即興SS
自室の壁に掛けられた簡素な白いカレンダーの十五の日付には赤い丸がついている。それは次の休暇日まであと四日であることを知らせていた。四日間を乗り越えればようやく休暇に辿り着ける。カレンダーを指でなぞりながら思った。アサシンの厳しい訓練はやはり耐え難いものだった。子供の頃にも生死をさ迷ってきた経験はあれど、比較にもならない危険な目と常に隣り合わせの訓練は精神的にも肉体的にも堪えた。休暇は外出が許されるため、外に出て息抜きをしようと考えていた。そうでもしないとこの無機質な兵舎に閉じ込められたような生活は息が詰まってしまう。
四日後。僕は休暇日に外出届を出しに行くとジララ様に行き先を尋ねられた。普段ならそんなことはない。僕は不思議に思いながら街ですと答えるとジララ様はそうか、とだけ言って頷いた。
ずっと求めていた休暇だったが特にやりたいこともなく、僕はふらふらと街を歩いた。周囲の人ががやけに眩しく見えて、それは自分がアサシンになれている証拠なのかもしれないと思った。カレンダーの数字に囚われてなんとなく外出をしてみたもののなんだか気分は晴れない。それどころか疲労のせいか急に足元がふらついて慌ててビルの壁に手をついてその場に屈んだ。行き交う人々の誰も僕に寄り添うことはない。視界にも入っていないのではないか、透明人間にでもなったような気分だった。アサシンとは孤独なものだ……いつかのジララ様の声が聞こえた。目眩が酷く視界が歪む。僕は地面に尻をつく。頭がぐらぐらと揺れた。気持ちが悪い……途切れそうな意識の中僕はただ晴れた空を見つめていた。
目が覚めると僕は兵舎の医務室にいた。白いシーツの上に寝かされ、隣で丸椅子に腰掛けたジララ様が本を読んでいた。
「ジララ様!?」
僕は思わず身を起こしたが寝ていろ、とジララ様に促され再び横になった。
「どうして、ジララ様が……?」
僕はキョロキョロと当たりを見回しながらジララ様の返答を待った。僕は確か、街に行って……。そうだ、そこから意識がない。ジララ様は本を閉じると僕に目を向けた。
「息抜きも大事だが、休息も必要だ」
ジララ様は特に、と続ける。
「ゼロロ、お前のような優しい心を持つ物は神経がすり減りやすいだろう。人一倍休まなければ疲れなど取れない」
「で、ですが……」
僕は言いかけて言葉を噤んだ。言われたとおりだと思った。実際僕は人より柔なところがあると自覚している。生憎鋼のようなメンタルは持ち合わせていない。
「今日はどんな用事で街に出た」
「用事は特になくて……ただ息抜きに」
ジララ様は頷く。
「休息が大事なのは分かっています。ですが、たまには外に出ないと息が詰まってしまいそうで」
ジララ様は黙って僕を見つめていた。まるで品定めをするような目つきだった。
「お前はアサシンになるべきじゃなかったようだな」
「……そんな!」
僕は再び身を起こす。寝ていろと言われたが今度は聞かなかった。その言葉で僕は自分が否定されたような気になった。今までアサシンになるために生きてきて、ようやくここまで来られたというのに。もとより向いていない自覚はあった。それでも好成績を収めている以上、僕は一人前のアサシンに近付いているのだと自負していた。ジララ様は腰を上げると医務室の奥へ姿を消した。そしてしばらくして白いマグカップを持ってきた。それを僕に手渡すと僕はカップの中身を覗き込む。
「ホットワインだ」
ゆらゆら揺れる湯気とフルーティーな香りが漂っていた。
「これを飲んだらしばらく寝ていろ。お前には気分転換より休息が必要だ」
ジララ様はベッドのカーテンを閉めると医務室を後にした。僕はゆっくりワインをすすった。体が温まって気持ちが良かった。そしてジララ様に言われたとおりに眠りについた。
アルコールを摂取したのに目覚めは良かった。夢も見ず熟睡していた。だがカーテンを開けた窓の外はすっかり夕方になっていた。僕は医務室を出るとジララ様の部屋を訪ねた。重い扉を開けて名乗ると左手で敬礼をした。ジララ様はワイングラスで赤ワインを嗜んでいた。
「先程はありがとうございました」
ジララ様はテーブルにグラスを置いた。そしてまっすぐに僕を見た。
「体調はどうだ」
「すっかりよくなりました。……どうしてジララ様が僕の看病を……?」
ジララ様は黒い壁に掛けられたカレンダーを指差す。僕はカレンダーに目を遣った。
「医官も休暇だ」
ジララ様はグラスに手をかけてワインを一口飲んだ。
「偶然お前がビルの横でうずくまっていたのを見かけてな。ここまで連れてきた」
「……え、ジララ様が、ですか?」
僕は驚いて声が裏返った。
「体調不良で外出などするな」
「も、申し訳ありません……」
僕はジララ様に抱えられている自分を想像した。恥ずかしくて申し訳なくて居たたまれなくなった。
「今度の休暇はここに来い。美味いワインがある」
ジララ様はそう言ってグラスを傾けた。医務室で口にしたワインもジララ様のお気に入りだったのかもしれない。
「……ありがとうございます」
僕は礼を言ってジララ様の部屋を出ようとした。だがジララ様に引き留められ、革張りのソファに腰掛けた。座り心地はいいのだろうが、緊張のあまり少し腰を浮かせていた。ジララ様は僕の隣に座るとぽつりと呟いた。
「ゼロロは頑張っている」
僕はジララ様を見た。
「焦るな。心配するな。俺はお前をよく見ている」
僕はその言葉に鼻の奥が熱くなった。そしてジララ様は軍帽越しに僕の頭を撫でた。金属の手とは思えないほど優しい手つきだった。僕はその晩ジララ様の部屋で眠りについた。頭を撫でる手がお母様を思い出させたのか妙に安心した。ジララ様の肩にもたれるように眠りについていたのだと気が付いたのは翌朝になってからだった。見慣れない景色に驚いて部屋を見回すとジララ様が「起きたか」と声をかけた。声の方を見るとジララ様は僕の隣に座っていた。僕が状況を飲み込めないでいるとジララ様は「よく眠れたか」と僕に続けた。
「は、はい。お陰様で……」
まさかソファに座ったまま一晩寝てしまうとは思っていなかった。僕は恥ずかしさがこみ上げて床を見つめた。
「座ったまま眠るくらい疲れていたのだろう。今日の訓練は休め」
僕は黙って頷いた。
「……では、僕は部屋に戻ります」
ジララ様は僕を見ると口を開いた。
「気が向いたらいつでも来い」
「は、はい。ありがとうございます」
僕は敬礼をするとジララ様の部屋を出て自室に向かった。その間ずっとジララ様に触れられたことを考えていた。僕はそれをなぞるように軍帽に触れる。久々に人の温もりに触れた気がした。こんな温もりを愛しいと思うほど、僕はアサシンに向いていない。街の中でただ一人助けの手を差し伸べてくださったジララ様。あれは偶然なんかではなかったのだろう。僕が外出届を出したときに尋ねられた台詞は、僕の居場所を突き止めるためだったのだろう。僕は溜め息を吐いた。情けないなぁ、そう心の中で呟いて自室のドアを開けた。
四日後。僕は休暇日に外出届を出しに行くとジララ様に行き先を尋ねられた。普段ならそんなことはない。僕は不思議に思いながら街ですと答えるとジララ様はそうか、とだけ言って頷いた。
ずっと求めていた休暇だったが特にやりたいこともなく、僕はふらふらと街を歩いた。周囲の人ががやけに眩しく見えて、それは自分がアサシンになれている証拠なのかもしれないと思った。カレンダーの数字に囚われてなんとなく外出をしてみたもののなんだか気分は晴れない。それどころか疲労のせいか急に足元がふらついて慌ててビルの壁に手をついてその場に屈んだ。行き交う人々の誰も僕に寄り添うことはない。視界にも入っていないのではないか、透明人間にでもなったような気分だった。アサシンとは孤独なものだ……いつかのジララ様の声が聞こえた。目眩が酷く視界が歪む。僕は地面に尻をつく。頭がぐらぐらと揺れた。気持ちが悪い……途切れそうな意識の中僕はただ晴れた空を見つめていた。
目が覚めると僕は兵舎の医務室にいた。白いシーツの上に寝かされ、隣で丸椅子に腰掛けたジララ様が本を読んでいた。
「ジララ様!?」
僕は思わず身を起こしたが寝ていろ、とジララ様に促され再び横になった。
「どうして、ジララ様が……?」
僕はキョロキョロと当たりを見回しながらジララ様の返答を待った。僕は確か、街に行って……。そうだ、そこから意識がない。ジララ様は本を閉じると僕に目を向けた。
「息抜きも大事だが、休息も必要だ」
ジララ様は特に、と続ける。
「ゼロロ、お前のような優しい心を持つ物は神経がすり減りやすいだろう。人一倍休まなければ疲れなど取れない」
「で、ですが……」
僕は言いかけて言葉を噤んだ。言われたとおりだと思った。実際僕は人より柔なところがあると自覚している。生憎鋼のようなメンタルは持ち合わせていない。
「今日はどんな用事で街に出た」
「用事は特になくて……ただ息抜きに」
ジララ様は頷く。
「休息が大事なのは分かっています。ですが、たまには外に出ないと息が詰まってしまいそうで」
ジララ様は黙って僕を見つめていた。まるで品定めをするような目つきだった。
「お前はアサシンになるべきじゃなかったようだな」
「……そんな!」
僕は再び身を起こす。寝ていろと言われたが今度は聞かなかった。その言葉で僕は自分が否定されたような気になった。今までアサシンになるために生きてきて、ようやくここまで来られたというのに。もとより向いていない自覚はあった。それでも好成績を収めている以上、僕は一人前のアサシンに近付いているのだと自負していた。ジララ様は腰を上げると医務室の奥へ姿を消した。そしてしばらくして白いマグカップを持ってきた。それを僕に手渡すと僕はカップの中身を覗き込む。
「ホットワインだ」
ゆらゆら揺れる湯気とフルーティーな香りが漂っていた。
「これを飲んだらしばらく寝ていろ。お前には気分転換より休息が必要だ」
ジララ様はベッドのカーテンを閉めると医務室を後にした。僕はゆっくりワインをすすった。体が温まって気持ちが良かった。そしてジララ様に言われたとおりに眠りについた。
アルコールを摂取したのに目覚めは良かった。夢も見ず熟睡していた。だがカーテンを開けた窓の外はすっかり夕方になっていた。僕は医務室を出るとジララ様の部屋を訪ねた。重い扉を開けて名乗ると左手で敬礼をした。ジララ様はワイングラスで赤ワインを嗜んでいた。
「先程はありがとうございました」
ジララ様はテーブルにグラスを置いた。そしてまっすぐに僕を見た。
「体調はどうだ」
「すっかりよくなりました。……どうしてジララ様が僕の看病を……?」
ジララ様は黒い壁に掛けられたカレンダーを指差す。僕はカレンダーに目を遣った。
「医官も休暇だ」
ジララ様はグラスに手をかけてワインを一口飲んだ。
「偶然お前がビルの横でうずくまっていたのを見かけてな。ここまで連れてきた」
「……え、ジララ様が、ですか?」
僕は驚いて声が裏返った。
「体調不良で外出などするな」
「も、申し訳ありません……」
僕はジララ様に抱えられている自分を想像した。恥ずかしくて申し訳なくて居たたまれなくなった。
「今度の休暇はここに来い。美味いワインがある」
ジララ様はそう言ってグラスを傾けた。医務室で口にしたワインもジララ様のお気に入りだったのかもしれない。
「……ありがとうございます」
僕は礼を言ってジララ様の部屋を出ようとした。だがジララ様に引き留められ、革張りのソファに腰掛けた。座り心地はいいのだろうが、緊張のあまり少し腰を浮かせていた。ジララ様は僕の隣に座るとぽつりと呟いた。
「ゼロロは頑張っている」
僕はジララ様を見た。
「焦るな。心配するな。俺はお前をよく見ている」
僕はその言葉に鼻の奥が熱くなった。そしてジララ様は軍帽越しに僕の頭を撫でた。金属の手とは思えないほど優しい手つきだった。僕はその晩ジララ様の部屋で眠りについた。頭を撫でる手がお母様を思い出させたのか妙に安心した。ジララ様の肩にもたれるように眠りについていたのだと気が付いたのは翌朝になってからだった。見慣れない景色に驚いて部屋を見回すとジララ様が「起きたか」と声をかけた。声の方を見るとジララ様は僕の隣に座っていた。僕が状況を飲み込めないでいるとジララ様は「よく眠れたか」と僕に続けた。
「は、はい。お陰様で……」
まさかソファに座ったまま一晩寝てしまうとは思っていなかった。僕は恥ずかしさがこみ上げて床を見つめた。
「座ったまま眠るくらい疲れていたのだろう。今日の訓練は休め」
僕は黙って頷いた。
「……では、僕は部屋に戻ります」
ジララ様は僕を見ると口を開いた。
「気が向いたらいつでも来い」
「は、はい。ありがとうございます」
僕は敬礼をするとジララ様の部屋を出て自室に向かった。その間ずっとジララ様に触れられたことを考えていた。僕はそれをなぞるように軍帽に触れる。久々に人の温もりに触れた気がした。こんな温もりを愛しいと思うほど、僕はアサシンに向いていない。街の中でただ一人助けの手を差し伸べてくださったジララ様。あれは偶然なんかではなかったのだろう。僕が外出届を出したときに尋ねられた台詞は、僕の居場所を突き止めるためだったのだろう。僕は溜め息を吐いた。情けないなぁ、そう心の中で呟いて自室のドアを開けた。
