サボ/わがままで自分勝手で、それから/現代パロ
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今でもはっきり覚えている。
がやがやと人が行き来する空港で、私と彼の間だけ時間が止まったような、音もないわずかな時間が、その時確かにそこにはあった。
涙でぐちゃぐちゃな私に、彼もまた泣きそうな表情で、確かにそういったんだ。
「……俺はまだもうしばらく仕事で手がいっぱいで、お前をゆっくりとかまってやれそうにない。…だから、」
「…カタル、もし辛かったら」
「……俺のこと、忘れていいからな…―――」
――――――
カラン、とグラスの中の氷が揺れる。
ぐらぐらと頭が、視界が揺れていた。もうそろそろやめておかないと明日が辛い。
だけど同時に、まだどこか冷静さが残っている自分に気づいている。…今日は。今日は、この冷静さを残している方がもっと辛い。
やめておけばいいのに、まだ頭が思考を紡げていることが恐ろしい。カウンターに肘をついて自分の頭を上げているのがやっとな状況で、「ますたぁ」と呼びながら空のグラスをまえに置く。
「お客さん、今日は潰れたいんですね」
「そう、そう、そうなの。そう」
もはや自分の回答は同じ言葉を紡ぐだけのオウムに成り下がっていた。だけど気を組んでくれたマスターは黙って空のグラスを下げると、新しいお酒を造りに掛かってくれる。
……時間が少しでもできればふと思い出してしまう、金髪の彼。元カレだった、サボ。
頭がよくて仕事もできる彼はほとんどの仕事の場が海外で、日本にいるのが珍しいくらい海外に入り浸っていた。当然彼に私をかまってくれる時間があるわけでもなく、付き合っていた当時の彼と私はせいぜい月一回の電話と、半年に1度、彼が日本に帰ってきたときに寄り添うように時間を惜しむ形で付き合っていた。
そんな付き合いも2年たてば限界だった。一緒にいるときはとてもやさしい彼だけど、結局仕事を優先して毎回海外に帰ってしまうのがやはり辛く、寂しかった。
こんなに寂しい思いをするならば彼と付き合わなければよかった、彼と出会わなければよかったとさえ思った。日本にほとんどいないのなら、私に手を出したり、その気にさせるような素振りをしないでほしいとも思った。
結局すべてただの八つ当たりで、ある日空港で泣きながら全部をぶちまけた私を前に、サボは言葉を失ったようにただ立ち尽くしていた。
しばらく黙っていて、私も言いすぎたかもしれないと思いながら、でもサボがもう行ってしまうことの辛さや寂しさが全部綯交ぜになって複雑な感情で、何も言えずただぐしぐしと目を擦っていたっけ。
そう、そして。彼は。自ら私を手放した。
「…あ~~~~~…やめてよぉ…」
頭を抱える。ふとした瞬間にすぐサボのことを思い出してしまう。
もう彼が海外に行って半年。あれから電話も一度もしていない。初めは意地を張っただけだったけど、そのうち、本当にこのまま連絡を断っていれば、彼の気持ちが薄れて楽になれるかもしれないと思い始めたのがきっかけだった。
2か月たつほどまでは定期的に泣いて泣いて辛かったけど、徐々に彼がいない中でも他のことに集中できるようになり始めたんだ。
このまま、彼を忘れられる。…そう思っていた。
『サボ、明日帰ってくるわね』
そんな連絡を見てしまったのはついさっき。私がこのBARに駆け込むことになった要因だ。
連絡をしてくれたのは麗しのロビン姉さん。サボとロビンは仕事での付き合いもあったようで、今でもきっとつながりがあるんだろう。私とサボが付き合っていたことも知っていた。
…だけど、別れたことも知っていたはずだった。………あのロビン姉さんがわざわざこうして連絡をしてきたのは、私がまだ彼を忘れられていないのが見え見えだったってことだ。
実際その通り。だけど。…だけど。
…いや、ロビン姉さんを恨むのはお門違いすぎる。
ていうかサボだ。あいつ、こんなに早く帰ってくるならあんなこと言わないでさっさと帰ってくればよかったのに。
そうしたら今こんなつらい思いせず、今頃サボと仲良くやってたかもしれないのに。
…あれ、これじゃあ私、サボとよりを戻したいみたいだ…。
「お待たせいたしました」
こつ、とグラスをカウンターに置かれる。
待った。超待ってた。もうこの思考から私を解放してほしい。
マスターに感謝しながらそのグラスを手に取ろうとして、――瞬く間に私はマスターを恨んだ。
そのグラスをちらりと見て、目に入った、なんと金色の明るいこと。
どうしてよりによって。マスターって、まさかなんかのスパイ?もしかして私知らない間に愚痴ってた?
潰れたいって、ようは何もかも考えられなくなりたいってことなんだけど。なのにどうしてそんな、連想させるようなキラキラした金色のグラスを作ってくれちゃうのかな。
「…お気に召しませんでしたか」
「……だいじょぶ、です」
私がじっとグラスをにらんでいたからか、マスターが申し訳なさそうに私の前に手を前に組んで立っている。
マスターは何も悪くない。いつも美味しいお酒を造ってくれて本当にありがたい。
こんな色くらいで怒る私がどうかしてるんだ。
「…ちょうどいいかも。一緒に飲み干してやるんだから」
心まで、全部。この金色と一緒に。思い出せないほど、かけらも残らないほどに飲み干してやる。
その一心でショートグラスをくいっと傾けた。―喉が焼けるような熱さのあと、むわっと来るアルコールの香り。強い、さすがマスター、えげつない。
「ぷわぁぁぁ」
空気が抜けたような声を出してカウンターにぺしゃりと潰れる。頭がぐらぐらしていい感じに脳が働かない。これこれ、これを待っていた。
明日はトイレとお友達だろうけど、もう今が楽ならなんでもいい。
―――――
―――俺を忘れてもいい。その言葉の意味がわからないほど馬鹿じゃない。
寂しかったら他の男に乗り換えていいってことだ。実際、それは楽だった。心まで乗り換えれたなら、だけど。
その場限り、一晩限りは思ったより簡単で。
彼を思い出してしまって辛いとき、誰かと一緒に居たいとき。そんな時に、BARで会った見知らぬ男に体を寄せたことは何度かあった。
――その一瞬は忘れられた気がして楽だったかもしれない。…なんなら、目を瞑ってサボだと思おうとしたときもあった。結局忘れてないってことだけど。
――だけど結局目が覚めて何も残ってないことに気づいて。すっかり冷たくなったシーツに、見知らぬ電話番号が置かれていることもあったけど、連絡したところで続く気もしなかったし、何より私が相手をサボと比べてしまっていてだめだった。
…結果、いたずらに自分の体を使っただけで、虚しさだけ残った。
それからは人に頼らずお酒に頼るようになった。
彼を思い出してしまって辛い時、泣きたくなったときは、そんな思考をまるごと忘れさせてくれるくらいのガツンとしたアルコールに縋りついた。
実際、これもなかなか効果があった。翌日がつらすぎるけど。
でもそんなものにも頼らなくてもよくなってきてたんだ。最近は。
自然と彼を思い出すのが少なくなっていって。思い出しても、前ほど涙が出なくなってきて。
それなのに…。
――――…
唐突な吐き気で目が覚める。ベッドから転がり落ちるように下り、トイレよりもキッチンが近かったのでそのまま顔を下に向け生理的欲求に従った。
胃が内容物を押し出すように収縮し、本来の作用とは逆方向に喉から酸が込みあがる。…胃の中が空っぽになるまで吐き終わるころには、喉は焼けていた。
しばらくキッチンの冷たさに頬を押し付けて休息する。まだ胸はむかむかしていたけど、すっきりとまではいかないがだいぶ楽になった。
――頭もガンガンと痛む。典型的な二日酔いだ。今日が仕事休みでよかった。とりあえずベッドサイドのチェストから鎮痛剤を2錠、あと胃薬も引っ張り出して飲んだ。効くかどうか知らないけど。
再びごろんとベッドに横になって携帯をチェックする。…ロビン姉さんから不在着信。
そしてメッセージも1件。
『サボ、明日にはまた海外帰っちゃうみたいよ。本当にいいの?』
―…明日、帰るんだ。ほらやっぱり、帰ってきたとしたってほんの一瞬で、日本にほぼいないんだから。
やっぱりあったってまた寂しくなるだけだ。たった1日会ったくらいで埋め尽くせるほどの寂しさじゃないんだから。ほんと舐めてるよね、それでいっちょ前に彼氏面して甘やかしてきちゃってさ。
…サボからの着信は、もちろんない。電話をもうしないと決めた日に、着信拒否に設定したし、連絡アプリもブロックした。…だから来るはずないんだ。
「……って、早速サボのこと考えちゃってんじゃん…ばか」
携帯をベッドに放り投げて体を無理やり起こす。とりあえずシャワーを浴びてすっきりしよう。
こんな家の中でごろごろしていてもサボのことばかり考えてしまうし、おしゃれをして今日は街に出かけよう。気分転換だ。
――――
――――――…
気合入れて出かけたはいいものの特に行きたいところも思いつかず、なんとなく映画館に訪れた。今流行のアニメ映画をチョイスしカフェオレを飲みながら映画を観る。
【…―――失礼だな。純愛だよ…】
ああこれ、同じセリフ書いてあったポスター映画館に貼ってあったな。
どういうことだよと思ったけどそういうことか。映画を観てようやく台詞の意味が繋がる感じ。ていうかこの男の子の声めっちゃ聴いたことあるけど誰だったっけ。
悶々としながら映画を観終わり頭を悩ませながら映画館を出る。
普通に楽しめている自分がいて少しほっとした。
小腹がすいたので適当なカフェに入る。依然サボと来たカフェだ。
私には少しおしゃれすぎて緊張してしまうようなカフェだったけど、彼には行きつけのカフェだったあようで。
初めてきたとき、そんなお店を背景にコーヒーを飲んでいる彼が異人すぎてつい見惚れてしまったのを覚えている。
おいしそうなパンケーキとコーヒーを頼む。
まもなく届いたふわふわのパンケーキは、とろりとした生クリームがそえられててまさに私好みだ。
ふわふわパンケーキに甘いクリーム、口直しのコーヒー。なんて素敵な組み合わせ。
前回来たときはワッフルにしたんだっけ。ワッフルとパンケーキで悩んでた私に、サボが「今日は食べたいの食べて、次来たときにもう一つの方にしたら?」と提案してきたから前回はワッフルを食べたんだ。あれもさくさくでおいしかった。
…ふぅ。お腹いっぱいになっちゃった。特に行きたいところもないけど、なんとなく散歩しようかな。
時刻は夕方に差し掛かっていた。まだ時期も真冬なのでコートを着てマフラーを巻いて、防寒対策はばっちりだ。
外を少し歩いてみたけど、風もなくそこまで寒く感じない。
そうして20分ほど歩いただろうか。あてもなくさまよっていたはずなのに、私はとても見慣れた場所に到着していた。
都会から少しだけ離れて一気に人気のなくなった場所。階段を上って少し高い位置から見下ろせる場所になっているそこは、ちょっとした夜景スポットだった。
歩いているうちにすっかり日は暮れていて辺りは真っ暗になっていて、階段を上り終わったそこには既に夜景が広がっている。
…前に見た夜景と何も変わってない気がした。…街が変わっていないのだから当たり前だけど。
サボが返ってきた日は決まってこの夜景を見ていた。私が好きだったのか、彼が好きだったのかわからないけどお決まりになっていた。
しばらく夜景を二人してぼーっと眺めて、どこかでサボが私の手の上に自分の手を重ねて。
「……カタル」
そう私の名前をよんで整った顔を近づけてきて、ロマンチックにキスなんて、してたっけ。気障なことする人だったけどそれがまた絵になってたから、こっちも怒り切れなかったなぁ。
……ん? 今、…そういえば声がした?
バッと慌てて後ろを振り返ると、いつからいたのか黒いコートに身を包んでいるサボの姿。
―――まさか、本当に、会ってしまうなんて。
…いや、違う。自分から、もしかしたら会えるかもしれないような場所ばかり行ってた。
忘れるために気分転換のつもりだったのに、足が向かってしまうのはどこもサボとのデートで行った場所…、思い出の場所ばかり。
まるで、見つけてくれるかもしれないなんて思いながら…。
「…ここで会えなかったらもう諦めようと思ってた」
「……サボ…」
「…最後にもう1回チャンス欲しくて、今日1日カタルのこと探し回ってたよ」
どうやらサボはサボで、私のお気に入りの場所をしらみつぶしに探していたらしい。二人して同じことしちゃってるんだなぁ。
「…俺、自分のことばっか考えてて。時々でもカタルに会えるならそれが嬉しくて、そのために仕事頑張れるところあった。……だけど、カタルはそれじゃ辛かったんだよな」
「……うん」
「カタルに泣かれて気づいたよ。お前の気持ち…全然考えてやれてなかったなって。こんな、ほとんど傍にいてやれない付き合い方いつまで続けるのかとか、会うたびにまた寂しい思いさせるのかとか、…そんな状況じゃ、カタルが不安でいっぱいになるのも無理ないよな」
…本当に、自分勝手で悪い男だった。ごめんな。
そう言って目の前のでかい男は私に向かって頭を下げる。私よりずっと身長も高くて体つきも男らしくがっしりしてるのに、こうして頭を下げてしゅんとしているサボはいつもよりずっと、ずっと、小さく見えた。
「…サボのこと、むかつくけど好きだよ。……好きだけど、だからこそ会えないのが辛すぎた」
「…うん」
「そうやって口で上手いこといって、結局いつも最後は私を置いて行った。……結局仕事なんだなって思った」
「……」
「サボのことなんか忘れてやろうと思った。……違う男の人と寝たり、したよ。……でもやっぱり、……なんなの、思った以上に、…しつこくて」
ああ。知らずにぽろぽろ涙がこぼれてきた。
なんなんだろう。言葉にしてると少しずつ気持ちの整理がついてきてるというか、やっぱりサボが好き、みたいなのを、嫌でも思い知るというか。
サボは黒の手袋をはいたまま私の頬を優しく撫でる。あとからあとから流れる涙を無言で拭ってくれた。
「……っむか、つく…あんたなんか…」
「…あぁ…そうだよな」
「なんで、……今日また、帰ってきたの……。…もう少し時間たったら、…サボなんか、忘れて、いけそうだったのに、」
「…ごめん。忘れてほしくなかったんだ。…俺は自分勝手だから」
視界が潤んでむかつくサボがどんな表情をしているのかわからない。
ぱちりと瞬きをすればばらばらと涙の粒が落ちた。ああもう、きっとメイクもすごいことになってそう。
「…後悔してる。あの時、カタルを手放すようなことを言って。…それでカタルが実際、俺との連絡も切って、…もう会えなくなるのかもって思ったら、頭が真っ白になった。…仕事なんて手につかなかった」
「……」
「今回の帰国も、実は本来の予定じゃない。…俺がどうにも仕事をできない様子を見て、仲間が無理やり作ってくれたんだ。…ケリつけてこいって」
―そう、だったんだ。
じゃあこれ、初めて仕事より私を優先してくれたってことなのかな。
……やだな、こんなこと、ちょっと嬉しく感じちゃうなんて。
「…カタル、俺にはやっぱりお前がいないとだめだ」
「……、サボ」
「一緒に海外に来てくれ。…お前が日本で、知らない男と幸せにする未来なんて…俺には耐えられない」
そう言ってサボは私を包むようにぎゅうっと抱きしめる。
――まるでドラマみたいな台詞。かっこいい、のかもしれない。
だけどなんてひどく自分勝手な台詞。結局自分は捨てるものなんて何もない。自分の安定した環境を崩さずに私を傍に置かせたいだなんて、そんなずるいこと。
私は家族や友達、仕事だって全部日本にある。…それをすべて捨てなきゃいけない。
これだけ条件が違うのに、ああ、どうして。
…どうしてこんなに、嬉しいんだろう。
「……ほんと、自分勝手…。…そんなすぐ、行けるわけないじゃん…」
「………なるべく早く」
「っ、ふふ。…全部捨てていくんだから、すごいことだよ。…英語だって喋れないし。仕事だってできるかどうか…」
「俺が養う」
「…一緒に暮らしたら、サボのこと嫉妬で縛っちゃうかもよ」
「……それでもいいよ。カタルがいてくれるなら」
ゆっくりと、サボが私の肩を掴んで距離をとる。
私の涙の痕をゆっくり指でさすってくれて、寒さで赤くなった頬を手袋で包んでくれる。
「…俺のこと、許してくれるか?」
「……いいよ。許してあげる」
「……、ありがとう。…もう絶対手放さない」
一瞬だけ泣きそうな顔で笑うと、サボはそのまま私の目じりにちゅ、ちゅと触れるだけのキスを落とす。
そうして私の背を支えて抱き込むような形で、ゆっくりと唇を塞いでくれた。
…冷たい、少しだけ乾いた唇。彼にしては珍しい。彼の余裕のなさが出ているようで、少しだけざまぁみろと思ってしまう。
「――今日は、カタルのためにホテルをとってある」
「…え?」
「帰国は明日だ。最後のわがままでもう1日伸ばしてもらった。…カタルがちゃんとこっちに来るまで俺のこと忘れないよう、たっぷり思い出してもらわないと」
私の背を支えていた腕はいつの間にかがっしりと力入り私の身体を固定している。
目の前には見慣れたはずの笑顔。いつものサボの笑顔、のはずなのに。
「…あの、私明日仕事…」
「……カタル。俺は正直、この目の前の身体が他の奴に触られたって知った時点から気が狂いそうなんだ」
「ひぇ、」
「―――これ以上俺を我慢させないでくれ」
―――あぁ、本当に。
なんて自分勝手で、貪欲で、我儘な人。
END.
がやがやと人が行き来する空港で、私と彼の間だけ時間が止まったような、音もないわずかな時間が、その時確かにそこにはあった。
涙でぐちゃぐちゃな私に、彼もまた泣きそうな表情で、確かにそういったんだ。
「……俺はまだもうしばらく仕事で手がいっぱいで、お前をゆっくりとかまってやれそうにない。…だから、」
「…カタル、もし辛かったら」
「……俺のこと、忘れていいからな…―――」
――――――
カラン、とグラスの中の氷が揺れる。
ぐらぐらと頭が、視界が揺れていた。もうそろそろやめておかないと明日が辛い。
だけど同時に、まだどこか冷静さが残っている自分に気づいている。…今日は。今日は、この冷静さを残している方がもっと辛い。
やめておけばいいのに、まだ頭が思考を紡げていることが恐ろしい。カウンターに肘をついて自分の頭を上げているのがやっとな状況で、「ますたぁ」と呼びながら空のグラスをまえに置く。
「お客さん、今日は潰れたいんですね」
「そう、そう、そうなの。そう」
もはや自分の回答は同じ言葉を紡ぐだけのオウムに成り下がっていた。だけど気を組んでくれたマスターは黙って空のグラスを下げると、新しいお酒を造りに掛かってくれる。
……時間が少しでもできればふと思い出してしまう、金髪の彼。元カレだった、サボ。
頭がよくて仕事もできる彼はほとんどの仕事の場が海外で、日本にいるのが珍しいくらい海外に入り浸っていた。当然彼に私をかまってくれる時間があるわけでもなく、付き合っていた当時の彼と私はせいぜい月一回の電話と、半年に1度、彼が日本に帰ってきたときに寄り添うように時間を惜しむ形で付き合っていた。
そんな付き合いも2年たてば限界だった。一緒にいるときはとてもやさしい彼だけど、結局仕事を優先して毎回海外に帰ってしまうのがやはり辛く、寂しかった。
こんなに寂しい思いをするならば彼と付き合わなければよかった、彼と出会わなければよかったとさえ思った。日本にほとんどいないのなら、私に手を出したり、その気にさせるような素振りをしないでほしいとも思った。
結局すべてただの八つ当たりで、ある日空港で泣きながら全部をぶちまけた私を前に、サボは言葉を失ったようにただ立ち尽くしていた。
しばらく黙っていて、私も言いすぎたかもしれないと思いながら、でもサボがもう行ってしまうことの辛さや寂しさが全部綯交ぜになって複雑な感情で、何も言えずただぐしぐしと目を擦っていたっけ。
そう、そして。彼は。自ら私を手放した。
「…あ~~~~~…やめてよぉ…」
頭を抱える。ふとした瞬間にすぐサボのことを思い出してしまう。
もう彼が海外に行って半年。あれから電話も一度もしていない。初めは意地を張っただけだったけど、そのうち、本当にこのまま連絡を断っていれば、彼の気持ちが薄れて楽になれるかもしれないと思い始めたのがきっかけだった。
2か月たつほどまでは定期的に泣いて泣いて辛かったけど、徐々に彼がいない中でも他のことに集中できるようになり始めたんだ。
このまま、彼を忘れられる。…そう思っていた。
『サボ、明日帰ってくるわね』
そんな連絡を見てしまったのはついさっき。私がこのBARに駆け込むことになった要因だ。
連絡をしてくれたのは麗しのロビン姉さん。サボとロビンは仕事での付き合いもあったようで、今でもきっとつながりがあるんだろう。私とサボが付き合っていたことも知っていた。
…だけど、別れたことも知っていたはずだった。………あのロビン姉さんがわざわざこうして連絡をしてきたのは、私がまだ彼を忘れられていないのが見え見えだったってことだ。
実際その通り。だけど。…だけど。
…いや、ロビン姉さんを恨むのはお門違いすぎる。
ていうかサボだ。あいつ、こんなに早く帰ってくるならあんなこと言わないでさっさと帰ってくればよかったのに。
そうしたら今こんなつらい思いせず、今頃サボと仲良くやってたかもしれないのに。
…あれ、これじゃあ私、サボとよりを戻したいみたいだ…。
「お待たせいたしました」
こつ、とグラスをカウンターに置かれる。
待った。超待ってた。もうこの思考から私を解放してほしい。
マスターに感謝しながらそのグラスを手に取ろうとして、――瞬く間に私はマスターを恨んだ。
そのグラスをちらりと見て、目に入った、なんと金色の明るいこと。
どうしてよりによって。マスターって、まさかなんかのスパイ?もしかして私知らない間に愚痴ってた?
潰れたいって、ようは何もかも考えられなくなりたいってことなんだけど。なのにどうしてそんな、連想させるようなキラキラした金色のグラスを作ってくれちゃうのかな。
「…お気に召しませんでしたか」
「……だいじょぶ、です」
私がじっとグラスをにらんでいたからか、マスターが申し訳なさそうに私の前に手を前に組んで立っている。
マスターは何も悪くない。いつも美味しいお酒を造ってくれて本当にありがたい。
こんな色くらいで怒る私がどうかしてるんだ。
「…ちょうどいいかも。一緒に飲み干してやるんだから」
心まで、全部。この金色と一緒に。思い出せないほど、かけらも残らないほどに飲み干してやる。
その一心でショートグラスをくいっと傾けた。―喉が焼けるような熱さのあと、むわっと来るアルコールの香り。強い、さすがマスター、えげつない。
「ぷわぁぁぁ」
空気が抜けたような声を出してカウンターにぺしゃりと潰れる。頭がぐらぐらしていい感じに脳が働かない。これこれ、これを待っていた。
明日はトイレとお友達だろうけど、もう今が楽ならなんでもいい。
―――――
―――俺を忘れてもいい。その言葉の意味がわからないほど馬鹿じゃない。
寂しかったら他の男に乗り換えていいってことだ。実際、それは楽だった。心まで乗り換えれたなら、だけど。
その場限り、一晩限りは思ったより簡単で。
彼を思い出してしまって辛いとき、誰かと一緒に居たいとき。そんな時に、BARで会った見知らぬ男に体を寄せたことは何度かあった。
――その一瞬は忘れられた気がして楽だったかもしれない。…なんなら、目を瞑ってサボだと思おうとしたときもあった。結局忘れてないってことだけど。
――だけど結局目が覚めて何も残ってないことに気づいて。すっかり冷たくなったシーツに、見知らぬ電話番号が置かれていることもあったけど、連絡したところで続く気もしなかったし、何より私が相手をサボと比べてしまっていてだめだった。
…結果、いたずらに自分の体を使っただけで、虚しさだけ残った。
それからは人に頼らずお酒に頼るようになった。
彼を思い出してしまって辛い時、泣きたくなったときは、そんな思考をまるごと忘れさせてくれるくらいのガツンとしたアルコールに縋りついた。
実際、これもなかなか効果があった。翌日がつらすぎるけど。
でもそんなものにも頼らなくてもよくなってきてたんだ。最近は。
自然と彼を思い出すのが少なくなっていって。思い出しても、前ほど涙が出なくなってきて。
それなのに…。
――――…
唐突な吐き気で目が覚める。ベッドから転がり落ちるように下り、トイレよりもキッチンが近かったのでそのまま顔を下に向け生理的欲求に従った。
胃が内容物を押し出すように収縮し、本来の作用とは逆方向に喉から酸が込みあがる。…胃の中が空っぽになるまで吐き終わるころには、喉は焼けていた。
しばらくキッチンの冷たさに頬を押し付けて休息する。まだ胸はむかむかしていたけど、すっきりとまではいかないがだいぶ楽になった。
――頭もガンガンと痛む。典型的な二日酔いだ。今日が仕事休みでよかった。とりあえずベッドサイドのチェストから鎮痛剤を2錠、あと胃薬も引っ張り出して飲んだ。効くかどうか知らないけど。
再びごろんとベッドに横になって携帯をチェックする。…ロビン姉さんから不在着信。
そしてメッセージも1件。
『サボ、明日にはまた海外帰っちゃうみたいよ。本当にいいの?』
―…明日、帰るんだ。ほらやっぱり、帰ってきたとしたってほんの一瞬で、日本にほぼいないんだから。
やっぱりあったってまた寂しくなるだけだ。たった1日会ったくらいで埋め尽くせるほどの寂しさじゃないんだから。ほんと舐めてるよね、それでいっちょ前に彼氏面して甘やかしてきちゃってさ。
…サボからの着信は、もちろんない。電話をもうしないと決めた日に、着信拒否に設定したし、連絡アプリもブロックした。…だから来るはずないんだ。
「……って、早速サボのこと考えちゃってんじゃん…ばか」
携帯をベッドに放り投げて体を無理やり起こす。とりあえずシャワーを浴びてすっきりしよう。
こんな家の中でごろごろしていてもサボのことばかり考えてしまうし、おしゃれをして今日は街に出かけよう。気分転換だ。
――――
――――――…
気合入れて出かけたはいいものの特に行きたいところも思いつかず、なんとなく映画館に訪れた。今流行のアニメ映画をチョイスしカフェオレを飲みながら映画を観る。
【…―――失礼だな。純愛だよ…】
ああこれ、同じセリフ書いてあったポスター映画館に貼ってあったな。
どういうことだよと思ったけどそういうことか。映画を観てようやく台詞の意味が繋がる感じ。ていうかこの男の子の声めっちゃ聴いたことあるけど誰だったっけ。
悶々としながら映画を観終わり頭を悩ませながら映画館を出る。
普通に楽しめている自分がいて少しほっとした。
小腹がすいたので適当なカフェに入る。依然サボと来たカフェだ。
私には少しおしゃれすぎて緊張してしまうようなカフェだったけど、彼には行きつけのカフェだったあようで。
初めてきたとき、そんなお店を背景にコーヒーを飲んでいる彼が異人すぎてつい見惚れてしまったのを覚えている。
おいしそうなパンケーキとコーヒーを頼む。
まもなく届いたふわふわのパンケーキは、とろりとした生クリームがそえられててまさに私好みだ。
ふわふわパンケーキに甘いクリーム、口直しのコーヒー。なんて素敵な組み合わせ。
前回来たときはワッフルにしたんだっけ。ワッフルとパンケーキで悩んでた私に、サボが「今日は食べたいの食べて、次来たときにもう一つの方にしたら?」と提案してきたから前回はワッフルを食べたんだ。あれもさくさくでおいしかった。
…ふぅ。お腹いっぱいになっちゃった。特に行きたいところもないけど、なんとなく散歩しようかな。
時刻は夕方に差し掛かっていた。まだ時期も真冬なのでコートを着てマフラーを巻いて、防寒対策はばっちりだ。
外を少し歩いてみたけど、風もなくそこまで寒く感じない。
そうして20分ほど歩いただろうか。あてもなくさまよっていたはずなのに、私はとても見慣れた場所に到着していた。
都会から少しだけ離れて一気に人気のなくなった場所。階段を上って少し高い位置から見下ろせる場所になっているそこは、ちょっとした夜景スポットだった。
歩いているうちにすっかり日は暮れていて辺りは真っ暗になっていて、階段を上り終わったそこには既に夜景が広がっている。
…前に見た夜景と何も変わってない気がした。…街が変わっていないのだから当たり前だけど。
サボが返ってきた日は決まってこの夜景を見ていた。私が好きだったのか、彼が好きだったのかわからないけどお決まりになっていた。
しばらく夜景を二人してぼーっと眺めて、どこかでサボが私の手の上に自分の手を重ねて。
「……カタル」
そう私の名前をよんで整った顔を近づけてきて、ロマンチックにキスなんて、してたっけ。気障なことする人だったけどそれがまた絵になってたから、こっちも怒り切れなかったなぁ。
……ん? 今、…そういえば声がした?
バッと慌てて後ろを振り返ると、いつからいたのか黒いコートに身を包んでいるサボの姿。
―――まさか、本当に、会ってしまうなんて。
…いや、違う。自分から、もしかしたら会えるかもしれないような場所ばかり行ってた。
忘れるために気分転換のつもりだったのに、足が向かってしまうのはどこもサボとのデートで行った場所…、思い出の場所ばかり。
まるで、見つけてくれるかもしれないなんて思いながら…。
「…ここで会えなかったらもう諦めようと思ってた」
「……サボ…」
「…最後にもう1回チャンス欲しくて、今日1日カタルのこと探し回ってたよ」
どうやらサボはサボで、私のお気に入りの場所をしらみつぶしに探していたらしい。二人して同じことしちゃってるんだなぁ。
「…俺、自分のことばっか考えてて。時々でもカタルに会えるならそれが嬉しくて、そのために仕事頑張れるところあった。……だけど、カタルはそれじゃ辛かったんだよな」
「……うん」
「カタルに泣かれて気づいたよ。お前の気持ち…全然考えてやれてなかったなって。こんな、ほとんど傍にいてやれない付き合い方いつまで続けるのかとか、会うたびにまた寂しい思いさせるのかとか、…そんな状況じゃ、カタルが不安でいっぱいになるのも無理ないよな」
…本当に、自分勝手で悪い男だった。ごめんな。
そう言って目の前のでかい男は私に向かって頭を下げる。私よりずっと身長も高くて体つきも男らしくがっしりしてるのに、こうして頭を下げてしゅんとしているサボはいつもよりずっと、ずっと、小さく見えた。
「…サボのこと、むかつくけど好きだよ。……好きだけど、だからこそ会えないのが辛すぎた」
「…うん」
「そうやって口で上手いこといって、結局いつも最後は私を置いて行った。……結局仕事なんだなって思った」
「……」
「サボのことなんか忘れてやろうと思った。……違う男の人と寝たり、したよ。……でもやっぱり、……なんなの、思った以上に、…しつこくて」
ああ。知らずにぽろぽろ涙がこぼれてきた。
なんなんだろう。言葉にしてると少しずつ気持ちの整理がついてきてるというか、やっぱりサボが好き、みたいなのを、嫌でも思い知るというか。
サボは黒の手袋をはいたまま私の頬を優しく撫でる。あとからあとから流れる涙を無言で拭ってくれた。
「……っむか、つく…あんたなんか…」
「…あぁ…そうだよな」
「なんで、……今日また、帰ってきたの……。…もう少し時間たったら、…サボなんか、忘れて、いけそうだったのに、」
「…ごめん。忘れてほしくなかったんだ。…俺は自分勝手だから」
視界が潤んでむかつくサボがどんな表情をしているのかわからない。
ぱちりと瞬きをすればばらばらと涙の粒が落ちた。ああもう、きっとメイクもすごいことになってそう。
「…後悔してる。あの時、カタルを手放すようなことを言って。…それでカタルが実際、俺との連絡も切って、…もう会えなくなるのかもって思ったら、頭が真っ白になった。…仕事なんて手につかなかった」
「……」
「今回の帰国も、実は本来の予定じゃない。…俺がどうにも仕事をできない様子を見て、仲間が無理やり作ってくれたんだ。…ケリつけてこいって」
―そう、だったんだ。
じゃあこれ、初めて仕事より私を優先してくれたってことなのかな。
……やだな、こんなこと、ちょっと嬉しく感じちゃうなんて。
「…カタル、俺にはやっぱりお前がいないとだめだ」
「……、サボ」
「一緒に海外に来てくれ。…お前が日本で、知らない男と幸せにする未来なんて…俺には耐えられない」
そう言ってサボは私を包むようにぎゅうっと抱きしめる。
――まるでドラマみたいな台詞。かっこいい、のかもしれない。
だけどなんてひどく自分勝手な台詞。結局自分は捨てるものなんて何もない。自分の安定した環境を崩さずに私を傍に置かせたいだなんて、そんなずるいこと。
私は家族や友達、仕事だって全部日本にある。…それをすべて捨てなきゃいけない。
これだけ条件が違うのに、ああ、どうして。
…どうしてこんなに、嬉しいんだろう。
「……ほんと、自分勝手…。…そんなすぐ、行けるわけないじゃん…」
「………なるべく早く」
「っ、ふふ。…全部捨てていくんだから、すごいことだよ。…英語だって喋れないし。仕事だってできるかどうか…」
「俺が養う」
「…一緒に暮らしたら、サボのこと嫉妬で縛っちゃうかもよ」
「……それでもいいよ。カタルがいてくれるなら」
ゆっくりと、サボが私の肩を掴んで距離をとる。
私の涙の痕をゆっくり指でさすってくれて、寒さで赤くなった頬を手袋で包んでくれる。
「…俺のこと、許してくれるか?」
「……いいよ。許してあげる」
「……、ありがとう。…もう絶対手放さない」
一瞬だけ泣きそうな顔で笑うと、サボはそのまま私の目じりにちゅ、ちゅと触れるだけのキスを落とす。
そうして私の背を支えて抱き込むような形で、ゆっくりと唇を塞いでくれた。
…冷たい、少しだけ乾いた唇。彼にしては珍しい。彼の余裕のなさが出ているようで、少しだけざまぁみろと思ってしまう。
「――今日は、カタルのためにホテルをとってある」
「…え?」
「帰国は明日だ。最後のわがままでもう1日伸ばしてもらった。…カタルがちゃんとこっちに来るまで俺のこと忘れないよう、たっぷり思い出してもらわないと」
私の背を支えていた腕はいつの間にかがっしりと力入り私の身体を固定している。
目の前には見慣れたはずの笑顔。いつものサボの笑顔、のはずなのに。
「…あの、私明日仕事…」
「……カタル。俺は正直、この目の前の身体が他の奴に触られたって知った時点から気が狂いそうなんだ」
「ひぇ、」
「―――これ以上俺を我慢させないでくれ」
―――あぁ、本当に。
なんて自分勝手で、貪欲で、我儘な人。
END.
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