nckh
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「名前ちゃん! 大丈夫……?」
緑谷くん、本当に緑谷くんだ。
普段よりずっと高い位置にある緑谷くんの顔を茫然としながら、見上げる。
目線がゆっくり下がってきて、私と同じところまで来る。緑谷くんが屈んで背丈が小さくなった私に合わせてくれる。
でも、緑谷くん、なんでここに居るんだろう。
今日から出張だって言って、朝、部屋を出て行ったのに。
「わたし……」
高くなった声に戸惑いながら、言葉を選ぶ。
「君のこと、心配でどうしようもなくって……戻って来ちゃったんだ」
……だったら。だったら、私は、こう言う。
「わからない……」
って、緑谷くんに言う。緑谷くんのこと、忘れちゃった振りをする。
「そっかあ。うん、心配しないで。何も心配要らないよ」
子どもをあやすみたいに、実際、今の私は子どもそのものなんだけど……緑谷くんが優しく抱き締めてくれて、丁寧に背中を撫でてくれる。
追い詰めた
ああ、良かった。また、緑谷くんの顔が見られて。
安心したら、涙が出てくる。
「大丈夫、大丈夫だから。怖くないよ。僕が一緒に居るからね」
壊理ちゃんもこんな気持ちだったのかもしれない。あったかい気持ち。
どんな不安も拭い去ってくれる、緑谷くんの穏やかな声。朗らかな笑顔。
私が泣きやんだ頃合いを見計らって、緑谷くんがやんわりと手を引いてくれる。
部屋までの帰り道、絶え間なく声を掛けてくれた。
緑谷くんを騙している罪悪感はあったけど、それで緑谷くんが私を気に掛けて一緒に居てくれるんだったら、言い出すことなんてできない。
本当は記憶もはっきりしているし、
だから、心配する必要もない。心配される必要なんかはもっとない。同業者だったら、尚のこと。
ただの、私の、我儘。
普段、言えない分、ここで全部吐き出しちゃおうっていう迷惑極まりなさ。
私は、世のため人のため、自身を顧みずに忙しなく飛び回る緑谷くんのことが大好きだ。そんなひたむきな緑谷くんに学生時代に恋して、大人になってもずっと愛してる。
寂しいから側に居て……なんて甘えたこと、同じヒーローとして口にすることは絶対に許されない。
「どこか、行きたいところある? 食べたい物とかは?」
「ない……」
ヒーローコスを脱いで、普段着に着替えた緑谷くん。
ヒーローとして活動してる時にはあんなに凛々しいのに、Tシャツ姿の彼はこんなに可愛らしい。
でも、そのお気に入りらしきTシャツ、前々からちょっぴりダサいと思ってたから、一緒に買いに行きたい気分。
「……外、行きたい」
「どこに行こうか? 君の好きなところに行こうか」
「わたしの行きたいところ……」
緑谷くんと白昼堂々とデート。
いつ振りだったかな、日がまだ高いうちにデートするの。
夜中にくたくたになってファミレスに寄ったりとか、そうする気力すらなくてコンビニに寄ったりだとか、そんなのばっかり。
でも、不満に思ったことはない。無事だったことを確認して、緑谷くんと同じベッドで眠れるんだから。
その分、それすら許されない日が続くとしんどくなってくる。私は元々、メンタルが強い方じゃない。本来だったら、ヒーローになれる器じゃない。
痛いのも嫌い、血を見るのも嫌い、自分以外の生死なんて背負える柄じゃない。
それでも、ヒーローになれたのは、緑谷くんが側で支えてくれたから。
流行りの洋服店で緑谷くんにちゃんと似合うTシャツを購入して即着替えてもらって、遊園地に行ってメリーゴーランドとコーヒーカップと観覧車っていう恥ずかしい乗り物三連チャンを決めてからクレープを頬張って、安価なファミレスとはひと味違うお洒落なカフェで折角だから今しか食べられないお子様プレートを注文した。贅の限りを尽くした。
ここまでしたら、さすがにバレるんじゃないかと思う。
何度も緑谷くんの顔色を窺ったけど、終始、笑顔だった。
「他には? やりたいことはない?」
「あのね……」
あまりの甘やかされっぷりに、良心の呵責に耐えられない。限界。
帰ってきてからも緑谷くんは片時も私から離れず、一緒にゆったりとした時間を過ごしてくれている。
「緑谷くん、正直言うとね。私、中身はそのまんまなんだ……」
「うん。わかってたよ、名前ちゃん」
「やっぱり……どこでわかったの?」
「最初から。名前ちゃん、わたしって言ってたよね。でも、前に君に小さい頃のホームビデオを見せてもらった時、自分の名前で呼んでたから。そうじゃないかなって」
「よく覚えてたね、そんなこと」
私自身、忘れてた。そうだった、私、小学校に上がる前まで一人称が『名前』だった。名前だった。
「大切な君のことだもの。忘れたりしないよ」
照れもなく当然のことのように言い放って微笑む緑谷くんに、こっちが照れてきちゃう。
やっぱり、好きだなあ。緑谷くん。
膝の上で肩越しに振り返って会話してたけど、その場で身体を反転させて、緑谷くんと向き合う。
「緑谷くん……」
「なあに? 名前ちゃん」
緑谷くんの唇にそっとキスを贈る。
急に、照れくさそうに、そばかすの辺りを指で掻き始める緑谷くん。
私も恥ずかしい。小さな子の真似事をしたのも含めて、もちろん、自分の弱い部分とかそういうのも全部。
「緑谷くん、青少年保護育成条例違反ね」
「へっ!? えっ、でも、今のは……」
「通報したら一発だよ! 明日のニュース、緑谷くんで持ち切りだよ!」
「嫌だ、悪夢だ……!!」
「もう、冗談に決まってるじゃない」
「し、心臓に悪い……」
深呼吸しながら、心臓の辺りを手で押さえる緑谷くん。
そのあどけない顔に似合わず、傷だらけで無骨な手の甲に頬を寄せる。
「ごめんね。心配させちゃって」
「ううん。僕こそ、ごめんね。君がそうすることには何か意味があるはずだって思ったんだけど……寂しい思いさせちゃってたんだね。気付いてあげられなかった」
「でも、私、緑谷くんには私よりも仕事を優先してもらいたいんだ。ヒーローしてる時の緑谷くんが好きだから」
「酷いや。なんて答えたらいいのか全然わからないよ」
困ったように笑う緑谷くんに釣られて、私も年齢に似合わない苦笑い。矛盾してること言ってるのはわかってる。
「じゃあ、こうしよう。今日みたいに寂しくなったら、言ってほしい。できる限り、君の側に居るようにするから」
「そうだね。そうしてくれたら、私もこんな下手くそな嘘吐かなくて済むしね。けど、本当にできたらでいいからね? 無理とかはしないでね? 緑谷くん、忙しいんだから……」
「何言ってるんだよ。僕は君のことを一番に幸せにしたいって思ってるのに」
時折、見せる力強い瞳の光に、はっきりと表れるその意志に、どきどきさせられる。
誰にでも分け隔てなく接する、潔癖なまでに公明正大な緑谷くんの口から出る『一番』。
その単語の重みに、想いの深さを確認する。
私も緑谷くんがそう言ってくれるのなら、なりたいと思う。
緑谷くんの一番に。緑谷くんの特別に。
私だけのヒーローじゃなくたっていい、私が緑谷くんだけのものであればそれで。
元に戻れたら、改めて伝えたい。
この幼い身体じゃ、抱き締められるばっかりで抱き締めるには小さ過ぎる。何もかも、足りてない。
2022.09.01