短編集まとめ

「はじめちゃん、ちょっといい?」
その言い方が、もう普通ではなかった。どこかいつもより声が低くて、感情を押し殺したような、意図して平静を装っているような、そんな声。――彼女は、何かを隠している。直感的にそう思った。
「どうしたの?」
いたって普通の声でそう返す。少しだけ間があって、彼女は僕を見た。目はあっているはずなのに、どこか別の場所を見ているようで。
「抱いて。」
「……なんて?」
聞き間違いか?と思った。彼女の言っていることが、理解できなかった。……理解できない、と言うよりかは、言葉と態度の違和感がありすぎる、という感じだろうか。
「抱いてって言ったの」
ハッキリとそう言う彼女に、更に違和感が重なる。少なくともこの子は、僕の知っている限り、本当にそうして欲しい時に、そうだと言える子ではない。
「……明らかに様子が変、ってわかるからさ」
できるだけ静かに、でも、言葉を選んで。
「理由、聞いてもいい?」
そう問いかけると、彼女は少し迷うように視線を落とした後、
「手っ取り早く思考を止められるから」
簡潔にそう答えた。手っ取り早く、という言葉が引っかかる。まるで自分のことを、別のモノとして扱っているみたいで。
「思考を止める……?ごめん、もう少しだけ詳しく」
聞き返すと、彼女は小さく息を吐きながら続ける。
「……えっと。今自己嫌悪してて。それで、頭が悪い方向でずっと回転してるの。自分じゃ止められない。」
淡々と、事実を述べるように。極めて客観的に。これは、いつものような軽いノリではない、という認識だけが余計に強くなる。
「だから、君に頼ろうと思った」
その言葉に、胸が少し締め付けられる。
「抱いて貰えたら、君のことしか考えなくていいから。1番早いかな、って。」
そこで、彼女は言葉を切った。
「……ああ、でも。こんな誘い方じゃ、別に抱きたくもならないか。」
視線を逸らしながら続ける。
「じゃあいっか。私、部屋に戻るね。」
「ちょっ……と、待って」
踵を返そうとする彼女を思わず引き止める。
「勝手に自己完結しないの」
声が、少しだけ強くなる。
「ひとりで止めようとしなくていいから……部屋、戻らないで」
そこまで聞いた彼女が、初めてこちらに目を向けた。
驚いているようで、それでいて、不安げな表情。
「そばに居るからさ」
1拍置いて、正直に続けた。
「……いや。そばに居たいから。」
それを聞いた彼女は、少しだけ迷って口を開く。
「でも」
「……なのはちゃん」
できるだけ責める響きにならないよう、声を落とす。
「……な、なに?」
「今、僕がそばにいるだけじゃダメ?」
「えっと」
「どうしても、抱かないと力になれない?」
「…………それは、ちがう…」
「……そっか。じゃあ、そばにいるね」
そう言うと、彼女の空気が少しだけ緩んだ気がした。肩の力が目に見えない程度に抜ける。その様子を見て少し考えてから、別の話題を探す。
「何か気分転換になること、しよっか。確か…………なのはちゃん、この間、好きなゲームの新作が出た、って言ってたよね」
彼女は一瞬きょとんとした顔をしてから、思い当たったように、ああ、と頷く。
「謎解きのあるホラーゲーム。……昔から実況追ってたシリーズで……今回初めて買ったんだけど、ひとりじゃ怖くて出来なくて。……いっしょに、やる?」
「そうしよっか。怖いなら、僕が操作してるからなのはちゃんは横で見てる?やりたくなったら言ってくれれば、コントローラー渡すから。見てても一緒に謎は解けるし、一緒に考えよっか。」
「……わかった」
Nintendo Switchの電源をつけ、テレビに接続する。言われるがままにダウンロードされているホラーゲームを選んで起動すると、タイトル画面が表示された。
「……そうだ、音、少し下げてもらえる?」
彼女は少し離れたソファの上に、ちょこんと膝を抱えて座っていた。画面から目は離さないけれど、まだ距離がある。
「これくらいで平気?」
「……うん、ありがとう」
[はじめる]を押すとすぐに主人公の名前設定の画面に切り替わる。
「ここ、そのままでいい?」
「うん」
そのまま決定ボタンを押すと、ゲームが始まった。
プロローグが始まる。彼女がセリフを読み終わるように一定の時間を待って、ストーリーを進める。終わるとようやく操作がスタートだ。
「……上、光ってるね」
声は小さい。でも、さっきまでの沈黙とは質が違う。
「行ってみるね」
「うん……あ、今は取れないんだ」
しばらく探索を続けると、なんとなく不穏なものが画面に映る。
「あ、セーブ、して」
「わ、わかった」
言われるがままにセーブしてその部屋の探索をする。メモの後に光るものを見つけ、アイテムを入手する。
その瞬間、今まで無かったはずのBGMが急に流れる。
「えっなに!?え!?なに」
戸惑っている間に画面に表示されるゲームオーバーの文字。後ろからはくすくすと笑い声が聞こえる。その声を聞いて、少しだけ肩の力が抜ける。
「……知ってたの、なのはちゃん」
「実は。そこは分かってた」
いつもこの流れはお約束なの、と言いながら少し楽しそうに笑った。
「がんばってにげてね」
「はいはい……えーこれ、どう逃げるの…」
「多分、さっき見た部屋のロッカー」
「そんなのあったっけ?」
「ここ、ここの上」
彼女は画面を指差す。
身を乗り出すほどではないけれど、姿勢が少し前のめりになる。
「じゃあ頑張ってみますか」
「がんばれー」
彼女が楽しそうにしているなら、いいか。そう思って先程のセーブデータを開き、コントローラーを握り直した。

普段はやらないゲームも、やっているうちにだんだん操作に慣れてきた。そういえばいつの間にか彼女は隣に座っていて、いつも通りの声で僕に色々指示していた。
その様子に少し安堵してチラリと時計を見る。
「……なのはちゃん」
「なあに?」
「お腹空かない?」
彼女は一瞬首を傾げて、苦笑した。
「すいたかも」
「じゃあ、夜ご飯作ろっか」
彼女はその言葉に頷いたあと、少し申し訳なさそうに言った。
「…さっきは変なこと言って、ごめんね」
「別に、変じゃないよ」
少しだけ考えてから、続ける。
「頼ってくれて嬉しかったし。……でも」
「でも?」
「今度からは、"そばにいて"だけでいいからね」
「……そっか、わかった」
ありがと、と少し嬉しそうに笑って頬をかく彼女にはもう、あの頼ってきた時のような緊迫感はどこにもなかった。
「夜ご飯、なにがいい?」
「……あったかいのがいい。鍋とか」
「鍋つゆ何にしよっか」
「豆乳鍋かな―――あ、味噌でもいいな」
空気が、いつもの温度に溶けていく。
こういう時間を守れるなら、それで十分だと思った。

――願わくば、彼女のささやかな幸せを、このまま傍で守り続けられますように。
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