ジラゼロ

 ゼロロには、日に日に自分が壊れて行くのが手に取るように分かった。最初は少しの頭痛、腹痛。それが日を追うごとに重くなっていった。気が付けば悲しくもないのに涙が出てくる。止まらない涙に自分でも驚くのだった。最早今嬉しいのか辛いのか、それすらもよく分からない。正常な思考ではないことは分かってはいたが、だからといってどうということもなく、むしろアサシンにとっては心などないほうが都合が良かった。頬を濡らす涙に空っぽの心を思う。そのちぐはぐさが可笑しく、ゼロロは貶すように笑おうとしてみたが上手く笑うことができなかった。
 ゼロロはただ、心を捨てることを願った。楽になりたいその一心で心を無にするため訓練に励んだ。それでも任務が終わるととてつもない罪悪感と絶望感に苛まれる。悪夢で夜中に目が覚める。びっしょりとかいた脂汗が目に染みて涙が出る。アサシンって、なんだっけ。真っ白な頭は上手く働かない。狭い兵舎に閉じ込められてゼロロは段々とゼロロではなくなっていった。
 それは突然だった。ゼロロのルームメイトがゼロロを背負って医務室にやってきた。突然倒れたのだというゼロロは血の気の引いた顔で白いベッドに寝かされた。軽い微熱。医師によればただの過労だろうとのことだった。ゼロロはその日訓練を休んだ。そしてただ天井を見上げて一日を過ごした。
 その日の夕方、ジララはゼロロを訪ねた。ベッドに備え付けられたカーテンを開けるとゼロロを見下ろす。ゼロロは慌てて体を起こそうとしたがジララによって止められた。
「体調不良か」
 ジララはゼロロに問う。ゼロロは少し頭を傾けて考えた。体調不良の疲労というよりもストレスかもしれない、そんなことを思いながらゆっくりと頷いた。
「倒れる前に異変に気付け」
 静かな部屋にジララの声が低く響く。
「すみません……」
 ゼロロは小さく謝る。だがゼロロの謝罪をジララは受け入れなかった。
「何故怒られているのか分かっているか?」
 ゼロロはすぐにその言葉を理解できずジララの顔をじっと見つめた。そして少しずつ言葉を紡いでいった。
「僕が、倒れたから……ですか? 訓練も休んでしまって、これではアサシンとして」
「違う」
 ジララはゼロロの言葉を遮った。
「まるで分かっていない」
 ジララは吐き捨てるように言った。ゼロロはその語気に震えて何も言えなくなった。ジララはゆっくりと息を吸う。
「自惚れるな。無理をすることを美徳だと思うな」
 その言葉の圧にゼロロは圧倒された。そして初めてゼロロは自分が怒られている理由が分かった。ゼロロはずっと一人で抱え込むことを良しとしてきた。周りに迷惑を掛けないよう、不調に気付いていながらも見ない振りをしてやってきた。その結果がこれだ。
「いつまで経っても半人前だ」
 ジララはそれだけ言うとカーテンを閉めて医務室を出て行った。自分を守るための嘘が、いつしか自分を苦しめていたことに気が付いた。人を頼ることを恐れていた。それこそ半人前のような気がして全て一人で背負ってきた。だが。抱え込んできた様々なものが全てゼロロには不必要なものに思えた。頬を滑り落ちる涙はいつも違って温かい。感情が宿った涙にゼロロは驚いた。そして思った。
(やっぱり僕は、心を捨てられない)
 涙を拭いながら自分の限界を知った。アサシンに向いてない。分かり切っていたことだった。繊細で傷付きやすく、誰よりも優しい彼がアサシンになれたこと自体が奇跡のようなものだった。心を隠さなければここではやっていけない。今も心があることを必死に隠して表面上だけ取り繕う。どこにも居場所はない。誰かの助けが恋しくてただただ届かない天井を眺めた。
 翌日、ゼロロはジララの部屋を訪ねた。すっかり熱も引き体調も戻っていた。
「昨日はありがとうございました」
 背筋を伸ばして敬礼をする。ジララは黙って頷いた。
「早く一人前になれるよう訓練に励みます」
 ゼロロの言葉にジララは感心したように何度も頷いた。そして義手の右手を伸ばすとあろうことか、ゼロロの頭を撫でた。その瞬間、ゼロロの心には知らない感情が生まれてしまった。まっさらなキャンパスが極彩色で塗りつぶされ、淀み揺れた。この苦しみは一人で抱え込まなければいけない。決してジララに知られてはいけない。そんな新たな苦しみがゼロロを襲った。下がった熱がぶり返して、ゼロロは再びそれを隠すしか方法がなかった。自分を守るには嘘をつくのが一番楽だったのだ。
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