長め
拙者が地球に来てから数年が経った。忍野村での修業を経てドロロと名を変えた今もジララ様のことを忘れられずにいる。
滝に打たれながら自問自答したあの日々。ゼロロとして生きてきた今までのことを振り返りながら、様々なことがが頭を駆け巡った。その中に確実に大きな部分を支配してしまうジララ様の存在。ジララ様の教えがあるから今の自分があるのだと、そう思った。だがこの思いを断ち切らなければ次の段階へ進むことはできない。だが今でも薄っすらと思うことがある。自分はまだジララ様が好きなのだと。
小雪殿が拙者の名を呼んだ。出掛けていたはずの小雪殿が帰宅したようだった。
「見てドロロ、夏美さんとおそろいなんだ」
小雪殿の手には腕輪のようなものがあった。ピンク色のビーズは夏美殿の髪の色に似ていた。
「よかったでござるな」
「えへへ」
小雪殿は照れ笑いをして辺りを見渡す。部屋には拙者の他に誰もいない。
「ドロロは修行中だったの?」
「いかにも。精神修行でござるよ」
「あちゃー、邪魔しちゃった」
小雪殿は少し舌を出しごめんねと言った。拙者からしたらそのような邪魔はむしろ微笑ましいものだった。だがこれ以上の邪魔はしないようにと小雪殿は部屋を出ていった。拙者はまた一人になる。目を閉じて修行を再開すればいいのだが、どうも気乗りしない。今日はやけに邪念に囚われていて集中できなかった。こんな姿を見たらジララ様は何とおっしゃるだろう。怠けている、それとも甘えるな、か。目を閉じようが精神を統一することはできず、ばらばらになった心がふわふわと宙に浮いているような感覚だった。拙者は今、ジララ様に支配されている。頭を冷やそうと大きく息を吸い込んだ。肺が膨らんで取り込もうとした酸素が固く感じた。
除隊をすればジララ様への渇望は終わるはずだった。ある日突然ジララ様に呼び出され除隊を告げられて内心ほっとした自分がいた。これでやっとジララ様から逃れられると。だがそれは夢で終わった。除隊後も関係なしにジララ様は拙者の頭を悩ませ続けたのだった。
再び目を閉じればそこにはジララ様の姿が浮かんだ。触れた手の冷たさが蘇って胸が熱くなった。じわじわと心を蝕むジララ様を未だに求めていることを情けなく思いながら、それでも忘れられずにいる。あれ以来一度も会っていないが、まるで昨日のことのように鮮明に姿や声を思い出せた。どんなに修業を重ねてもジララ様への思いを打ち消すことはできなかった。恋い焦がれ続けたあの人を思う日々が地球に来てからも続こうとは予想もしていなかった。
滝行でゆるんだ頭を冷やそうかと思った。だが分かっている、調子の悪い日は何をしようが駄目なのだ。割り切ったほうが早いと長年の経験が物語っている。だから今日は不調に甘んじてジララ様のことを考える。そんな日があっても許されるのではないか。
ジララ様が今の拙者の姿を見たらどう思うのだろうか。あの頃のゼロロは今はもういない。思い出も全て捨ててドロロになったのだ。そこまでの強い意志ですら捨てられなかった、ジララ様という存在。いや、ジララ大尉と言ったほうが相応しいだろうか。ともかく彼の存在が自分に与えた影響の大きさを考えるに今もこれからもきっとジララ様に囚われていく。それだけは確かなことだった。
頭の中でジララ様の声が響いた。あの低い声がすると無意識に身構えてしまう。拙者にとって一番恐ろしい人だった。それは今でも変わらない。もし今ここにジララ様が現れればすぐに剣を抜き取るだろう。あの人は自分を殺しかねない、潜在的にそう思うのだ。赤い目にじっと見つめられたら身動きなど取れなくなる。やがて伸びた蜘蛛の糸に体の自由を奪われてしまう。その時の目はまさに狩る者の目だ。感情の読めない、もとより感情を捨てきったジララ様の前で同情など通用するはずがない。長い金属の指を上へ上げれば蜘蛛の糸は強く締め付けられる。痛みと情けなさを思い出して額に薄っすらと嫌な汗が滲んだ。自分がどうしてこんな人を好きになったのか、それが分からない。最も恐れているはずなのに、最も恋しくてたまらない。相反する感情に自分でも混乱するくらいだった。心の奥底から沸き上がる劣情。自分に嫌気が差して、それでも止められなかった。ジララ様の部屋に乗り込んで自らの思いを伝えたこともあった。全く若かったと思う。否定されることを覚悟の上でそんなことをするなど今となっては想像もつかない。どんなに強い思いであろうが秘め続けなければいけないこともある。だがそこにほんの一ミリでも希望が持てれば。拙者はそちらに全てを賭けてしまったのだろう。結果は勿論無残なものに終わった。あの頃の自分を思うといたたまれない気持ちになる。そこまで突き動かしていたのは若さという活力なのか、それとも目の前にいたジララ様だったのか、今となっては分からない。だが、もし今目の前にジララ様が現れたら拙者はあの頃と同じような行動を取るような気もした。恋の前では人は無力だ。蕩けきった頭では何も考えられなくなる。
拙者は立ち上がり部屋を出た。玄関を開けて外に出ると空は晴れていた。見上げた空のはるか向こうにある母星へ思いを馳せた。もう一度でいいから、ジララ様に会いたいと思った。
「修業終わり?」
ちょうど小雪殿が木々を縫って降りてきた。その姿は先ほどとは違う忍装束に身を包んでいた。
「小雪殿は体術でござったか」
「うん、今日もばっちり」
そう言って猫のように笑う。拙者の心が薄曇りなことは見透かされないように繕った。
「それとね、山菜採ってきたんだよぉ」
小雪殿の手には沢山の山菜があった。山で見つけたのだろう。
「……ねぇドロロ、何か悩んでる?」
小雪殿が屈んで拙者の顔を覗き込んだ。隠していたつもりが小雪殿には見破られるとは。
「そんなことないでござるよ」
「うーん、忍びの勘がこう、ビンビン来るの」
いくら小雪殿とはいえ本当のことなど話せるわけがない。拙者は隠し通すと決めた。脳裏に浮かぶのはジララ様の姿。
「気のせいでござろう」
感情を読まれているようではまだまだ甘いな、ゼロロ……。そんな声が聞こえた。拙者はゼロロではなく、ドロロだ。ジララ様はドロロになった拙者を知らない。
「そうかなぁ」
「そうでござるよ。さぁさぁ、昼食の支度でござるよ」
小雪殿の背中を押して家へ進める。小雪殿は何も知らなくていい。知ったところで困らせるだけだ。ふと先程の小雪殿の笑顔を思い出した。夏美さんとおそろいと笑うあの顔は恋をしている者の顔だった。嬉しくて心が満たされて湧き出るような笑顔だった。自分もジララ様の前であのような顔をしていたのだろうか。嬉々として罰を受けていたのなら打たれても当然だ。
「お浸しとお味噌汁どっちがいい?」
「小雪殿の好きな方でいいでござるよ」
戦場では浮ついた心が命取りになる。恋という罪に囚われ続けて幾星霜。解けることのない魔法のような甘さが拙者を支配し続けている。
滝に打たれながら自問自答したあの日々。ゼロロとして生きてきた今までのことを振り返りながら、様々なことがが頭を駆け巡った。その中に確実に大きな部分を支配してしまうジララ様の存在。ジララ様の教えがあるから今の自分があるのだと、そう思った。だがこの思いを断ち切らなければ次の段階へ進むことはできない。だが今でも薄っすらと思うことがある。自分はまだジララ様が好きなのだと。
小雪殿が拙者の名を呼んだ。出掛けていたはずの小雪殿が帰宅したようだった。
「見てドロロ、夏美さんとおそろいなんだ」
小雪殿の手には腕輪のようなものがあった。ピンク色のビーズは夏美殿の髪の色に似ていた。
「よかったでござるな」
「えへへ」
小雪殿は照れ笑いをして辺りを見渡す。部屋には拙者の他に誰もいない。
「ドロロは修行中だったの?」
「いかにも。精神修行でござるよ」
「あちゃー、邪魔しちゃった」
小雪殿は少し舌を出しごめんねと言った。拙者からしたらそのような邪魔はむしろ微笑ましいものだった。だがこれ以上の邪魔はしないようにと小雪殿は部屋を出ていった。拙者はまた一人になる。目を閉じて修行を再開すればいいのだが、どうも気乗りしない。今日はやけに邪念に囚われていて集中できなかった。こんな姿を見たらジララ様は何とおっしゃるだろう。怠けている、それとも甘えるな、か。目を閉じようが精神を統一することはできず、ばらばらになった心がふわふわと宙に浮いているような感覚だった。拙者は今、ジララ様に支配されている。頭を冷やそうと大きく息を吸い込んだ。肺が膨らんで取り込もうとした酸素が固く感じた。
除隊をすればジララ様への渇望は終わるはずだった。ある日突然ジララ様に呼び出され除隊を告げられて内心ほっとした自分がいた。これでやっとジララ様から逃れられると。だがそれは夢で終わった。除隊後も関係なしにジララ様は拙者の頭を悩ませ続けたのだった。
再び目を閉じればそこにはジララ様の姿が浮かんだ。触れた手の冷たさが蘇って胸が熱くなった。じわじわと心を蝕むジララ様を未だに求めていることを情けなく思いながら、それでも忘れられずにいる。あれ以来一度も会っていないが、まるで昨日のことのように鮮明に姿や声を思い出せた。どんなに修業を重ねてもジララ様への思いを打ち消すことはできなかった。恋い焦がれ続けたあの人を思う日々が地球に来てからも続こうとは予想もしていなかった。
滝行でゆるんだ頭を冷やそうかと思った。だが分かっている、調子の悪い日は何をしようが駄目なのだ。割り切ったほうが早いと長年の経験が物語っている。だから今日は不調に甘んじてジララ様のことを考える。そんな日があっても許されるのではないか。
ジララ様が今の拙者の姿を見たらどう思うのだろうか。あの頃のゼロロは今はもういない。思い出も全て捨ててドロロになったのだ。そこまでの強い意志ですら捨てられなかった、ジララ様という存在。いや、ジララ大尉と言ったほうが相応しいだろうか。ともかく彼の存在が自分に与えた影響の大きさを考えるに今もこれからもきっとジララ様に囚われていく。それだけは確かなことだった。
頭の中でジララ様の声が響いた。あの低い声がすると無意識に身構えてしまう。拙者にとって一番恐ろしい人だった。それは今でも変わらない。もし今ここにジララ様が現れればすぐに剣を抜き取るだろう。あの人は自分を殺しかねない、潜在的にそう思うのだ。赤い目にじっと見つめられたら身動きなど取れなくなる。やがて伸びた蜘蛛の糸に体の自由を奪われてしまう。その時の目はまさに狩る者の目だ。感情の読めない、もとより感情を捨てきったジララ様の前で同情など通用するはずがない。長い金属の指を上へ上げれば蜘蛛の糸は強く締め付けられる。痛みと情けなさを思い出して額に薄っすらと嫌な汗が滲んだ。自分がどうしてこんな人を好きになったのか、それが分からない。最も恐れているはずなのに、最も恋しくてたまらない。相反する感情に自分でも混乱するくらいだった。心の奥底から沸き上がる劣情。自分に嫌気が差して、それでも止められなかった。ジララ様の部屋に乗り込んで自らの思いを伝えたこともあった。全く若かったと思う。否定されることを覚悟の上でそんなことをするなど今となっては想像もつかない。どんなに強い思いであろうが秘め続けなければいけないこともある。だがそこにほんの一ミリでも希望が持てれば。拙者はそちらに全てを賭けてしまったのだろう。結果は勿論無残なものに終わった。あの頃の自分を思うといたたまれない気持ちになる。そこまで突き動かしていたのは若さという活力なのか、それとも目の前にいたジララ様だったのか、今となっては分からない。だが、もし今目の前にジララ様が現れたら拙者はあの頃と同じような行動を取るような気もした。恋の前では人は無力だ。蕩けきった頭では何も考えられなくなる。
拙者は立ち上がり部屋を出た。玄関を開けて外に出ると空は晴れていた。見上げた空のはるか向こうにある母星へ思いを馳せた。もう一度でいいから、ジララ様に会いたいと思った。
「修業終わり?」
ちょうど小雪殿が木々を縫って降りてきた。その姿は先ほどとは違う忍装束に身を包んでいた。
「小雪殿は体術でござったか」
「うん、今日もばっちり」
そう言って猫のように笑う。拙者の心が薄曇りなことは見透かされないように繕った。
「それとね、山菜採ってきたんだよぉ」
小雪殿の手には沢山の山菜があった。山で見つけたのだろう。
「……ねぇドロロ、何か悩んでる?」
小雪殿が屈んで拙者の顔を覗き込んだ。隠していたつもりが小雪殿には見破られるとは。
「そんなことないでござるよ」
「うーん、忍びの勘がこう、ビンビン来るの」
いくら小雪殿とはいえ本当のことなど話せるわけがない。拙者は隠し通すと決めた。脳裏に浮かぶのはジララ様の姿。
「気のせいでござろう」
感情を読まれているようではまだまだ甘いな、ゼロロ……。そんな声が聞こえた。拙者はゼロロではなく、ドロロだ。ジララ様はドロロになった拙者を知らない。
「そうかなぁ」
「そうでござるよ。さぁさぁ、昼食の支度でござるよ」
小雪殿の背中を押して家へ進める。小雪殿は何も知らなくていい。知ったところで困らせるだけだ。ふと先程の小雪殿の笑顔を思い出した。夏美さんとおそろいと笑うあの顔は恋をしている者の顔だった。嬉しくて心が満たされて湧き出るような笑顔だった。自分もジララ様の前であのような顔をしていたのだろうか。嬉々として罰を受けていたのなら打たれても当然だ。
「お浸しとお味噌汁どっちがいい?」
「小雪殿の好きな方でいいでござるよ」
戦場では浮ついた心が命取りになる。恋という罪に囚われ続けて幾星霜。解けることのない魔法のような甘さが拙者を支配し続けている。
