長編 1ミリ上空の日々
name
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
約束の場所に辿り着く。
切り立った崖の先に立ち、その底を見下ろした。
悲鳴のような風が吹きあがって来て私の髪を散らす。
ぽっかりとした闇がどこまでも広がり、吸い込まれそうな感覚に陥る。
自分の足が地面に着いているだけで、上も下もないようだ。
――――空に放り出されそう。
崖からゆっくりと一歩離れる。
すると後ろに人の気配を感じた。
「覚悟はできたか?」
目の下に傷のある忍がこちらに歩み寄って来た。
その後ろには、数日前に学園で見た老人も控えている。
私の死を、見届けに来たのだ。
私は懐から小刀を取り出した。
まるで命綱のように、その柄を握り締める。
「忍術学園には………」
「ああ、約束通りだ。手出しはしない」
「―――――――」
私は肯いた。
そして、小刀の鞘を抜く。
刃が月明かりに小さく反射する。
その光を見た瞬間、一気に恐怖が込み上げてきた。
全身が震えだす。
――――怖い。
この三日間、いや、くノ一としての道を志した時から、ずっと考えていたこと。
それは死について。
忍術学園に通わない子供より、ずっと分かった気になっていた。
―――でも、何も分かってなどいなかった。
死ぬのは、こんなにも怖いことなんだ。
痛くて、血が出て、苦しんで、―――やがて自分が消える。
何も感じないし、何も考えない、二度と目覚めない。
それがどんなに怖いことか、今はっきりと分かる。
震える手で鞘を地面に置き、鋭い切っ先を自分の胸に向ける。
忍びは黙ってそれを見ている。
急かしもしないし、表情一つ変えない。
がたがたと定まらない切っ先を、両手で握りしめる。
あとは、渾身の力を込めて突き刺すだけ。
そっと瞳を閉じる。
瞼の裏には、暗闇がどこまでも広がっている。
光はない。
しかし、その闇の中で小さくて温かな灯りを見つける。
やわらかい光。
見なれた忍術学園の校庭や、教室、保健室、食堂………。
お気に入りの図書室の隅っこ。
その光の中を歩いて行くと、そこにはみんながいる。
――――――私の大切なひとたち。
この人たちを自分の過ちに巻き込まずに済むのなら……。
目を開けた私は、空にある月を見上げた。
両目に溢れる涙で月がぼやけ、柔らかい眩しい光が見える。
その光を見たまま、私は小刀を一息に突き刺した。
溢れる血で両手が濡れて、引き換えに身体は冷えていく。
やがて力なく握る小刀が足元に落ち、倒れる私の体は崖の淵から空中へと投げ出された。
反射的に伸ばした指は空を掻く。
遠のく意識の中、まるで夢でも見ているみたいに月の光を見ていた。
*
勉強がよくできるわけでもない、
皆の目を引くほど美人なわけでもない、
足が早いわけでも、とりわけ馬に乗るのが上手いわけでもない、
胸を張って好きだと言える何かがあるわけでもない、
親に捨てられただとか、不幸だったこともない、
私は何一つ特別なことのない、普通の子どもだ。
でも、それでも、私は生きていた。
同じことの繰り返しに、退屈を感じる日もあった。
それがどんなに大切な日々だったか知らず。
たった一度きりの私の命。
たった一人だけの私。
そして、同じ時間を過した、たった一人のみんな。
――――奇跡だった。
それなのに、私は自分の価値や、生きる意味を探していた。
そこに生きている。それが、十分すぎる理由だった。
*
学園を守るためなら惜しくは無い。
でも、本当は、もっと生きたかった。
最後に伸ばされた指先。
それが、私の無意識の願いだった。
*
朝、山本シナは生徒の置き手紙と小さく結んだ髪の束を見つけ、その場に膝をついた。
―――行かせてしまった。
大切な生徒を一人で死なせてしまった。
くノ一教室を受け持ってから、帰らぬ者となった生徒は幾人もいる。
ただ、慣れることなどない。
生徒の髪を桜の木の下に埋め、涙など流さない代わりに空を仰ぎ見た。
「学園を守りたいという気持ち、無駄にはしません」
かくして、忍術学園の教師はこの生徒の死を隠すことを誓った。
それが生徒への弔いになるなら。
程なくして、霧雨城の城主は老衰で死去する。
新しい城主は戦を好まない穏やかな人柄で、タソガレドキ城との緊張状態も解かれた。
裏切り者の忍びも城を追われ、タソガレドキ忍軍忍び組頭の手元にはおかしな模様の小刀が残った。
*
忍術学園から一人の生徒がいなくなったこと以外、全てはただ穏やかに過ぎていった。
‐‐‐‐‐‐‐
そして、春がめぐる
切り立った崖の先に立ち、その底を見下ろした。
悲鳴のような風が吹きあがって来て私の髪を散らす。
ぽっかりとした闇がどこまでも広がり、吸い込まれそうな感覚に陥る。
自分の足が地面に着いているだけで、上も下もないようだ。
――――空に放り出されそう。
崖からゆっくりと一歩離れる。
すると後ろに人の気配を感じた。
「覚悟はできたか?」
目の下に傷のある忍がこちらに歩み寄って来た。
その後ろには、数日前に学園で見た老人も控えている。
私の死を、見届けに来たのだ。
私は懐から小刀を取り出した。
まるで命綱のように、その柄を握り締める。
「忍術学園には………」
「ああ、約束通りだ。手出しはしない」
「―――――――」
私は肯いた。
そして、小刀の鞘を抜く。
刃が月明かりに小さく反射する。
その光を見た瞬間、一気に恐怖が込み上げてきた。
全身が震えだす。
――――怖い。
この三日間、いや、くノ一としての道を志した時から、ずっと考えていたこと。
それは死について。
忍術学園に通わない子供より、ずっと分かった気になっていた。
―――でも、何も分かってなどいなかった。
死ぬのは、こんなにも怖いことなんだ。
痛くて、血が出て、苦しんで、―――やがて自分が消える。
何も感じないし、何も考えない、二度と目覚めない。
それがどんなに怖いことか、今はっきりと分かる。
震える手で鞘を地面に置き、鋭い切っ先を自分の胸に向ける。
忍びは黙ってそれを見ている。
急かしもしないし、表情一つ変えない。
がたがたと定まらない切っ先を、両手で握りしめる。
あとは、渾身の力を込めて突き刺すだけ。
そっと瞳を閉じる。
瞼の裏には、暗闇がどこまでも広がっている。
光はない。
しかし、その闇の中で小さくて温かな灯りを見つける。
やわらかい光。
見なれた忍術学園の校庭や、教室、保健室、食堂………。
お気に入りの図書室の隅っこ。
その光の中を歩いて行くと、そこにはみんながいる。
――――――私の大切なひとたち。
この人たちを自分の過ちに巻き込まずに済むのなら……。
目を開けた私は、空にある月を見上げた。
両目に溢れる涙で月がぼやけ、柔らかい眩しい光が見える。
その光を見たまま、私は小刀を一息に突き刺した。
溢れる血で両手が濡れて、引き換えに身体は冷えていく。
やがて力なく握る小刀が足元に落ち、倒れる私の体は崖の淵から空中へと投げ出された。
反射的に伸ばした指は空を掻く。
遠のく意識の中、まるで夢でも見ているみたいに月の光を見ていた。
*
勉強がよくできるわけでもない、
皆の目を引くほど美人なわけでもない、
足が早いわけでも、とりわけ馬に乗るのが上手いわけでもない、
胸を張って好きだと言える何かがあるわけでもない、
親に捨てられただとか、不幸だったこともない、
私は何一つ特別なことのない、普通の子どもだ。
でも、それでも、私は生きていた。
同じことの繰り返しに、退屈を感じる日もあった。
それがどんなに大切な日々だったか知らず。
たった一度きりの私の命。
たった一人だけの私。
そして、同じ時間を過した、たった一人のみんな。
――――奇跡だった。
それなのに、私は自分の価値や、生きる意味を探していた。
そこに生きている。それが、十分すぎる理由だった。
*
学園を守るためなら惜しくは無い。
でも、本当は、もっと生きたかった。
最後に伸ばされた指先。
それが、私の無意識の願いだった。
*
朝、山本シナは生徒の置き手紙と小さく結んだ髪の束を見つけ、その場に膝をついた。
―――行かせてしまった。
大切な生徒を一人で死なせてしまった。
くノ一教室を受け持ってから、帰らぬ者となった生徒は幾人もいる。
ただ、慣れることなどない。
生徒の髪を桜の木の下に埋め、涙など流さない代わりに空を仰ぎ見た。
「学園を守りたいという気持ち、無駄にはしません」
かくして、忍術学園の教師はこの生徒の死を隠すことを誓った。
それが生徒への弔いになるなら。
程なくして、霧雨城の城主は老衰で死去する。
新しい城主は戦を好まない穏やかな人柄で、タソガレドキ城との緊張状態も解かれた。
裏切り者の忍びも城を追われ、タソガレドキ忍軍忍び組頭の手元にはおかしな模様の小刀が残った。
*
忍術学園から一人の生徒がいなくなったこと以外、全てはただ穏やかに過ぎていった。
‐‐‐‐‐‐‐
そして、春がめぐる
