短編集まとめ
今日は地元の夏祭りだ。
行くのは久方ぶりだろうか。高校の時は時間が無くて一度も行かなかったし、大学に入って1年目は帰省しなかったのを思い返すと夏祭りに足を運ぶのは4、5年ぶりであった。
特に一緒に行く相手も居ないので一度は断ったものの、こういうのは雰囲気だ、と母親に押し切られる形で半ば渋々足を運ぶことになった。実家にしまってあった浴衣を引っ張りだされ、慣れない帯を締められる。鏡を見て、案外悪くもないかもな、なんて思い直した。全く単純な女である。ちょっとだけ浮き足立った気分で、夕暮れの神社へと向かった。
神社への道はカップルや家族連れ、友達同士など誰かと一緒に来ている人が多く見られた。すれ違う人々は皆楽しげで、笑っていて、確かに祭りらしい光景のはずだった。なのに、不思議と誰とも目が合わない。まあ、私が人の目を見るのが嫌いなのもあるだろうが。ぶつかりそうで身を引くと、相手も同じように避けていく。互いに触れない距離だけが、最初から決められているみたいだった。まあ、知らない人だし、そういうものだろう。それにしても、お盆でもないのに、やけに人が多い。なにか特別なことでもあったのだろうか――そう考えかけて、やめた。
理由があるのだろう、と自分に言い聞かせる。
そもそも、うちの神社の祀ってある神様の関係だとかなんだとかで、夏祭りとはよくお盆に開催されているイメージだが、うちの地域では8月末に開催されているらしい。それもあって、他の地方からきているひともいるだろうし。
それにしてもやっぱり人が多い気がする。以前はこんなに居なかったと思うのは思い違いであろうか。まあ、来たのが4、5年前だ。誤差なのかもしれない。そんなことを考えながら、神社へと続く石造りの階段を登っていく。
ひぐらしのなく声が聴こえる。ちょうど夕方。夏祭りも今から本番、といったような時刻。
石段を登り切ると、境内の手前横の広いスペースにできた特設ステージからアナウンスが聞こえ始める。ステージの方にはさして興味も無いし、久しぶりに神社に来たのた。とりあえずお参りしておくべきだろう。そう思い人の少ない境内の方へと足を進める。数歩進んだだけなのに、背後の気配が薄くなった。さっきまであれほど賑やかだったはずなのに、音が遠い。
振り返れば、ちゃんと人はいる。いるはずなのに、さっきまでの距離感とはどこか違っていた。久しぶりで、やはり少し気がそぞろなのかもしれない、と頭を振った。
次の瞬間。
――――リン、と。
どこからともなく、澄んだ鈴のような音が聞こえた気がした。誰かが鈴を鳴らしたのかもしれない。けれど、その音はやけに頭に残る。
少し気になって後ろを振り返る。
―――何も、いなかった。気のせいだったのだろう。
小さく息を吐き、気を取り直して賽銭箱の前に立つ。二拝二拍手一拝、だったっけ。まあ、こういうのは作法より気持ちだろう。そう思いながら手を合わせる。
――どうか、―――――――――
何を願ったのかは、あんまり覚えていない。
参拝を終え、踵を返しかけた時。
ふと、境内の奥の方――立ち入りが制限されている林の辺り――が視界に入る。懐かしい。
小学校低学年位の事だったか。毎日のように神社に通って遊んでいた。かくれんぼをして、鬼ごっこをして、虫を捕まえて。
――ひとりじゃなかった。あの子の、名前は確か――
「ねぇ。そこで、何してるの?」
後ろから声がした。
驚いて振り返る。
「ひさしぶり。」
柔らかく、穏やかな声。
記憶の中の姿よりも、ずっと大人びている。それでも、間違いない。記憶の中の相手だ。
不思議なことに、彼の姿だけははっきりと目に映った。
周囲の喧騒が嘘みたいに、そこだけ輪郭がある。
「僕のこと、覚えてる?」
言葉に詰まる私を見て、彼は目を細める。
「反応を見る限り、覚えててくれたみたいで嬉しいな」
彼はそう言ってニコリと笑った。
その笑顔を見た瞬間、背筋に薄く冷たいものが走った。
懐かしいはずなのに、どこか――触れてはいけないものを見ているような感覚。
「あなたとは、確か、ここで――」
「そうそう、よく遊んでたよねぇ、この奥で。」
そう言って奥の方を指差した。
「ねぇ」
彼は私の前に1歩踏み出し、手を差し出した。
「昔行った‘向こう側’のこと、覚えてる?」
心臓が、強く脈打つ。
それは、立ち入り禁止区域のさらに奥。
彼と遊ぶために何度も何度も足を踏み入れた場所。―そもそも、最初に彼と出逢ったのも、そこだった。
「今も、あのままなのか――一緒に見に行かない?」
行ってはいけない。頭では、はっきりと分かっている。昔はダメだと知らなかったが、今は知っている。
行ってはいけない。それくらいの分別は、もうある。
だから、首を振ろうとした。
けれど。
――私の手は、彼の手を取っていた。
それでも――この人となら、大丈夫だと思ってしまった。
指先に伝わる温度は、人のものと変わらないのに。どこか現実感がなくて、夢の中にいるみたいだった。
「じゃあ、行こっか」
彼は、そう言って私の手を引く。
足音が、祭りの喧騒に溶けていく。笑い声も、太鼓の音も、少しずつ遠ざかっていく。まるで、最初から存在していなかったみたいに。
夏祭りの喧騒の中、1人の女が姿を消したことに―――誰も、気が付かない。
行くのは久方ぶりだろうか。高校の時は時間が無くて一度も行かなかったし、大学に入って1年目は帰省しなかったのを思い返すと夏祭りに足を運ぶのは4、5年ぶりであった。
特に一緒に行く相手も居ないので一度は断ったものの、こういうのは雰囲気だ、と母親に押し切られる形で半ば渋々足を運ぶことになった。実家にしまってあった浴衣を引っ張りだされ、慣れない帯を締められる。鏡を見て、案外悪くもないかもな、なんて思い直した。全く単純な女である。ちょっとだけ浮き足立った気分で、夕暮れの神社へと向かった。
神社への道はカップルや家族連れ、友達同士など誰かと一緒に来ている人が多く見られた。すれ違う人々は皆楽しげで、笑っていて、確かに祭りらしい光景のはずだった。なのに、不思議と誰とも目が合わない。まあ、私が人の目を見るのが嫌いなのもあるだろうが。ぶつかりそうで身を引くと、相手も同じように避けていく。互いに触れない距離だけが、最初から決められているみたいだった。まあ、知らない人だし、そういうものだろう。それにしても、お盆でもないのに、やけに人が多い。なにか特別なことでもあったのだろうか――そう考えかけて、やめた。
理由があるのだろう、と自分に言い聞かせる。
そもそも、うちの神社の祀ってある神様の関係だとかなんだとかで、夏祭りとはよくお盆に開催されているイメージだが、うちの地域では8月末に開催されているらしい。それもあって、他の地方からきているひともいるだろうし。
それにしてもやっぱり人が多い気がする。以前はこんなに居なかったと思うのは思い違いであろうか。まあ、来たのが4、5年前だ。誤差なのかもしれない。そんなことを考えながら、神社へと続く石造りの階段を登っていく。
ひぐらしのなく声が聴こえる。ちょうど夕方。夏祭りも今から本番、といったような時刻。
石段を登り切ると、境内の手前横の広いスペースにできた特設ステージからアナウンスが聞こえ始める。ステージの方にはさして興味も無いし、久しぶりに神社に来たのた。とりあえずお参りしておくべきだろう。そう思い人の少ない境内の方へと足を進める。数歩進んだだけなのに、背後の気配が薄くなった。さっきまであれほど賑やかだったはずなのに、音が遠い。
振り返れば、ちゃんと人はいる。いるはずなのに、さっきまでの距離感とはどこか違っていた。久しぶりで、やはり少し気がそぞろなのかもしれない、と頭を振った。
次の瞬間。
――――リン、と。
どこからともなく、澄んだ鈴のような音が聞こえた気がした。誰かが鈴を鳴らしたのかもしれない。けれど、その音はやけに頭に残る。
少し気になって後ろを振り返る。
―――何も、いなかった。気のせいだったのだろう。
小さく息を吐き、気を取り直して賽銭箱の前に立つ。二拝二拍手一拝、だったっけ。まあ、こういうのは作法より気持ちだろう。そう思いながら手を合わせる。
――どうか、―――――――――
何を願ったのかは、あんまり覚えていない。
参拝を終え、踵を返しかけた時。
ふと、境内の奥の方――立ち入りが制限されている林の辺り――が視界に入る。懐かしい。
小学校低学年位の事だったか。毎日のように神社に通って遊んでいた。かくれんぼをして、鬼ごっこをして、虫を捕まえて。
――ひとりじゃなかった。あの子の、名前は確か――
「ねぇ。そこで、何してるの?」
後ろから声がした。
驚いて振り返る。
「ひさしぶり。」
柔らかく、穏やかな声。
記憶の中の姿よりも、ずっと大人びている。それでも、間違いない。記憶の中の相手だ。
不思議なことに、彼の姿だけははっきりと目に映った。
周囲の喧騒が嘘みたいに、そこだけ輪郭がある。
「僕のこと、覚えてる?」
言葉に詰まる私を見て、彼は目を細める。
「反応を見る限り、覚えててくれたみたいで嬉しいな」
彼はそう言ってニコリと笑った。
その笑顔を見た瞬間、背筋に薄く冷たいものが走った。
懐かしいはずなのに、どこか――触れてはいけないものを見ているような感覚。
「あなたとは、確か、ここで――」
「そうそう、よく遊んでたよねぇ、この奥で。」
そう言って奥の方を指差した。
「ねぇ」
彼は私の前に1歩踏み出し、手を差し出した。
「昔行った‘向こう側’のこと、覚えてる?」
心臓が、強く脈打つ。
それは、立ち入り禁止区域のさらに奥。
彼と遊ぶために何度も何度も足を踏み入れた場所。―そもそも、最初に彼と出逢ったのも、そこだった。
「今も、あのままなのか――一緒に見に行かない?」
行ってはいけない。頭では、はっきりと分かっている。昔はダメだと知らなかったが、今は知っている。
行ってはいけない。それくらいの分別は、もうある。
だから、首を振ろうとした。
けれど。
――私の手は、彼の手を取っていた。
それでも――この人となら、大丈夫だと思ってしまった。
指先に伝わる温度は、人のものと変わらないのに。どこか現実感がなくて、夢の中にいるみたいだった。
「じゃあ、行こっか」
彼は、そう言って私の手を引く。
足音が、祭りの喧騒に溶けていく。笑い声も、太鼓の音も、少しずつ遠ざかっていく。まるで、最初から存在していなかったみたいに。
夏祭りの喧騒の中、1人の女が姿を消したことに―――誰も、気が付かない。
