お誕生日シリーズ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
紅い花が咲き乱れる河原で石を積んで居た。訳も解らず、沢山。ひたすらに。積んだ石は崩されて、でも、また、積む。何故かは解らないけど、積まなくちゃいけない。何処まで積めば良いのか、何時まで積まなくちゃいけないのか、此処が何処なのか、如何して此処に居るのか、一切解らなかった。
「なあ、其れ、楽しい?」
ふと、顔を上げたら、真っ白なお兄さんが立って居た。右に居る子も左に居る子も、まるで、声が聞こえていないみたいに一心不乱に石を積んでいる。話し掛けられているのかもしれないと思って「たのしくない……」と答えたら、酷く驚いた顔をされたのを覚えている。此れが『とむら』との始まりの記憶。
彼と過ごす様になって、両手両足の指では足らない四季が巡った。相変わらず、わたしがわたしに就いて判る事は、お母さんと逸れた事だけ。彼は「その内、逢える」と言うけれど、恐らく、気休めなのだ。わたしが幾ら幼くとも、其れが嘘である事位は早々に見抜けたので、口を噤んだ。お母さんは此の世には居ない。だから、わたしはあんな寂しい場所に独りで居た。そんな不確かな確信が有った。決して、彼にわたしを騙そう等という魂胆は無い。寧ろ、其の逆。
彼は、優しかった。あの寂寥の河原からわたしを連れ出して、欲しがる物を欲しい儘に与えて呉れた。住処を与えて呉れて、服を与えて呉れて、食べる物を与えて呉れて……紅まで、贈って呉れた。里に下りた際に店屋の軒先に並んでいた、小さな貝殻に意匠を凝らした代物。目に留まって暫く眺めていたら、何も訊かずに「ほら」とだけ言って、手に握らせて呉れた。唇に塗っても良いし、頬に塗っても構わ無い。
手鏡を片手に血色の欠片も無い唇に筆を走らせると、其処にだけ鮮烈な生が宿る。写り込むのは、幾年経っても同じ姿のわたし。大人びた真似をしてみた処で、大人には成り得ない。薄々、気付いては居る。
まるで、あの河原の様だ。色を喪った空に水底の覗けない大河。其処ら中に生えている奇妙な風体の紅い花。あの花は毒々しくて、わたしの好みとは掛け離れている。彼に伴われて森で摘んだ、柔らかな色味の花の方がどんなに心が安らぐ事か。親指と人差し指で抓む様にして摘むのが面白可笑しくて、擬えていたら、存外と難しかった。其の内に「止めろ」と唇を尖らせてしまった。其れも勘定に入れてだ。掛け替えの無い、わたしと彼との記憶。隣に並んで低い位置まで下がった其の唇にわたしの紅を口移しすると、「表では、止めろ」と再び叱られた。わたしより未だ血の気が感じられる、然し乍ら、里の人間と比べるべくも無く蒼白な頬が染まるのはもっと面白かった。可笑しかった。
「……家に居る時だけ、な」
そうして、わたしの頬を包む手の指は四本。あからさまに一本だけは触れるのを拒むかの様に立てられているのだ。常時。訊けば、唯の癖だと言うので、腑に落ち無い違和感に気付かぬ存ぜぬで納得を示す事にした。
彼は何時も、何処かへ出掛ける。何分、昔の事で何時からだったかは忘れたけれど、わたしが留守番をこなせる歳になってからだったと思う。今年で幾つになったんだろう……彼が覚えてくれている筈なので、態々、憶えていない。彼に言わせれば、わたしは大きくなったらしい。外見ではなく、中身の事だそうだ。確かに、頭の内側には彼の傍で得た知識が何とはなく詰まっているし、心の奥側には彼の傍に在った思い出がびっしりと詰まっている。
今日も彼は日が高くなった頃合を見て、ふらりと家を出て行った。「表で何を喚こうが、戸を開けるなよ」と同じ科白を残して。わたしは頷いて、引き戸の隙間からそっと日課である彼の見送りをした。
刻一刻と過ぎ去って、本を読むには辺りが薄暗くなって来た。そろそろ、彼が帰って来る。静寂の中でひっそりと待ち侘びて居たら……何者かの話し声が聞こえた気がした。こんな事は初めてだ。彼とわたしは深い森の其のまた奥の奥に居を構えている。此れまでに、一度だって訪れる者は居なかった。わたしには言わずもがな、彼だけで在るし、彼にもわたしだけとの事だった。で、有るならば。見ず知らずの他人。決して、客人等では無い。
覗き込んだりして覗き返されたら恐ろしいので、引き戸を閉め切った儘にしてそっと耳をそばだてる。ぴたりと付ける。瞬間、粗暴な振動と木を打つ乾いた音が伝わって来て、慌てて飛び退く。居留守を使って遣り過ごそう。息を潜めて居れば諦めて居なくなるに違いない。然し、追い返して良い者だろうか。若しも、戸の前に立つのが唯の人間で在ったならば……死んで終いやしないだろうか。専ら、里へは抜け道を使う。そうでもしないと、出る事が叶わないからだ。静謐を形作る木々は容赦が無い。鬱蒼と茂り、行く道も来た道をも塞ぐ。
「助けて下さい」と切迫詰まった声がする。間もなく、夜の帳が下りる。下りてしまえば、益々に野垂れ死ぬしか無くなる。森の深さに加えて、此処には触れてはなら無い『何方か』が御座すのだと、人々は畏怖する。里に通えば、自然と耳に入って来る怪談。若しくは、奇譚。
わたしには彼が付いているから安心だけれど、此の……多分、『人』は不安なんじゃないだろうか。禁域に迷い込んだりして、心細かったりするんじゃないだろうか。逡巡した後、戸を開ける事に決める。もう直ぐ、彼が帰って来る。其れ迄、程々に話に耳を傾けて、後の事は彼に任せよう。
おっかな吃驚、手を掛けて、ゆっくりと——隙間から催促するかの如く、此方に向かって伸びて来る手が、三個四個五個六個七個八個——!!
必死に戸を締め様と試みるも、多勢に無勢。わたしの有って無い様な腕力では押し留める事が出来無い。
独りじゃなかった! 見た処、背丈の高い人間らしき男が四人も!
為す術も無く、這々の体で土間の隅へと逃げるわたしを追って、無遠慮そのもので雪崩れ込んで来る。どう考えたとて、客人の態度には程遠い。
「何だ、餓鬼が一人か」「この際、何だって構いやしねぇ」「取り敢えず、野宿は免れた」「御相伴に与るとするか」……せせら笑い。続く会話の内容も、余り気持ちの良い物では無い。縮こまりながら、注意深く様子を窺う。矢張り、頭に角も無ければ、背に羽も無い。だからと言って、安心して良い訳が無い。此の生き物達はわたしに危害を加える積もりだ。童女のわたしが意味を解する筈が無いと踏んで、目の前で拐かした後の算段を立てて居る。薄汚い。
可哀想だなんて、想像力を働かせるのでは無かった。彼の言い付けを破るんじゃ無かった。後悔した処で、後の祭り。下手を打てば今宵の宴の慰み者にされ兼ね無い。こんな、女と自称するには余りにも……早計ね。全く持って気の早い事。趣味が悪いにも程度と言うのが有るんじゃないの。
「お嬢ちゃん、一人かい?」
猫撫で声で伸ばされる手を無言で払い退ける。不快だ、不快極まる。彼以外の手がこんなにも不快だとは思いも寄らなかった。何故か愕然となる男に代わって、別の男が肩に掴み掛かって来る。思わず、悲鳴を上げる。わたしの甲高い悲鳴に、眼前の男たちの野太い悲鳴が重なる。其の背後へと視線を走らせる。
「……でていって! きえて!!」
怯えたいのはわたしで有る筈なのに、忽ち顔面蒼白となった後、耳を両手で塞いで「気が狂う!」「死にたくねぇ!」と発して一目散。我先にと駆け出す。後に続く二人も口々に「人間じゃねぇ!」「化け物!」と叫びながら出て行った。あんまりな言い草だ。
そんなにも、わたしの掌や肩には『体温』が無かったのかしら。其処迄、わたしの声は『人』とは違っていたのかしら。
此処へ来て初めて感じた恐怖に、身体が遅れて戦慄く。危うく、彼と今生の別れと相成ってしまう処だった。嫌だ、嫌だ。彼の傍に居られなければ、わたしが無くなってしまう、其れこそ、亡くなってしまう。……もう、疾っくに死んで居るのだろうけれど。
「如何した? そんな床に座り込んで」
「とむら……」
ふわりと視界に白が映り込む。闇の気配と共に開け放たれた戸口から堂々と戻って来る、彼。こうしてまた、顔を見られた事に安堵する。紅い瞳が沸々と煮え滾っているのを見て、察する。不必要に勘が働く。悍ましい程に歪んだ口元に浮かぶ、身の毛も弥立つ酷薄な笑み。……そう言えば、『人』と口を利いてはならない約束だった。「なぜ?」「妬くから」と言う遣り取りを何遍か繰り返した。其の理由を、ようやっと解した。
わたし、知ってる。
亡者の囁きは生者を壊すのだって。精神を蝕むのだって。
あの男達は見るだけでは判らなかったのだ。無理も無い。当のわたし自身も長年に渡って自覚が無かったのだから。恐らく、幽霊より質の悪い存在である処の——亡霊で在るのだと思う、わたしは。
「だれか……あわなかった……?」
「いや? 誰も、何も、無かった。だから、お前と俺だけ。何時もそうだろう? 今日だって、同じ事だ」
わたしに安心を与えるべく抱き上げると、本当に何事も無かったかの様に未だ憤懣遣る方無い瞳の色だけを其の儘に、普段と変わらぬ形へと幽かな笑みが作り直される。とむらは、とても優しい。
落っこちて来そうな丸々とした満月の夜。散歩ついでに開けた野っ原まで足を延ばして、二人で天を見上げる。
「月が、綺麗だな」
飽きる程に見た曼珠沙華より、よっぽど増しな紅い月。でも——
「とむらのひとみのほうが、もっときれい」
同じ色と定義するなら、紅の中でもこの紅が良い。わたしが今迄に目にした中で最も綺麗な、紅。猩々緋も悪くは無いけれど、とむら色が一番。
「そんな風に言うの、お前だけだろうなあ。此れから先も、ずっと……いや、今の取り消し。ずっとじゃなくて、良い」
「わたしは、いや。ずっとがいい」
「駄目だ。お前はさ……」
言い澱む、とむら。わたしがわたしについて何者で在るのか認識してから、干支が順繰りと巡って穏やかに長い月日が流れて……わたしは或る一つの仮説に辿り着いた。とむらが、足繁く里へと通っていた目的。わたしを置いて行く日と連れて行く日に分かれていた理由。
『弔』は探している。
何を? 其れは勿論——
「弔、もう、捜さないで。見付から無くたって、私は構わ無いの」
「……何の話してるんだよ」
「私の話。捜してくれたのでしょう? 私を。私の——」
わたしの、ちいさな、あどけないままの……
「骸」
私の、亡き骸であって、抜け殻。
「なあんだ、バレてたか。でも結構、保った方だろ? お前、成仏とか興味有るか?」
「無いよ。微塵も」
お母さんにもう一度逢えればと浅はかに夢見ていたものの、余りに時間が経ち過ぎて、残念ながら顔ももう憶えてない。其れに、割合に満足だ。あの河原にわたしが居たという事はそういう事。少なくとも、お母さんは私よりも長生きして呉れたという事。だったら、あの世に未練なんぞ無い。弔の居る、此処に留まる。
「なら、良かった。嗚呼は言ったけど。元から、そうさせてやる積もり何て毛頭無かったんだ」
俺が探してたのは、卑小な奴ら如きに好き勝手お前を供養されんのが堪らないから。別にお前をあの世に送ってやろうだなんて、そんな人間みたいな感情、持ち合わせちゃいない。だって、俺は『人で無し』だから。
……死んで居て、良かった。人で亡くなって良かった。こんな形で無ければ、悠久を体現する彼と共に在る事は不可能だった。弔は、死なない。弔は、此方側では無く、あちら側。弔う側。
「本当はさあ。疾に見付けて在るんだ、お前の身体」
「月が綺麗」と言われるより、遥か、気が遠くなる位には素敵な口説き文句。
道理で。とんと一人で出なくなったと思ったら。
「私、弔と一緒に居るよ。弔が此処に居る限り、永遠に」
本体を供養される事の他にも、一つ。亡霊が成仏してしまう条件が有るらしい。
其れは、目的を果たした時。
現在の私の願いは弔が死ぬまで傍で存分に死を謳歌する事。死んでも叶う事が無い。
だって、弔は在り続ける。人で無いから、何時までも死ぬ事が無い。均衡を保つ為に魂を崩壊させる事は有っても、自らが消える事は許されて無い。
「俺の目玉なんかより、お前の紅の方が、よっぽどだ」
「頬には紅は差して無いよ。唇だけだよ」
冷え冷えとした頬に添えられていた四本指が冷たい唇を撫ぜる。死よりも凄絶な無が宿る白い指が、私の纏う紅に染む……。
此の夜を境に、私は息をして居る振りをするのをぴたりと止めた。幼子の振りをするのも、お終いにした。亡くなった身体で受け入れる弔はとても奇妙な感覚だった。これじゃあ、生きて居るのか死んで居るのか……無論、死んで居るのだけれど。嗚呼、巫山戯合う度に愛おしさが募る。私の幸せな、
2023.04.09(再掲)