ターコイズの爪先
「はじめちゃん、ネイル塗って」
七宮なのはという人間は、時々こちらの予想の外側から話しかけてくる。今がまさにそれだ。
「え、僕がやるの?」
「だってはじめちゃん器用じゃん」
器用だといわれても。確かに人より多少器用な自覚はあるが、誰かにネイルを塗った経験はない。
「失敗しても知らないよ?僕、やったことないし」
「大丈夫だって!はじめちゃんだし」
やってよ、と言わんばかりにこちらを見つめる彼女に、
「どんな理由よ、それ。」
と苦笑しながら、ネイルポリッシュの入っている引き出しを開けた。
「どれにするの?」
そう聞くと彼女は並んだ瓶を1つずつ眺めて、ああでもないこうでもない……と悩んだ挙句、
「せっかくだし選んでよ」
とこちらに投げてきた。
「え、僕が選ぶの?」
「うん、そっちの方が面白い」
面白いって……。全く彼女はこれだから。いつも面白いからという理由で割と無茶を通してくる。そういうわがままなところも嫌いではないけれど。――して、この中から何を選べば良いのか。とりあえずざっと瓶を見る。
「え〜…どうしようか……ってこれ青ばっかりじゃん」
「よく見て、全部色が違うから」
「はいはいそれくらい分かりますよっと」
彼女は青系統が好きだった。くすんだ青から鮮やかな青、薄い青等様々な色が並んでいる。その中でふと目に止まった色があった。
――ターコイズブルーの瓶。
彼女の瞳と同じ色だった。
その瓶を取り出して彼女に見せる。
「これでどーよ」
「なんでそれ?」
「なんとなくね。……あとなんだっけ?トップコートとベースコート?だよね?」
素直に瞳の色、と答えるのはなんだか憚られる。誤魔化して、話をそらす。
「そうそう、結構知ってるじゃん」
上手く話をそらすことには成功した。知識元である姉の存在に珍しく感謝する。
「姉貴がね」
「あーそっか、はじめちゃんってお姉さんいたね」
納得したように頷く彼女を見て、僕は瓶を机に置いた。
「じゃ、手出して」
そう言うと、彼女は少し身を乗り出して右手を差し出す。彼女の指先は思っていたより細くて、少し緊張する。
引き出しからそっとベースコートを取り出す。瓶の口で筆を軽くしごいてから、筆を彼女の爪先に乗せる。確か塗る順番としては、爪の中央から塗って左右、だったはずだ。
「動かないでね」
「動いてないよ」
今の話じゃないんだけどな。僕がベースコートを塗り始めると彼女はそれをじっと見ていた。……見られていると、なんだかやりづらい。
「次左手ね」
なんとか右を塗り終えて、左手に取り掛かる。彼女の差し出してきた左手を取って、そういえばと口を開く。
「あ、右手気をつけてね」
「分かってるって」
言われなくてもー、と少し不満げな様子でそう言う彼女に、いやそれでも心配なものは心配なんだよと思う。
右手で多少慣れたのか、左は思っていたよりはスムーズに塗ることができた。
「はい、ベース終わり」
そう言って瓶を戻す。
「次これね」
ターコイズブルーの瓶を机から取って軽く振ってからキャップを回す。瓶の口で筆をしごいてから、もう一度彼女の手を取った。
「動いちゃだめだからね」
「動かないって」
筆を爪の先へ慎重に滑らせる。ターコイズの色が少しずつ広がっていく。ベースコートのときよりはだいぶ安定してきた気がする。
……ふと、静かなことに気づいた。さっきまでずっとこちらの手元を覗き込んでいたはずの彼女の反応がない。
顔を上げる。
「――なのはちゃん?」
彼女は爪ではなく、どこか遠くを見るような顔をしていた。
「片手、終わったけど……」
「あ、ごめん」
呼びかけると彼女は、はっとしたようにこちらを見た。その瞳は、今塗っているターコイズとよく似た色だった。
「おー……やっぱ私がやるより綺麗だ!」
彼女はそう言いながら色付いた方の手を掲げて見る。その顔はとても嬉しそうだった。
「それなら良かった」
そう答えて、預かったもう片方の手の作業に取り掛かる。彼女はもう暫く色付いた手を眺めていた。
もう片方も同じように仕上げて、トップコートを重ねる。思っていたより、悪くない出来だった。
「こんな感じでどう?」
「いい感じ!ありがとうはじめちゃん!」
「どういたしまして」
どうやら上手くいったようで、ほっとして息をつく。そして、使ったネイルポリッシュを引き出しに戻した。
ほくほくした様子の彼女は続けてこう言う。
「今度からずっとはじめちゃんにやってもらおうかな」
「毎回できる訳じゃないんだけどな」
……頼まれても、別に困らないけど。
「できる時でいいよ」
じゃあいいよと頷いて、少し考える。このまま彼女を放置すれば、きっと動いてネイルがヨレるだろう。
……それなら。
「……まだ乾いてないから、動かないでね」
彼女の後ろに回って、腕を回す。ネイルを塗るのに結構神経を使ったから、今日くらいはいいだろう。
「そんなに信用ないかなあ私」
「うん、なのはちゃん、勝手に動いてヨレるでしょ」
「むー」
少し頬を膨らませてこちらに抗議する彼女を、はいはいと流す。そういう所もまた可愛らしかった。
――また頼まれた時用に、ネイルの動画でも見て勉強しておこうか。頭の中で彼女のための新しいタスクが追加された。
七宮なのはという人間は、時々こちらの予想の外側から話しかけてくる。今がまさにそれだ。
「え、僕がやるの?」
「だってはじめちゃん器用じゃん」
器用だといわれても。確かに人より多少器用な自覚はあるが、誰かにネイルを塗った経験はない。
「失敗しても知らないよ?僕、やったことないし」
「大丈夫だって!はじめちゃんだし」
やってよ、と言わんばかりにこちらを見つめる彼女に、
「どんな理由よ、それ。」
と苦笑しながら、ネイルポリッシュの入っている引き出しを開けた。
「どれにするの?」
そう聞くと彼女は並んだ瓶を1つずつ眺めて、ああでもないこうでもない……と悩んだ挙句、
「せっかくだし選んでよ」
とこちらに投げてきた。
「え、僕が選ぶの?」
「うん、そっちの方が面白い」
面白いって……。全く彼女はこれだから。いつも面白いからという理由で割と無茶を通してくる。そういうわがままなところも嫌いではないけれど。――して、この中から何を選べば良いのか。とりあえずざっと瓶を見る。
「え〜…どうしようか……ってこれ青ばっかりじゃん」
「よく見て、全部色が違うから」
「はいはいそれくらい分かりますよっと」
彼女は青系統が好きだった。くすんだ青から鮮やかな青、薄い青等様々な色が並んでいる。その中でふと目に止まった色があった。
――ターコイズブルーの瓶。
彼女の瞳と同じ色だった。
その瓶を取り出して彼女に見せる。
「これでどーよ」
「なんでそれ?」
「なんとなくね。……あとなんだっけ?トップコートとベースコート?だよね?」
素直に瞳の色、と答えるのはなんだか憚られる。誤魔化して、話をそらす。
「そうそう、結構知ってるじゃん」
上手く話をそらすことには成功した。知識元である姉の存在に珍しく感謝する。
「姉貴がね」
「あーそっか、はじめちゃんってお姉さんいたね」
納得したように頷く彼女を見て、僕は瓶を机に置いた。
「じゃ、手出して」
そう言うと、彼女は少し身を乗り出して右手を差し出す。彼女の指先は思っていたより細くて、少し緊張する。
引き出しからそっとベースコートを取り出す。瓶の口で筆を軽くしごいてから、筆を彼女の爪先に乗せる。確か塗る順番としては、爪の中央から塗って左右、だったはずだ。
「動かないでね」
「動いてないよ」
今の話じゃないんだけどな。僕がベースコートを塗り始めると彼女はそれをじっと見ていた。……見られていると、なんだかやりづらい。
「次左手ね」
なんとか右を塗り終えて、左手に取り掛かる。彼女の差し出してきた左手を取って、そういえばと口を開く。
「あ、右手気をつけてね」
「分かってるって」
言われなくてもー、と少し不満げな様子でそう言う彼女に、いやそれでも心配なものは心配なんだよと思う。
右手で多少慣れたのか、左は思っていたよりはスムーズに塗ることができた。
「はい、ベース終わり」
そう言って瓶を戻す。
「次これね」
ターコイズブルーの瓶を机から取って軽く振ってからキャップを回す。瓶の口で筆をしごいてから、もう一度彼女の手を取った。
「動いちゃだめだからね」
「動かないって」
筆を爪の先へ慎重に滑らせる。ターコイズの色が少しずつ広がっていく。ベースコートのときよりはだいぶ安定してきた気がする。
……ふと、静かなことに気づいた。さっきまでずっとこちらの手元を覗き込んでいたはずの彼女の反応がない。
顔を上げる。
「――なのはちゃん?」
彼女は爪ではなく、どこか遠くを見るような顔をしていた。
「片手、終わったけど……」
「あ、ごめん」
呼びかけると彼女は、はっとしたようにこちらを見た。その瞳は、今塗っているターコイズとよく似た色だった。
「おー……やっぱ私がやるより綺麗だ!」
彼女はそう言いながら色付いた方の手を掲げて見る。その顔はとても嬉しそうだった。
「それなら良かった」
そう答えて、預かったもう片方の手の作業に取り掛かる。彼女はもう暫く色付いた手を眺めていた。
もう片方も同じように仕上げて、トップコートを重ねる。思っていたより、悪くない出来だった。
「こんな感じでどう?」
「いい感じ!ありがとうはじめちゃん!」
「どういたしまして」
どうやら上手くいったようで、ほっとして息をつく。そして、使ったネイルポリッシュを引き出しに戻した。
ほくほくした様子の彼女は続けてこう言う。
「今度からずっとはじめちゃんにやってもらおうかな」
「毎回できる訳じゃないんだけどな」
……頼まれても、別に困らないけど。
「できる時でいいよ」
じゃあいいよと頷いて、少し考える。このまま彼女を放置すれば、きっと動いてネイルがヨレるだろう。
……それなら。
「……まだ乾いてないから、動かないでね」
彼女の後ろに回って、腕を回す。ネイルを塗るのに結構神経を使ったから、今日くらいはいいだろう。
「そんなに信用ないかなあ私」
「うん、なのはちゃん、勝手に動いてヨレるでしょ」
「むー」
少し頬を膨らませてこちらに抗議する彼女を、はいはいと流す。そういう所もまた可愛らしかった。
――また頼まれた時用に、ネイルの動画でも見て勉強しておこうか。頭の中で彼女のための新しいタスクが追加された。
