長編 1ミリ上空の日々
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おシゲは大体の芋を拾い集めると坂の上を見上げた。
ちょうどひじきちゃんもこちらへ戻って来たところだ。
大きく手を振る。
こっちに気付いたひじきちゃんもにっこり笑って手を振り返した。
「あら?おじさんはどうしたんでしゅか?」
どこにも姿が見えないことに気付き、ひじきちゃんに訊ねる。
すると彼女はやれやれという顔で「忘れ物を取りに帰っちゃったのよ。荷車はここに置いておけば良いって」と言った。
「まあ、そうでしゅか……」
「おっちょこちょいな人ね」
ユキちゃんとトモミちゃんも苦笑する。
いつまでも待っているわけにはいかないので、私たちは帰ることにした。
その道すがら、突然、ひじきちゃんが真剣な顔で口を開いた。
「―――――あのね、みんなには内緒にしてほしいことがあるの」
あまりにも彼女の声が真剣そのもので、私は続きを聞くのが怖かった。
恋の相手の名を口にする前の「みんなには内緒ね」とは、わけが違う。
山の向こうに陽が落ちて、彼女の顔色はよくわからない。
でも、私たちを見つめる瞳は何か切羽詰まったように、苦しげに揺らいでいた。
それなのに、口元は微笑もうとして、余計―――泣き出しそうに見えた。
「あの、実はね、私―――忍術学園を辞めるんだ」
「えっ」
そう驚きの声を上げたのは誰だったか。
私たちは何も言えずに、ただひじきちゃんの顔を見ていた。
「家族で遠い所へ引っ越すことになったの………それで、ついて行かないといけないんだ」
彼女の胸中を考えると、胸が一杯になって苦しくなった。
この数年の間に、忍術学園はかけがえのない存在になった。
ただ忍術を学ぶばかりではなく、一緒に暮らし大切な人達に会えた。
ここは色々な思い出の詰まった場所だ。
楽しいことも、辛いことも、一人じゃないって教えてくれた場所。
もし自分が学園を辞めることになったら、どんなに悲しいか………。
どんなに寂しいか。
私の目からぽろぽろと涙が零れた。
「遠くに行かないで」とは言えなくて、その代わりにひじきちゃんの手をぎゅっと握った。
するとひじきちゃんもぎゅっと手を握り返し、その手の上に二人分の涙が落ちた。
気付けば、私たち四人は田んぼ道の真ん中で、子供みたいに大きな声でわあわあ泣いていた。
そしてみんなで手をつないで学園まで帰った。
ここまで一緒に過した日々は、距離なんかじゃ切れたりしない。
どんなに遠くても、私たちの心は一緒だから。
*
残された三日間は、あまりにも短い時間だった。
私は夢中で色々なことを終わらせようとした。
自分の部屋を片付け、図書室から借りていた本を読み、手裏剣の練習をする。
どれもこれも、普段なら先延ばしにして、いつもはしないことばかり。
でも、こうして時間が限られた途端、これまで考えもしなかったことを始めたくなったり、これまで話したこともない人と知り合いになりたくなった。
ユキちゃんたちともっとお喋りしたい。
喜八郎みたいに何かに熱中したい。
立花先輩みたいに美しい髪になりたい。
シナ先生にもっと変装の術を教わりたい。
食堂のおばちゃんの料理を一つでも多く食べたい。
学園長の若い頃の活躍を聞きたい。
立派なくノ一となって、忍術学園を卒業したい。
どうして、もっとやっておかなかったのかな……。
私が突然やる気を出したことに三郎たちは「明日は槍が降るな」なんて言って笑う。
もちろん、私は何も言うことは無い。
くノ一の三人組には引っ越すとだけ告げ、他のみんなには何も言わずに出ていくことにしたから。
先生には知られてはならない。
もし私が秘密に動いていると悟られたら、先生たちは私を死なせたりしないから。
いつも通りの日常。
いつも通りの会話のやり取り。
全てがいとおしくて、私は三日間を大切に、大切に過した。
これで、準備は整った。
後は、―――死ぬだけだ。
*
最後の日。
私はそっと寝床を抜け出す。
門までの道のり、ふと足を止めた。
中庭の桜は、月明かりに照らされて青白くほころび始めていた。
あぁ、咲いたんだ。
ここの桜はいつも咲くのがちょっと早い。
もう桜の花を見ることは無いかと思っていたけど――――。
出門表に「実習のため」と記入すると、小松田さんは疑わずに受け取ってくれた。
「いってらっしゃい!気を付けてね」
いつもと変わらない送り出しの言葉に、頷くだけで精一杯だった。
何か言葉を交わせば、門を潜る足が止まりそうだったから。
そして、一度も振り返らずに学園を出た。
もう、ただいまって言うことはない。
