nckh
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
麗日くんから連絡があった時、それはもう、慌てた。平常心など、どこへやら。
自分に与えられた役割を他人に押し付けてまで、そちらを優先してしまった。
疾風迅雷の如く馳せ参じた先には麗日くんと、幼い少女がひとり。
「困ったねぇ、名前ちゃん。大丈夫、もうちょっとでメガネの心強ーい、お兄ちゃんが来てくれるかんね! あっ、来た! おーい、インゲニウムー!!」
「麗日くん! それで、名前くん!!」
「……おにいちゃん、だれ? わたしのこと、しってるの?」
メガネに罅が入ると表現しても差し支えない、衝撃。
忘却されているという、事実。
そうかもしれない、その可能性を全く持って考慮できていなかった。
それはそうだ。退行してしまっている以上、記憶領域が狭まっているということもまた予想し得る範囲ではないか。
麗日くんの報告によると、マンション火災発生の折にパニックになった住人が救助にあたっていた名前くんに誤って個性を発動させてしまったということだった。
なるほど、こういう個性を持つ人も居るのだな。
とっくに消火は済んでおり、幸い、死者はゼロ。負傷者も少ないとのこと。
しかし、問題はその住人がまだ子どもであったという点。
自分の個性について理解はおろか把握すらできていない模様。ましてや、命に別状はないものの、念のためにということで病院に搬送されている。とても今すぐに話を聞きに行ける状況ではない。
「飯田くん。この後、忙しいかな? できたら、名前ちゃんのこと、お願いしたいんだけども。私、現場の後処理とか手伝わんとだし」
「うむ! 麗日くんの本領発揮だな! あとのことは任せてくれて構わない! 行ってくれ!」
「ありがとう! じゃあね、名前ちゃん。メガネのお兄ちゃんと仲良くするんだよ?」
「メガネ……?」
小首を傾げる名前くんの頭をひと撫でしてから、猛然と駆け出す麗日くん。いや、ウラビティ。
じーっとこちらを見上げる彼女の視線にハッと気付いて、ヘルメットを脱ぐ。もしかしたら!
「あっ、メガネ!」
ちっがあああーう!!!!
そういうことではなくてだな……せめて、この顔にどことなくでもいいから見覚えくらいはあってほしかった。
難しいか。いくら頭脳明晰の彼女と言えど、記憶に刻まれていないものを呼び起こせるはずがない。
幼い。とにかく、幼い。
初等部に上がってすらいない年齢のように見受けられる。
麗日くんにああは言ったもの、これからどうすべきか。悩むところではある。
「ところで、名前くん。その装いは?」
「よそうい?」
「よそおい。いや、わからないか。その服は?」
「さっきのおねえちゃんが、くれた」
「そのバッグの中身は?」
「なにかな? さっきのおねえちゃんがくれた……」
エコバッグらしき物を真っ逆さまにして中身を重力で持ってして出そうと試みる、名前くん。
普段の慎重な彼女からは予想だにできない、ダイナミックな手法である。
中から出てきたのは、やはりと言うべきか。
彼女のヒーローコスチューム。
「なくしちゃダメだって。だいじなんだって」
「その通りだ! これは名前くんの商売道具だからな!」
「わたしの? しょーばい? わたし、おみせやさんじゃないよ?」
「その通りだ! 君はヒーローだからな!!」
「わたし、ヒーロー? やったあ!」
実に子どもらしい反応だ。可愛らしい。
それよりも、どうしたらいい……麗日くんよ……俺を呼ぶのは妥当で適当で結構なのだが、他に適任は居なかったんだろうか!
退行の影響でもちろん、名前くんの身体はミニマム。到底、ヒーローコスチュームが着られるサイズではない。
そんな彼女に充てがわれた物……それは、紛うことなき、バスタオル!
先程は彼女にも伝わりやすいように『服』と表現したが、バスタオル以外の何物でもない。完璧なまでにバスタオル。
タグが付いているところを見ると、現場に居合わせた一般の人の計らいだったりするのかもしれない。多分、エコバッグごと差し入れられた物ではなかろうか。ヒーローコスチュームと一緒にゼリー飲料やら栄養バーだったりが地面に散らばっている。
さては、ドラッグストアからの帰りか……?
最近のドラッグストアにはそれこそタオルでもなんでもありとあらゆる物が置かれている。
そんな些事はこの際、捨て置いて、だ。
「名前くん、君はどうしたい?」
「おうちにかえりたい……」
「どちらの?」
「? わたしのおうちはいっこしかないよ?」
この回答も想定内。堪えはするが、仕方あるまい。
とりあえず、いつまでもこの場に留まっていても事態は好転しない。
ヘルメットを被って、ヒーロー然とさえしていれば、恐らくは通報されはしまい。最悪の展開は免れる。
たとえ、バスタオル一丁の童女を腕に抱えていようとも……!!
差し当たっての彼女に必要な物は服だ。服を調達せねばなるまい。
「まずは服を買おう! その格好では風邪を引いてしまうからな。ここから一番近い店は……」
「あっち! わたし、しってる!」
もしやと思い立ち、彼女の言葉に耳を傾ける。
彼女の個性は地理に特化した『瞬間記憶』。
頭の中にありとあらゆる場所や建造物の地図を格納しているエリアがあって、一度目にしたら忘れない。一度訪れたら、そこはもう彼女の庭も同然。
災害救助には打ってつけの個性。避難誘導ともなればピカイチ。最短ルートを瞬時に弾き出し、景観によっぽどの変動がない限り、道に迷うこともまたありえない。
戦闘力は皆無だが、サポート面で幅広く応用が利く優秀な個性である。
お目当ての服を手に入れ、その場で身に着けてもらう。
何らかの事件に巻き込まれた不運な女児と受け取られたらしく、親切な店員が快く着替えを手伝ってくれた。
さすがに見知らぬメガネと位置付けられてしまった分際で、彼女の柔肌に触れる訳にはいかない。そんなことをしてみろ、ただひたすら嫌悪しかないことだろう。
そもそも、同棲はしているが、まだ、その、そういう……婚前交渉の類は経験がない。肉体の関係には至っていない。
そんな俺の邪念を払うかのように、彼女のドレス姿は純粋無垢を絵に描いたような清らかさであった。学芸会の主役さながらである。非常に愛らしい。
生家に向かう道すがら、彼女は終始ご機嫌であった。よっぽど、ドレスが気に入ったらしい。
「おひめさまだよ〜」と譫言のように繰り返しているので、そのたびに「そうだな、お姫様だな!」と返した。
着用するのが一瞬であっても、満足そうな顔が見られて大枚を叩いたかいがあったというもの。
あと、その間に見知らぬメガネから便利な乗り物のメガネに昇格した。「はやい、はやい!」と喜んでいた。
さしずめ、白馬と言ったところか。可能であるのならば王子様になってみたいものだ。
あと、「わたし、おんなのこだよ! おとこのこじゃないもん!」とお叱りを受けたので、名前ちゃんと呼び方を改めた。
幸い、今の名前くんにとっての『おうち』は保護現場からそう遠くはない場所にあった。
徒歩で行けると聞いて胸を撫で下ろしたが、早計だったのではないだろうか。
まず、門戸を叩くにあたって、家の人に事情を説明しなければならない。そうなってくると、俺と彼女の関係についても明らかにするのが筋というものだ。
彼女の熱意に押される形で先に同棲を始めてしまったが、本来であればきちんとご両親に挨拶に行くべきであった。
何度か提案こそしたものの、「天哉くん、重い」と拒絶の意を示された。しかし、これしきでめげる俺ではない。いつか、必ずと……野心を燃やし続けてきたが、このような予期せぬ形で実現するとは。
何故、同棲は良くて、ご両親への挨拶は良くないのか。再三再四、訊ねたところで、彼女から納得のいく返答は貰えなかった。
ここ最近の悩みの種と化している。重大案件だ。
「いざ、名前くん……いや、名前ちゃんのご実家へ……!!」
「メガネさん、その手、なに? うごき、へん……」
幸運にも彼女のお母さん、つまりはお義母様がご在宅であった。たいそう、目を丸くしていたが、掻い摘んで説明すると温かく家の中へと迎え入れてくれた。
さすが、名前くんの母親。俺などよりよっぽど冷静である。人生経験の差であろうか。
通されたリビングでこれまでの経緯を一から十まで改めて丁寧に説明する。
難解な言葉が並んだせいか、途中で飽きてしまったらしい名前くんはどこからか見付けてきたメモ帳とペンを手に、俺の膝の上に登るとお絵描きを始めた。
構わない、別に構わないんだが、テーブルの上に紙を置いた方が格段に描きやすいぞ! 名前くん……!!
懐いてくれるのは嬉しい。しかし、お義母様の眼前というのがなんとも焦燥感のような危機感のような。そういった感覚を煽ってくる。大丈夫か、これ。
しかし、楽しげにしているのを中断させる訳にもいくまい。
俺が、君の、笑顔に、これでもかと言う程、弱いのを熟知しているだろうに!
「だいたい、事情はわかりました。ご迷惑をお掛けしてしまったようで……」
「いいえ! 滅相もございません! ここからが本題なのですが! もう少しばかり、お時間を頂けませんでしょうか……!!」
彼女に無断で挨拶というのは卑劣なやり口かもしれない。しかし、今日がまたとないチャンスであることも確かだ。
緊張が高まる。なんとしてでも、完遂せねば。
そんな俺の決意を知ってか知らずか、いや、知らなくて当然のはずの彼女が声を張り上げる。
「できた!」
「何が描けたの、名前」
「おかあさん、見て見て! じゃーん! メガネさんと、わたし!!」
お義母様の問いに元気いっぱいに答えて、効果音を口で演出しながらメモ帳を高々と掲げる彼女。
「な、なんと……!?」
そこには手を繋いで仲良しこよしといった体の彼女と俺の姿が描かれていた。
やたらとハイクオリティー。よもや、この年齢の画力とは思えない。しかも、この短時間で仕上げてくるとは。
そう言えば、彼女は風景画が得意だった。脳内の引き出しから取り出して図面に起こすだけだから簡単なのだそうだ。
人物画もお手のものだったとは。さすがは名前くん、才能マンと言って差し支えない!
「あら、上手じゃない。それで、飯田さん。本題と申しますと……」
「ええと、それは……」
「ほめてほめて! メガネさんもー、ほめてー!」
「えっ、ああ! 上手だとも! お話の続きなのですが……」
「わたしともおはなししてー!」
名前くんの無邪気な妨害工作によって話が進まない。ええい、こうなったら!
「借りてもいいだろうか?」
「いいよ。あげる!」
彼女に確認を取って、絵をお借りする。
渋るかと思ったが、すんなりと譲渡してくれた。
何やら急に大人しくなって、にこにことし始める。なんとも可憐だ。
茶々が入らない今なら、口頭でいけそうな気もする。
しかし、借りた以上はやらねば。彼女が俺を見守ってくれている、この瞬間。
「お義母様、つまりは……こういうことなのです!!」
効果音を演出するのなら、ババーン! というところだろう。
彼女の魂の篭った名作をお義母様に向かって、提示する。
是非とも注目して頂きたいので、繋いでいる手の辺りをしきりに指で示してアピール。
「わたしとメガネさん、なかよし?」
「仲良しだとも! ご理解頂けましたでしょうかッ!?」
名前くん、ナイスアシスト!
クスクスとお義母様が声を立てて笑われる。
「飯田さんのお噂はかねがね。娘から」
「ご存知だったのですか……!?」
話が違うじゃないか、名前くんんんッ!!
俺はてっきり、ご家族に存在自体を伏せられているものとばかり。
「ももも申し訳ありません! 前々からご挨拶にお伺いしようとは思っていたのですが、ついぞ叶わず……このような形となってしまい、誠にお恥ずかしい限りです……!!」
即座にソファを辞退させて頂き、カーペットに伏す。誠心誠意、謝罪するより他ない。後手に甘んじていたツケが回ってきた。
俺を罰しようというのか、背中に名前くんが乗り掛かってきて身動ぎも許されない。落下の危険がある。
「こら、やめなさい! 名前!」
「おんぶしてほしかった……」
羽根のような重みが退いた。
声音からしゅんとしていることが伝わってくる。
こうしてはいられない。ご無礼を承知で、片膝を立てて面を上げる。そして、両腕を後方へと投げ出し、両の手のひらを上へ。
「乗りたまえ、名前くん! いや、名前ちゃん! いいや、名前さん!!」
お義母様の手前、さん付けで呼ぶのが好ましい。
それを見たお義母様から再び笑い声。
「白い、メガネのおウマさん!」
「王子様じゃないの? お姫様なんでしょ、名前」
おんぶしてほしいということだったが、馬の方をご所望とあらば……って、お義母様!
「そおかも! おウマさんとおうじさま、どっちがいい?」
「出来れば、王子様にして頂きたく……!!」
「いいよ! じゃあ、おうじさまにしてあげるね〜」
おんぶか? おウマさんか? どちらの体勢を取るべきか考えている間に第三の候補……王子様の体勢とは一体……!?
ふらりと目の前に現れた名前くんが、急に飛び付いてきてーーやめたまえ、名前くん!
「キスだよ! これでおうじさま〜」
「んああああ……!!」
目線を下げていた僥倖に悶絶するよりない。
あろうことか、頬に施しを受けた。
なんという、なんという……おませさん!!
お義母様に合わせる顔がない。しかし、お義母様はすぐそこに居られる。
反応を目にするのが、恐ろしい。
しかし、そんな俺の不安をたちどころに吹き飛ばすお義母様の哄笑。そして、笑顔。腹をお抱えになって、目尻には涙まで。
いや、お義母様、それは些か笑い過ぎではありませんか?
「おかあさん、おなかどうしたの? いたいの? ないてるのに、なんでわらってるの?」
「ふっ……ふふっ……ふふふっ!!」
「たいへん! メガネさん、おかあさんがおかしくなっちゃったあ! たすけて〜!」
名前くんが大爆笑するお義母様に慌てふためいている。
なんとしてでも救わねば!
「……お義母様! 必ず、名前さんを幸せにすると誓います。ゆくゆくは結婚の許可を……いいえ、まずは交際の許可を頂きたく存じます!」
「けっこん? こーさい?」
さすがにここまで堂々と言い放ってしまったら、場の空気が否が応でも引き締まるはず。
交際どころか既に同棲してしまっているが、結婚を前提にという流れであれば当然そこに含まれているものとして省略させて頂いた。多角的な表現をするならば、言い出せなかったとも言う。
「ふははは! どうぞどうぞ! 娘のこと、お願いしまーす! ふふふっ……!!」
「おかあさん、おかあさん、わたしがメガネさんとけっこんしたらなおる?」
「うんうん、なおるなおる。なおるよ、名前……ふふっ……おもしろっ……」
「やったあ! けっこんするぅ!」
……一切合切、引き締まらない、だと!?
後日、すっかり元の姿を取り戻した名前くんから案の定お叱りを受ける。
「だいたいさあ、お母さんはともかくとして、天哉くんまで……緊張感なさ過ぎじゃない? 効果が一瞬だったから良かったものの、永続的だった場合、どうするつもりだったの?」
「いや、面目次第もない」
「これなの、どうにかなんない?」
名前くんが顔の横、丁度、目の位置に両手を添えて、指を真っ直ぐにした状態で手首を前方に向かって動かす。
恐らく、視野狭窄とか、猪突猛進とか、四角四面とか、専断偏頗とか、そういったことを言いたいのだと思われる。
「俺も考えなしに言った訳ではないさ。もし、そうだったとして。君が再び大人になるまで待つという選択肢も考慮した上だ」
「えっ……じゃ、じゃあ! 一生あの姿のままだったら?」
「うむ。さすがにそこまで最悪のシナリオは描けなかった。そうだな……」
名前くんの言う通りではある。確かに、限りなく視野が狭まっていたようだ。
無意識に除外してしまっていた。それだけは許してほしいと思うあまりに、恣意的であったやもしれない。
しかし、だからと言って答えは変わらない。
「それでも、生涯を懸けて君を幸福にしたい。添い遂げたい。だって、そうだろう? 愛を誓い合うということはそういうことだと思うんだが」
「重いよ……天哉くん、重い……」
「重くて、結構!」
愛の単位が何であるか、厳密な把握はできていない。しかし、軽いよりは断然良いはずだ。
先程までの気丈な態度はどこへやら。彼女の手が胸の前で落ち着きのない動きを見せる。指先を組んだり、左右の人差し指を合わせたり。
「……別にね? 嫌とかじゃないんだよ? ただね、天哉くんのとこって皆さんヒーローでしょ? 由緒正しいお家柄でしょ? 天哉くんがうちに挨拶に来たら、当然、私も行かなくちゃだよね? それが、引っ掛かってて……」
「何故?」
「私まだ、天哉くんのご家族に認めてもらえるようなヒーローじゃないし……時期尚早なんじゃないかと、思って……」
全く、笑ってしまう。
名前くんも、俺のことはあまり言えないな!
思いっきり、これじゃないか、これッ!
2022.09.04