短編
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ある日。
伊作先輩と当たり障りのない会話をしながら、保健室へと向かっている途中だった。
夏が近づき、熱をはらんだ風が少し強く吹く午後のこと。
その風に吹かれて、中庭に咲く一輪の花が大きく揺れていた。
干からびた白い地面と、真上から降りそそぐ光に照らされて、青い花弁が鮮明に色を放っている。
植物の知識がない私には、その青い花の名前さえわからない。
ただ空よりも青い花弁の色に視線が吸いこまれて、ほんの一瞬、伊作先輩の会話が遠ざかった。
しかし、それもわずかのこと、私はすぐに花から目を離すと、隣を微笑みながら歩く伊作先輩へと目を向け直した。
その次の日、私の部屋の前に…………中庭で見た青い花がそっと横たえられていた。
中庭の見える廊下まで走ると、そこには昨日咲いていた花はなく、刃物で切り取られた茎の断面だけが、静かに乾きつつあった。
そのとき、ふと背中に視線を感じ振り返ると、そこには伊作先輩が微笑んで立っていた。
ぞくりと、背中が粟立つ。
伊作先輩は、私が花に気を取られた一瞬を見ていたのだ。
そのわずかな視線の動きを見て、私が花に興味を持ったことを悟ったのだ。
何とも言えない感情が心を過る。
私の手の中で、青い花がゆっくりと萎れていった。
*
ある日。
保健委員のみんなで、山に入って薬草を探していた。
例の如く川に落ちたり、罠に引っ掛かったり、イノシシに遭遇したり………。
私たちはくたくたになりながらも背中の籠を必死に守って歩いていた。
やっとのことで山を下りてきたところで、乱太郎が明るい声で言った。
「あ!見てください!」
指さす方をつられて見ると、そこには立派な枇杷の木が生えていた。
生い茂った深緑の葉の中に黄色みの強い丸い果実がいくつも生っている。
とてもくたびれていたし、疲れた体は枇杷のみずみずしい甘さを求めている。
乱太郎や他のみんなが「いいなあ。食べたいなあ」と木の上の方になっている枇杷を見つめるが、そこへ伊作先輩が声をかける。
「確かに美味しそうだけど、あれはこの畑の持ち主の物だからな」
しょげる下級生たちの頭を優しく撫で、学園の方へと背を押す。
「さ、帰ったらおばちゃんのご飯をたくさん食べよう」
伊作先輩の言葉に乱太郎達も気を取り直し、また元気に歩いていく。
私はすぐにその背を追いかけられなかった。
「どうしたの」
びくっと肩を揺らして伊作先輩を見る。
先輩はいつものように微笑みを浮かべ、手招きをする。
「ほら、行こう」
私は一度肯くと、ようやく歩きだした。
そして次の日、部屋の前に昨日見た鮮やかな黄色を目にする。
か細い産毛の生えた枇杷の実は、廊下の上で身を寄せ合うように、置き去りにされていた。
*
日々を過していく中で、何も見ずにはいられない………。
私の瞳は無意識にものへと吸い寄せられ、そして次の日の朝になると、それは部屋の前で私を待ちかまえている。
どこからか夜の内に連れ去られてくるのだ。
――――――伊作先輩の手によって。
*
ある日。
私と伊作先輩は包帯や薬の買い出しをしに町へ来ていた。
昼下がりの穏やかな小道を歩いていくと、どこからか女の人の歌声が聞こえてきた。
私と先輩は同時にその声の方へ振り返る。
すると、風を通すために開け放たれた戸の間から、家の中の様子が見えていた。
歌声が漏れているのも、そこからだ。
暗がりに少し目が慣れたところで、家の中で女の人が赤ちゃんを抱いて歌っているのが見えた。
女の人はゆらゆらと身体を揺らし、穏やかな眼差しで赤ちゃんの寝顔を見ている。
「子守唄だったんだね」
伊作先輩は小さく呟くと、また薬屋へと続く道を歩き出す。
でも私は立ち止まったまま、家の中から目を離さなかった。
「………赤ちゃん、かわいいな。欲しいな」
その声を邪魔する音は、この細い路地のどこにもなかった。
伊作先輩の瞳が、まっすぐ私を捉えている。
その次の日、……………部屋の前には何も置かれていなかった。
そして、その次の日も…………。
私はあの日のことを思い出して、そしてあることに気がついた。
伊作先輩が、あの日、――――何を見ていたのか。
夜。
私はどこからも、何も持ってくる必要はなかった。
ただ、伊作先輩の部屋の前で足を止めるだけでよかった。
「――――ひじき、入っておいで」
中から声が聞こえて、私は音もなく戸を開ける。
伊作先輩は机の前で本を広げ、こちらを見ていた。
灯りが仄かに部屋を照らし、寝巻を着ている先輩の白い肌がわずかに赤く見える。
ゆるく結われた茶色の髪は、まだ乾ききっておらずしっとりと濡れていた。
―――――食満先輩の姿はどこにもない。
私は一歩、一歩、ゆっくりと部屋へと足を踏み込んだ。
伊作先輩がうっすらと微笑み、その細い指を私の方へと差し出す。
私はぎこちなく手を伸ばし、恐々と先輩のなめらかな掌に触れた。
その瞬間、伊作先輩の唇が緩い弧を描く。
「本当にくれるのかい」
私は無言で一度肯く。
先輩の瞳が食い入るように私に注がれている。
微笑んでいる口元とは打って変わって、刺さるような痛いくらいの視線。
そのとき、机の傍に転がっている鏡に自分の姿が映っていることに気付く。
その瞳は…………伊作先輩の目と同じ色をしている。
――――私、伊作先輩が欲しかったんだ。
そのことに気付いた瞬間、伊作先輩が室内を微かに照らしていた灯りを吹き消した。
闇の中では、もう何も見えなかった。
伊作先輩と当たり障りのない会話をしながら、保健室へと向かっている途中だった。
夏が近づき、熱をはらんだ風が少し強く吹く午後のこと。
その風に吹かれて、中庭に咲く一輪の花が大きく揺れていた。
干からびた白い地面と、真上から降りそそぐ光に照らされて、青い花弁が鮮明に色を放っている。
植物の知識がない私には、その青い花の名前さえわからない。
ただ空よりも青い花弁の色に視線が吸いこまれて、ほんの一瞬、伊作先輩の会話が遠ざかった。
しかし、それもわずかのこと、私はすぐに花から目を離すと、隣を微笑みながら歩く伊作先輩へと目を向け直した。
その次の日、私の部屋の前に…………中庭で見た青い花がそっと横たえられていた。
中庭の見える廊下まで走ると、そこには昨日咲いていた花はなく、刃物で切り取られた茎の断面だけが、静かに乾きつつあった。
そのとき、ふと背中に視線を感じ振り返ると、そこには伊作先輩が微笑んで立っていた。
ぞくりと、背中が粟立つ。
伊作先輩は、私が花に気を取られた一瞬を見ていたのだ。
そのわずかな視線の動きを見て、私が花に興味を持ったことを悟ったのだ。
何とも言えない感情が心を過る。
私の手の中で、青い花がゆっくりと萎れていった。
*
ある日。
保健委員のみんなで、山に入って薬草を探していた。
例の如く川に落ちたり、罠に引っ掛かったり、イノシシに遭遇したり………。
私たちはくたくたになりながらも背中の籠を必死に守って歩いていた。
やっとのことで山を下りてきたところで、乱太郎が明るい声で言った。
「あ!見てください!」
指さす方をつられて見ると、そこには立派な枇杷の木が生えていた。
生い茂った深緑の葉の中に黄色みの強い丸い果実がいくつも生っている。
とてもくたびれていたし、疲れた体は枇杷のみずみずしい甘さを求めている。
乱太郎や他のみんなが「いいなあ。食べたいなあ」と木の上の方になっている枇杷を見つめるが、そこへ伊作先輩が声をかける。
「確かに美味しそうだけど、あれはこの畑の持ち主の物だからな」
しょげる下級生たちの頭を優しく撫で、学園の方へと背を押す。
「さ、帰ったらおばちゃんのご飯をたくさん食べよう」
伊作先輩の言葉に乱太郎達も気を取り直し、また元気に歩いていく。
私はすぐにその背を追いかけられなかった。
「どうしたの」
びくっと肩を揺らして伊作先輩を見る。
先輩はいつものように微笑みを浮かべ、手招きをする。
「ほら、行こう」
私は一度肯くと、ようやく歩きだした。
そして次の日、部屋の前に昨日見た鮮やかな黄色を目にする。
か細い産毛の生えた枇杷の実は、廊下の上で身を寄せ合うように、置き去りにされていた。
*
日々を過していく中で、何も見ずにはいられない………。
私の瞳は無意識にものへと吸い寄せられ、そして次の日の朝になると、それは部屋の前で私を待ちかまえている。
どこからか夜の内に連れ去られてくるのだ。
――――――伊作先輩の手によって。
*
ある日。
私と伊作先輩は包帯や薬の買い出しをしに町へ来ていた。
昼下がりの穏やかな小道を歩いていくと、どこからか女の人の歌声が聞こえてきた。
私と先輩は同時にその声の方へ振り返る。
すると、風を通すために開け放たれた戸の間から、家の中の様子が見えていた。
歌声が漏れているのも、そこからだ。
暗がりに少し目が慣れたところで、家の中で女の人が赤ちゃんを抱いて歌っているのが見えた。
女の人はゆらゆらと身体を揺らし、穏やかな眼差しで赤ちゃんの寝顔を見ている。
「子守唄だったんだね」
伊作先輩は小さく呟くと、また薬屋へと続く道を歩き出す。
でも私は立ち止まったまま、家の中から目を離さなかった。
「………赤ちゃん、かわいいな。欲しいな」
その声を邪魔する音は、この細い路地のどこにもなかった。
伊作先輩の瞳が、まっすぐ私を捉えている。
その次の日、……………部屋の前には何も置かれていなかった。
そして、その次の日も…………。
私はあの日のことを思い出して、そしてあることに気がついた。
伊作先輩が、あの日、――――何を見ていたのか。
夜。
私はどこからも、何も持ってくる必要はなかった。
ただ、伊作先輩の部屋の前で足を止めるだけでよかった。
「――――ひじき、入っておいで」
中から声が聞こえて、私は音もなく戸を開ける。
伊作先輩は机の前で本を広げ、こちらを見ていた。
灯りが仄かに部屋を照らし、寝巻を着ている先輩の白い肌がわずかに赤く見える。
ゆるく結われた茶色の髪は、まだ乾ききっておらずしっとりと濡れていた。
―――――食満先輩の姿はどこにもない。
私は一歩、一歩、ゆっくりと部屋へと足を踏み込んだ。
伊作先輩がうっすらと微笑み、その細い指を私の方へと差し出す。
私はぎこちなく手を伸ばし、恐々と先輩のなめらかな掌に触れた。
その瞬間、伊作先輩の唇が緩い弧を描く。
「本当にくれるのかい」
私は無言で一度肯く。
先輩の瞳が食い入るように私に注がれている。
微笑んでいる口元とは打って変わって、刺さるような痛いくらいの視線。
そのとき、机の傍に転がっている鏡に自分の姿が映っていることに気付く。
その瞳は…………伊作先輩の目と同じ色をしている。
――――私、伊作先輩が欲しかったんだ。
そのことに気付いた瞬間、伊作先輩が室内を微かに照らしていた灯りを吹き消した。
闇の中では、もう何も見えなかった。
