長編 1ミリ上空の日々
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私は恐怖で竦んだ足をなんとか動かし、横に転がり込んだ。
鋭い音がして先ほどまでいた場所に一本の苦無が刺さっている。
安堵するのも束の間、体制を立て直す間もなく脇腹を蹴られた。
「うっ」
痛みに思わずうめき声が出る。
音もなく歩み寄ってきた敵は、私の首を掴むと壁に叩きつけた。
頭を強く打ち、視界が揺れる。
どうにか目を開き、相手の顔を見た。
―――――目の下に小さな切り傷。
とても落ち着いて見えるが、私より少し年上くらいだろうか。
まだ、顔立ちが幼い。
「小娘、どこの城の者だ」
冷たい声。
意識が飛ばない程度に、じわじわと首を圧迫される。
苦しさの余り夢中で暴れると、少しだけ相手の手が緩んだ。
その一瞬の隙に思いっきり相手を突き飛ばす。
よろけた忍びはすぐに体制を立て直すと、再び私の首根っこを捉えようと掴みかかってきた。
しかし、一度すり抜けられればこっちのもの。
力では男に勝てないくノ一の武器は、色気と早さだ。
懐からまきびしを取り出し、後方に振り撒く。
そして一気に城の外へ飛び出した。
幸運にも外の見張りの姿は無い。
ひゅっ
風を切る音がして、頬を苦無がかすめる。
鋭い痛みが走るが気にはならなかった。
シナ先生の言葉が頭の中で蘇る。
“生きて帰ることが最も重要なことです。危機が迫ったら、なりふりかまわず逃げること”
その言葉通り私は無我夢中で走った。
全部の神経を前にだけ向け、追手のことは頭から閉め出す。
何度も転びかけ、木の枝に思いっきりぶつかったが、強引に突っ切った。
いつしか見知った景色に変わり、とうとう学園の付近まで帰ってきたことを知る。
ずいぶん走ったせいで呼吸が荒い。
今までは麻痺したように苦しさも足の疲労も感じなかったのに、急に体が重たく感じられた。
いったん草むらに身を潜め、辺りの様子を窺う。
――――――。
息を殺し、注意深く聞き耳を立てるが、何の音もしない。
静まり返っている。
どうやら、撒いたようだ。
それでも細心の注意を払い、幾度も回り道をしてから学園へと足を向けた。
*
門を潜り中へ入ると、入門票を抱えた小松田さんが待ち構えていた。
春先の夜はまだ寒い。
小松田さんは鼻を赤くして笑った。
「おかえりなさい!遅かったから心配したよ」
その笑顔を見た途端、自分の肩の力が抜けるのがわかった。
緊張してがちがちになっていた表情が和らぐ。
「ただいま」
近くまで来た小松田さんは「あっ」と声を上げた。
「ほっぺた怪我してるよ!痛いでしょ?」
走っている途中散々ぶつかったので体中痛い。
でも、これくらいの怪我なら実習で良くあることだった。
小松田さんの手から入門票を受け取りながら笑う。
「かすり傷ですよ」
「そう?でもちゃんと消毒してもらってね」
サインをする手に力が入り、筆先が震える。
うまく書けない。
小松田さんはそれを見ても何も言わず、待っていてくれた。
その後、シナ先生の所へ茶碗を提出し、保健室へと向かった。
こんな夜更けだし、おそらく誰もいないだろう。
小さな切り傷や打身くらいだから、自分でさっさと治療してしまおう。
保健室の戸をがらりと開けた。
暗いだろうと思っていた室内には灯りが灯っている。
「―――――伊作先輩」
「や、やあ」
伊作先輩は何とも不運な笑顔で振り返る。
部屋に転がっているのは大量の包帯。
どうやら、今夜も棚をひっくり返したらしい。
「あ、頬切れてるね」
寝間着姿の先輩はくしゃみを一つした。
「あの、大した怪我じゃないんで………」
私が部屋に入らず突っ立っていると「ここ片付いたから、どうぞ」と言って手招きする。
ついでに救急箱を部屋の隅から手繰り寄せる。
私は包帯を踏まないようにして、空いている床まで歩いた。
手で包帯の山を掻き分け、出来た空間に正座する。
「あの、片付けるの手伝いましょうか?」
そう言うと、先輩はお母さんみたいな顔で笑った。
「ありがとう。でも、まずは怪我の手当てからだ。ほら、右側向いて」
素直に右を向くと、頬に冷やりとした感触と、ぴりっとした痛みが走る。
「いて」
「ばい菌が入るといけないからね」
先輩はひとり言みたいに言って、頬にぺたりと湿布を貼った。
「ありがとうございます」
私は正面に向き直り、そのまま立ち上がろうとした。
すると伊作先輩が「ひじきちょっと待って」と言って、私を引き止める。
「他に痛いところは?」
「―――――膝がちょっとだけ」
「見せてごらん」
渋々と裾を捲ると、思っていたより赤く腫れている。
うわ。
怒られるかな。
どぎまぎしてちらりと先輩の顔を見ると、やれやれと笑われた。
「ここは保健室なんだから、怪我は素直に見せること」
「はい」
手当てを始める先輩が「へっくしゅん」とくしゃみをした。
「あの、もしかして先輩、――――風邪ひいてるんじゃないんですか?」
私はちり紙を渡しながら訊ねる。
すると先輩はずずっと鼻をかみながら苦笑した。
「実は、風邪薬を飲みにきたら棚をひっくり返してしまったんだ」
私は目を丸くして先輩を見る。
「え、何してるんですか!?私の手当てしてないで早く寝て下さいよ!!」
「あはは、ごめんごめん。でも薬はもう飲んだから」
良く見ると、先輩の顔が赤い。
熱もあるみたいだ。
私は立ちあがり、足元の包帯を退かして道を作った。
「もう寝て下さい。もう大丈夫ですから」
「ええ!でも……」
「でもじゃないです!そんな格好して!」
ぐいぐい伊作先輩の背を押して保健室から押し出す。
案の定、薄い寝巻の先輩の背中は冷え切っている。
「ちょっと待ってひじき!」
「はい、おやすみなさい」
ぴしゃり
何か言っているのを無視して保健室の戸を閉めてしまった。
ここまですれば、先輩も部屋に帰るだろう。
まったく、自分のことは棚に上げて………。
「さてと」
部屋に散らかった包帯を、腕を組んで見下ろす。
片付けるか。
*
結局、私が長屋に戻ったのは明け方近くだった。
「はっくしょん!」
鋭い音がして先ほどまでいた場所に一本の苦無が刺さっている。
安堵するのも束の間、体制を立て直す間もなく脇腹を蹴られた。
「うっ」
痛みに思わずうめき声が出る。
音もなく歩み寄ってきた敵は、私の首を掴むと壁に叩きつけた。
頭を強く打ち、視界が揺れる。
どうにか目を開き、相手の顔を見た。
―――――目の下に小さな切り傷。
とても落ち着いて見えるが、私より少し年上くらいだろうか。
まだ、顔立ちが幼い。
「小娘、どこの城の者だ」
冷たい声。
意識が飛ばない程度に、じわじわと首を圧迫される。
苦しさの余り夢中で暴れると、少しだけ相手の手が緩んだ。
その一瞬の隙に思いっきり相手を突き飛ばす。
よろけた忍びはすぐに体制を立て直すと、再び私の首根っこを捉えようと掴みかかってきた。
しかし、一度すり抜けられればこっちのもの。
力では男に勝てないくノ一の武器は、色気と早さだ。
懐からまきびしを取り出し、後方に振り撒く。
そして一気に城の外へ飛び出した。
幸運にも外の見張りの姿は無い。
ひゅっ
風を切る音がして、頬を苦無がかすめる。
鋭い痛みが走るが気にはならなかった。
シナ先生の言葉が頭の中で蘇る。
“生きて帰ることが最も重要なことです。危機が迫ったら、なりふりかまわず逃げること”
その言葉通り私は無我夢中で走った。
全部の神経を前にだけ向け、追手のことは頭から閉め出す。
何度も転びかけ、木の枝に思いっきりぶつかったが、強引に突っ切った。
いつしか見知った景色に変わり、とうとう学園の付近まで帰ってきたことを知る。
ずいぶん走ったせいで呼吸が荒い。
今までは麻痺したように苦しさも足の疲労も感じなかったのに、急に体が重たく感じられた。
いったん草むらに身を潜め、辺りの様子を窺う。
――――――。
息を殺し、注意深く聞き耳を立てるが、何の音もしない。
静まり返っている。
どうやら、撒いたようだ。
それでも細心の注意を払い、幾度も回り道をしてから学園へと足を向けた。
*
門を潜り中へ入ると、入門票を抱えた小松田さんが待ち構えていた。
春先の夜はまだ寒い。
小松田さんは鼻を赤くして笑った。
「おかえりなさい!遅かったから心配したよ」
その笑顔を見た途端、自分の肩の力が抜けるのがわかった。
緊張してがちがちになっていた表情が和らぐ。
「ただいま」
近くまで来た小松田さんは「あっ」と声を上げた。
「ほっぺた怪我してるよ!痛いでしょ?」
走っている途中散々ぶつかったので体中痛い。
でも、これくらいの怪我なら実習で良くあることだった。
小松田さんの手から入門票を受け取りながら笑う。
「かすり傷ですよ」
「そう?でもちゃんと消毒してもらってね」
サインをする手に力が入り、筆先が震える。
うまく書けない。
小松田さんはそれを見ても何も言わず、待っていてくれた。
その後、シナ先生の所へ茶碗を提出し、保健室へと向かった。
こんな夜更けだし、おそらく誰もいないだろう。
小さな切り傷や打身くらいだから、自分でさっさと治療してしまおう。
保健室の戸をがらりと開けた。
暗いだろうと思っていた室内には灯りが灯っている。
「―――――伊作先輩」
「や、やあ」
伊作先輩は何とも不運な笑顔で振り返る。
部屋に転がっているのは大量の包帯。
どうやら、今夜も棚をひっくり返したらしい。
「あ、頬切れてるね」
寝間着姿の先輩はくしゃみを一つした。
「あの、大した怪我じゃないんで………」
私が部屋に入らず突っ立っていると「ここ片付いたから、どうぞ」と言って手招きする。
ついでに救急箱を部屋の隅から手繰り寄せる。
私は包帯を踏まないようにして、空いている床まで歩いた。
手で包帯の山を掻き分け、出来た空間に正座する。
「あの、片付けるの手伝いましょうか?」
そう言うと、先輩はお母さんみたいな顔で笑った。
「ありがとう。でも、まずは怪我の手当てからだ。ほら、右側向いて」
素直に右を向くと、頬に冷やりとした感触と、ぴりっとした痛みが走る。
「いて」
「ばい菌が入るといけないからね」
先輩はひとり言みたいに言って、頬にぺたりと湿布を貼った。
「ありがとうございます」
私は正面に向き直り、そのまま立ち上がろうとした。
すると伊作先輩が「ひじきちょっと待って」と言って、私を引き止める。
「他に痛いところは?」
「―――――膝がちょっとだけ」
「見せてごらん」
渋々と裾を捲ると、思っていたより赤く腫れている。
うわ。
怒られるかな。
どぎまぎしてちらりと先輩の顔を見ると、やれやれと笑われた。
「ここは保健室なんだから、怪我は素直に見せること」
「はい」
手当てを始める先輩が「へっくしゅん」とくしゃみをした。
「あの、もしかして先輩、――――風邪ひいてるんじゃないんですか?」
私はちり紙を渡しながら訊ねる。
すると先輩はずずっと鼻をかみながら苦笑した。
「実は、風邪薬を飲みにきたら棚をひっくり返してしまったんだ」
私は目を丸くして先輩を見る。
「え、何してるんですか!?私の手当てしてないで早く寝て下さいよ!!」
「あはは、ごめんごめん。でも薬はもう飲んだから」
良く見ると、先輩の顔が赤い。
熱もあるみたいだ。
私は立ちあがり、足元の包帯を退かして道を作った。
「もう寝て下さい。もう大丈夫ですから」
「ええ!でも……」
「でもじゃないです!そんな格好して!」
ぐいぐい伊作先輩の背を押して保健室から押し出す。
案の定、薄い寝巻の先輩の背中は冷え切っている。
「ちょっと待ってひじき!」
「はい、おやすみなさい」
ぴしゃり
何か言っているのを無視して保健室の戸を閉めてしまった。
ここまですれば、先輩も部屋に帰るだろう。
まったく、自分のことは棚に上げて………。
「さてと」
部屋に散らかった包帯を、腕を組んで見下ろす。
片付けるか。
*
結局、私が長屋に戻ったのは明け方近くだった。
「はっくしょん!」
