長め

 夜の間に降った雪は奥東京を真っ白に染めた。冷え切った空気は雨粒をも凍らせ、ドロロが目を覚ますと世界は雪によって明るく照らされていた。窓の外を見ればそれは美しい白銀の世界。温かい奥東京にこんなにも雪が積もるのは珍しいことだった。人々は珍しい雪に見惚れ、サクサクと積もった雪を踏んだ。ジララもまた例に漏れずその白い雪を踏みながらドロロの住む水車小屋を訪ねた。
 用事は無くともジララは時折水車小屋を訪ねることがあった。その度にドロロはお茶を淹れて、昨日あったこと、今日の天気、道端で見つけた花のことなど様々なことをジララに話すのだった。
 ジララは水車小屋の戸を開け、ドロロの名を呼んだ。中から覗く青い目が嬉しそうにジララを捉えた。
 二人は囲炉裏を囲んで円座に座った。鉤に掛けられた鉄瓶がくつくつと音を立てている。昨日あれだけ雪が降ったのだから外は相当寒かったはずだ。ドロロは口を開く。話題はもちろん雪について。ケロン星では降ることのない冷たく白い雪。ジララはしきりに窓の外から雪を見ていた。しかしドロロにはその目はどこか寂しげに見えた。
 ドロロは思った。もう少し自分を頼って欲しい、と。母星から脱走する前に何かできることはなかったのか、今になってもどうしてもそんなことばかり考えてしまう。ドロロは自分を頼りにジララが地球に来てくれたことが心底嬉しかった。だからこそもっと自分に甘えて欲しいと思った。これだけ寒い季節に、しかもケロン星から遠く離れた地球で一人で居たら凍えてしまうだろう。二人で寄り添って生きていくという選択肢もあるのではないか。それを選んで欲しい気持ちはあれど、長年アサシンとして生きてきたジララにとっては相当難しいだろう。それでも、選んでくれたらどんなに嬉しいか……。ドロロは悶々とそんな自問自答を繰り返した。
 鉄瓶が静かになった。白い湯気が立ち上っているのは沸騰が収まった合図。ドロロは鉄瓶を鉤から外すと湯飲みに二人分のお茶を淹れた。茶器も茶葉もそれなりにこだわっている。淹れ方も本で学んだ。ジララに美味しいと思って欲しいその一心でドロロはお茶を淹れる。ドロロは湯飲みをジララに差し出す。ジララは金属の手でそれを受け取るとじっと湯気を見つめた。ジララでも火傷をするのだな、とドロロはぼんやり思った。ドロロはジララが思っている以上に「生き物」なのだ。火傷も怪我もする。食事を摂るし睡眠をし、排泄もする。そう考えるとあの頃の鬼のような仕打ちも全て許せるような、そんな気がした。ジララはゆっくりと湯飲みを傾けお茶を啜った。
「美味い」
 低く唸るような声にドロロの頬が緩む。自分がしてきたことが無駄ではなかったような気がするのだった。報われたなんて言えば大袈裟かもしれないが、何かから救われたようなそんな気持ちになるのだった。だからこそ今度は自分が彼を……。ドロロは立ち上がるとジララの隣に正座をした。しっかりと体を向けて、手を伸ばす。そして両手でジララの右手を握った。室内に居るというのに氷のように冷たい手。ドロロは予め準備しておいた言葉をゆっくりと紡ぐ。
「寒いときは暖め合い、寂しい時は手を取って……ジララ大尉とそんなふうになれたら、と思うのでござる」
 ドロロは身を乗り出すとジララの頬にそっとキスをした。唇に伝わる金属の冷たささえジララなのだと思うと愛おしく感じられた。本当は言いたいことは沢山あった。だがそんな言葉よりもドロロにはこのキスが全てを伝えてくれると思った。
 ジララはキスを受けてドロロの言葉の意味を考えた。ジララは自分を厳しく律することに慣れすぎている。甘えるというのがどういうことなのか、とうに忘れてしまった。だが今はドロロの言うことに従ってみたい。ジララにはその選択が唯一の救いのように思われた。知らぬ間に胸の奥でドロロを求めていた。
 ジララはドロロの肩に手を置いた。ずしりと重い手は何も語らないが、ドロロにはその思いが伝わった気がした。ジララの手がドロロの頭を撫でる。鋭利な爪先で傷をつけないよう気を配った優しい手つきだった。そんな優しい心を持つ人なのだ。ドロロは改めて思った。ジララはドロロを頼りに地球に来たのだ。今すぐではなくてもいい。少しずつでも心を許してくれたなら。ドロロは照れたように笑うと窓の外の雪を見た。雪が溶けていくように少しずつ心も解けていけばいい。外はよく晴れていた。珍しい雪もあっという間に溶けてしまうだろう。
「……貴殿は優しい」
 ジララは噛み締めるように言った。あの日、彼は同じ台詞を口にした。
「俺はもうアサシンではない」
 だが続く言葉はあの日と違っていた。ジララは何かを考えるように少し間を置いて息を吐いた。
「胸を借りるのも、悪くないな」
 ジララは湯飲みを手にするとお茶を啜った。既に湯飲みから上がる湯気は姿を消していた。
 ドロロの胸の中が温かいもので満たされていく。それはもしかしたらジララも同じかもしれない。ドロロは頷いて口布の中で微笑んだ。
 雪がキラキラと太陽を浴びて溶けていく。こんなに雪が積もっても着実に冬は終わりに近付いている。暦の上では立派な春。随分と日も延びて来た。ニュースでは桜の開花予想を告げている。華々しく変わる世界ももちろん美しいが、今しか見られない雪も二人の思い出にしたい。ドロロは全ての瞬間を噛み締め、胸にしまった。ジララは空になった急須を差し出す。ドロロは頷いて急須を受け取った。
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