ジラゼロ

 その任務はゼロロにとって過酷なものだった。まだアサシンになって日の浅い二等兵。白い軍帽はまだ血に濡れたことはない。師であるジララが実際の任務に同行するのは非常に珍しいことであり、周囲からは密かにジララの気に入りなどと噂が立っていた。
 ジララにとってゼロロは他の部下とは違う存在だった。ケロン軍のアサシンともなればアサシンになるべくしてなったような者ばかりが集う。だがゼロロは違う。まるで場違いのように、一輪の花のように佇むその姿は枯らすまいと守りたくなる、そんな存在だった。これから汚れていくゼロロを見るのが苦しい。ジララがそんな気持ちを抱いたのは部隊を設立して初めてのことだった。ただゼロロは健気に訓練に励む。その真っ直ぐさがアサシンに向いていないのだと喉元まで出かかった言葉を何度も飲み込んだ。
 特殊技術でオーダーした腕輪はまだ馴染まない。ゼロロの左腕にシルバーがきらりと光る。毒牙もワイヤーも思いのまま。だが、彼にそれができるか。
「これから行うことは訓練ではない」
 ゼロロに叩き込んだ言葉がジララの頭を反芻する。その時背後に気配を感じ二人は同時に振り返った。ゼロロは咄嗟に毒牙を射出した。だが素早い影には掠りもしない。ジララはなるべく手を出さないようゼロロの行動を待った。ゼロロは動揺しているのか、影を上手く捉えられない。もたもたしていると命取りだ、ジララはそう言いかけて指先から蜘蛛の糸を出そうと手を上げた。その瞬間ゼロロの腕を鋭い刃が掠めた。皮膚を切って赤い血が滲む。ジララはその様子に即座に判断した。
「撤退する」
 ジララはゼロロの体を抱えると影から遠ざかるように森の奥へと消えた。
 幸い毒は盛られていなかった。ただの切り傷程度なら訓練でもよく作る。だが撤退の理由は傷よりもゼロロの行動にあった。動き、判断の鈍さ。訓練では出来ることが実践では出来ない。いざ敵を目の前にして体が硬直していた。もし同行者がいなかったら、ジララはそんなことを考えていた。ジララは羽織っていたマントの裾を引きちぎる。ビリビリと音を立てて細くちぎれた布をゼロロの腕に巻き付けた。
「あ……」
 ゼロロは何かを言いかけて口をつぐんだ。おおよそ見当はつく。だが既にボロボロのマントをちぎったところで、ジララにとっては何も変わらない。ジララが黙って止血をするのをゼロロは眺めていた。そして長い沈黙を破り、絞り出すような声でゼロロは言った。
「すみません、でした……」
 ジララは何も言わなかった。すみませんの意味が分からなかった。自分の無力さなのか、マントのことなのか。恐らく複雑に絡み合った全てから発せられたものなのだろうとジララは推測した。ゼロロは静かに涙を溢した。青い目からぼろぼろと落ちる大粒の涙はゼロロが今まで抱えてきた様々なものが落ちていくようだった。ジララはゆっくりと息を吸う。そして重たい曇り空を見上げた。ゼロロをアサシンに染めたくない。そうはっきりと思った。綺麗な涙が濁る前にここから離してしまいたい。そしてどこか遠いところで穏やかに生きるべきだ……。顔を下ろすとマントに目が入った。ちぎれた裾。こうして少しずつすり減らしていく、何か。ゼロロは変わってしまうのだろう。立派なアサシンになってジララからも巣立って行く。喜ばしいことなのに、手放しで喜べないのは結局ジララの中にある優しさのせいなのだろうか。ジララはそっと手を伸ばすとゼロロの頭に置いた。真っ白な軍帽が赤く染まる頃、左手の腕輪もいつの間にかゼロロによく馴染んでいた。
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