長編 1ミリ上空の日々
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桜の花びらが舞う。
季節は少しだけ進んで、春になった。
あの早咲きの桜が見える縁側で、タカ丸とひじきは並んで座っている。
遠くからは生徒たちの賑やかな声が聞こえてくる。
「それでね、左門たら女装した格好のまま学園から出ちゃって………」
「ええ!?また?しかも女装で?」
「うん。しかもね、小松田さんは実家に御用があって留守で」
二人は学園で起きた他愛もない話をしながら、のんびりと昼下がりを過していた。
春の少し熱を含んだ風がタカ丸の髪を揺らす。
薄桃色の花弁が一枚、縁側の方へ舞い降りてきた。
ひじきはその花弁を手を差し伸べて取ろうとする。
彼女の掌に落ちてきた花弁は、その白い手をすり抜けて地面に落ちていった。
それを見届けてから、ひじきはゆっくりと立ち上がった。
「ねえ、タカ丸君」
「ん?なあに?」
タカ丸は湯呑をお盆に戻す。
茶菓子のお饅頭は“曲者さん”が彼女にお土産として持って来てくれたものだ。
ひじきはそのまま桜の下まで歩いて行くと、見事に咲いた花を仰ぎ見た。
一年前、この桜の下で目覚めたときと同じように。
「私、幽霊になれてよかった」
悲しみを含まない、晴やかな声だった。
その言葉に、タカ丸は素直に嬉しかった。
「うん、そっかあ」
振り向いたひじきは「うん」と肯く。
「心残りがあって、こうして化けて出て、それって本当なら駄目なことでしょ?
でもね、幽霊になれたから、乱太郎達やはっちゃんを守れて、もっと学園のみんなと一緒にいられた。
それに幽霊になれたから―――タカ丸君に会えた。
それって、良く考えたらすごいことだよね。
本当なら一度も会えないはずだったのに、会えちゃった!」
タカ丸はひじきの笑顔を眩しそうに見た。
今でも目の前にいるのは、生きている彼女のような気がしてならない。
それくらい、ひじきは生気に満ちていた。
タカ丸も立ち上がり、彼女の隣に立って桜を見上げた。
「僕も、―――ひじきちゃんに会えてよかった」
するとひじきは笑顔を消して、真剣な表情でタカ丸を見た。
その理由をタカ丸はよくわかっていた。
ひじきはタカ丸に対して罪悪感を抱えていた。
もうこの世の者ではない自分が、生きている者と親しくなること。
それは生きている者にとっては辛さを重ねることでしかない。
だから本来なら、自分はタカ丸とは関わるべきではないと。
でも、ひじきはそれができなかった。
学園から出られるようになっても、出ていきたくなかった。
タカ丸は彼女がその葛藤の末に学園に留まっていることは、百も承知だった。
謝ろうと口を開きかけたひじきに、タカ丸は「言わないで」と制止した。
「僕はね、ひじきちゃんと過す時間が本当に楽しいんだ。
ひじきちゃんが生きていても、幽霊であっても、それは変わらない。
だから、僕もきみに会えて本当によかった」
嘘も同情もない、タカ丸の本心からの言葉だった。
ひじきは少し上を向いて涙をやり過ごすと「ありがとう」と言って笑った。
もう彼女が自分を責めたり、気に病むことはなにもない。
彼女の笑顔に、タカ丸も心のわだかまりが溶けてなくなるのを感じた。
「そうだ、ひじきちゃん、―――――髪を結わせてほしいんだ」
タカ丸の申し出に、ひじきは頬を少し赤くして、そして本当に嬉しそうに笑った。
風が吹いて、彼女の長い髪を靡かせる。
桜の花びらがその黒髪を色どり、タカ丸はなんて美しい光景だろうと思った。
そして―――――もう、どこにも彼女はいなかった。
さっきまで目の前で微笑んでいたひじきは、まるで風にさらわれたかのように消えてしまった。
タカ丸は立ちつくし、彼女のいた場所をただ見つめていた。
「―――――――ひじきちゃん?」
タカ丸は彼女の名をそっと呼ぶ。
樹の向こう側から、ひょっこりと顔を出し、「大成功―!」なんて言いながら笑って出て来てくれる。
そんなことを期待して。
「ね、ねえ、ひじきちゃん?」
辺りに呼び掛けながら、タカ丸は気がついていた。
これは――――永遠の別れだと。
まるで、彼女がさっきまでいたのは嘘みたいに、あたりは静かだった。
タカ丸の耳にはひじきの笑い声が鮮やかに蘇る。
瞼の裏には、最後に見た笑顔がくっきりと焼き付いている。
「こんなに突然だなんて――――――――
まだ、髪も、…………結わせて、もらってないよ。
――――――ひじきちゃん」
タカ丸は桜の樹に寄りかかると、両手で顔を覆った。
熱い涙が幾筋も頬を伝っていく。
空も、陽の光も、風も、すべてが優しくて、すべてが二度とは帰らない。
タカ丸の震える肩に、一枚の花弁がそっと舞い降りた。
*
「そうだ、ひじきちゃん、―――――髪を結わせてほしいんだ」
タカ丸君が言ってくれた言葉が嬉しくて嬉しくて………。
このあたたかな気持ちを何と言ったらいいのかわからない。
ありがとう。
――――私、幸せ。
1ミリ上空の日々 完
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2012/02/04
2025/06/26 再
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