初恋が実るまで
黙って書類を差し出す土方から用紙を受け取り印を押す。判子を用紙から離すと不本意ではあったが、上下逆さまだった。
「あ」
「あ、じゃねぇよ。折角仕上げたのに台無しだろうが。もういい、すぐ書き直すから印鑑持って部屋にこい」
用紙を覗き混みながら、苦労して作成した書類が振り出しに戻り怒られるかと思ったのに。
「俺、眠いんですけど」
全く睡魔など訪れては居ないのだが、取り敢えず避ける口実が欲しい。変に自覚してしまってからは副長室に入るのは躊躇いがある。
「嘘ついても無駄だ。いいから来い!」
ぐい、と腕を捕まれ引っ張られる。予期せぬ動きに対応出来る訳もなく倒れそうになる身体を受け止めたのは土方だった。
程よく鍛えられた腕に支えられ、普段より密着した所為か嗅ぎなれた煙草に混じり土方の匂いが鼻腔を通った。現状を把握した途端、顔に走る熱。きっと赤くなっているに違いない。
「悪ィ、大丈夫か?」
心配する土方に顔を見られたくなくて、早々に腕を押しのけて体制を立て直す。
「アンタが急に引っ張るからでしょう。ヤニ臭くなるから近寄らないで下せェ」
触れた部分をささっと手で払いながら、土方を睨み付ければ、人を汚物扱いすんなと声が飛ぶ。
本当は触れた部分が熱い。自分の変化を誤魔化すことしか術をしらないのだ。適度に距離を保たなくては俺達の関係は崩壊してしまうだろう。
「...書類やるんでしょ。さっさと行きやしょうよ」
ぶっきらぼうに紡がれた俺の言葉に、土方は短く返事をすると踵を返し自室へと歩を進める。俺は俯きながら、数歩後ろを黙って着いて行った。
やけに煩い心臓の音とは打って代わり、静寂した屯所の廊下を歩く。幼い頃は平気で土方に触れられたのに、成長した今となっては難しい。
こんなに近くに居るのに遠い。