嘘?」
ようやく出た声は、自分でも少しだけ頼りなく感じた。なのはちゃんはテーブルの向こうでこちらを見る。口元はいつものままなのに、耳だけが少し赤い。
「さあ、どうでしょう」
その返しが、いかにも彼女らしかった。
逃げ道を残したまま、でも完全には引かない。冗談にすることもできるし、本気にすることもできる、そのぎりぎりの場所に立っている。
僕は何か言おうとして、言葉を飲み込んだ。ここで何を返したところで、きっと彼女は困る。自分だって、たぶん困る。だから、何も言わなかった。
テーブルの上には昼食の続きがあって、窓の外では風もなく洗濯物も揺れていない。そんな、どこにでもある昼の空気の中で、さっきの一言だけが妙に浮いていた。
なのはちゃんは先に視線を落として、箸を持ち直した。その横顔は、平然としているようでいて、少しだけ落ち着かないようにも見えた。
僕はテーブルの端に置かれたスマホへ何気なく目をやった。画面の隅に表示された時刻が、何でもない顔でそこにある。
――時刻は、正午を少し過ぎていた。
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